midnight call

第1話

「今日から新学期、か……」

 あまりにも憂鬱な登校に、少女は溜息をついた。学校なんて、行きたくないと。



 高校生になったと同時にこの稲羽市に越してきたこの少女、には、友達と呼べる者がいない。全くいないというわけではないのだが、あまりにも付き合いが浅く、こちらとしては友達と思っているものの、向こうとしてはどう思っているのかは定かではない。人見知りが激しい上に、引っ越した先が田舎であるおかげでコミュニティが狭く、高校入学時から既に転校してきた以外はほぼ知り合いであり、既にグループが完成していたため、その輪に入るのはおこがましいのでは、と踏み込めずにいたのが大きな理由だ。
 そんな状態の学校に行って、勉強以外に何の意味があるのか。全く楽しさを感じることができないその場は、にとってただつまらないだけだ。

 田舎とはいえ一応この八十神高校には1年ごとにクラス替えがあるため、自分のクラスと教室の場所を確認し、教室の扉を開ける。その音に反応しこちらを向いて声をかけてきたクラスメイトたちに、こちらも挨拶を返して席に着いた。特に雑談をするような人もいなかったため、最近すっかり日課になってしまった読書をしようと鞄から先日買ったばかりの本を取り出した。趣味と言えるほど読書好きではないのだが、他にやることもないので仕方がない。

「あ、あたしちゃんの前か」
「?」

 読書に集中していたのだが、不意に傍から自分の名前を呼ばれ、そちらを振り向く。緑のジャージを着た少女、里中千枝は、と目が合うとにこりと無邪気な笑みを浮かべた。

「今年も宜しく、ちゃん!」
「あ、うん、宜しくね千枝ちゃん」

 その言葉に、も笑みを返す。千枝とは去年も同じクラスであり、転校したばかりでこの地域の事情などが全く把握できていなかったを度々気にかけてくれていた。明るく社交的で様々な人物と一緒に過ごしているところをよく見かけ、が一人になっていると、よく声をかけてくれていた。
 の返事に満足した千枝は彼女の前に座った赤いカーディガンの、彼女の幼馴染であり親友である天城雪子と雑談を始めたので、も読書を再開させた。すると今度は隣の席で大きな音がして思わず肩を揺らす。

「はぁぁぁ……」

 何事かと横を見ると、橙のヘッドホンを首にぶら下げた男子、花村陽介が、席に着くなり机に突っ伏して大きな溜息を吐いていた。ただ事ではなさそうなその様子にどうしたのかとじっと見つめていると、の視線に気付いたのか、陽介はちらりとこちらを見て力なく挨拶した。

「ああ……隣か……。宜しく……」
「よ、宜しく……」

 一体どうしたのかと気にはなったが、その様子から、放っておいてほしいという気配を察知したため、何も聞かないことにして再び読書に勤しむことにした。



「ついてねえよなぁ……。このクラスって、担任、諸岡だろ?」

 しばらく読書を続けていると、ざわざわと騒がしい教室の中でその言葉が聞こえてきた。そういえばと思い、は本を見つめつつもその会話に集中する。
 諸岡という教師は何でもかんでも、とにかくひたすら長い説教をするという噂だ。勝手に人のことを決め付けて、生徒に対してひどい暴言を吐くらしい。彼のことが嫌いと思っている生徒は、かなり多いのではないのだろうか。は直接関わったことはまだないためよくはわからないが、散々そのような話は耳に入れているため、いい印象はとても抱けない。

「ところでさ、この組、都会から転校生来るって話だよね」
「?」

 都会からの転校生。珍しいなとは思った。都会から田舎へ転校なんて、かなり不便を感じるのではないだろうか。は以前も都会とは言えない地域に住んでいたため、多少以前より不便かもしれない、と思う程度ですんでいる。

「都会から転校生……って、前の花村みたいじゃん?」

 雪子と話していた千枝もその話を聞いていたようで、後ろを振り向きながらそう言った。
 彼も都会からの転校生だ。がここに来て半年後、つまり今から半年前に、近くにできたジュネスという大型店の店長に彼の父親が就くことになり、ここへやってきたのだ。
 そこで千枝はぐてりとしている陽介に気付き、首を傾げる。

