公開ライトノベル作品その2

オリジナル・ライトノベル作品(ORIGINAL Light-novel STORY )

★「 スカイ・オーシャン 」

――ピークォド航海記――

 

タダヌキ/作

2018年 SF作品

【あらすじ】

今から数百年後の未来を舞台にしたSF。
ペルセウス級宇宙巡洋艦、通称・ピークォドでの物語
・ある作戦の帰路、イーレ(操舵手)に船を任せ、休憩がてら艦内を散策する主人公・ライ。ストレスが溜まっていることをネオ(副長)に指摘され、気分転換のため食堂へと向かう。軽くお腹を満たそうとするも、その時食堂では暴動が発生していた。・暴動の中心にいたのはバルサーとジェイ。原因はバルサーが(楽しみに)残しておいたジャパン・プディングをジェイが食べたと疑ったことから始まった。(実はプディングを食べたのは別の人物)ライはなんとかそれを押し止める。・すると艦内に衝撃が走る。ピークォドの船体に何かぶつかったのだ。ながら操艦(読書)をしていたイーレに問い詰めると、ぶつかったのがただの漂流物ではないことが判明。・それは宇宙ゴ○ブリだった。銃弾にも耐えうる鋼鉄の体を持ち、銀河中のありとあらゆる食物を盗み食いする厄介な生物だった。艦内に侵入してきたゴキ○リを排除するために、ライは作戦を開始する。だが、バルサーとジェイが上手く連携を取れず、みすみすとり逃してしまう。そしてついに犠牲者が、ライが悲鳴を聞いて駆けつけると、ナヴォス(コック)が倒れて動かなくなっていた(実は驚いて火を噴き、勢い余って転倒、頭をぶつけてしまっただけで死んではいない)ライは(分かっていて)ナヴォスの死を利用する。・全ての元凶が○キブリであると仕立てあげ、ナヴォスの葬式が執り行われる中『白鯨』に登場するエイハブ船長の如く、ライはクルー全員に一致団結するよう求める。(復讐)・誘導作戦により艦外へと放出されたゴキブ○を、メメロンが船の粒子プラズマ砲で焼き払い全ては収束する。ライは艦長としての自信を少しだけ取り戻し、眠りにつく。

【登場人物設定】(全て仮) 

ライ・センドウ……(主人公:地球人)ピークォドの艦長。階級は特務大尉、物語で唯一の地球人。異例の速さで銀河連邦軍中佐へと昇進し、巡洋艦の艦長となった男。しかし、なにかと折り合いのつかない部下の異星人たちに頭を抱え、カルチャーショックを受ける日々。苦労人

ネオ……(副長:ポートレーテ人)実体を持たない高度な知的生命体。少数民族であるため、銀河連邦でも希少な存在。本人曰く女性らしい(性別という概念は一応あるようで)

イーレ……(操舵手:キカイリー人)腕が四本ある大男。船の舵を握りつつ、読書をすることも。好きなジャンルは■■■で、オススメは『■■■■』(キカイリー語:翻訳不能) 階級は少尉

メメロン……(砲手:ムスイラ人)ゼリー状の単細胞生物(緑色)。性別の概念はないが、オネェ女性らしい口調で会話をする。ライ(主人公)のことがお気に入りらしく、いつか取り込んで消化したいと思っている。 階級は准尉

ジェレッヘイムⅣ世……(航空隊隊長:サパーイスーヤ人)誇り高い戦闘民族の♂。生体組成の真っ黒な外骨格を身に纏っている。四足歩行。気性は荒いものの、正義感はかなり強く、曲がったことを嫌う。バルサーとは犬猿の仲。愛称はジェイ。階級は曹長

バルサー……(保安部長:フレズ・モーンケノ人)青色の体毛と尻尾を持つ女性(いわゆる獣人)超が付くほど真面目で規律を重んじており、何かにつけていちいち口を挟もうとするためジェレッヘイムとは犬猿の仲、よく喧嘩という名の殺し合いになりかける。階級は曹長

ナヴォス……(コック:チカヅグ人)口から摂氏三百度の火炎を放つことが出来る男。その能力を活かすことにより白兵戦からコックまで難なくこなす。気さくでマイペース

作者より/これらは制作前段階でのプロットなので本編と若干違うところもありますが、本編を描くにあたってどのような変化があったのかを見てもらえると嬉しいです。感想をいただけましたら幸いです。

では以下、本文をお楽しみください。

 

「 スカイ・オーシャン ――ピークォド航海記――」 SKY‐ OCEAN

タダヌキ/作  MEG/イラスト

異星文明と初めて接触してから約三百年後、とある銀河、とある航路にて……。


 

