ユングフラウ・ヨッホ

ルツェルン市内観光

○ライオン記念碑 1792年フランス革命のときパリののチュイルリー宮殿で、王妃マリー・アントワネットを守るために全滅したスイス人傭兵786人の勇敢さと戦いの悲惨さを伝える像です。銛を打たれたライオンの瀕死の様子が生々しい。

○カペル橋 ロイス川にかかる1333年に作られた世界最古の瓦葺き屋根のついた木造の橋です。ただし1993年大半が焼失して再建されたといいます。火災の原因は「3人の若者が酒に酔ってボートの上で焚き火をしながらカペル橋の下を通過したためその火が橋に移って燃えてしまった。」と言うことです。長さ200mほどあります。川の水は大変きれいで川底まで見えます。

○旧市街 ロイス川の両岸ですが、川の右岸、旧市庁舎のあたりを歩く。石畳の中世の面影を色濃く残しています。そこここに広場があります。家の壁には美しく彩色された絵がかかれています。広場には噴水もありました。ロイス川には白鳥が遊んでいました。

  ルツェルンの見学を終えてバスはいよいよインターラーケンに向かいます。インターラーケンはその名の通り、トウーン湖とプリエンツ湖、二つの湖の間にある街です。夕暮れ時、ホテルからユングフラウの峰が見えました。明日も晴れますように。 今夜はビクトリア・ユングフラウ・グランドホテルと言う5つ星のホテルです。その夜の食事はチーズフォンデュとフォンデュシノワーズでした。後者は煮え立ったコンソメスープに薄切りの牛肉と豚肉を串に刺してゆでながら食べるスイス風のしゃぶしゃぶです。ただし日本の肉と違ってまったく脂身がありません。いろいろな薬味を着けて食べるのですがそのままでも十分おいしい。ここで乳製品から作る発泡飲料リベラと言うのを飲みました。牛乳から作ったとは思えないほどあっさりしています。

スイスの言葉

 スイスで使われる言語は4種類あります。 ドイツ語    69% 中央北部スイス フランス語   19% 西部スイス イタリア語   10% 南部スイス ロマニッシュ語  2% 東部スイス 徐々にドイツ語化している。

4カ国語を話すことができないと国会議員にはなれないと言われています。

ユングフラウ・ヨッホ

  昨日、晴れますようにと祈ったのに今日は朝から小雨が降っています。朝、7時半まだ少し暗いうちにバスでインターラーケンを出発しま した。ラウターブルンネンでバスを降ります。登山電車に乗り換えてクライネシャイデックまでゆっくりと登って行きます。 ラウターブルンネンの谷が見えます。両側に高さ数百メートルの絶壁が続き大きな滝が落ちています。登山電車は次第に高度を上げて 行きました。下のほうに一面にじゅうたんを敷き詰めたような緑の中に町並みが見えます。メンヒの頂上は見えたましがユングフラウの山頂は雲の中です。  やがてクライネシャイデック(2,061m)に着きました。ここでさらに電車を乗り換えてユングフラウ・ヨッホを目指します。電車は思ったより立派な車両です。行程はほとんどトンネルで途中の駅はアイガーヴァントとアイガーメールの二つで、アイガーヴァントはアイガーの北壁の中で窓から外が見えます。停車時間はそれぞれ5分です。電車は1時間ほどで最終の駅ユングフラウ・ヨッホ(3454m)に着きました。  氷河の中に彫られた洞窟を抜けると外は吹雪でした。展望台へは行かずに戻ると、きれいなレストランや売店があります。なんと昔懐かしい日本の郵便ポストがありました。絵葉書を書いて出す人も多い。妻はここでテレホンカードを買って日本に電話をかけました。500円ほどだが結構長く2分半ほど掛けられたようです。  残念ながらアルプスの雄大な眺めを見ることはできませんでした。それでも観光客は多く、大半は日本人客です。案内板にはドイツ語フランス語イタリア語と並んで日本語でも表示してあるし、途中、電車の車掌さんも日本語でサービスしてくれます。もちろん日本語の車内放送もあります。ガイドの高山さんも冗談混じりに日本人が来なくなったらつぶれてしまうなどと言う。  ガイドの高山さんはスイス在住28年ということで実に詳しい。また大変愉快な人で一行はすっかりリラックスしてついて行けます。いやみのない冗談が次々に飛び出してきます。高山植物にも大変詳しく、すでに高山植物の季節は過ぎていましたが花盛りのころが目に浮かぶようです。花に興味のある私には大変ありがたかった。アルペンローゼの咲き乱れるころを見たいと思う。

    高山さんが袋ナデシコと教えてくれたシレネ・ウルガリスの花が残っていました。有名なエーデルワイス(高貴な白の意)は今では野生のものを見ることは大変少ないのだそうです。

  昼食はクライネシャイデック(小さな分岐の意)の山小屋風のレストランで取りました。店には新田次郎の写真が飾ってありました。そう言えば近くに「アルプスを愛した日本の作家新田次郎」の碑がありました。

  帰りはグリンデルワルトに下りました。街でショッピングと散歩を楽しむ。このアイガーのふもとの村は古くから日本の登山家が訪れたと言いいます。長野県の安曇村と姉妹提携をしています。1時間後再度バスに乗ってインターラーケンに着きました。

  スイスは3000mを越えるところでも水洗トイレが完備していました。これはすごいことだと思う。それにどんな高い山でも荒れた様子がまったくない。人間の営みのすばらしさを感じました。山は日本のゴルフ場のようにグリーンです。アルプスの少女の舞台はスイスの東方のマイエンフェルトやバート・ラガッツですがハイジやおじいさんが今にも出てきそうな風景がどこにもあるのです。

   日本のように道路から見えるところには洗濯物は干してないし、電柱電線も地下に配線してあるので見えない。けばけばしい看板は一切ありません。家々の窓辺には必ず花があります。ゼラニュウムやアイビーゼラニュウムが多い。ペチュニアの花もあります。しかも圧倒的に赤色です。この統一が実にいい。空気湿度のせいか花の色はまさに鮮やかです。どこを取っても絵になる風景だと思います。

 インターラーケンに戻って夕食まで時間があるので妻と二人で街を歩いてみました。お土産などを買う。その晩、夕食は外のレストランで取ることになり、準備をしていると堺ツァーリーダーから電話があり今晩の乾杯の音頭をお願いしますと言ってきました。そこでの挨拶では次のようなことを言ったような気がします。

 皆さんこんばんは、ポリテクカレッジ群馬の川です。どういうわけか諸先輩を差し置いて挨拶をすることになりました。大変恐縮をしております。

 今日はこの旅のクライマックスでありますユングフラウ・ヨッホへの登山電車の旅、お疲れ様でした。ユングフラウとは「若い乙女」ということですが、今日は皆さんの熱い思いを感じてか恥ずかしがって顔を完全には見せてくれませんでした。あるいは隣のメンヒつまり「僧侶」が邪魔をしたのでしょうか。しかし高山さんの名ガイドにより大いに楽しめたと思っております。大変ありがとうございました。今日の楽しい旅と今後の旅の安全を祈念して杯を上げたいと思います。乾杯

スイスの牛

  スイスの牛は3種類です。スイスブラウン、センメンタール、フリブルク(ホルスタイン)どれもカウベルを首につけています。これは遠くへ行っても行方がわかること、持ち主がわかること、乳腺を刺激して乳の出を良くするためです。牧場や牛舎のそばに1mほどの白い円筒状のものが転がっていますがこれは牧草を入れたビニールの袋で牧草を発酵させています。生の牧草がない冬場に干草と混ぜて食べさせると乳の出が良くなります。

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