「……あれ?なに朝から死んでんの?」
「や、ちょっと……。頼むから放っといたげて……」

 苦しそうに返す陽介にますます訳が分からないといった顔をして、雪子に向き直る。

「花村のやつ、どしたの?」
「さあ……?」
ちゃん何か知ってる?」
「ううん、私も…」

 雪子もも首を傾げるだけ。
 それを見計らったかのように、前の扉ががらっと開く。外からは諸岡と、転校生だと思われる男子が入ってきた。扉の開く音に一瞬静まるが、転校生を見るとまたすぐざわめいた。

「静かにしろー!」

 諸岡の声に一気にしんと静まる。静かになったことを確認すると、諸岡は話を始めた。

「今日から貴様らの担任になる諸岡だ!いいか、春だからって恋愛だ、異性交遊だと浮ついてんじゃないぞ。ワシの目の黒いうちは、貴様らには特に清く正しい学校生活を送ってもらうからな!」

 諸岡の言葉に、皆はたじたじになる。恋愛もだなんて、そこまで言うだろうかとも思った。
 諸岡の噂はよく聞いていたし、遠くで生徒達の説教をしているのを見ていたこともあったが、実際に間近で諸岡の話を聞くことはなかった。だから彼女は諸岡の言葉にいちいち反応せざるを得なかったのだ。

「あー、それからね。不本意ながら転校生を紹介する」

 不本意ながら。転校生にまでそんな態度なのか、とは呆れた。そして、その転校生を見る。
 灰色のストレートの髪、目は前髪に隠れてよく見えなかったものの、綺麗な顔立ちだ。学ランはボタンを外し、前を開けている。

「ただれた都会から、へんぴな地方都市に飛ばされてきた哀れな奴だ。いわば落ち武者だ、分かるな?女子は間違っても色目など使わんように!」
「……そこまで言うかな」
「……だよな」

 ぼそりと呟いただけの独り言だったのだが、思いがけず横から返事が返ってきた。隣を見ると、陽介は机に倒れながらも呆れたような顔で前を見ていた。は少しばかり驚きながらも、だよね、と返す。

「では、。簡単に自己紹介しなさい」

 生徒の視線が転校生のへ集まる。彼はどことなく不機嫌な顔をしていた。……そして、

「……誰が落ち武者だ」

 そう言った。はもちろん、クラス中の皆が目を見開いて驚いた。まさか、あの諸岡相手にそんな至近距離で対抗するだなんて。
 すごい勇気だな、とはこっそり尊敬した。自分には到底無理だろうと。そんな彼の反応に諸岡が怒らないはずがなく、物凄い形相で彼を睨んだ。

「む……貴様の名は“腐ったミカン帳”に刻んでおくからな……」

 なんだそのネーミングは、と思ったが、気にしないことにした。気にしていたらキリがないことに気付いたからだ。
 転校生の抵抗で機嫌が悪くなった諸岡は、彼に対していつものことらしい、長ったらしい説教を始めた。それを見兼ねた千枝は、慌てて手を挙げる。

「センセー。転校生の席、ここでいいですかー?」

 彼女の声に気付いた諸岡はやっと説教を止め、そちらを見た。

「あ?そうか。よし、じゃあ貴様の席はあそこだ。さっさと着席しろ!」

 なんて理不尽な。転校生可哀想だな、私の時はまともな先生でよかったよ。
 そうは思った。転校生は黙って千枝の隣の空席へ歩いてくる。そして、席に着いた。千枝は席に着いた彼にこそっと話し掛ける。

「アイツ、最悪でしょ。まー、このクラスんなっちゃったのが運の尽き……1年間、頑張ろ」

 そんな千枝に、彼は苦笑いを浮かべた。それからこくりと頷く。周りではざわざわと転校生を哀れむ声が聞こえる。本当に転校初日から諸岡はきついだろうなとは思った。再び騒がしくなった教室に、諸岡は怒鳴る。