 宇宙船というものは言うまでもなく、作られた時期や場所、そしてその用途に合わせて様々な形のものが存在する。その中でも、日本製のものは特に評判が良かった。使う者を問わない柔軟な設計思想、圧倒的な最高速度、優れた機動性、ミサイルの直撃にも耐えうる強固な装甲版、全くもって無駄のない鋭角的でスタイリッシュなフォルム。生産される数こそ少ないものの、地球・四津菱重工製の宇宙船は他のそれと比較すると、遥かに高い能力を秘めていた。
 俺が艦長を務めるこの船、ペルセウス級宇宙巡洋艦、通称・ピークォドもその内の一隻だった。ピークォドという名は、地球の文学に登場する船の名前からきているらしい。  
何故、四津菱重工の船がその名を語るのかは分からない。しかし、これは自分でもよく分かっていないことだが、俺はこの名前をそれなりに気に入っていた。まるで宇宙に溶け込むかのような漆黒の外装が、どことなく名前に合っていたからかもしれない。
 しかし、その黒い外見にもかかわらず、その内部は白を基調とした造りで、明るさを重視した設計が成されていた。俺は一人、清潔でチリ一つ落ちていないその通路を歩いていた。汚れていないのは、廊下の天井付近に取り付けられている環境浄化装置がその能力を最大限に発揮しているからだった。環境浄化装置は、艦内のチリやゴミを自動的に吸い取ってくれる代わりに「ホーム」と呼ばれる、あらゆる生命体の宇宙空間での生存に欠かすことの出来ない物質……地球人で例えるのなら、呼吸という生きるために必要な行動を介して消費する物質「酸素」それとほぼ同等の役割を果たす粒子を作り出して放ち、それを艦内の人工重力が、均一になるよう船全体を満たしてくれている。そのため、今まさに光合成を行っている木々の間を歩いているような、そんな気分にすら陥ってしまう。とても清々しい気分だった。
 通路ですらこれほどまでに環境が整っているのだ、これほどまでの素晴らしい船の主に選ばれたことは、俺としても鼻が高かった。
 だが、その乗組員はというと……。
『艦長』
 不意に呼び止められ、俺は思わず声のした方向を向いた。
 俺の後方五メートル、いつの間にかそこには、白いオーラに包まれた少女が無表情で佇んでいた。まだ幼さを秘めた顔立ち、青い髪の毛に青い瞳。少女はその青い瞳で俺のことをジッと見つめ、立っていた。いや、立っていたという表現は少しおかしいかもしれない。というのも、少女の両足は膝から下がなかった。しかし少女はそれを何でもないといわんばかりの淡々とした表情で、宙に浮いていた。
「また、これだ……」
 まるで昔話に登場する幽霊のような見た目の少女に、俺は思わず苦笑する。
『?』
 俺の反応に少女は首をかしげ、疑問符を浮かべた。
「いや……何でもない」
『そうですか。では、至急ブリッジへとお越しください。皆、待ちかねていますので』
 少女はそれだけ言うと、まるで手品でも披露するかの如く、一瞬の内にその場から消え失せた。
「……相変わらず、クールなやつだな」
 肩を竦め、俺は再び歩み出す、通路をこのまま真っ直ぐ進めば、直ぐにブリッジへと辿り着く。
 やがてスライド式の扉が目の前に現れる。扉は、入室する者の存在を検知して自動的に開閉を行ってくれる。その扉を前にして、しかし扉に認識されないそのギリギリの距離で俺は一度立ち止まり、軽く深呼吸をする。
 軽く頭をかいて、足でトントンと軽く地面を蹴り、それから扉をくぐった。
 ブリッジは中央に艦長である俺専用の椅子があり、そこから見下ろすように操舵手、砲手、通信手などの船の操艦をする者たちのために用意された椅子やコントロールルームが配置され、またその眼前に配置された大型モニターには、艦の正面に広がる壮大な宇宙空間が絶え間なく映し出されていた。
『……総員、注目』
 先程消えた青い髪の少女が再びブリッジの中央、艦長専用の椅子の隣に出現し、静かにそう言い放った。すると、ブリッジに集まっていたクルー全員の視線が一箇所に集まった。言うまでもなく、全員が一心に俺を見つめていた。
 俺はその場で敬礼をする。右腕を上げ、全ての指を真っ直ぐに伸ばして額に近づけるという、いわゆる地球流の敬礼だった。
 敬礼に対して、その場にいたクルーたちも敬礼を返す。だが、俺に合わせて地球流の敬礼をしてくれるものもいれば、全く意味不明な動作で敬礼を示す者もいて、敬礼にはまとまりがなかった。いや、これは別に構わないのだが……。
 敬礼を止めると、その場にいた全員も一斉に敬礼を止める。それを見届けてから、俺は艦長の席へとついた。
『それでは本日の定時報告を始めます。まずは第二格納庫からの報告ですが……』
 隣で青い髪の少女が淡々と語り始める。その間に、俺はクルー全体を一望する。集まった異形の者たち、いや、これは侮辱でも軽蔑でもない、その全員を……。
 緑色のゼリーが立ち上がったような者、四足歩行の爬虫類、紫色の獣人、腕と目が四つずつある大男……など、明らかに人間、いや地球人ではないその者たちを前にして、俺はあいかわらず、俺は宇宙空間で百鬼夜行に遭遇したような気分になってしまう。
 俺は地球人だ。だが、この場に俺以外の地球人は存在せず、そもそも、この船には他の地球人は誰一人として乗艦していない。俺はたった一人、文字通り見慣れぬ異星人たちの主としてこの場にいるのだ。
 どうして、こんなことになったんだろうな……。
 報告が行われているその最中、俺は心の中で、自分の境遇に対して疑問を投げかけるのだった。当然、その疑問に答えてくれる者はいなかった。
 ただ一つ言えることは、この場にいる全員が、それぞれ自分が得意とする領域の中では、同分野を得意とする他の者たちの中ではトップクラスの実力を持ったエリート中のエリートであり、それだからこそ、この艦への乗艦が許されているということだ。
 各分野のエリート中のエリートのみ乗艦を許された最高の船、地球・日本製、ペルセウス級宇宙巡洋艦。だが、同じ人類……いや、地球人にしか操縦できないとは言っていない……。

