シヨン城

ベルンからモントルーへ

  朝、インターラーケンを出発したバスは北を目指して進みました。西に向かえばモントルーに行くはずですがベルンを通過するようです。ベルンはスイスの首都であり、古くから軍事上の要所でもあります。アール川を境に旧市街になっています。アーケード街が続きます。大変均整のとれて落ち着いた良い街です。ところどころ蓋をしてあるのは地下シェルターの入り口です。

  スイスはどの家にも地下シェルターがあります。これがないと建築許可は下りません。例外はまったくないのです。街中ですが花がいっぱいあります。熊公園があり、熊が歩いていました。熊はこの州の象徴であり、ベルンの州旗にも熊が描かれています。英雄サムソンの噴水、熊の兵士の噴水、人食いの噴水など11ヶ所に噴水があります。

  ベルンは政治の中心です。スイスの議会は二院制です。ナショナルラード(衆議院、200名、4年)とステンドラード(参議院、46名、5年)で246名の議員がいます。3つの党派から2名ずつ、第4の党派から1名、計7名の大臣がいます。7名のうち一人が毎年選ばれて大統領になります。65歳になって年金が貰えるようになると引退します。したがって年を取った議員は一人もいません。大きな議題は国民投票で決めます。直接選挙・露天選挙です。スイスは直接民主主義の国なのです。ただし、婦人の参政権が認められたのは今からたった28年前のことです。

 

現在、世界で永世中立国を宣言しているのはスイス、オーストリア、スエーデン、アイスランド、リヒテンシュタインですが、スイスは国民皆兵です。兵役は20歳から42歳まで、20歳で15週間、21歳から2年おきに3週間、最後に42歳で3日間の訓練を受けて予備役になります。1日で45万人の兵を集めることができるといいます。常時は4万人が半職業軍人として務めています。国のいたるところに武器庫、弾薬庫、格納庫があります。狭い谷の底にいきなり滑走路があったりします。この国の防衛に掛ける執念のようなものを感じました。

シヨン城

    ベルンの街を車窓から見学してレマン湖へと走ります。レマン湖の東の端にモントルーの街はあります。その東、レマン湖の中にある卵形の岩島の上にシヨン城は建てられています。歴史は大変古く、この島には昔から人がすんでいた形跡があります。城の起源は定かではないが11〜13世紀ごろにサヴォワ伯爵家により大規模に拡張されたものといいます。

 昔ケルト人が住んでいたころシウンと呼ばれ、岩島の意味でありましたがそれが語源になったといわれています。1798年州の独立とともに州の所有となっています。今年200年祭が行われました。交通の便が良いせいか、見学者は多い。入り口で日本語の案内をもらい、日本人のガイドさんがつきました。

  長さ110m、幅50mほどの岩島に作られた城はそれほど広くはありませんが複雑な構造をしています。地下にはジュネーブの宗教改革家ボニヴールが4年間幽閉されていたという牢獄があります。また19世紀ここを訪れてそのことをうたったイギリスの詩人バイロンの落書きがありました。

  16年前、イギリスのエリザベス女王が来訪したとき晩餐会が開かれたという広間があります。アラブ風天井の広間やアジアを思い起こさせる木製の欄干など何か不思議な感じの建物です。シオン城の見学を終えて水に浮かぶ姿を写真に収めると近くのレストランで昼食を取りました。

  食後バスはもときた方角に走り出しました。そのままレマン湖の南を行けばエビアンに行くはずですが予定を変更してジュネーブまでバスで行くことになったのです。まもなくチャプリンが愛したヴェヴェイに着きました。レマン湖のほとりに立つ彼の銅像と腕を組んで記念撮影をします。誰もがするらしく腕の部分が磨かれて光っていました。レマン湖の北側に沿ってローザンヌ、ニヨンを通りジュネーブに着きました。

ジュネーブからパリへ

    ジュネーブは国連の機関をはじめ、たくさんの国際会議が開かれる街です。世界各国から来た人たちが働く街です。ほかのスイスの街とは一変しています。イギリス公園からは世界一という130mもある大噴水がよく見えます。

  ここから私たち一行はTGVに乗ってフランスのパリに向かいます。国際列車なので通関の手続きが必要になります。スイスで買った品物と書類を持って並びましたがあっけないほど簡単に判を押してくれました。パスポートも簡単に見ただけです。お世話になった高山さんともホームでお別れ、車中の人となりました。

  パリまで3時間半、昼食は済んだのに、ここでおにぎりが出ました。3個入っています。おいしかったので全部平らげました。16時40分にジュネーブを出た電車は山間の林の中を走っていましたがやがて牧草地帯をひた走ります。牧草を食む牛の種類が白と茶のまだらから白い牛に変わっていきます。同席のT夫婦ととりとめもないおしゃべりをしました。

  7時30分あたりが暗くなってきました。牛の姿はもう見えません。遠くの人家に灯りがとも りました。TGVは日本の新幹線と違って高架になっていませんし、線路脇のフェンスもありません。8時10分漸く街の灯が見えてきました。パリ到着まであと10分。

  8時20分ついにパリのリヨン駅(リヨンにある駅ではなくリヨンへ向かう列車の始発駅という意味で名前がつけられている)に到着しました。照明に美しく照らし出されたパリの街をバスはセーヌ河に沿って西に進む、マロニエの並木が美しいシャンゼリゼ通りを行くと凱旋門が見えてきました。ホテルはこの近くでホテル・ル・メリディアン・パリ・エテワールといいます。長かった一日が終わろうとしていました。

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