4日目(3/22) セビリア(Sevilla)からロンダ(Ronda)、ミハス(Mijas)そしてグラナダへ
まず私たちは1929年に開かれたイベロ・アメリカ博のメイン会場として立てられたスペイン広場を訪ねました。途中、モロッコ、コロンビア、メキシコ、アメリカ広場、アルゼンチン、グアテマラなどのパビリオン跡を車窓から眺めました。近くにマリア・ルイサ庭園などもあります。建物は直径200mの半円形に建てられていてその前に池があります。池にはスペインの4大強国(カスティージャ王国、アラゴン王国、レオン王国、ナバラ王国)を示す4つの橋が架けられています。また建物の前のベンチには50の県の歴史を示す図がタイルで描かれていました。ところでスペイン広場というのは各地に存在しますがそれは国民に地方意識の前に国家としての統一意識を持たせるために作られているのです。 見学を終えてバスでサンタ・クルス街のほうに向かいます。途中旧タバコ工場が見えました。ここはカルメンが働いていたという設定の工場ですが現在はセビリア大学の事務所になっているそうです。私たちはコロンブスのモニュメントのある公園の近くにバスを止めて徒歩でカテドラルに向かいました。城壁の中に2本の水道管が見えるアクア通りという路地を抜けていくとやがて広場に出て前方にヒラルダの塔が見えてきました。
さて私たちはいよいよカテドラルに入りました。ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセントポール大聖堂に次ぐ世界で3番目に大きい、もちろんスペインでは最大の大聖堂です。このゴシック建築の大聖堂は1248年に大回教寺院の上に建てられたものです。主祭壇の背後の飾り壁は高さ26m、幅17mで45に区切られてキリストの生涯が木彫り、金箔仕上げで描かれています。作者はピエテル・ダンカルトとアレッホ・フェルナンデスで1482〜1525年に製作されました。聖歌隊席は15世紀の作でゴシックとムデハル様式で作られています。パイプオルガンはバロック様式です。また主礼拝堂のほかに44の小礼拝堂が置かれています。 1891年アルツーロ・メリダの作であるクリストバル・コロン(コロンブス)の棺がありました。カスティージャ、レオン、アラゴン、ナバラの4人の王に担がれた威厳のある作品です。最後に聖アントニオ礼拝堂に向かいました。17世紀ムリーリョの「聖アントニオの幻想」という絵がかけられています。なぜか聖アントニオは探しものの神様なのだそうで探し物のあるときはここにお願いに来るのだそうです。しかし右下の聖アントニオの部分は切り取られ盗まれてしまい1年後ニューヨークで発見され、後に戻されて修復されたのです。
ロンダの見学を終えるとバスはミハスに向かいます。途中はかなり険しい山の中の道でガードレールもない道をかなりのスピードで飛ばします。ミハスはこの地方に点在する白い村の一つです。どの家も白い壁にレンガ色の屋根です。小さな村ですが日本人の観光客が多いらしく日本語の地図を渡されて自由行動でした。サン・セバスチャン通りのみやげ物の店では日本語が通じ日本円も使えます。陶器やアーモンド、押し花のアクセサリーなどがあります。地図を持ちながら歩いたのに道を間違え、危うく集合時間に遅れるところでした。 ミハスの見学を終えるとバスは一路152Km先の今夜の宿のあるグラナダへ向かいます。途中バスはコスタ・デル・ソルのマラガを通過します。このあたり北欧やドイツの観光客が多いのだそうです。北欧の
人はこの降り注ぐ太陽の光を求めてくるのでしょう。「ドイツ人がスペインの太陽を盗みに来る」という言葉もあるそうです。 |