 俺の名はライ・センドウ、宇宙銀河連邦軍特務大尉だ。
 俺の家系は代々船乗りで、苗字も船乗りとして相応しい言葉からきている。船を操る「船頭」として、他の乗組員を「先導」し、時には一つの目標に向けて「扇動」する。まさに骨の髄まで船乗りといったところだ。
 そんな俺が当初、この艦の艦長に選ばれたと知ったときは、それはもう驚きだった。それまで、俺は船乗りではあったものの、まだまだ下っ端の砲手と予備役の空間騎兵(つまりは戦闘機乗り)を兼任した一兵士、階級的に言えば、まだ兵長に過ぎなかったのだ。まだ艦長どころか副長にすらなれていないこの俺が、なぜこのような異例の昇進を遂げてしまったのかは自分でもよく分からなかった。
 しかし、船が俺の故郷で建造された最高の船だったということもあり、何も考えることなく二つ返事で承諾した。元々、いつかは両親の跡を継いで立派な艦長になるのが俺の夢であり目標だったので、それが少し早まっただけのことだと思っていた。だが、美味い話には当然のように裏があり、それはこの件に関しても同じことだった。
 そう、船には同郷の者が一人としておらず、周りは異星人だらけ。星も違えば文化も全く違う。地球ではタブーとされるようなことでも他の星からすれば栄光に値することもある。そんな文化の違いによって生じる様々なカルチャーショックに振り回され、艦長である俺は毎日が戦場のようで、生きた心地がしなかった。
 複雑で膨大なカルチャーショックは、俺の中で疲労とストレスを呼び、それを愚痴って発散しようにも、俺の心情を理解してくれるであろう地球人はいない。
 艦長としての自信を失っていく日々……俺は胃に穴が開きそうになるのを堪えながら毎日を精一杯、生きていた。