「静かにしろ、貴様ら!出席を取るから折り目正しく返事しろ!」

 そして諸岡は出席を取り始めた。去年よりももっと憂鬱な学校生活になりそうだ、とは一人溜息を吐いたのだった。


     ***


「では今日の所はこれまで。明日から通常授業が始まるからな」

 チャイムが鳴り、授業の終了を知らせる。諸岡はそう言うと、号令もなしに教卓を離れ扉へ向かった。
 やっと終わった、とは机に突っ伏した。まだ初日だというのに諸岡の悪さがよくわかってしまい、しかしまだ序の口だろうと考えると、先が思いやられた。

『先生方にお知らせします』

 そんなとき、不意に校内放送がかかった。何だろうかとクラス中が顔を見合わせて放送を聞く。

『只今より、緊急職員会議を行いますので至急、職員室までお戻りください。また全校生徒は各自教室に戻り、指示があるまで下校しないでください』
「うーむむ、いいか?指示があるまで教室を出るなよ」

 放送を聞いた諸岡は一言忠告をして、教室を出ていった。すると今度はサイレンの音。何だ何だと何人かが窓へ駆け寄った。
 事件だろうかと、も席に座ったままそちらに目をやる。しかし外には霧が出ていて何も見えない。きっと窓に近寄っても見えないだろう。
 ここ数年この稲羽市には霧が多い、らしい。一年前に来たばかりのにはその変化はよく分からない。しかし他の地域に比べると確かに霧は多く、越してきたばかりの頃よりも心なしか多くなった気がする。
 ぼんやりと窓の外を眺めていると、再び校内放送がかかった。

『全校生徒にお知らせします。学区内で、事件が発生しました。通学路に警察官が動員しています。出来るだけ保護者の方と連絡を取り、落ち着いて、速やかに下校してください。警察官の邪魔をせず、寄り道などしないようにしてください。繰り返し、お知らせします……――』

 放送を聞いた生徒達は好奇心に溢れた表情で会話をする。中には怯えたり急いで帰ったりする人もいた。
 保護者と連絡を。それはできないなとは思った。
 彼女の両親は共働きだ。連絡なんて取ったら仕事の邪魔になるだろう。
 仕方がないと、ゆっくり帰る支度をし、席を立った。

「あ、ちゃん。ちゃんも一人だったら一緒に帰らない?」
「え……?」

 不意に横から聞こえた声に、は振り返る。すると、千枝と雪子と、それから転校生のがこちらを見ていた。

「あ……無理だったらいいよ」

 の反応に、雪子は遠慮がちに言う。そんな彼女にううんと首を振り、大丈夫と返した。それから転校生に話し掛ける。

「えっと、君、だったよね……。私、。宜しく、ね」
「宜しく」

 はぎこちなく微笑む。人見知り気味の上に男子が苦手なので、どうしても初めはうまく笑えないのだ。それでも彼は気にすることなく微笑み返してくれたので、内心でほっと息を吐いた。

「あ、えーと、里中……さん」

 教室を出ようと四人が歩みだすと、前から苦い顔をした陽介が近づいてきた。朝から様子のおかしい彼に、は首を傾げる。
 気まずそうな彼はそう言って鞄の中から何かを取り出した。

「これ、スゲー、面白かったです。技の繰り出しが流石の本場つーか……」

 妙によそよそしい彼の話し方に、きょとんとしていると、彼は頭を下げながら持っているものを差し出した。

「……申し訳ない!事故なんだ!バイト代入るまで待って!」

 千枝はそう言って謝る彼からそれを受け取る。すると彼は、じゃ!と短く別れを告げてそそくさと逃げるように扉へ向かっていった。そんな彼を千枝は追い掛ける。

「待てコラ!貸したDVDに何した?」
「どわっ!」

 ガタンッ。
 股間に手を当てて痛そうに悶えている陽介を無視して、千枝はDVDのケースを開ける。たちはそんな彼らの元へ進んだ。

「なんで!?信じられない!ヒビ入ってんじゃん……。あたしの“成龍伝説”がぁぁぁ……」
「俺のも割れそう……。つ、机のカドが、直に……」

 きっと男にしか分からない痛さなのだろう。は苦笑いを浮かべた。そんな彼に雪子は声をかける。

「だ、大丈夫?」
「ああ、天城……心配してくれてんのか……」

 そう言う彼は全然大丈夫ではないようで、力のない声で返事をした。

「いいよ、雪子。花村なんか、放っといて帰ろ」

 千枝はやはり怒っているようで、そう言ってDVDを鞄にしまい、さっさと教室を出ていった。雪子もそれに付いていく。も陽介の様子に戸惑いつつも、彼女らのあとを追い掛けていった。

