ケベック

二日目(9月27日土曜日) ケベック(Quebec City)市内観光

 朝7:30出発したバスは200km先のケベックを目指してセントローレンス川の左岸にある高速道路40号線をひた走ります。ここはメープル街道の一部です。メープル街道はナイアガラを基点としてトロント、オタワまたはキングストン、モントリオール、ケベックにいたる約800kmの道です。別名をヘリテージ(遺産)ハイウェイと呼ばれています。

 高速道路といっても何処まで行っても料金所があるわけではありません。カナダの高速道路は無料だからです。ここケベック州はカナダで最も広い州ですが人口は700万人ほどそのほとんどはトロント、オタワ、モントリオール、ケベックなど大きな街に住んでいるので郊外に出るとほとんど人は見かけません。広大な大地に点在するコーンの畑も広大です。手付かずの原野も多いのです。道の両脇に広がるメープルの林はまだ少し色づいたところで本格的な紅葉は1乃至2週間後でしょう。残念ながら燃えるような紅葉は見られませんでした。

 バスは2時間半ほど走ったところで道をそれてドライブインに立ち寄りました。道から離れて林の中にあるこのドライブインは小さなお店とコンビニがあるだけ後はセルフサービスの給油スタンドが一つあるだけのごく簡素なところでした。ここではメープルバターを買いました。

 再出発したバスはやがて街に到着しました。目的地のケベック・シティです。城壁の門をくぐってシャトー・フロントナック・ホテル(Le Chateau Frontenac)の前で停まりました。ここで現地ツアーガイドの「サイトウヨシエ」さんと合流しました。お昼には少し時間があるということで早速市内観光が始まりました。まずはサンルイ門(Porte Saint-Louis)の外にあるケベック州議事堂(Hotel du Parlement)に向かいます。1886年建造のフレンチルネッサンス様式の建物です。

中央のカルティエの塔の正面には
22体のケベックの歴史にインパクトを与えた人々の銅像が飾られています。また白地に水色の十字4つの百合の花の紋章をあしらったケベック州の州旗が掲げられています。十字はカトリックを表し、4個の百合の花はブルボン王朝の象徴です。ケベックはフランス語を公用語とする唯一の州で他の英語を公用語とする他の州とは違った文化を持つ地域なのです。

ホテル シャトーフロントナック
 

 次に向かったのはシタデル(Citadelle)と呼ばれる函館五稜郭のような星形をした要塞でした。イギリス軍がアメリカ軍に対して築いたものであり、現在はカナダ陸軍22連隊の駐屯地です。夏場には衛兵の交代式が見られるそうです。

  シタデルに隣接して広がる場所は「アブラハム平原」と言われるところで現在は戦場公園(Parc des Champs-de-Bataille)と呼ばれています。175993日ジェームス・ウルフ将軍が率いるイギリス軍はセントローレンス川からケベックを攻撃しますが断崖の上の堅固な城壁を持った要塞都市は落とすことはできませんでした。12日夜陰にまぎれて唯一上陸可能な緩やかな坂(冬になると閉鎖されるギルモア坂あたり)を見つけて兵を丘の上に上げることに成功します。13日早朝、これを見たフランス軍の勇将ルイ・ジョセフ・ド・モンカルム公爵は篭城策をとらずに突撃戦に打って出ました。これが仇となり30分も持たずに呆気なく負けてしまいました。ウルフ将軍も戦死して両将軍の死と引き換えに平和が訪れたのです
                            
  

ケベック州議事堂
 

  お昼はシャトー・フロントナック・ホテルに戻って食べました。フランス料理なのでしょうがバイキングスタイルではなんとなく雰囲気が出ませんでした。ところでこのホテル18931220日にグランドオープンした650室もあるお城のような建物です。もとは毛皮の交易で儲けたフロントナック伯爵が住んだ「シャトーサンルイ」という小さな館だったといわれます。中央の一際高いタワーの部分は1924年の建設です。イギリスのチャーチル、アメリカのルーズベルトなど世界の多くの著名人が宿泊しました。

  昼食後はシャトー・フロントナック・ホテルの前のテラス・デュフランから始まります。テラス・デュフラン(Terrasse Dufferin)はプラス・ダルム(Place d’Armes)からセントローレンス川に続く長い板張りの散歩道です。ここはセントローレンス川のほとりの高いがけの上で大変眺めが良いところです。そのまま川沿いに進めば知事の散歩道を経てシタデルから戦場公園まで続いています

戦場公園

  テラス・デュフランにひときわ大きな銅像が建っていますが彼はこのケベックの街の創始者サミュエル・ド・シャンプレーンです。1608年フランスの探検家ジャック・カルティエの報告を受けたフランスは新しい国家建設「ヌーベルフランス計画」のために彼を派遣したのです。彼はこの地に毛皮の交易所を立て本格的街づくりに着手しました。

  塔の横に国連の旗に囲まれた一角があります。ここは1985年「珠玉の街」として北米で最初に世界歴史遺産としに選ばれたことを記念する碑がたっています。

  目の前の広場はプラスダルム(ダルム広場)です。ダルムというからにはもとは軍隊広場でしょうが今は噴水のある、いこいの広場です。この周りには市内観光のための馬車がよく通ります。

  この広場の横から狭い坂の小道を下っていきます。ここはトレゾール通り(Rue du Tresor)といいます。地元の画家が主に「風景画」を売っています。「似顔絵」を描いてくれる画家もいました。