 定時報告を終え、自分の仕事を終えた俺は、自分の部屋に戻るべく、ヨロヨロとした足取りで通路を進んでいた。またしても一人である。
 服は、地球製の黒い上下一体型の宇宙服を身に着けている。背中には小さな背嚢があり、中には船外活動用のヘルメットが収納されている。
「おはようございます! 艦長!」
 通りすがりのクルーが俺の存在に気づき、敬礼してくる。見事な地球流の敬礼、しかしその異星人の顔は表現しがたいほど奇妙な形で、足は十本、軟体動物のような動きをしており、見ていて気持ちわ……いや、うんざりとさせられるクルーだった。
「お……おはよう、カタイコ兵長」
 躊躇いを覚えながら、姿勢を正して挨拶と敬礼を返す。そしてすぐさまその脇を通り抜ける。不思議そうに見送るカタイコ兵長の視線を感じた。
立ち去りつつ、自分でもなかなか挙動不審な動きをしていたような気がした。とりあえず、歩きながら宇宙服を触り、身なりを整えるような素振りをみせた。もっとも、宇宙服は体にフィットする造りになっているため、どんなに激しい動きをしても着崩れることはあり得ないことなのだろうが……。
『艦長』
 俺のことを呼び止める、澄んだ女性の声が聞こえた。
 だが、声のした方へと目を向けてみると、そこには誰もいなかった。
『こちらです、艦長』
 再び、声が聞こえた。
 それは俺の背後から聞えてきた。振り返ると、いつの間にはそこには青い髪の少女が目の前に立って……いや、浮いていた。
「……あんまり驚かせないでくれ、ネオ副長」
『これは失礼いたしました。艦長』
 そう言って青い髪の少女、ネオ副長は軽く頭を下げた。
 膝から下がない事を除けば、ネオ副長は地球人と全く同じ見た目をしている。いや、少女の整った顔立ちは、地球人のそれを遥かに超えた美しさがあった。メリハリのある、全く無駄のない体つき、彼女の白い肌は薄く輝き、触れれば壊れてしまいそうなほど繊細な質感をしていた。白い肌とは対照的に、ネオ副長は俺と同じく地球産の宇宙服を身に着けているが、言うまでもなく、ネオ副長も地球人ではなかった。
ネオ副長はポートレーテ人と呼ばれる異星人で、度重なる進化と発展の末、実体を捨て、死という概念すら捨て、永遠を生きるまでに発達した高度な知的生命体として成立したという過去を持つ種族だった。
だが、その個体数は少なく、銀河連邦でも希少な存在ではあるため、ポートレーテ人が戦闘艦に搭乗することは非常に稀であった。
「それで、何の用だ?」
 俺はネオ副長の目を真っ直ぐ見ないようにして、そう尋ねた。
『はい、お体の方は大丈夫ですか?』
 副長は淡々とした声でそう尋ねてきた。
「体? ああ、何も問題はないが……?」
 何でもない風を装って、俺はそう言ってみせる。だが、ネオ副長はまるで全てを見通しているとでも言うかのように顔を横に振ると、目を閉じて、頭の上に白い光の輪を出現させた。
 これはもう、観念するしかないようだな……と、俺は肩を竦めてみせた。
『艦長の内側から、かなりの量のストレスと疲労が検出されました』
 副長はそう言って目を開けた。
 ポートレーテ人はこのようにして、人の心を簡単に読むことが出来る種族だった。そのままでも読心をすることは可能だが、光の輪を用いることでより正確に人の心を読むことができるのだ。
「おいおい……あんたの読心はそんなことまで分かるのか?」
『はい。私の読心はまだ未熟な部分もありますが、それくらいなら簡単です』
自分の読心を未熟と言うネオ副長の場合、相手の目を見ることで、より正確に心を読むことが出来る。それは予め、ネオ副長の方から提示されていた情報であり、先程、目を見ないようにしていたのも、心を丸裸にされないようにするためだった。
「ハッ、あんたには敵わないな……」
俺は溜息交じりにそう呟く。
『艦長、原因に心当たりは?』
「副長、あんたのことだ……もう既に察しはついているだろう?」
 副長は頭の輪を消し、そして続けた。
『はい。艦長のストレスの原因は、主に毎日の激務によるものと、異星人とのコミュニケーションが上手く成立させられないこと、さらに艦長以外の同郷の者がいないことによる孤独などが原因しているのではないかと推測されます』
 まさしくその通りだった。
「ご名答……大体合ってる。最後に地球人と直接会って話してから二百六十五日と約六時間三十五分が経過した。流石に、恋しくはなるさ」
『艦長のストレス解消のために、何か私に出来ることはありますか?』
 その言葉に、俺は思わずネオ副長と目を合わせかけてしまった。だが、すぐさま思い直して顔をまた少しだけ逸らす。
「いや、これは俺自身の問題だ。いくら読心が出来るからって、異星人のあんたには俺のこの気持ちは分からんよ」
『……我々に、認識・理解できないことはありません』
 珍しく、ネオ艦長はムッとしたような顔をした……ように見えた。あまりにも目に見える表情の変化が小さすぎて、ネオ副長が本当に怒ったという確証はなかった。
「さて、どうだかな?」
 俺は嘲るような笑みを副長へと送った。
『では、私のことは頼りにしない……艦長はそう仰りたいのですか?』
「ああ……。まあ、任務や業務のこととは別にしてな」
『……そうですか……いえ、艦長はもうすぐ私のことを頼るようになると推測されます』
「……?」
 副長の意味深なその言葉。俺はその言葉を理解するまでに一秒という時間を要した。
 その時、俺の背後に何かが這いずるような気配。
(まさか……ッッ⁉)
 俺はサッと振り返る、すると先程まで白を基調とした造りだった通路が、いつの間にか一面、緑色に変わっていた。
「うふふ……か・ん・ち・ょ・う・さん」
 どこからともなくそんな声が響き渡り、俺はその緑色の中へと引きずりこまれる。
「し、しまっ……」
 しまった……と思った時にはもう遅く、俺は一瞬の内に緑色の物体へと取り込まれてしまった。
(メメロンッッッ⁉ てめぇ! またかよッッッ)
 ゼリー状の物体の中で、俺は叫ぶ。
「はあああぁぁ……艦長さんの身体、やっぱり素敵だわぁ……」
 どこか官能的にも聞こえる低い声、俺の前に人の顔が現れる。
「ご機嫌麗しゅう、艦長さぁん……ねぇ、このまま……あたしと一緒にならない?」
 目の前の顔が、口が動き、言葉を発する。
(だ……誰がッッッ)
 全身の毛が逆立つ感覚を覚えた、なんというおぞましさだろうか。
