繁多寺近辺地図
              
                 伊予鉄道久米駅下車 バス津田団地行き 繁多寺口下車 徒歩約20分
                         繁多寺境内 配置図
                            
                 
                                 第50番繁多寺 山門
                 
 
                                  第50番 繁多寺 本堂
           
 
                     弘法大師坐像                     南無興教大師像
                   
 
                           御本尊                 納 経
| 山 号 | 東山 | 
| 院 号 | 瑠璃光院 | 
| 寺 号 | 繁多寺(はんたじ) | 
| 本 尊 | 薬師如来 | 
| 開 基 | 行基菩薩 | 
| 宗 派 | 真言宗豊山派 | 
                住  所  〒790−0913 愛媛県松山市畑寺町32
                          電 話 (089)975−0910
           御真言  ころころ せんだり まとうぎ そわか
         御詠歌  よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ 
| 繁多寺略縁起等(抜粋) | 
|   繁多寺は、松山城、松山市街、瀬戸内海まで一望できる淡路山の中腹 に所在する。 縁起によると、天平勝宝年間に、孝謙天皇(在位749〜758)の勅願により 行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、建立したと伝えられ「光明寺」 と号された。 弘仁年間(810〜824)弘法大師が、この地を巡錫し、寺に逗留された 際に「東山・繁多寺」と改め、霊場とされた。 時宗の開祖である一遍上人(1239〜1289)も、この寺に留まって学問 修業したと伝えられている。 上人は、正応元年(1288)、亡父・如仏が所蔵していた「浄土三部経」を、 この寺に奉納されている。 天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深いことから、応永 2年(1395)、小松天皇(在位1382〜1412)の勅命により泉涌寺26世・ 快翁和尚が、繁多寺第7世の住職となり、以降高僧が、相次いで住職に なっている。 こうした縁から、寺には、16弁の紋章が付いた瓦が残っている。 天和のころ「龍湖」という名僧が出て、徳川家の帰依を得ることになり、 四代将軍:徳川家綱が念仏仏としていた三体のうち、歓喜天を祀るなど、 寺運は36坊、末寺100数余を有するほど隆盛であったと伝えられている。  | 
    
          
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