基隆から花蓮へ

 翌朝、一人早起きして浜木綿、ハイビスカス、浜昼顔などの花を見ながら海辺の散歩を楽しみました。アダンの実もぶら下がっています。波打ち際に近づくとなにやら灰色の生き物がすばしこく動いています。よく見るとそれはやや足の長い蟹でした。また砂浜に無数の穴が開いていす。この中にはさっきの蟹より大きな三センチほどの茶色の蟹がいました。近づくとすばやく穴の中に隠れてしまいます。早朝のさわやかな風を期待したのですがまったくの無風で長居をせずに部屋に戻りました。

 7時に朝食をとって745分バスで基隆市内観光に出かけました。まず最初に向かったのはやや小高い丘の上の中正公園です。布袋様のにこやかな顔が私たちを迎えてくれました。また高さ20メートルの白い観音様が立っています。高崎の観音様は40メートルですから半分の高さです。この公園から基隆港を眺めるとそれは長崎港を小さくしたような景色でした。

 長崎の雨は歌に歌われていますが基隆も雨の多いところで1年のうち300日も雨が降るといわれるところですが、今日はまったく雨の心配はありません。公園の名前には中正か中山がよく使われているようです。中正とは蒋介石のことであり、中山とは孫文のことです。

 見学を終えていよいよ八堵(Patu)から列車に乗って花連(Hualien)に向かいます。列車は予定より20分ほど遅れてきましたが余り気にする様子はありません。指定席ですが既に先客が座っています。切符を見せるとすぐ変わってくれました。

  貢寮(Kungliao)を過ぎると左手にミニチェアの家のようなものが見えます。台湾のお墓の群れです。沖縄の破風墓にも似ていますがこちらは極彩色でもっと派手です。福隆を過ぎて列車は海辺を走ります。トンネルを出ると海の中に亀山島(Kueisntao)が見えてきました。

 出発して1時間、列車は頭城(Touchang)に着きました。ここからは列車はやや内陸部を走ります。東海岸は平野部が少ないので海岸線を走る部分が多いのですがここからは少し平野が開けています。列車はまもなくやや大きな町の宜蘭(Ilan)にとまりました。平野が少なくなってまもなく蘇澳(Suao)に到着ここまでで約半分の 行程でした。

 ここからまた列車は海岸線を走っていきます。セメント工場以外に大きな町も無く、南澳を過ぎるとトンネルが多くなります。列車はやがて新城(Hisincheng)に着きました。ここまでくれば花蓮まであと15分で着きます。1310分、3時間25分の列車「莒光号」の旅を終えて花蓮に到着しました。

到着後、バスで大理石の加工工場に向かいました。昼食は付属の食堂で郷土料理を食べました。といっても特に変わったものでなく野菜の多い普通の中華といったところでしょうか。食後、工場をざっと見学、というのも本格的な加工は別のところで大々的に行われ、ここで行われるのは昔ながらの手作業で行うものが主体だからです。

さすが花連は大理石の産地で橋や道路の舗装にも大理石が使われる徹底振りです。工場を過ぎるとコースは石の博物館のようです。様々な宝石や貴石の原石や加工品が所狭しと並んでいました。そして販売コーナー、店員さんが必死で売り込みをしてきました。まだ旅の前半だし、私は宝石にはあまり興味がありません。それにあまり安いとも思えないのですが、あまり勧めるので旅の記念にネクタイピンと楊枝指しを買いました。ふたつで3300(11千円)、私は値切るのは得意ではありません。

さて次は今日のハイライト、太魯閣渓谷に向かって出発です。渓谷の入り口は花連の北約30kmの新城の郊外にあります。バスの車窓からは檳榔椰子や台湾バナナやマンゴーの木が見える。

台湾バナナは日本でもおなじみですが檳榔椰子は見かけることはありません。ココ椰子と違ってもっと小さな実をたくさんつけています。この実の中に石灰をつめて葉に包んだものを口に入れて噛むというのですがどんなものか試してみないので分かりません。派手なネオンをつけて道端の小屋でいたる所で売っているので台湾ではごく一般的な食べ物なのかもしれません。

街中では普通のおばさんが売っていますが、郊外では若い女性が水着姿で売っているというので日本のテレビでも放映したことがあります。今回も確かにいくつかそのようなところを見かけました。暑い夏ならともかく、冬になってもこの姿だそうで、客寄せの方法なのでしょうが何か奇妙な風景です。

バスはやがて東西横貫公路と書かれた中国風の赤いゲートをくぐりました。いよいよ太魯閣渓谷の入り口です。この道路は花連と台中を結んでいます。そのうちこのゲートから天祥までの約20kmが太魯閣渓谷と呼ばれています。