 緑色のこの生物の中ではどういう訳か呼吸は出来る。だが、一度取り込まれると、まるで全身麻酔にでもかかったかのように動けなくなるのだ。
「うふふ……照れちゃって、可愛いわぁ……」
(照れてないッッッ! さっさとここから出しやがれ!)
「あはっ……そう言われるとぉ、余計に離したくなくなっちゃうわぁ!」
 メメロンがそう言うと、むき出しになった俺の皮膚が燃えるように熱くなった。そして顔が、両手が溶かされるような、そんな感覚が……。
(ちょっ……止めろ、メメロンッッッ、ひ……皮膚が溶けるっ、溶けるッッッ!)
「溶かしてあげてるのよぉ」
(マジで止めろッッッ‼)
「やめなーい」
 く……この……ッッッ、仕方なく、俺は緑ゼリーの外にいるネオ副長へと助けを求めることにした。
(た……助けてくれ、副長!)
 ゼリー越しに、俺は
『? 私のことは頼りにしない……と、さっき仰っていましたが……』
(緊急を要することだ! 頼む!)
『それは任務や業務に関わることのみという話だったのでは? そもそも、メメロン准尉はあなたの部下です、部下との問題はあなたの問題です。それに関して、私のことを頼らないと言ったのは艦長、あなたです』
(な……っ⁉ どいつもこいつも……ッッッ)
 仕方がないので、俺はネオ副長と目を合わせることにした。視線に、心からの謝罪と反省を添え、ネオ副長へと送る……。副長の青い瞳が、俺の心を見通した。
『……分かりました。メメロン准尉、お遊びはそこまでにしておいてください』
 ネオ副長は真顔で頷き、メメロンへと声をかけた。
「あら、残念」
 すると意外なことに、メメロンはあっさりと俺を解放してくれた。
「あぁ……死ぬかと思った……」
 解放されたついでに自分の手を見て、顔に触れてみる。少し赤くなってはいるようだが、とくに皮膚が溶かされていたり、焼け爛れているようなことはなかった。
「うーん、美味しかったぁ、またよろしくねぇ艦長さぁん」
「め……メメロン、てめぇ……」
 俺は思わず、呑気な口調のメメロンに対して怒りを露わにする。
 緑色のスライムが立ち上がり、人型になったようなこの生物はメメロン。階級は准尉。ムスイラ人と呼ばれる単細胞(であるにもかかわらず)知的生命体で、性別の概念はなく、ネオ副長のようなポートレーテ人とは逆に、宇宙で最もその個体数が多いとされている種族だった。
 ムスイラ人の食事は、他の生物を自分の体に直接取り込んで消化・吸収を行うのだが、同じムスイラ人同士でそれを行う場合、それは一種の愛情表現になるとのことで、どういう訳か、このメメロンは俺のことを気に入っているらしく、隙や暇を見ては先程のように俺を取り込んで、吸収しようとするのだった。
「あらぁ? そんなに怒らないでよぉ……気持ちよかったんじゃなーいー?」
「気持ち良いわけあるか! おぞましいわ!」
 実際、メメロンに取り込まれるのは気色が悪い。消化が始まる前に解放されれば何の問題もないのだが、それとこれとは話が違う。その気色悪さを言葉で表すと……例えるなら、蛆虫で埋め尽くされた浴槽の中に素っ裸で放り込まれるような感じだ。おかわり頂けただろうか? 思い出すだけでも寒気がする。
「またまたぁー、艦長さんったらぁ、そんな遠慮しちゃってさぁ」
 するとメメロンはこんな感じなのである。中々、俺の苦しみを理解してくれないのは単細胞生物だからなのだろうか……?
「それじゃあ、あたしはもう行くわね。ふふ、艦長ぉ……今度は骨の髄まで消化して、あ・げ・る……うふっ、期待して待っててねー」
 メメロンはそう言って通路を這いずって行った。
「期待なんてするかよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ」
 俺はひとしきり叫び声を上げた後、がっくりとその場に膝をつく。
 メメロンという存在は、俺を大いに悩ませる種の内の一つなのだ。
『艦長、お疲れ様です』
 副長はそんな俺にねぎらいの言葉をかけてくれた。もっとも、かなり淡々とした口調だったので、あまりありがたみを感じなかったのだが……。
『そんな顔をしないでください、艦長』
 副長は珍しく溜息を吐いた。
『私も、この艦のことを任された副長です。副長の役割は艦長の補佐、つまり、艦長のことを助けることが私の使命でもあります。いわば、私は艦長専属のカウンセラーということになります。ですので、もっと私のことを頼ってもいいのです』
 ネオ副長は無表情でそう言ったように見えたが、俺にはどこかネオ副長から、自信満々というような気配が発せられたような気がした。
「頼っていい……と、言われてもな」
 具体的に、実体を持たない彼女はどのようにして俺を助けてくれるのだろうか? いや、そもそも部下との問題は本来、この俺自身で解決すべき問題であり、この知的生命体を巻き込んでしまってもいいのだろうか……? 思わずそう考え込んでしまった。
『……その点も、問題ありません』
 見ると、ネオ副長の頭には例の白い輪が。どうやら、またしても心を読まれてしまったようだ。いや、本当のことを言うと、この能力があるからこそ、俺はネオ副長とは極力関わりを持ちたくなかったと言える。
 油断して煩悩でも読み取られでもしたら……考えたくもない
『…………』
 再び副長を見ると、無表情の奥に怪訝そうな気配が伺えた。
「……分かった。その提案、受けよう」
『了解しました。艦長』
 ネオ副長は白い輪を消失させ、小さく頷いた。
『ところで艦長。今、船のコントロールは誰が?』
「イーレだ。次の交替まで彼に任せている」
 イーレというのは、ピークォドの操艦を行う操舵手の名前だった。その特徴については……また後ほど語ることになるだろう。
『了解しました。では、少しだけ時間が空いていると……』
「まあ、そうなるな」
 そう告げると、副長は少しだけ考えるような素振りをみせ……。
『では艦長、朝食はこれからですよね?』
「ああ。と言っても、朝食をとるにはもう遅い時間だろうがね……」
 俺は着ている宇宙服の左腕に取り付けられたスイッチに触れてみた。すると、宇宙服の隙間から光が飛び出し、空間に現在の時刻表が映し出した。宇宙標準時刻を見ると、朝というより、もう昼に近かった。まあ、飯など食べたいときに食べることが出来るのなら、時刻などあまり意味を成さないのだが……。そう思いつつ、映し出された時刻表を下げた時だった……。
『私もご一緒してよろしいでしょうか?』
