4日目 アンコール遺跡群(Angkor Monuments)  

 
  今日は一日アンコール遺跡群の見学をします。アンコールの遺跡を見るには入場券が必要です。 時にホテルを出てまずは入場券の購入に行きました。 1日券は20 $ですが3 日券は40 $7 日券は60 $です。写真入の入場券を首にかけて出発です。バスは田舎の風情の高床式民家がある中を進みます。庭先には鶏や牛がいます。子供たちが裸足で飛び回っています。庭先のかまどには大きな鍋が湯気を上げています。これは砂糖ヤシから砂糖を煮詰めているところでした。出来上がった砂糖は自家用とお土産用に売るのだそうです。
 最初に向ったのはパンテアスレイ (Banteay Srei) でした。ここは 967 年、ラージェンドラヴァルマン 2 世によって建てられました。「女の砦」と言う意味のこの遺跡はアンコールワットの北東 30km に位置しています。彫刻の彫りが深く繊細です。中でも中央神殿の祠堂に刻まれたデヴァターの彫像は世界屈指の美術作品として知られています。

       バンテアイスレイ                       3つの首を持つ象

  アンドレ・マルローがその美しさに惹かれて盗み出そうとしたあの「東洋のモナリザ」と言われる像です。近寄ることは出来ないのでデジカメの 18 倍ズームが威力を発揮するはずでしたがなんと電池切れでシャッターが切れません。予備の電池はホテルに置いて来てしまいました。こんなに早く電池切れになるとは思いませんでしたが後の祭りです。ハロン湾の鍾乳洞で盛んにフラッシュをたいたのが良くありませんでした。
  30分ほどで見学を終えて次はスラスラン (Sra Srang) 「水浴場」です。パンテアイクディの目にある東西 700m 、南北 300m の長方形の人口湖でジャヤヴァルマン 7 世や王妃が沐浴した聖池です。テラスの部分に 頭のライオンと 7 つの頭を持つナーガ ( 蛇神 ) のモチーフがありました。ポル・ポト政権時代には水田にされていたそうですが現政府が復旧しました。

      スラステン                          パンテアクディ

 道路を挟んで西側にはバンテアイクディ (Banteay Kdei) 「僧坊の砦」があります。見学は出来ませんでしたがジャヤヴァルマン 7 世がヒンドゥー寺院を仏教寺院に作り変えたものです。後世持ち込まれた仏像が安置され、今でも地元民の篤い信仰を受けています。

         プラサットクラヴァン                    ヴィシュヌ神

  次の見学場所はプラサットクラヴァン(Prasat Kravan)でした。この建物はハルシャヴァルマン1 世によって 921 年に建てられました。石ではなく焼きレンガで造られています。ヒンドゥーの三主神の一つヴィシュヌ神が神鳥ガルーダに乗った姿で浮き彫りされていました。この神殿は東向きに建てられたものですが東側は林になっており西側からだけ入れるようになっています。
 午前の見学を終え一度シェムリアップに戻りエンプレス・アンコール・ホテルでフットマッサージを受けました。初めての経験ですが気持ち良かったです。昼食後はホテルに戻って休憩しました。 休憩後16時にはアンコールワット (Angkor Wat) の長い西参道に立っていました。いよいよ長い間、待ち望んだアンコールワットの見学が始まります。アンコールワットは日本人が行ってみたい世界遺産のベスト 5 に入る人気スポットですが安心して訪れることが出来るようになったのはそれほど昔ではありません。内戦が終わり、平和が訪れた 1988 年から観光が本格化し年間 250 万人もの観光客が来るようになったのです。

                      アンコールワット

 アンコールワットとはアンコールが都市や町を意味する言葉でありワットは寺ですから「寺の町」と言う意味です。カンボジアの言葉は修飾語がフランス語のように後に来るのです。この壮大にして華麗な寺院はスールヤヴァルマン2 世( 1113 ~ 1145 年頃)よって建てられました。当初ヴィシュヌ神を祀った寺院でした。後に大乗仏教の寺に変わっていきました。他の寺院と違うのは西向きに建てられていることです。その意味は王が自らの墓場にしようとしたからと言う説があるがその証拠はありません。ピラミッドの 3 階にある 5 基の祠堂、同心円上の 4 つの周壁と環濠はヴィシュヌ神の理想の住居であるのです。スールヤヴァルマン 2 世は幾度かチャンパ王国(ベトナム中部)やラヴォ王朝(タイ)を攻めクメール王朝は繁栄し、領土を拡大していきました。その後の王朝はチャンパ軍に侵略され、 1431 年タイのアユタヤ王国に攻められ、アンコールは放棄されたのです。そして密林の中に静に眠り続けました。 19 世紀中ごろ西洋諸国により発見されて世界に知られるようになるのです。しかしそれは西洋人の言うことであってその起源や目的は知らなくてもカンボジアの人々は忘れたことはないのです。現在はフランス、ドイツ、中国、イタリア、インド、スイス、日本などが遺跡の修復に当たっています。
 参道の入口で入場券のチェックを受けたら長い参道を進みます。右半分は修復されて平で歩きやすくなっています。左半分奥は上智大学アンコール遺跡国際調査団(団長石澤良昭教授)が修復した部分です。近代工法ではなく昔ながらの工法が採られました。本来はナーガの欄干があったのでしょうが今は崩れ落ちてありません。参道を渡り終えると 5 つの門があります。真ん中は王様の門、両脇がそれ以外の人が通る門、両端が象の通る門です。門を通り更に進むと 5 つの祠堂が正面に見えます。ただ 2 つの祠堂が重なって 3 つの祠堂に見えます。環濠の手前で北に折れると水に映った 5 つの祠堂がはっきりと見えました。ここで椅子に腰を掛け、コーヒーを飲みながらティータイムをとりました。休憩後は第一回廊に入ります。

         ランカの戦い王妃の救出場面               デヴァター(女神)像

  ここでの見所は壁に彫られたレリーフです。西南面にはインドの叙事詩「マハーバーラタ」の戦闘の場面が克明に描かれています。南側には「天国と地獄」の様子が、北西面には「ラーヤマナ」の「ランカの戦い」が見られました。十字回廊に入ると今は水が抜かれていますが 4 つの四角な池があります。十字回廊の南の柱に森本右近太夫という人物が 1632 年に父の供養と仏像 4 体を奉納したと言う墨書があります。しかし今は黒く塗りつぶされており判読は出来ません。ここから第 2 回廊に入ります。ここには壁画はありませんでした。デヴァター(女神)の浮き彫りがそこかしこにありました。更に第 3 回廊に登るはずでしたが現在工事中で残念ながら登ることができませんでした。従来の南側の階段に変わり東側に木造の階段を造っていました。最後は第 1 回廊の戻り東側面の神と阿修羅が蛇を引っ張り合った「乳海撹拌」の図を見ました。アンコールワットの見学を終えたころは 17 時 30 分日が暮れて夕闇が迫っていました。
 シェムリアップの街に戻り、レストラン「センチュリーリゾート」で宮廷舞踊の「アプサラダンス」を見ながらディナーを摂りホテルに帰りました。今日のホテルはソカーアンコールホテルで昨夜と同じです。このホテルには 3 連泊します。使い心地も良く快適なホテルです。この日の歩数は 9891 歩でした。