3日目 バッチャン村(Bát Tràng)とハノイ市内観光 

 
  今日は陶磁器で有名なバッチャン村を訪ねます。昨夜、白い粘土を運ぶトラックを見ましたがその運ぶ先がハノイからバスで45 分ほどのところにあるバッチャン村です。ホン川を渡り細い道をひたすら進みます。道路の真ん中で牛の群が寝そべっています。車が来ても動きません。実にのんびりとした風景です。村の歴史は古く11 世紀頃から陶磁器を焼いていたそうです。最も栄えたのは15 ~17 世紀の海上貿易が栄えた頃で日本にも輸出されていました。安南染付けと言われた陶磁器です。村の9 割の人が陶磁器作りに携わっています。

       絵付け体験工房                  おみやげに買ったバッチャン焼き

白地にブルーが基本ですが最近はカラフルなものも多くみやげ物として喜ばれているようです。ある工房で絵付けの体験をしましたが初めての経験でうまく筆が使えません。焼き上げたものは後でホーチミンに届けてくれました。私はおみやげにこしき付きのカップを買いました。椰子の葉で編んだ入れ物に入れてくれましたがスーツケースの中でも割れずに無事、日本に着きました。絵付け体験と買い物が済んだら10 時になりました。バスでハノイに帰ります。ハノイの市街に入る時、橋の欄干と橋げたが奇妙な橋が見えました。北爆で破壊されたロンビエン橋です。この橋はパリのエッフェル塔を設計したエッフェルの設計した橋です。近くフランスが元のように直してくれると言う話でした。

   ハノイ旧市街の市場                    花屋さんは教師の日で大賑わい

 ハノイに着いて旧市街のドンスアン市場(Chợ Ðồng Xuán) を見学しました。食材は豊富です。野菜果物、魚のほかにも蛙や犬の肉なども売られていました。市場を出たところに花屋さんがありましたが大賑わいです。今日は「教師の日」と言って日頃お世話になっている先生のところに花などのお土産を持って訊ねる日なのです。珍しい習慣ですね。
 次のホアンキエム湖(Hồ Hoàn Kiẽm )に向うには道路を横切らなくてはなりません。横断歩道も信号もありません。どのように渡るのでしょうか。正解はゆっくりと車の通る中を渡ります。途中で速度を変えてはいけません。車の方がよけて通ります。でも少し勇気が要ります。
 ホアンキエムとは還剣つまり剣を返したと言うこと。昔、レー・ロイが明軍を破り独立を回復した時の伝説に由来します。そのとき使った神から授かった魔法の剣を湖の金色の亀が奪って神に返したのです。昨夜、水上人形劇で見たあれです。湖の中には玉山祠 (Ðển Ngọc Sơn)があります。 1865 年に建てられたものですが中国風で漢字で書かれた石門がありました。

 午後の見学はタイ湖の近くホーチミン廟(LăngChủ Tịch Hồ Chí Minh) から始まりましたが開館は午前中だけなので中は見学できませんでした。ホーチミンの家( Nhà Sàn Bác Hồ )も閉鎖されていましたがホーチミン廟の前の広場を散歩している内に入れるようになりました。ここはホー・チ・ミンが暮らしていた 2つの住居と官邸の跡です。特に簡素な造りの2 階建てのバンガローは1958年から約 11 年間暮らした家です。質素な家は彼の人柄を偲ばせます。ところでホーチミン(胡志明)は 1942 年から名乗った名前で幼名はグエン・シン・クンでしたがその後グエン・タッ・タンと呼ばれました。フランス在住時代はグエン・アイ・クオック(阮愛国)と名乗っていました。

    ホーチミンが晩年過ごした家                   一柱寺

 ベトナム民主共和国の国家主席としてあまりにも有名ですが若い頃はフランス、アメリカ、イギリス、ロシア、中国に住み、アフリカ、南米など様々な国を訪れています。ベトナムは古来様々な国によって支配されてきました。彼の残した言葉に「独立と自由ほど尊いものは無い」と言うのがあります。
 見学を終えたら少し南へ行くと「一柱寺」(Chùa Một Cột )があります。一本の柱の上に建てられたお寺です。1049年リー・タイ・トン王が見た蓮の上に座す悲母観音の夢を表していると言われています。戦争による破損がひどく1955 年に補修されました。
  ベトナム北部の旅を終えてl5時近く空路シェムリアップへ向いました。 およそ1時間半の空の旅です。