 副長の言葉を理解するのに少しだけ時間を要した。
「は? 副長……あんた、飯を食べることは出来ないだろ?」
 実体を持たないポートレーテ人にとって食事や水分補給といった物理的な生命維持行為は不要なものである。というか、食べる食べない以前に、そもそも食物に触れることが出来ないという点では、不可能であるはずなのだが……。
『…………いえ、そうではなくて』
 まるでウィンクでもするかのように、副長は左目を瞑った。右目でジッと見つめてくる。
『地球人は、なにか不安や悩み事といったものを他人に相談するときは、何か甘いものを食べるなり、飲むなりしながら行う傾向がある……というデータがありますので』
 副長よ……それはどこからのデータなんだ? ……いや、そんなことよりも
「あー……つまり、俺と話がしたいってことか?」
『肯定です、艦長』
 副長は左目を開けた。
「そういうことか……ハッ、分かったよ。勝手にすればいいさ」
『では、そうさせて……』
 副長がそう言いかけた時だった。
「だ……誰かッ、手を貸してくれ!」
 ふと、どこからかともなく、何者かの助けを求める声。
「副長、今のは……?」
『……食堂からです』
 ネオ副長は読心能力をレーダー代わりにし、その位置を特定する。
「食堂……?」
 ええぃ、なんてタイミングのいい!
『……とにかく、行ってみましょう』
 俺は走って、副長は瞬間移動して、それぞれ食堂へと向かった。
 ピークォドの食堂は、若干の誤差はあるものの、ブリッジから俺の部屋へ道が一直線に続いているとした場合、その中間地点から右に曲がって二十メートルほど進んだところにある。幸いなことに、俺たちがいたのはこのすぐ近であったため、俺も副長も声を聞きつけることが出来た。
「なんだ……?」
 見ると、食堂には人だかり……いや、多種多様な異星人が集結していた。
 食堂には扉も区切りもなく、スペースそのものが通路に隣接するような形となっている。そのため、あまりにも多くの異星人が集結しているのか、集まった内の何名かは食堂に入りきれず、通路で呆然と佇んでいた。
「おい、何があった?」
 そのうちの一人、黄色のトカゲっぽい顔をした男、ルイー一等兵へと尋ねる。
「艦長! よく来てくれました!」
 ルイー一等兵は俺を見るなり、ピシッと地球流の敬礼をする。
「ああ。それで何だ、この騒ぎは?」
 ジェム曹長の敬礼を解いて再度尋ねる。
「ハッ! 実は……ジェイとバルサーのやつが喧嘩を……」
「またあいつらか!」
 それはある意味で俺を苦しめる、一番の悩みの種だった。思わず、頭を押さえる。
「くっ……お前ら、そこをどけ」
 しかし二人の喧嘩を止めないわけにはいかない。俺は異星人の間を掻き分けて食堂の中へと侵入する。やがて人だかりの最前列手前で、傍観する異星人に阻まれ動けなくなってしまった俺は、その場から前の様子を伺った。
 すると騒ぎの原因、まるで台風の目のようにぽっかりと食堂の中央に空いたスペースがあり、その中には二種類の異星人が、お互いに向き合い、対峙していた。
「貴様……このオレを侮辱する気カ?」
 そのうちの一人、四つの足を持つ人型の生命体が声を発した。生体組成の真っ黒な外骨格で全身を覆い、これまた生体組成の黒剣を二刀流で構えたその姿は、どことなく地球で見られる爬虫類と西洋の騎士を組み合わせた様な出で立ちだった。
「ハッ、これを侮蔑って受け止めるってぇことは、身に覚えがあるってことだろ?」
 それに対し、紫色の獣人はそう言って肩を竦めてみせた。全身が紫色の毛で覆われ、ローブの様な宇宙服を着たその姿はまるで昔話に登場する狼男のようだった。右手から飛び出した巨大な爪がそれを一層引き立たせる。もっとも、狼男というよりも、彼女のことは狼女と呼んだ方が良いのだろうが。
「どうやら死にたいようだナ? 貴様のような下等種族ガ……いい度胸ダ!」
 黒い騎士は黒剣を激しく震わせた。騎士の剣は、その刃を高速で振動させることによりあらゆる物体を切断することが可能な高周波ブレードのそれとよく似ていた。
「下等種族なのはアンタの方さ! この虫っけら!」
 一方、獣人はその巨大な爪を用いて、シャドーボクシングでもするかのように騎士のいる空間に向けて打撃と斬撃を組み合わせたかのような鋭い打ち込みを放った。
「ほウ、このオレを虫と呼ぶカ……ならば貴様は噛ませ犬ダ! このメス犬メ!」
「あぁ? やんのかこの野郎!」
 騎士は全身からスパークを放ち、狼女は瞳を赤く光らせた。
 そんな二人の様子を目にして、俺は直感的に「まずい!」と悟った。ショートカットのためにテーブルの上を飛び越え、二人の元へと急ぐ。
「アア、貴様には一度、力の差というものヲ教えてやらねバと思っていたところダ」
「ハッ、後になって後悔するなよ? 虫けら」
 二人が全身から殺気を放ち始める。
「止めろ! お前らッッッ」
 そう叫び、俺がようやく二人の間に割って入ることが出来た時には、二人はそれぞれ自分の得物を握りしめ、今にも飛びかかって殺し合いを始めそうな時だった。
「ム? 艦長カ……?」
「艦長ッ、今いいところなんだ! 邪魔するんじゃねぇ!」
 黒い生命体と紫色の獣人は、それぞれ違った反応を見せた。
「いいや、悪いが邪魔させてもらう。二人とも、まず剣を下ろせ!」
 ジェスチャーも用いて俺は二人の戦意を鎮めさせることに努める。
「3、2、1で二人同時に剣を下ろせ、ほら……3……2……1……」
 ……しかし、二人は剣を下ろさなかった。
「……もう一度、ほら……3……2……1……」
 …………
「下ろせよ! お前らッッッ!」
 憤慨する俺を、二人は怪訝そうな目で見返してきた。
「ええぃ、もうそのままでいいわ! だが、何があったかだけは話してもらう!」
 俺は黒い騎士に目を向けた。騎士の名はジェレッヘイムⅣ世、長ったらしいのでジェイと呼ばれている。階級は曹長。宇宙一誇り高い戦闘民族国家として知られる帝星グルヴァイアス出身のクルーだった。戦闘に特化したその独特な風貌はもちろんの事、高い身体能力を持ち合わせているため白兵戦でまず彼らに敵う者はいないとされている。しかし、ピークォド航空隊隊長であるジェイは白兵戦だけではなく戦闘機によるドッグファイトも得意とする、とても優秀な男だった。
「艦長ハ……オレに説明を求めているのカ? ……いいだろウ」
 ジェイは剣を下ろすことなく続けた。
「この……女ガッ、オレの食べ物を盗ミ、勝手に食べたのダ」
