アユタヤ

タイ三大王朝の旅 その1

いにしえの古都・国際的貿易都市アユタヤの栄華を見る

  昨夜遅く到着したのに、朝の出発は早く、ホテルを8時にバスにて出発、一路アユタヤの町に向かう。渋滞のバンコクを抜けると車窓は田園風景が広がってきた。ただ少し変なのは日本のようにほとんどの田んぼに稲が植わっているのではなく休耕田が大変多いことである。やがてバスはアユタヤの町の30kmほど南のバンパイン離宮に着いた。もとはアユタヤ朝のプラサート・トン王が建てた離宮であるが、現在は王室の離宮として使われている。西洋風、中国風、タイ風とさまざまな様式の建物が美しい庭園の中に並んでいる。バンコクから船で来られるように船着き場もある。ブーゲンビリアの鉢が並び、マンゴーを始めとする木々の幹に は蘭の花(デンファレ)が付けられて美しい花を付けており、人工の池には魚が泳ぎ、一部工事中のところもあるが手入れが行き届いてきれいなところであった。芝生の中の象の親子をはじめとする動物のトピアリー(植木の刈り込み)が楽しい。

  バンパイン離宮を出たバスはアユタヤの日本人町跡に立ち寄る。江戸時代初期御朱印船貿易に携わった人々が築いたといわれる日本人町である。800人から3000人いたといわれるが今となっては石の碑に名残をとどめるのみである。石碑にはオークプフ純会、城井久右衛門、山田長政、糸屋多右衛門、平松国助、木村半衛門、アントニオ善右衛門などの名前が刻まれていた。この中で傭兵隊長として活躍した山田長政がもっとも有名である。日本人以外の観光客は少ないところであるが、物売りが多くうるさい感じがした。

  次の目的地はアユタヤ遺跡である。1350年ウトン国王によってアユタヤ王国が建国され首都となった。その後ビルマ軍の侵攻を受けるが再興し、1767年ビルマ軍により徹底的な破壊を受け滅びた。かっては国際的貿易都市として栄えたところである。バスはアユタヤの町に向かい、まもなく町の入り口にある、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンに到着した。中央にある1592年ビルマとの戦争に勝ったナレスアン王が立てた戦勝記念の高さ72mのチェディ(仏塔)と寝釈迦とたくさんの黄色の布の袈裟を着た仏像が印象に残る。しかしこの仏塔は少し傾いている。当時の戦では、王様は象に乗って出陣した。従って兵士たちよりも早く戦場に着いてしまって、気がついたときには敵陣の真っ只中にいたのである。そこで一計を案じた王は敵将との一騎打ちを申し出た。そして勝利したというわけである。ちなみにワットとは寺のことである。寺といってもレンガづくりであり、日本のそれとはずいぶん雰囲気が違う。それにここは無住の寺ではなく、実際に今も僧侶がいる。

  ここでPA-SAK coffee shopにて昼食を取る。バイキングスタイルの食事であった。焼飯はおいしく感じるが香料の強いものはあまり好きになれない。

サンペット     午後、王宮跡に近くのワット・プラ・スィ・サンペットに向かう。1448年に建てられたアユタヤ朝の王宮寺院である。アユタヤを代表する寺院であるが、現在は王の遺骨を納める白いチェディが3基残されているのみである。チャン・ピーの白い花が清楚であった。寺を出ると少し南にワット・プラ・モンコン・ボピットがある。高さ18mの金色の青銅,大仏が鎮座している。その前で床にひざまずいて熱心にお祈りをする人がたくさんいた。前の広場は観光客であふれ、にぎやかであった。

  午後2時見学を終えたわれわれは一路スコータイを目ざしてひた走る。周囲は一面の田園風景である。とにかく広い。ここで私はタイの農業について誤解していたことに気づいた。米は1年に3回とれるというのは一個所からということではない。すなわち広い田んぼの一部を使い、場所を変えながら稲を栽培しているのだ。したがってあるところは空き地になっているし、あるところは直播きした稲が育っている。あるいは収穫まじかの稲が実っているといった具合である。日本式に田植えを行っているところもあるが大半は直播きである。道路の脇には農家の建物が点在する。高床式の建物である。これは私の勝手な想像であるが、揚子江の南に栄えた河姆渡文化の建物と同じではないだろうか。タイ族は紀元前6世紀頃揚子江の南に住んでいたといわれる。やがて彼らは漢民族に追われるように雲南に、さらに13世紀にフビライ・ハーンの元に追われて南下した。そのころの名残を建物に残しているのかもしれない。

 そんなことを考えながら車窓に目をやるとナーコン・サワンの町が近づいてきた。バスはここで大きく右折した。スコータイの町へは東側から入るようだ。バスは比較的整備された道を途中スピード違反で捕まったりしながら、走り続けて400kmは走ったろうか、スコータイのはずれのパイリンホテルに着いたのは午後の7時であった。パイリンホテルは日本の天皇陛下と美智子皇后陛下も宿泊なされたこともあるとかで記念の写真も飾られていた。ベットを始め家具調度品がラタン(籐製品)で異国情緒を感じる。中庭にはプールがあった。窓の外はタイの田舎の風景が広がり、来る途中はほとんど見えなかった山並みが遥か北の方に見える。夕食はホテル内で食べる。コリアンダー(香草)の強烈なにおいがする。このハーブ、種子は本当によい香りなのに生の葉はにおいがきつい。コリアンダー(タイ名はパクチー)が好きになるかどうかでタイ料理の好みが決まるらしい。