モントリオール

三日目(9月28日日曜日) メープル街道とモントリオール(Montreal)

 今朝はケベックの町を後にしてモントリオールへ向かいます。昨日は眺めただけで渡らなかった吊橋ピエール・ラ・モルト橋(1970年開通)を渡ってセントローレンス川の右岸にある高速道路20号線を行きます。並行して架かる鉄橋はケベック橋で世界一長い橋げた(549m)を持つ橋で2回の失敗の後、1917年に完成しました。バスは橋を渡ると右折しました。シュジエール滝が見えます。バケツという名のこの滝は春先になると文字通りバケツをひっくり返したような水が流れるのだそうです。

このあたりケベックの郊外ということで土地が安く、このあたりに家を建てて通勤する人も多いのです。やがて人家もまばらになり、メープル街道の紅葉が見られる林が続きます。昨日の
40線を来た時よりも、こちらのほうが少し紅葉は進んでいるようでした。

 時折カナディアンスタイルの家が見えます。このあたり冬は雪が多いので屋根の傾斜は急です。しかし軒の部分で少し傾斜がゆるくなって伸びています。屋根裏部屋があり暖炉の煙突が見えます。最近はどの家も地下室を持ち、子供達の部屋にすることも多いと聞きました。

 ガイドのヨシエさんのケベック州の保険制度、消費税の話などを聞きながらバスは一路モントリオールを目指します。 ヨシエさんはケベック人の夫と二人の子供を持ち、ケベックに住むママさんガイドです。やがてバスの外は雨になって来ました。今日の雨の確率は70%、仕方がありません。今日は雨の中の観光になりそうです。しかしこの日を予想して日本を出る前にズボン、靴、コートにたっぷりと防水スプレーをかけてきたので安心です。

やがて大きな街が見えてまいりました。モントリオールです。特徴のあるドーム状の建物、
1976年、21回のメイン会場、オリンピックスタジアムです。飛行機の上からも良く見えた建物でした。現在はモントリオール・エクスポズのホーム球場として使われています。

 モントリオールは人口340万人カナダ2番目の大都市です。モントリオールはフランス系住民の多いケベック州において多くの移民を受け入れたところでフランス系の人は6070%といわれています。80カ国からの移民を受け入れ35カ国の言葉が話されています。

 バスはセントローレンス川の大きな中州であるサンテレーヌ島とノートルダム島をまたぐように架けられた大きな高い橋、ジャック・カルティエ橋を渡りました。サンテレーヌ島は1967年の万国博覧会の会場になったところで現在は公園になっています。夏の間だけ開かれている遊園地が見えました。

ノートルダム島はガジノと
F1グランプリの会場として有名です。バスは大きく回りこんで旧市街に入ってきました。このあたり1642年、ポール・ドゥ・コメディー・ドゥ・メゾンヌーヴ公がヴイル・マリー(マリア様の町)を建設したところです。つまりここがモントリオールの原点ということです。

古い歴史のある建物が今も残っていました。ここも昔はケベックと同じように城壁に囲まれた街でしたが
19世紀前半全て取り払われています。バスはダルム広場に着きました。目の前の大きな教会がノートルダム大聖堂(Notre-Dame Basilica)です。今日は日曜日、盛大なミサが開かれていて一般の人は入ることができません。

幸いガイドさんの交渉で少しだけ中に入れてもらえました。時刻は
11時でこの時間のミサは特に盛大で聖歌隊の賛美歌や荘厳なパイプオルガンの音色を聞くことができました。祭壇は青い光が大変美しく天井は高く星が輝くようでした。この教会を設計したのはアイルランド出身のアメリカ人建築家ジェームス・オドンネルです。

ノートルダム大聖堂

 彼はプロテスタントでしたが死の直前にカトリックに改宗しました。そしてこの教会の地下に埋葬されています。 

 次にやってきたところはモントリオールの市庁舎前です。1878年創建のこの建物はなかなか趣のある建物です。左上部の屋根の色が違うのはここにあったコンピュータ室から出火して葺き替えられたからです。ここのバルコニーで1976年フランスのドゴール大統領が「ケベック万歳」と叫んでカナダ政府から顰蹙(ひんしゅく)を買ったという逸話が残っています。ケベックはカナダからの独立運動がある州なのです。

