第26番 能救山 岩屋寺
広島県神石郡神石高原町小畠386
天平十一年(739)三月、行基が開創し岩屋山能救寺と号したと伝えられています。永仁二年(1294)に山内土佐守通資の嫡子、上野守通忠が禅僧玉州是宝和尚 を請じて再建しました。更に応永七年九鬼城主馬屋原但馬守正国ならびに嫡子蔵人丞宗治が再建し、能救山岩屋寺と改号して菩提寺としました。九鬼城落城の後、福島左 衛門大夫に末寺、寺領を没収されました。その後、この一帯が九州中津藩領となり、小畠代官所村田倫房の時、中津藩主奥平候の寄進をあおぎ再興しました。 |
(参考) 芦田川文庫 原田太朗著「備後西国三十三カ所」 |
本 堂 | ||
鐘楼と薬師堂 | ||
本堂から山門と鐘楼を望む | 寺前は田圃が続いています | |
山門はかつて中津藩の備後飛び領小畠代官所の表門 | 山門にある中津藩奥平家の定紋 | |
山門は道路沿いです | 全 景 |
国道182号を福山方面から北上、神石高原町に入りしばらくすると、道の駅「さんわ182ステーッション」があります。ここから2kmほどで県道259号との分岐点、信号のある交差点を左(西・上下方向)に進み、山に沿った2車線の道を5㎞ほどで小畠の集落です。町中の交差点、右に作り酒屋、ここを右(東方向)
に曲がります。(直進する狭い道を行くとすぐに神石高原町役場です)町立病院の前を進み、家並みがまばらになって来ます。先ほどの交差点からおよそ1.2km田
圃の中のバス停「岩屋」から右手に細い道を入ると、600mほどで茶色い瓦の本堂が見えてきます。山門のすぐ前に広い駐車場があります。 東城方面からだと、国道182号を南下、消防署がある交差点を県道27号へ西進すれば小畠の集落です。 |
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