ノート14

・第63回 (旧)沖縄女子短期大学附属高校

1周年記念でちょっとだけ紹介したんだけど、皆様おまたせしました。

今はなき、沖縄女子短期大学附属高校の最後の制服を紹介します。戦後誕生した沖縄県内唯一の女子校ということで、レキオで制服紹介した時も、ものすごく反応が大きかった学校でもあるんだよね。

連載当時は、夏冬ともセーラー服だったのだけど、その古風で王道デザインの白2本線と、袖に付けられたイニシャルマークで注目を集めた。

生徒の数が他の公立高校と比較しても少なくて、しかも寮まで完備してるので、その姿を街中で滅多に見られなかったことも、マニアの心に火をつけたのかもしれない。そんマニア垂涎?な制服がモデルチェンジすると発表されたのは、1989年のこと。

新聞でも大きく報道されたのは、新しく導入する制服が、当時流行していたDB(デザイナーズブランド)だったことなんだけど、マニアにとっては、セーラー服がなくなるということの方が、大きな衝撃だったのかもしれない。すでに制服のトレンドが脱セーラー服となりつつあったことを敏感に感じ取っていただけに、それが県内唯一の女子校に及んだことで、決定的なインパクトとなったみたい。

そんな中登場した新制服のデザイナーは、やまもと寛斎で、候補として提示された100点あまりの中から選定された、学校期待の制服だったらしい。

セーラー服の喪失感漂う中、さっそうと現れたブラウンのDB制服。だから、その存在感とか注目度はかなり高くて、一時は生徒数減少の歯止めになったけど、通学の不便さとかが影響して、ついに2008年の卒業生をもって生徒がいなくなってしまった。

今では、その存在だけは広く知られているけど詳細はわからないという、幻の存在となってる。

今回紹介するイラストは、「沖縄 女子高校生制服ノート1992」より。実に26年ぶりに陽の目を見ることとなって、感無量。。

最初は、夏服。

補足すると-。基本は、図のとおり。ただし、調べてみると、冬服用の長袖ブラウスを着用する例もあって、合わせてネクタイを着用すると雰囲気が変わる。

レンガ色のチェック柄のリボンは、おそらく県内制服史上、最も大きかったはず。今もこのサイズを超えるリボンは現れていない。

年を追うごとに、ブラウスの裾出しとか、市販ブラウスの着用、スカートのミニ化が進んでいったらしいから、当時を知る人、あるいは当時着こなしを観察して記録した人の目からすると、このイラストもとても違和感があるかもしれないね。

次に冬服。

長ったらしい学校名故か、複雑怪奇なエンブレムワッペンのデザインは、観察だけでは到底把握困難だったのだけど、最初からしっかりとブレザーに縫製されていたわけではなくて、安全ピンで名札みたいにブラブラ吊り下げていた状態だった。そのため、2、3年もすると着用されなくなってしまった。

なんでしっかりとエンブレムを縫製していなかったのか、原因はよくわからない。

なので、以後情報収集が不可能となり、「沖縄 女子高校生制服ノート1992」が刊行断念となった遠因にもなった。

なので、微細なデザインの違いはあるかもしれない。(今でも、自信がない)

廃校になる頃には、エンブレムの存在なんか、誰も知らないくらいだったと思う。

10年の時を経て、この制服の存在は、かつての学校とともにどう評価されるんだろ?

 

渚 美鈴/記 NAGISA MISUZU

初代制服は、➡➡沖縄制服図鑑034 を参照してください。