 市庁舎からなだらかな傾斜を見せるところはジャック・カルティエ広場
(Place Jacques-Cartier)です。本来ならばオープンカフェなどで賑うところですが今日はあいにく小雨が降っているのであまり人出はありませんでした。ここをゆっくりと下り再びバスに乗り込みます。今度は漢字の看板が目立つ地域にやってきました。ここは1850年代鉄道建設のつらい仕事に従事していた中国人が集まってできた中華街です。今日の昼食はこの一角で中華料理を食べました。最後のデザートに杏仁豆腐が出なかったのは残念。

モントリオールの市庁舎

 モントリオールは大変地下街が発達しています。総延長は30kmショッピングセンター、映画館、劇場など一日中地上に出なくても暮らせるということです。地下鉄には65ヶ所の駅があり、それぞれが違ったデザインがされています。ゴムタイヤの地下鉄は静かです。

 バスはマギル大学の前を通りました。1821年に設立されたカナダ最古の大学です。ケベック州にありながらここは英語で教育が行われています。現在31000名の学生がいますが特に医学の名門として有名で世界各地から留学生が訪れます。フランス語で教育を受けた人たちも就職には英語も出来たほうが有利ということでこの大学に入る人もいると聞いたことがあります。もちろんここにはフランス語系の大学、モントリオール大学(1876年創立)もあります。

 次に向かったのはアンモナイトのお店でした。アンモナイトが宝石化したものをアンモライトというのだそうです。化石には興味があるのですが宝石にはあまり興味がありません。結局何も買わずじまいでした。

 モントリオール最後の見学場所は郊外にあるサン・ジョセフ礼拝堂(Saint-Joseph’s Oratory)です。聖ジョセフとはキリストの父の名前です。礼拝堂に上がる手前の広場にキリストを抱くジョセフの像、すなわち父子像があります。聖母子像は良く見ますが聖父子像を見るのは初めてです。またサン・ジョセフはモントリオールの守護聖人です。

44mの大きなドームを持つ礼拝堂はまたモントリオールの最高地点に立てられています。螺旋階段を上ったところのテラスから見る景色は雨でやや煙って見えましたが大変美しかった。ここは奇跡をおこすアンドレ修道士が開いたところで年間200万人以上が巡礼に訪れます。正面には長い石段がありますが中央の階段は木製でここを膝で上る人がいるのだそうです。さすがに雨でぬれた木の階段を上る人はいませんでした。

サン・ジョセフ礼拝堂

 モントリオールの見学を終えてバスは一路ローレンシャン高原へ向けて一般道117号線を北上します。途中トイレ休憩もかねてサン・ソヴェール(Saint-Sauveur)とサンジョビ村(Saint-Jovit)という小さなこぢんまりとしたきれいな村に立ち寄りました。雨も上がって村の中を歩くと111日のハロウィンに向けて店先の南瓜を中心とした飾り付けが楽しい。

またどこでも見られるのですが街角や街路灯のように吊るされたハンギング・バスケットの花々が美しかった。ペチニア、ミリオンベル、ゼラニウム、アイビーゼラニウム、ペラゴニューム、インパーチェンス、ニューギニアインパーチェンス、ベゴニア・センパーフローレンス、マリーゴールドなどです。ケベックではブーゲンビリアや木立ベゴニアなども見ましたが冬の寒さをどのように乗り越えているのでしょうか

サンジョビ村のハロウィン飾り

 紅葉の進む山の中をバスはインディアンの言葉で「震える山」という意味を持つモン・トランブラン(Mont-Tremblant)のふもとの村(Ville de Mont-Tremblant)に着きました。ここは1991年、アメリカの会社が開発した一大リゾートの一部です。1年を通して楽しめるあらゆる施設が整っています。ケベックの古い町を模して設計されたと聞きましたがまるでおもちゃのような可愛らしい村でした。今夜の宿はツールド・ボヤージュです。

 夕食はレストランでサーモン料理でしたがここでちょっとした騒動がありました。最初に出てきたポタージュが大変塩辛く飲めないのです。また付け合せに出てきたポテトの角切りのようなものの正体です。一口食べてみるとなにやら大根のような味がします。さらに食べてみるとやや苦味がありこれは蕪だと思いました。これが大 変に固く食べられないのです。 

従業員の人が現物を持ってきました。それはまさしく聖護院大根のような蕪でした。日本ではこういうものを生で食べる習慣が無いのでほとんどの人が残していました。
 

ツールド・ボャージュ