  数十メートルの小道を抜けるとノートルダム大聖堂(Basilique Notre-Dame-de-Quebec)の前に出ます。ノートルダムとは「私たちの女性」と言う意味ですから、すなわちマリア様をお祀りしている教会です。350年もの歴史がありますがたびたびの火災で現在の建物は1925年のものです。左右非対称の塔を持つちょっと変わった教会でした。「フロントナック」「サミュエル・ド・シャンプレーン」ラヴァル大学の前身の神学校の創始者「ラヴァル司教」などの方々がここに眠っています。

 再びダルム広場に戻り今度はバスで見学します。バスはサンルイ門を抜けてグランドレイ通りに入ります。ここはしゃれた店が続く通りですがあいにく今は道路工事の最中で通れません。雪が降る前に工事を急いでいるのです。バスは右折してラヴァル大学の前を通りました。もとは城壁の中にありましたが手狭になったので外に出たのです。雪国らしく建物は全て地下道でつながっているのだそうです。右手に城壁が続きます。ビクトリア女王の父の名前を持つケント門を過ぎるとやがてサンヂャン門を抜けます。そこはヨービル広場といいバー、土産屋、レストランなどが続きます。タクシー乗り場もあります。

ノートルダム大聖堂

  バスは左折してコート・デ・パレ(お城の坂)を降りていきます。前方にお城の形の建物が二つ見え ました。右がカナダ厚生省の建物、左がVIAのケベック駅です。バスは更に右折して旧港に出ました。市場の建物が見えてきました。ここは魚ではなくて野菜や果物、花の市場だそうです。ケベックの台所と言ったところでしょうか。次に見えてきたのは白い筒を縦に並べたような建物です。これは穀物貯蔵庫です。各地からここに集められた穀物が船積みされて輸出されていきます。
やがてバスは港に着きました。テラス・デュフランからも良く見えたバハマ船籍の
2100名乗りの大きなクルージング船「クリスタル・シンホニー号」が停泊していました。この辺り古い建物が多く寂れた感じでしたが最近は古い建物を再利用してコンドミニアムとして使うなど再開発が進んでいました。左手にケベック文明博物館(Musee de la Civilisation)が見えてきました。ここでバスを降りて下の町は徒歩観光です。まずはフェニキュラー(Funicular)が見えてきます。これはアッパー・タウンとロウワー・タウンを結ぶケーブルカーです。

 シャトー・フロントナック近くのテラス・デュフランと結ばれています。下の町はプチ・シャンプラン通り(Quartier du Petit-Champlain)といいます。狭くてそんなに大きな通りではありませんがいろいろなお店が並んでウインドウショッピングするだけでも楽しそうな通りです。

  少し戻ってプラス・ロワイヤル(Place-Royale)へ、ルイ14世の銅像があるのでプラス・ロワイヤルつまり王の広場ということです。ここは1608年にサミュエル・ド・シャンプレーンが初めて毛皮交易の基地を作った場所であり、ケベック・シティの発祥の地です。1682年にこのあたりは火災に会い52軒の家が焼かれてしまい火災に強い家ということで石造りの家にしたのだそうです。広場に面して小さな教会があります。勝利のノートルダム教会(Eglise Notre-dame-des Victoires)といいます。

プチ・シャンプラン通り

 中に入ってみると城壁の形をした珍しい祭壇でした。天井からつるされた船の模型がありますが「La Breze」という1644年にフランス人兵士達が実際に航海してきた船の模型です。負け戦の連続だったフランス軍も1690年と1711年の戦いは辛うじて逃げ切ったのでそれを勝利として教会を立てたのだそうです。

  ケベックの名前の由来はアルゴンキン族のインディアンたちがこの地を(Kebec)「川が狭まったところ」といったことから名付けられたということです。

 ここでケベックの観光を一度終了してホテルに戻ります。

  バスはホテルを出発してオルレアン島(ile d’Orleans)に向かいました。セントローレンス川に浮かぶこの島は周囲67kmの島で1935年にオルレアン橋ができるまでは大変のどかな島でした。島は果樹園や牧草地です。6つの村があり、人口は約6000人で「メープルシロップ」や「イチゴ」「りんご」などを生産しています。直売所ではかぼちゃとりんごがたくさん売られていました。りんごは少し小さめのものですが、まとめてたくさん買う人が多いようです。

 島では現在は電気が通っていますが水や下水は自家処理だそうです。 

オルレアン島の農産物直売所

 島を一周する64kmの王の道がありますがこの通りに沿って古く歴史のありそうな家が見えます。バスはメープル小屋に向かいました。メープルシロップの採れる時期は3月と4月ですから今はその製造過程を示す展示があるだけです。本来は食堂なのでしょうがお土産品も売られています。ここではメープルシロップを買いました。

  帰りは1つしかない橋がりんごを買い求めて市街に帰る人の車で大渋滞、こんなことは珍しいのだそうです。

 

オルレアン島の紅葉するカエデ
 

 バスは橋を渡りモンモラシーの滝(Parc de la Chute-Montmorency)に向かいました。落差83mのこの滝はナイアガラの滝よりも幅ははるかに狭いのですが高さは勝ります。フランス総督の「アンリ・ド・モンモラシー」にちなんで付けられた名前です。1885年にカナダで最初に水力発電を開始した滝でもあります。まずは滝の下の展望台から見学します。少し黄色身を帯びた水です。滝の右側には階段があり上っていけるようになっています。私達はロープウエーで滝の上に上りました。滝の真上にはつり橋が架かっていて滝を上から見ることができるようになっていたので歩いて橋の上まで参りました。ここからは先ほど訪れたオルレアン島が橋と共にすぐそこに見えました。また滝から少しはなれたところに白いきれいな建物のレストランがあります。結婚式の披露パーティがあるようで花嫁の衣装を着た人がいました。ここで私達はフランス料理のコースをいただきました。今晩の宿はケベックのクエティエールホテルです。

モンモラシーの滝