 四人で下校しながら、主に千枝がに色々なことを聞いたり、町のことを教えたりしていた。それをは静かに聞く。

「ここ、ほんっと、なーんも無いでしょ?」

 立ち止まって、千枝は辺りを見回した。右には田園、左には民家が続いていて、店は田舎らしい小さなものばかり、コンビニもスーパーもない、あるとしたらジュネスぐらいだ。
 それでもいいところはこの町にもある。千枝は町のいいところを次々と述べていった。途中で雪子のことを話して彼女を困らせていたが。

「……あれ、何だろ」

 不意に千枝は正面を向き、首を傾げた。も千枝の見ているほうを見る。するとそこにはブルーシートとパトカーに警察官、それから数人の人が群がっていた。何だろうかとたちは近づいていく。

「でね、その高校生の子、ちょうど早退したんですって」

 傍まで寄ると、主婦たちの会話が聞こえてきた。たちは耳を傾けて何があったのか聞き取ろうとする。

「まさか、アンテナにひっかかってるなんて思わないわよねえ」
「見たかったわぁ」
「遅いんだから……ついさっき、警察と消防団で下ろしちゃったのよぉ」
「恐いわねえ。こんな近くで、死体だなんて……」

 死体。その言葉に驚いて四人は顔を見合わせる。

「え……今なんて?死体!?」

 千枝が目を見開いて呟く。もしかして、校内放送で言っていた事件とはこのことだろうか。そう考えていると、一人の警察官らしき男が近づいてきた。その男は厳しい口調で咎める。警察官に声をかけられることなど滅多にないのでは怯えた。しかし隣で小さくが「堂島さん」と呟いたことに気が付き、知り合いだろうかと少しだけ肩の力を抜いた。

「おい、ここで何してる」
「事件ですか?」
「ああ……まあ、ちょっとな。ったく、あの校長……ここは通すなって言っただろうが……」

 その男とは自然に会話をする。それを見て千枝が囁いた。

「……知り合い?」
「うん」
「コイツの保護者の堂島だ。あー……まあその、仲良くしてやってくれ。とにかく四人とも、ウロウロしてないでさっさと帰れ」

 そう言って堂島は去ろうとする。その時、向かいから若い男が駈けてきて通り過ぎていった。そしてその男は、物陰で呻き声を出す。どうやら吐いているようだ。死体を目の当たりにして気分が悪くなったのだろうか。

「足立!おめえはいつまで新米気分だ!今すぐ本庁帰るか?あぁ!?」
「す……すいませ……うっぷ」
「たぁく……顔洗ってこい。すぐ地取り出るぞ!」

 堂島は現場へ戻っていった。その後ろを足立はおぼつかない足取りで追い掛けていく。大丈夫だろうか、とはその様子を見つめた。

「さっきの校内放送ってこれの事……?」
「アンテナに引っ掛かってたって……どういう事なんだろう……」

 彼らを見届けたあと、千枝と雪子は顔を見合わせてそう呟いた。本当に、アンテナに引っ掛かった状態で発見されたとはどういうことなのだろう。その奇妙な事件に、たちは気分が重くなった。

「ねえ、雪子さ、ジュネスに寄って帰んの、またにしよっか……」
「うん……」
「じゃ、私たちここでね。明日から頑張ろ、君!」
「また明日」
ちゃんも、また明日」
「あ、うん、ばいばい」

 たちに別れを告げると、二人は去っていく。に別れを告げ、早足で家へと帰っていった。



 家に帰りぼんやりしていると、ニュースが始まった。そして最初の話題に反応して、はテレビを見る。稲羽市の鮫川付近、恐らく帰りに見た事件のことだろう。集中して続きを見た。

