奥山紹介
我が愛する奥山について紹介します。祭や麻生八幡神社や村の歴史など・・・
奥山は兵庫県姫路市の南部の山沿いの小さな地区です。 南には灘のけんか祭りで有名な
灘地区が広がっていて、姫路の白浜海岸がすぐそこです。 灘校区でありながら灘地区では
ない特異な地区になっていますが、昔からの伝統を守り、現在でも秋祭りを維持しています。
小人数でありますが頑張って祭屋台を運行させています。
奥山の現在の屋台は昭和2年に北原村の大工棟梁 福田瀬次氏の製作で、
その昔北原村から練って持って返って来たといわれています。
その後、昭和59年に本棒から下(毛利工務店寄贈)を新調改修し現在に至っています。
幕・高欄掛・伊達綱などの衣装は名門「絹常」のまた、狭間は飾磨の名工「堤義法」の作品で
先人の力の入れようが、うかがわれます。
平成17年秋には錺金具の総才鼻と菊水紋が 「匠の技ー播州祭り屋台錺金具展」 に
展示され、あらゆる面で逸品ぞろいの屋台と言われています。
1989年(平成元年)の奥山屋台
昭和54年より大屋台練り復活
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姫路バイパスから見た奥山景観
左が仁寿山、右が麻生山(小富士山)
麻生八幡神社
祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の三柱。
創建年代については不明であるが伝承によると、
西征の神功皇后が麻生山に登り、戦勝を大国主命に祈ったことに
基づいて、八幡三神を祀る一社を創建したことに始まると言われている。
中世には石清水八幡宮領継荘の鎮守として繁栄し、
現在は継と奥山地区の氏神となっている。
神門は元禄六年(1693)の建立であったが、平成四年に新築され
(毛利工務店建立)、参道の石鳥居は弘化三年(1846)の建立である。
麻生八幡神社と生矢神社
播磨風土記によると神功皇后は西征の途中、奥山の麻生山に登って戦勝を祈願したといわれます。その時、皇后は「今、弦を作りたい。この戦が成功に終わるならば、
今ここに麻、生えよ。」と祈念して真弓で大地を叩くと、たちまち麻が無数に生えたと言い、
皇后はこれを地主神である大己貴命のお陰だと大いに喜び、この麻で弦を造らせ、
麻生山から事始めの矢を三本射たと言い、この三本の矢が落ちたところには神功皇后を
祭る神社があり、一つ目は青山の稲岡神社、二つ目は三和山(今の手柄)の生矢神社、
三つ目は辻井にある行矢射楯兵主神社だといわれています。太市にある破磐神社にも
同じ伝承が伝わっています。播州一円には、神功皇后の伝説が数多く伝わっています。
昭和44年建立 麻生八幡宮拝殿
施工 毛利工務店
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