第51番熊野山 虚空蔵院石手寺(いしてじ)
          

                 石手寺近辺地図
             
                       JR松山駅 バス道後行き 約30分 石手寺前下車

                                             石手寺境内 配置図
                           

                  
                      第51番石手寺 仁王門(国宝) 高さ7m:間口3間:横4m
                    文保2年(1318)建立 二層入母屋造り・本瓦葺
                  
                      第51番石手寺 本堂(国の重要文化財)鎌倉末期建立

           
          鐘楼堂:元弘3年(1333)建立(国の重要文化財)  三重塔:鎌倉末期建立(国の重要文化財)
                残念・・・・台風の余波・豪雨の中の撮影 雨の雫が写真に入っている。
                                

                   
                         御本尊                 納 経

 山 号   熊野山
 院 号  虚空蔵院
 寺 号  石手寺(いしてじ) 
 本 尊  薬師如来
 開 基  行基菩薩
 宗 派  真言宗豊山派

        
             住  所  〒790−0852 愛媛県松山市石手2丁目9−21
                     電 話  (089)977−0870


         御真言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
   
      御詠歌  西方を よそとは見まじ 安養の 寺に詣りて うくる十楽  

石手寺略縁起等(抜粋)
  縁起によると、神亀5年(728)伊予の豪族、越智玉純が、霊夢に二十五
菩薩
の降臨を見て、この地が霊地であると感得、熊野12社権現を祀ったの
を機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇(在位724〜749)の勅願所とな
った。
  翌年の天平元年に行基菩薩が、薬師如来像を彫造し、本尊として祀り
開基し、法相宗の「安養寺」と称した。

  「石手寺」と改称したのは、寛永4年(892)の衛門三郎再来の説話による
とされる。
(説話)
  道後湯築城主・河野息利の妻が、男児を出生したが、その子は生後3年
経っても左の手を開かず、安養寺の住職が、祈祷したところ、手を開いた。
そのとき、手の平から「衛門三郎再来」と、書かれた小石が、転げ落ちた。
その子は、息方と名づけられ、15歳で家督を継いだとのことです。

  この子こそ、天長8年10月、第12番札所・焼山寺で、逆巡礼の結果,
弘法大師にお会いし、許しを得た上死亡した衛門三郎の生まれ替りと言わ
れています。
やがて、寛平4年(892)安養寺を「石手寺」に改められ、この石は寺に納め
らたとのことです。

石手寺の七不思議???
1 渡らずの橋  弘法大師、お道開きの橋 この橋を歩くと、足を痛めると
  言われる。
2 玉の石  衛門三郎の生まれ変わりの赤ん坊が、手に握っていたと言わ
  れる石
                                       (大講堂)
3 蛇骨、涌ケ淵の大蛇を、石手寺の僧が退治した。
  その骨が保存されている。
                                       (宝物館)
4 水天堂の水瓶 水瓶の中に石があり、潮の干満が分かると言われる。
5 訶梨帝母天皇の石 子授かりの石
6 湯音石 道後温泉の湯が湧き出る音が聞こえる。
7 仁王門の大草鞋 足の悪い人が草鞋に触れ、悪い部分に触ると治ると
  言われる。

           
       


             右のアイコン(写真)  をクリックしてください。
             biglobeウェブリアルバム
(石手寺写真)にリンクします。
     

                              
 

              第50番繁多寺へ     第52番太山寺へ

                            
 四国霊場(総括)