『遺体で見つかったのは、地元テレビ局のアナウンサー、山野真由美さん、27歳です』

 遺体は民家の屋根のテレビアンテナに引っ掛かったような状態で発見された。なぜこのような状態になっていたのかも死因も、今のところ不明。警察は事件と事故の両面から捜査を進める予定だが、周辺には濃い霧が出ていて、本格的な現場検証は明日になる見込みだ。そう述べられた。
 まさか被害者はアナウンサーだったとは。
 も気を付けなさいよ、と一緒にテレビを見ていた母親にそう言われ、お母さんもねとは返事をした。



 翌日、さっそく通常授業が始まった。は勉強はわりと好きな分類だが、やはり授業とは時に退屈だ。その退屈な時間をどう過ごそうかと一人思案に明け暮れるうちに放課後になり、漸く終わったと伸びをし、帰る支度を始めた。

「ね、ちゃんもどう?」
「え?」

 そうしていると千枝に声をかけられる。全く会話を聞いていなかったため話が分からず、はきょとんとした。千枝もその様子に気が付き、ああごめんと説明を付け足した。

「花村にビフテキオゴってもらわない?」
「え、まじ、三人も?」
「え、えーと……」

 花村の奢り。そう聞いて彼を見る。彼は困った顔をして目を逸らしていた。さすがに四人分も一人で払うのは厳しいのだろう。そう思ってその申し出を断ることにした。

「私はいいよ。花村君に悪いし、お腹も空いてないし。ありがとうね」
「そっか、じゃあまた明日」
「うん、ばいばい」

 笑って手を振ってくる千枝に手を振り返しては教室をあとにした。後ろからは陽介の感謝する声が聞こえた気がした。



 夕方のニュースの時間、は昨日の事件のことが気になり、テレビの傍に待機していた。

『次は、霧に煙る町で起きたあの事件の続報です』

 あの事件の話題になり、はテレビに注目する。
 アナウンサーが言うには、山野は生前、歌手の柊みすずの夫である、生田目太郎という男と浮気をしていたそうだ。
 町中でインタビューをしたと言い、画面が切り替わり、女性の姿が映し出された。その顔もインタビューに戸惑う声も加工されていたが、その姿は八十神高校の女生徒のものだった。
 しかしインタビューは全く意味をなしていない。よくこんなものを放送できるものだ、とテレビを眺めながらは呆れた。



 その翌日も授業を一通り終えては一息吐いた。久し振りの授業にはまだ少し慣れないようだ。はいつものように伸びをして帰る支度をする。
 教室の中も外もがやがやと、放課後特有の騒がしさがある。しかし恐らく、その大部分の会話の内容はあの奇妙な事件のことだろう。

ちゃん今日はどうする?」

 昨日のように再び千枝に声をかけられ、は首を傾げた。またぼんやりしていたため、彼女らの会話は全く耳にしていなかった。そんなの様子を見て、陽介が人懐こい笑みを浮かべて付け足す。

「こいつんちがそろそろテレビ買い替えるらしくてさ、それなら今日ジュネス行かね?って」
「ああ……うん、行く」

 なるほどと納得しては頷いた。昨日と違って断る理由は雨を除いて特にない。せっかく誘ってくれているのに何度も断るのも悪いと思い、はついていくことにした。



「でか!しかも高っ!こんなの、誰が買うの?」

 最新テレビの前で、千枝は驚愕した。そのテレビの横幅は一メートルを優に越えている。あまりの大きさにも言葉が出なかった。しかしさすがに陽介は見慣れているようで、平然といった様子で答える。

「さあ……金持ちなんじゃん?けど、ウチでテレビ買うお客とか少なくてさ、この辺店員も置かれてないんだよね」
「ふぅん……やる気ない売り場だねぇ。ずっと見てられるのは嬉しいけど」

