仙遊寺近辺地図
JR今治駅から バス 畑寺行き 約20分 別所下車 徒歩約40分
仙遊寺境内 配置図
赤ちゃんを抱かれた観世音菩薩像
第58番仙遊寺 本堂
仙遊寺境内から見た今治市街:しまなみ海道
御本尊 納 経
山 号 | 作礼山 |
院 号 | 千光院 |
寺 号 | 仙遊寺(せんゆうじ) |
本 尊 | 千手観世音菩薩 |
開 基 | 越智守興 |
宗 派 | 高野山真言宗 |
住 所 〒794−0113 愛媛県今治市玉川町別所甲483
電 話 (0858)55−2141
御真言 おん ばざら たらま きりく そわか
御詠歌 たらよりて 作礼の堂に 休みつつ 六字を唱え 経を読むべし
仙遊寺略縁起等(抜粋) |
仙遊寺は、天智天皇(在位668〜671)の勅願により伊予の国主・越智守興公が 堂宇を建立された。本尊は千手観世音菩薩 海から上がった童女が一刀三礼し ながら彫って安置したと伝えられている。このことから、山号「作礼山」の由来に もなっている。 さらに寺には、阿坊仙人という僧が約40年にわって修行、七堂伽藍の諸堂を 整えたが,養老2年(718)忽然と姿を消してしまったという伝説が残っている。 寺名は、その阿坊仙人に由来している。 弘法大師が四国霊場開創のため、この寺で修法され、諸病に苦しむ人々を 救済しようと井戸「お加持の井戸」を掘り、七堂伽藍を修復して再興、寺運は興隆 した。 江戸時代には荒廃して本堂と12社権現だけとなっていたが、明治時代の初期、 高僧宥蓮上人が山主となり、多くの信者とともに再興に尽力した。 宥蓮上人は、明治4年、日本最後の即身成仏として入定している。 |
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