4日目(3/22) セビリア(Sevilla)からロンダ(Ronda)、ミハス(Mijas)そしてグラナダへ

 セビリアはグアダルキヴィル河畔に開けた古い街です。そして今もアンダルシア州の州都であり、世界でも最も美しい都市のひとつといわれています。古くはローマの都市イスパリスとして、712年以降はイスラム支配下でイクスビリアと呼ばれ大変栄えましたが、1248年フェルナンド3世により再征服されました。

 17世紀になると芸術が花開き大いに発展したのです。1992年に万博が開かれ、伝統と現代性に溢れた未来の都市として確実に乗り出したといえましょう。

 

グアダルキヴィル川岸の黄金の塔

 まず私たちは1929年に開かれたイベロ・アメリカ博のメイン会場として立てられたスペイン広場を訪ねました。途中、モロッコ、コロンビア、メキシコ、アメリカ広場、アルゼンチン、グアテマラなどのパビリオン跡を車窓から眺めました。近くにマリア・ルイサ庭園などもあります。建物は直径200mの半円形に建てられていてその前に池があります。池にはスペインの4大強国(カスティージャ王国、アラゴン王国、レオン王国、ナバラ王国)を示す4つの橋が架けられています。また建物の前のベンチには50の県の歴史を示す図がタイルで描かれていました。ところでスペイン広場というのは各地に存在しますがそれは国民に地方意識の前に国家としての統一意識を持たせるために作られているのです。

 見学を終えてバスでサンタ・クルス街のほうに向かいます。途中旧タバコ工場が見えました。ここはカルメンが働いていたという設定の工場ですが現在はセビリア大学の事務所になっているそうです。私たちはコロンブスのモニュメントのある公園の近くにバスを止めて徒歩でカテドラルに向かいました。城壁の中に2本の水道管が見えるアクア通りという路地を抜けていくとやがて広場に出て前方にヒラルダの塔が見えてきました。

 ヒラルダの塔は98mの高い塔で元は回教寺院のミナレットでしたがキリスト教会に改修され、上部に鐘楼が付けられました。さらにその上に6mの高さの風見鶏(風向計)が付けられています。ヒラールとは回るという意味で、風見鶏が回ることからヒラルダの塔というのだそうです。ヒラルダの塔の中は階段ではなく螺旋状の坂になっていました。これはロバに乗って登れるようにしてあったのです。

 私たちはもちろん歩いて登りました。大変眺めがよくアルカサル(王宮)や闘牛場なども良く見えます。セビリアの街は意外にこじんまりした緑豊かな大変きれいな街でした。この街はあの絵画の巨匠ベラスケスの生まれたところでもあります。17世紀に日本の支倉常長一行も訪れました。この地にはハポン(Japon)つまり日本という姓を持った人たちがいます。

右端がヒラルダの塔

 さて私たちはいよいよカテドラルに入りました。ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセントポール大聖堂に次ぐ世界で3番目に大きい、もちろんスペインでは最大の大聖堂です。このゴシック建築の大聖堂は1248年に大回教寺院の上に建てられたものです。主祭壇の背後の飾り壁は高さ26m、幅17m45に区切られてキリストの生涯が木彫り、金箔仕上げで描かれています。作者はピエテル・ダンカルトとアレッホ・フェルナンデスで14821525年に製作されました。聖歌隊席は15世紀の作でゴシックとムデハル様式で作られています。パイプオルガンはバロック様式です。また主礼拝堂のほかに44の小礼拝堂が置かれています。

 1891年アルツーロ・メリダの作であるクリストバル・コロン(コロンブス)の棺がありました。カスティージャ、レオン、アラゴン、ナバラの4人の王に担がれた威厳のある作品です。最後に聖アントニオ礼拝堂に向かいました。17世紀ムリーリョの「聖アントニオの幻想」という絵がかけられています。なぜか聖アントニオは探しものの神様なのだそうで探し物のあるときはここにお願いに来るのだそうです。しかし右下の聖アントニオの部分は切り取られ盗まれてしまい1年後ニューヨークで発見され、後に戻されて修復されたのです。

 昼食後は143Km先のロンダの街を目指してバスは走ります。ロンダはグアダレビン川の深い渓谷の上に作られた街です。新市街と旧市街をつなぐ新しい橋は渓谷から90mの高さに2重になって架けられています。面白いのは橋の中央部、橋の下に部屋があり、刑務所として使われていました。その後レストランになり、いまは博物館として使われているのだそうです。

 旧市街のはずれに一軒の黄色い壁の家が見えますがヘミングウェイがたいそう気に入って滞在した家だといいます。ヘミングウェイはこの街で「誰が為に鐘はなる」のヒントを得たのでしょう。昔の人は敵の侵入を防ぐためにこんな不便なところに街を作ったのです。この街にも闘牛場があります。その前にベドリロ・ロメオという闘牛士の記念碑がありますが彼は生涯に5800頭もの牛と戦って無傷であったといいます。

ロンダの新しい橋

 ロンダの見学を終えるとバスはミハスに向かいます。途中はかなり険しい山の中の道でガードレールもない道をかなりのスピードで飛ばします。ミハスはこの地方に点在する白い村の一つです。どの家も白い壁にレンガ色の屋根です。小さな村ですが日本人の観光客が多いらしく日本語の地図を渡されて自由行動でした。サン・セバスチャン通りのみやげ物の店では日本語が通じ日本円も使えます。陶器やアーモンド、押し花のアクセサリーなどがあります。地図を持ちながら歩いたのに道を間違え、危うく集合時間に遅れるところでした。

 ミハスの見学を終えるとバスは一路152Km先の今夜の宿のあるグラナダへ向かいます。途中バスはコスタ・デル・ソルのマラガを通過します。このあたり北欧やドイツの観光客が多いのだそうです。北欧の 人はこの降り注ぐ太陽の光を求めてくるのでしょう。「ドイツ人がスペインの太陽を盗みに来る」という言葉もあるそうです。

今夜の宿はグラナダのグラン・ルナ・デ・グラナダです。夕食はホテルでした。