 それから二人は目を合わせてテレビに近づき、画面に触れた。何をしているのだろうかとは目を瞬かせ、その様子を眺めた。

「……やっぱ、入れるワケないよな」
「何の話……?」
「や、さっき君がおかしな話してたからさ。はは、寝オチ確定だね」
「大体、入るったって、今のテレビ薄型だから裏に突き抜けちまうだろ……ってか、何の話してんだっつの!」

 は苦笑する。二人の会話で大体の話は読み取れた。おそらく、身体がテレビ画面を突き抜けたという夢を現実だと勘違いをしてが話したのだろう。わざわざ確認をした二人もそうだが、意外と天然なのだろうか。ちらりと彼を見ると、眉間に皺を寄せて首を捻っていた。夢ではないと思う、とでも言いたげなその表情に、思わずくすっと笑みが零れた。

「ん?」
「あ、ごめん」

 その声がに届いてしまったようで振り向かれたので、慌てて目を逸らし謝る。別にいいけど、とクールな返事が返ってきて少しほっとした。
 陽介と千枝は他のテレビを見に移動をした。二人をしばらく眺め、それからまたを見ると、彼は先程の大きなテレビをじっと見つめている。まだ夢だと思っていないのだろうかと彼を見続けると、彼はテレビに近づいて手を出した。

「夢じゃないと思うけど……」
「いやいや……」
「うわっ」
「!?」

 しかし画面に触れたその手は、常識に反して画面を突き抜けてしまった。信じがたい光景に、は驚きすぎて声も出せなかった。一体、何が起きているのだ。

「そういやさー、。お前んちのテレビって……!!」
「なに?どしたの、花村」

 陽介もこのおかしな様子に気付き、驚く。それを見た千枝も不可解な顔をし、彼の目線を辿って驚いた。こんな光景、驚かないわけがない。

「あ、あいつの腕……ささってない……?」
「うわ……。えっとー……あれ……最新型?新機能とか?ど、どんな機能?」
「ねーよッ!」

 千枝はは動揺しすぎておかしなことを言いだす。そして陽介はそれに突っ込みを入れた。

「な、何これ……っ」
「わからない……」

 も絶句する中、ただ一人は驚きつつも何故かどことなく冷静に見えた。そこへ離れていた二人も傍へ戻ってきて、まじまじと見つめる。

「うそ……マジでささってんの!?」
「マジだ……ホントにささってる…すげーよ、どんなイリュージョンだよ!?で、どうなってんだ!?タネは!?」
「さあ……」
「さ、さあって!」

 そうしているうちに、は腕を引き抜き、今度はなんと頭を突っ込みだした。

「ええっ!?」
「バ、バカよせって!何してんだお前ー!!」
「す、すげぇーっ!!」
「か、感心してる場合じゃないよ千枝ちゃん!!」

 三人は既に頭が真っ白である。そんな中は暢気にも向こうの状況を伝えだした。

「中に空間が広がってる」
「な、中って何!?」
「く、空間って何!?」
「なんか広そう」
「ひ、広いって何!?」
「っていうか、何!?」

 彼の報告にいちいち陽介と千枝は大きなリアクションをとった。が、陽介は急に股間を押さえ、足踏みをしだす。

「やっべ、ビックリし過ぎで、モレそう……」
「は?モレる?」
「行き時無くて、ガマンしてたってか…。うおダメだ!もる、もる!!」
「は、早く行ってきて!」

 陽介は急いで手洗いの方へ駈けていく。がしかしすぐに慌てて引き返してきた。

「客来る!客、客!!」
「え!?ちょっ、ここに、半分テレビにささった人いんですけど!!ど、どうしよ!?」

 二人はパニック状態になってその場を駈け回り始めた。も焦っての服を引っ張る。

「ね、ホント、見つかるから一回頭出して!」

 だがは頭を出そうとしない。人が焦っているというのに、当の本人は本当に暢気なものだ。が何度も説得しようとしているのに、少しも動いてくれない。そんなとき、は背中に強い衝撃を受けた。

「っ!!」
「うわ、ちょ、まっ!!」

 は、後ろから陽介と千枝の二人に押されたのだ。
 そのまま四人は、得体の知れないテレビの中へ入って、いや、落下していった。

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2009.11.15