太魯閣(タロコ)とは勇敢な原住民の頭目タロコにちなんだ名前とされるが日本のガイドフックではタイヤル族、現地の案内人はアミ族の人だと言っていましたがどちらが本当なのか分かりません。渓谷は大変深く、激流が削り上げた大理石の岩肌は大変美しく、またその規模の雄大さに圧倒されます。なにしろ台湾には最高峰の玉山(3952m)、第2峰の雪山(3884m)をはじめ3000mを越える山が133もあるのです。

入り口から2.5kmほど進んだところに長春祠があります。難工事を極め、犠牲となった殉職者212名を祭ったところです。各国の専門家たちも躊躇したこの難工事を成し遂げたのは蒋介石に従って大陸から渡ってきた約1万人の退役軍人でした。2年間で完成させたといいます。

台北にはこうした退役軍人専門の老人ホームがあります。いまでは一部、機械掘りのコンクリート作りになっていますが当初は全部、手掘りのトンネルでした。現在の祠の右に小高く山のように崩れた後がありますが本来の祠はこの下に埋まっているのだそうです。

狭い道路とトンネルをバスは進んだりバックしたりしながら進みます。大きなバスではすれ違いができないのです。まもなく燕子口というところに着きました。バスを降りて歩きました。ここは渓谷の幅が最も狭く、対岸まで16mほどしかありません。対岸の岩肌には風雨や激流によってできた無数の穴が見えます。この穴に燕が巣を作るというので燕子口という名前がついたのだそうです。

次にバスを降りたのは錐麓大断崖というところ、高さ200mを越える大理石の大岩壁が屏風のようにそそり立っています。ここから空を仰ぐと台湾の形をした空が青々と見えました。さらに先へ行くと九曲洞という曲がりくねった手掘りのトンネルがあります。

やがてバスは慈母橋という橋の袂で止まりました。大理石をふんだんに使ったこの橋はこの道路建設の指揮をとった蒋経国の命名によるものだそうです。橋を歩いて渡りました。風が強く帽子が飛ばされそうです。渡ったところに緑の蛙に似た岩がありました。

さらにバスに乗って緑水というところで休憩、資料館になっていて工事の様子を示す写真がありました。このあたりは太魯閣渓谷の最も高いところで熱さを感じさせないほどです。ここの庭に植えてあるバナナは寒さのため実が実らないのだそうです。もう少し先に行けば終点の天祥ですがバスはここでUターンしてもと来た道を戻ります。帰りは先ほどの混雑がうそのようにすいすいとバスは走り、やがて花蓮の街に戻りました。

今晩の宿は花蓮中信大飯店(Chintrust Hualen Hotel)です。司馬遼太郎さんが取材旅行の途中、李登輝前総統が家族と一緒に尋ねてきたというホテルです。街の中心からは少し離れているようです。道路の通行量も人通りもやや少なめです。ホテルの窓からは中国語の看板に混じって日本語の看板も見えます。夕食はホテルで広東料理でした。

夕食後はオプションの花蓮阿美文化村へ、アミ族のショーを見に行くことにしました。料金は13500円です。台湾には原住民が九族います。阿美:アミ族、雅美:ヤミ族、排湾:パイワン族、魯凱:ルカイ族、鄒:ツオウ族、布農:プノン族、泰雅:タイヤル族、卑南:ピュマ族、賽夏:サイセット族ですが、南部の島、蘭嶼に住むヤミ族を除けばいずれも高地に住む人たちでマレー・ポリネシア系ですがそれぞれ違った文化と言葉を持つといわれています。

これらの中で最も人口が多い(約9万人)のが今回見学するアミ族で踊りや歌などを得意とする部族です。7年前、烏来で見学したのはタイヤル族でした。人口は2番目(約78千人)ですが居住する地域は最も広いといわれています。今は全く無くなりましたがかっては首狩の風習があったといわれる部族です。

ヤミ族は九族の中では最も人口が少なく(約3千人)、独特の文様をつけた船で漁をするので有名です。八角形の小屋は中央が舞台になり観客は周りから見下ろすように座席が配置されています。オフシーズンのせいか観客は100名程度で客席は空席が目立ちました。華やかな民族衣装の若い男女が歌や踊りを繰り広げます。そのうちに観客も一緒に踊るように誘われます。ここで写真を撮って終わったところでこの写真を買ってもらうわけです。

烏来の時と全く同じでした。そこは良いとしてもバンブーダンスや長い布を交差させて一枚の布のようにする踊り、更には観客の若い男性を花婿に仕立てて結婚式のセレモニーを行うところも内容が全く同じなのには何か割り切れない気がしました。これはもはやショーであって自分たちが本来持っている独自の文化とは違っているのではないかと思えたのです。