図鑑016

● 沖縄県立石川高校 (Okinawa Prefectural ISHIKAWA high school)

【基本データ】

・略称・愛称等:石高

・男女共学

・住 所: 沖縄県うるま市石川伊波861
・校 種: 全日制
・設置者: 沖縄県
・創立年: 1945年
・校 訓: 誠実、敬愛、自主

初代制服  ?-2019年

冬服/ 白3本線付襟、紺のセーラー服 

夏服/ 白3本線付紺襟、白のセーラー服 

1945年に石川学園として開校し、1948年に学制変更により、石川高等学校となって現在に至る、長い歴史を持つ。

掲載制服は、戦後の物不足の中で誕生した制服なので、歴史を感じさせるデザインを維持していて、OB、OGの根強い支持があった。

2017年にブレザー型の新制服が突然登場し、初代制服は惜しまれつつ引退することとなった。


新年最初、沖縄制服図鑑第97回 は、 石川学園中等部(現石川高校) の1952年の制服を紹介するね。

戦後、復興期の時代の制服だから、これを公式の制服と断定するのは難しいんだけど、昔写真集を見ていたら、あまりにもインパクトが大きなものだったから、あえてイラスト化して紹介することにした。

まずは、イラスト参照かな。

注)イラスト中の「現行制服」は、石川高校の初代セーラー服のことです。

 

注目ポイントは、制帽の存在!

男子制帽を女子が被ってる。悪戯で男子から借用したものを被ってるだけじゃないかとも思ったのだけど、写真では複数の女子生徒が被っているし、時代背景を考えると、それも疑わしい。

戦後初めて男女共学を取り入れたのは前原高校(1945年創立)で、1947年に研究校として指定を受け、実施しているわけで、それからわずか5年後のことなので、男女生徒が親密に交流していたとはとても思えない。

たしか前原高校にも女子生徒用の制帽があったという話もあるし、当時は女子用の帽子もあちこちの高校にあったみたいだから、制服には制帽という考えがあったとしてもおかしくない。

ただ、那覇圏内では、あまり聞かない。中北部に多いのはなぜ? 通学距離の長さに比例して必要性が生まれたのかもしれないけど、これはもう証言もなくて推測でしかない。

今では完全に化石的存在となっている制帽だけど、それが廃れたのは、1970年代のことらしい。

沖縄県内の高校では、1970年代頃から生徒が被らなくなり、一時は野球部員だけのトレードマークとなったこともある。

現在、高校だけでなく、学ラン(詰襟制服)の中学校においてさえ、完全に消滅した。

丸刈りから調髪となったことも廃止の背景にあるかもしれない。(校章の徽章も制帽とともに姿を消した)
「我が校の生徒は無帽(無謀)である!」と言ったのは、ある中学校の生徒指導の先生が時代の移り変わりを感じてこぼした弁。

なお、近年、沖縄の高校の卒業式で見られる「ブレザー投げ」も、制帽がなかったためにそうなったみたいだから、制帽の消滅はいろんな学校文化に影響を与えているんだと思う。

……おもしろいって思わない?

渚 美鈴/記  NAGISA MISUZU