辻天水が日月神示に疑問な点が有ったので、本当に神様が書いたのか?と岡本天明を問い詰めたところ、天明は土下座をしたという。 これについて、天明の奥さんであった三典氏はそのようなやり取りは無いと否定していたようです。この点で事件を主張する錦ノ宮と対立するのですが ただ、記録として残っていない今となっては真実を知るすべはありません。
大本に止めを刺すと言いながら、日月神示は単独で完結しない神典です。 大本を知らねば理解できないことが多数登場します。 例えば、旧九月八日は出口ナオが岩戸に隠れる日、真実に気づく直前の日、霊界物語執筆開始の神命が下った日、 梅で開いて松で治めるという意味。出口王仁三郎は旧九月八日の仕組とは霊界物語のことであると語っています。 また辛酉の年に大きな変革があったとしても、それを日月の預言的中と捉えるのは誤りで、大本で散々告げられていたことであり 更にはそれは昔の中国で語られていたことでもあります。 日の出の神、八岐大蛇といった存在も霊界物語を読まねば理解できません
。日月神示には「救世主は仁人であるぞ」と書かれています。このジンジンとある書籍では「尋仁」となっていた ものもあったと記憶しています。尋仁とは出口王仁三郎の紅卍会での呼び名であり。 自らを救世主(メシア)の再臨、弥勒菩薩、神素盞鳴命、メシアの神と称した王仁三郎を救世主だといっているのであれば、大本とも整合性が取れます。 更に救世主は一人ではないぞと誤解のないよう断るのも「尋仁」の事を指しているからとも取れるのです。 更には岡本天明が見せた日月神示を門前払いしたという謂れまであります。又霊界物語には以下のように書かれています。
今大本にあらはれた 変性女子は似而非ものだ 誠の女子が現はれて やがて尻尾が見えるだろ
女子の身魂を立直し 根本改造せなくては 誠の道はいつまでも 開く由なしさればとて
それに優りし候補者を 物色しても見当らぬ 時節を待つて居たならば いづれ現はれ来るだろ
みのか尾張の国の中 変性女子が分りたら モウ大本も駄目だらう 前途を見こして尻からげ
一足お先に参りませう 皆さまあとから緩くりと 目がさめたなら出て来なよ 盲目千人のその中の
一人の目明きが気を付ける なぞと慢神してござる 王仁はこの言聴くにつけ お気の毒にてたまらない
こんな判らぬ奴ばかり 盲目ばかりがささやけり (アホウドリ)
王仁三郎は「私以降に現れるものは偽者だ」と言いきっています。
この歌をみると当時本物の変性女子は「みのか尾張の国の中」から現れるとすでに噂になっていたことが読み取れます。
それを知った岡本天明氏が、一旦尾張の国に引っ越すのは、あまりフェアーなやり方とはいえない気がします。
また、日月神示にはてんし様をあがめよと言う記載が多数見られます。
書籍などでは天詞さまとの漢字が当てられています。
この漢字からするとてんし様は日月神示そのものとも取れるのですが
しかし、「てんし様よくなれば、皆よくなるのざぞ」「死のないてんし様」等との記載は
日月神示そのものと定めるとあまりしっくり来ない気がします。
では、日月神示の定めるてんし様とは現天皇陛下でしょうか?
日月神示には神武天皇が人皇として立てられたことは「岩戸閉め」であるとされることを
考えればこれも否定される気がします。
出口王仁三郎は天皇家(北朝有須川宮熾仁親王と上田ヨネとの子)のご落胤であるとの説があり、
また、「綾部にてんしを天子をかくせり、今の天子偽者なり」と言う言葉が隠された大本宣伝歌があります。
当時多くの皇族方が大本に入信したのは王仁三郎が熾仁親王落胤であるためだとされています。
「てんし様に罪ばかりお着せして」とは贖罪の神スサノオの尊に罪をきせていることと重なります。
このことから、てんし様とは出口王仁三郎或いはその魂の「瑞の身魂」考えるべきではないでしょうか?
神諭に示されたとおり、みろく様天の根本ご先祖様が「スサノオ」であり
旧九月八日、尋仁、てんし様これらの語句の意味を考えれば、日月の神は出口王仁三郎を称えている
ようにしかおもえません。。
私個人は、出口王仁三郎を神と崇める人間でもなければ、霊界物語のおかしな点も多々感じています。
が、日月を読み大本を少し調べたなら、日月の神が暗に出口王仁三郎を称えているはもはや否定できないように思えます。
仮に、王仁三郎を神とあがめのであれば、読むべきは日月神示ではなく、霊界物語を拝読すべきということになります。
王仁三郎は霊界物語こそ王仁三郎そのものであり霊界物語だけは読んでおいてくれとくどく、何度も言っています。
となると、日月神示の存在意義が問われてしまいます。
ただ、伊都能売神諭に王仁三郎48人に後を託したと取れる記載があります。
王仁三郎のあとを継ぐ、人間もまた救世主であり、「尋仁」であるのかも知れません。