6日目(3/24) バルセロナ(Barcelona)へ

 朝起きて顔を洗っていたら突然水が出なくなるハプニングがありました。どうやら工事をしていたようです。今日は旅の最終目的地バルセロナに向かって出発です。バルセロナまでの距離は293Km、右手に地中海を望みながら海岸線を北上します。途中トイレ休憩に立ち寄ったガソリンスタンドは海からの風が少し寒く感じました。天気に恵まれて暖かな日が続いていたのでここが一番温度が低かったかもしれません。

 途中タラゴナ(Tarragona)の町を通過しました。ここはカルタゴ軍とローマ軍とが戦ったところで考古学に興味のある人に人気がある場所です。ハンニバル(カルタゴの将軍)の目的はローマに攻め入ることでイベリア半島からピレーネ山脈を超え、フランスからアルプスを越えて北部イタリアに攻め込んだのです。最後はザマの戦いで大敗してしまいました。ローマ人はエトルリア人の建築技術、ギリシャ人の商業技術を利用しました。

 2000年前にローマ人が築いた水道橋があるというのでバスを止めて見に行きました。もちろん今は使われていませんが昔は山からタラゴナの旧市街まで水を供給していたのです。2000年前の建築物が今に残っているのはすばらしいことです。

 バスはやがてカタルーニャ州に入りました。人口は約630万人うち半数以上が州都のあるバルセロナ県に住んでいます。ここは「スペイン人である前にカタルーニャ人である」と言われるほど地方色が強く、独自の歴史、文化、習慣、言語を持っています。街の表示や看板もスペイン語(カステリャーノ)とカタルーニャ語(カタラン語)で併記されています。

タラゴナの水道橋

 バルセロナはスペイン第2の都市で人口は170万人です。スペイン一の商工業地帯です。レストランで昼食後、市内観光に入りました。

モンジュイックの丘(Montjuic)

 まずはスペイン広場からモンジュイックの丘を目指します。スペイン広場のそばにはアレナス闘牛場がありますが現在使われてはおりません。改修されてショッピングセンターに生まれ変わるのだそうです。正面、丘の中腹にスペイン万博のメイン会場になった宮殿のような建物のカタルーニャ美術館が見えてきます。バスは右折して坂を登り始めるとスペイン村の前を通りました。まもなく右手に15年前に開かれたオリンピックのスタジアムが見えてきました。次に左手にミロ美術館が見えます。

 モンジュイックとはユダヤ人の丘という意味だそうです。展望台から見る眺めはすばらしかった。すぐそばにバルセロナ港が見えます。ここは豪華客船がよく発着するところです。これから見学するサグラダ・ファミリア聖堂の尖塔もよく見えました。この丘ではかつてF1レースも行われていましたが1970年代ドイツのドライバーが事故を起こし以後廃止されました。

グエル公園(Parc Guell)

 街の北側にアントニオ・ガウディが設計したグエル公園はあります。ガウディは1852年に生まれました。彼は自然界に同じものは存在しないと言う信念を持っていました。彼の建物には直線は使われていません。彼はバルセロナの人々にすべて受け入れられたわけではありません。画一化して商業ベースに乗せようとする人たちとは合わなかったからです。

 彼の最大の理解者はエウゼビ・グエル伯爵でした。ガウディは彼の求めに応じてここに60戸の住宅を建てて公園都市を建設しようとしたのです。1900年から1914年まで建設が続けられました。しかしこの事業は完成することはありませんでした。

グエル公園

 2戸の住宅が完成したところでグエルが死んで資金を提供できなくなったからです。仕方なくガウディはそのうちの1軒を買って自分が住んだのです。しかしうつくしい公園部分は残されました。色とりどりの破砕タイルが埋め込まれたベンチや大トカゲの噴水などおとぎの国に紛れ込んだような錯覚を覚えます。石の回廊や市場の予定の広場の天井もすばらしい。この公園住宅の中は馬車が走るように設計され、人間の歩く道とは丸い置石によって分けられています。とても90年前のものとは思えない斬新なデザインです。公園内はイタリア語、フランス語、スペイン語が飛び交っていました。若い見学者が多いようです。

サグラダ・ファミリア教会(Templo Expiatorio de la Sagrada Familia)

 1882年に建設に着手したこの教会は122年経った今も完成していません。教会の建設は百年単位と言いますがいつになったら完成するのか想像もできません。建設は浄財に頼っているとはいえ、年間200万人の入場料と現代の建築技術を持ってすればそれほどかからないと思うのですが「神様はお急ぎにならない」と言うことでしょうか。

 ガウディは31歳でこの仕事を引き受け、以後43年間の人生のすべてを聖堂造りに費やしました。彼は精密な設計図は残しておりません。デッサンが残されていますがそれによると聖堂の外側にはイエスの「生誕」「受難」「栄光」の3つのファサード()を持ち、各ファサードに4本の塔があり、12本の塔は12使徒を意味し

サグラダファミリア教会

4人の福音書家を表す4本の塔、そして中央にイエスとマリアに捧げる中央塔が建てられ、合計18本の塔が立っています。そして現在までに完成したのは「生誕」「受難」のファサードと8本の鐘塔のみ。ガウディは晩年には敬虔なカトリック信徒となり、この教会に寝泊りして建設の指揮を執ったのです。1926年、路面電車にはねられて73年の生涯を閉じました。私たちは1976年完成の「受難」のファサードから入りました。この門に付けられた像は現代的な彫刻です。

 工事現場のような中を抜けて「生誕」のファサードに出ました。この門のハープ像は日本人彫刻家、外尾悦郎氏の作品です。外尾さんは現在も地下の資料室で働いていました。地下は資料館になっていました。ここでガウディが綿密な計算と実験の上、設計をしていることを知りました。また彼が木、きのこ、貝、波など自然界からヒントを得ていたことも分かりました。

 サグラダ・ファミリア(聖家族)教会の見学を終えてグラシア通りのロエベの店に向かいました。スペインが世界に誇る最高級皮革ブランドのお店ですが私はあまり興味がないので抜け出してガウディの建てたカザ・パトリョとカザ・ミラを見に行きました。

 夕食は「Glop Taverna del Teatro」でパスタ・パエリアでした。

最後の宿はグラン・ビア通りのリッツホテルです。1919年開業の老舗ホテルで5つ星のワンランク上の「グラン・ルッホ(GL)」に格付けされており、客室や調度品も大変立派なものでした。 中庭に藤の巨木がありました。