「食べ物? それは何だ」
「プリン、ダ」
「……何だって?」
 ジェイの口から放たれたその単語を聞き、思わず聞き返してしまった
「オレが後で食べようト! 冷蔵庫で冷やして大切に取っておいタ、ジャパン・プディングを……この女ハ勝手に食べやがっタのダ!」
「そ……そうか、そうだったのか……」
 激しい剣幕で訴えるジェイに、俺はそう答えることしか出来なかった。
 プリンことジャパン・プディングとは……言うまでもなく、牛乳や卵、砂糖、カラメルソースなどを使って作られる普通のプリンだ。どういうわけか銀河連邦ではこれがブームになっているようで、糧食として長期間の保存がきくプリンも開発されているほどだ。
 しかし、あのジェイがプリンを好いているとは……あの見た目からは想像がつかないというか、意外だったというか、なんというか……。
「ハッ、ジェイ。知らなかったよ、アンタがあんな軟弱なものを好んでいたなんてね!」
 今まで黙っていた狼女が不意に嘲笑を放った。
 彼女の名はバルサー。銀河一規律を重んじているとされるフレズ・エクウス人の一人だった。階級は曹長。フレズ・エクウス人は男性・女性の概念はあるものの、その身体的特徴に殆ど差が見られない種族であり、同じ種族同士でしか見分けることが出来ないという、宇宙でも珍しい特徴を持っていた。そのため、地球人のように男性・女性を見た目で判断することは難しかった。バルサーは同種族の中でも類まれな戦闘力を持っていることから、ピークォドの保安部長として艦内の規律を守っている……はずなのだが……。
「貴様ァ!」
 嘲笑われたのが癪に触ったのか、ジェイは剣の切っ先をバルサーに向けた。
「落ち着け、ジェイ! バルサー、お前もだ!」
 ジェイをなだめ、バルサーへと視線を送る。
「バルサー、お前……ジェイのプリンを食べたのか?」
「……いや、違うね。アタシは確かに自分のプリンは食べたが、ジェイのプリンは食べていない」
 バルサーはそう言って肩を竦めるような動作をした。
「アタシはこれでも規律を重んじるフレズ・エクウス人だ。他人の物を盗んで食べるような真似は絶対にしない」
 規律の星に生まれた人らしく、バルサーは堂々とした態度でそう告げた。
「嘘を吐くナッ!」
 それに対し、ジェイが反論する。
「忘れたとは言わさン! 貴様、前に俺のレーションを勝手に食べたではないカ!」
「ああ? あれは食事中に席を離れたアンタの責任だろ!」
「やかましイ! そもそも貴様は食い意地が張りすぎなのダ、いずれブクブクに太って宇宙害獣のエサにでもなってしまエ!」
「うるせぇよ! ……ってか、自分ものには自分の名前を書けよ! 書かなかったアンタが悪いんだよ!」
「貴様ッッッ!」
「ああ? やんのか!」
「ああ、もうっ……二人とも止めないか!」
 口論から再び殺し合いが始まりそうになったところで、俺は再び二人の間に入る。
「ジェイ、名前を書かなかったのは失態だったな。そんなにプリンが食べたいのなら俺のプリンをくれてやるから、この場はそれで勘弁してあげてくれ」
「ム……?」
 ジェイは驚いたように首をかしげた。
「それからバルサー。いちいち喧嘩を買おうとするんじゃない、お前たちがまともにやりあえば船が壊れる、それくらい理解してくれ」
「あ?」
 バルサーは「ふざけるな」と言いたげな視線を俺に向けた。
「いヤ、それは出来ないナ」
 そこでジェイは俺の妥協案が飲めないとでもいうかのように、そう呟いた。
「ああ、同感だぜ」
 バルサーも同じように呟き、爪を構え直した。
「悪いな、艦長。こいつとは一戦やらねぇと気が済まねぇんだ」
 バルサー、お前……ッ⁉
「そうダ艦長。こいつはオレと戦うべき存在ダ……」
 バルサーに応じるように、ジェイも剣を構え直した。
「離れろ艦長、巻き込まれても知らねぇぜ」
「そうダ。もう何人たりとモ、俺たちの戦いを邪魔することはできなイ」
 こいつら……船をなんだと思っているんだ? 俺は酷い脱力感を覚え、頭を押さえた。
 二人は既に臨戦態勢、俺には二人の殺し合いを止める余裕はなく、周りのクルーたちも止める気はさらさらないようで、寧ろこれから始まる決闘を楽しみたいとでも言うかのように固唾を呑んで、二人の動向に注目していた。
 しかし、これ以前にも二人が戦う姿を見たことがある俺としては、どうにかして二人の戦いを止めさせたかった。俺が殺し合いと称している二人の戦いは、それはもう凄惨を極めるのだ。しかも、タチが悪いことに被害が及ぶのはこの二人ではなく、周りの人や物なのだ。下手をするとピークォドまで沈めかねない、そんなくだらない理由でこいつらと心中するなど、もってのほかだった。
 しかし、二人の殺し合いを止められる力が俺にはないのもまた事実だった。二人が放つ殺気は既に人が放っていいレベルを超えている。のこのことまた二人の間に飛び出しても、逆に殺されてしまうだけなのだろう。なにか……なにか手はないのか? ……って、そういえば、ネオは……副長はどこへ行った?
 ネオ副長を探そうと、俺は周りを見回した……その時だった。
「な……何っ⁉」
 突然、まるで船の中で大地震が発生したかのような衝撃が走り、食堂にいた誰もが立っていられなくなってしまった。
しかし揺れは一瞬の出来事だった。通路には第一次警戒態勢を意味する赤いランプが点灯し、俺たちの元へ、何か脅威が迫っていることを教えてくれた。
「艦長……今のハ、何ダ?」
 衝撃を受けても微動だにしなかったジェイがそう尋ねてきた。俺が分かるわけないだろと言ってやりたかったが、よく見るとジェイは剣を地面に突き立てて衝撃に耐えていたようで、床には高周波による大穴が開いていた。この野郎……床を……。
「分からん。だが第一次警戒態勢だ、総員持ち場に着け!」
 ともかく、これで暫くの間は二人が争うことはないだろう。俺はうろたえるクルーたちにそう言って周り、走ってブリッジへと向かった。
 ブリッッジの自動扉が開くのももどかしいというように、俺はブリッジへと飛び込む。
「イーレ、何があった? さっきの衝撃は?」
 今までブリッジで艦のコントロールを任せていた操舵手、イーレへと詰め寄る。
「か、艦長……よかった、御無事でなによりです」
 イーレはぎょろりとした四つの目で俺の顔を見るなり、ホッとしたかのように、四つある腕の内、二本の腕で自分の胸を撫で下ろした。
 俺の身を案じてくれるのはいいが、四つある目でそのように見られると思わずギクリとなってしまうのはいつもの事だった。
 主にこの船の舵を握り、進路の計算やデブリの回避などで卓越した能力を持つ操舵手、イーレ、階級は少尉。キカイリー人である彼は四本の腕と、四つの目を持っている。目が四つもあるためなのか、キカイリー人は総じて視力がとても高く、二十メートル離れた空き缶のラベルの字を一字一句正確に読むことが出来る者もいるとのことだった。イーレもその一人であったため、操舵手としてはとても優秀なクルーだと言えるのだが……。
「それで、何があった?」
「あー……えーっと、それがですね……」
 再度問うと、何故かイーレはしどろもどろになりながらそう言った。
 まさか……?
「イーレ、俺に何か隠し事をしているな?」
「艦長に隠しごとですか? ははは……そんなものあるわけないじゃないですかー」
 俺はそのまま無言でイーレの四つの瞳を見つめ続ける。
「……すみません。艦長」
 そう言ってイーレは宇宙服(キカイリー人用)のポーチから一冊の本を取り出した。
「イーレ……お前、またか……」
「……すみません」
 そう言ってイーレは申し訳なさそうに四本の腕を体に巻きつけるようにしてみせた、イーレ曰く、これがキカイリー人の正当な謝罪の仕方とのことだった。
 ピークォドは地球の船だ。種族を選ばず扱えるのは事実だが、基本的な面は地球人向けの設計がなされている。そのため、船の舵も地球人が二本の腕を用いて使用するような形になっている。しかしイーレは四本の腕、舵を握るのに必要なのは二本の腕、残り二本の腕は手持無沙汰になってしまう。
 イーレにはそれがなんとなく気に入らないようで、船の舵を握りながら本を読もうとする、いわゆる「ながら操艦」のクセがあった。最初の内は俺も「まあ大丈夫なのだろう」とそれを許容していたのだが、今から二十日ほど前「ながら操艦」による前方不注意が原因して船が次元断層へと落ちかけるアクシデントが発生した。当時は副長の機転により最悪の事態だけは免れることは出来た。しかし、しっかりと確認さえしていれば未然に防ぐことの出来たアクシデントではあったため、俺はイーレに「ながら操艦」を控えるようにと強く念を押しておいたのだが……。
「では、目を離した隙にデブリにでもぶつかってしまったと?」
「いえ、それはありません! 一応、ちゃんと前は見ていましたので……一応」
 一応ってお前……。俺はまたしても酷い脱力感を覚えてしまった。
「そうか……それで誰か、先程の衝撃の原因が分かるものはいないか?」
 ……と、ブリッジにいた他のクルーにそのことを尋ねてみるも、芳しい答えは返ってこなかった。
「ほんとすみません艦長。自分、次の休憩までこの本を読むのが待ち切れなくてですね、つい読んでしまったんですよー」
「……面白いのか、それ?」
 呑気な口調で本を差し出してきたイーレから、本を受け取る。
「……なんだこれ、なんて書いてあるんだ?」
 しかし、本の表紙にはミミズがのたくり回り、それぞれがつながったような模様。文字かどうかさえ怪しい意味不明な文字が描かれ、その中身も同じような文字で書かれていた。
「これがキカイリー語です。読めませんよね?」
「ああ。なんて書いてあるんだ?」
「はい。■■■■です」
「は?」
 一瞬、自動翻訳機が壊れたのかと思った。
「イーレ、もう一度」
「■■■■です」
 イーレにもう一度言わせてみても、イーレが本のタイトルを話したところだけが、まるで言葉に重い靄がかかったかのように頭の中で消去され、聞き取ることが出来なかった。
「どうかしましたか? 艦長」
「いや、どうやら翻訳機が壊れているようだ。後で副長にでも看てもらって……」
 そういえば、その副長はどこへ消えたのだろうか? そう思った時だった……。
『いえ、艦長。翻訳機は壊れていません、正常です』
「――――――ッ⁉」
 不意に背後から囁くように聞こえてきた声に、俺は思わず飛び上がってしまった。
「ふ……副長⁉ いつのまに……って、驚かすなって言ってるだろッ!」
『それは申し訳ありません。艦長』
 振り返ると、そこには相変わらず幽霊のような見た目をした少女、ネオ副長がいた。
『艦長、先程のキカイリー語はいわゆる伏字になっています』
「伏字?」
『はい。艦長の両耳にインプラントされた自動翻訳型ナノマシン・パロールには銀河連邦の規定により、いくつかのワードが翻訳不可に設定されているのです。この本のタイトルは、その規制対象となります』
「……なるほど」
 しかし、規制対象と言われてしまうと俄然、イーレの発したこの言葉の意味が知りたくなってしまうのが人間というものだ。
「副長、この言葉の意味を説明することはできるか?」
『可能です。……が、規則に反することなので致しません』
 まあ、そうだろうな。
「それではイーレ。この本は一体どんな内容なんだ?」
「え? 内容といわれましても……」
 するとイーレは乾いた笑みを浮かべるだけで、それ以上は何も答えようとはしなかった。俺は笑うイーレにつられて笑うことしか出来なかった。
 ……で、結局何なんだ? この本は……?
 とにかく、これ以上この話をするのは不毛だと分かったので、切り替えざま、副長へ先程から気になっていたことを聞くことにした。
「ところで副長、先程から姿が見えなかったが、どうかしたのか?」
『……少し、別件の用事を思い出したので』
 副長は淡々とそう告げた。ふーん、別件の用事ねぇ……。
『それで、先程の衝撃ですが。あれはイーレ少尉の操艦が原因して発生したものではなく、外的要因による干渉が原因して発生したものである……ということが分かりました』
「は? それはつまり……」
『はい。避けられない事故のようなものだということです』
 なんだ……そうだったのか……。
隣を見ると、イーレも自分に非がないと分かってホッとしたのか、二本の腕で胸を撫で下ろしていた。まあ、事故なら仕方がないよな。事故なら……。
「まったく、驚かせやがって……。それで原因は? 星の爆発による衝撃波か? それともダークマターの膨張による共振現象か?」
 俺は安易な気持ちで副長へと尋ねた。
『はい。先程の衝撃は、ゴーブリと呼ばれる宇宙害獣が本艦へと衝突したものです』
「は?」
 俺は思わず自分の耳を疑った。翻訳機に不具合でも起こったのではないかと……。
「副長……今、何と……?」
『ですから、宇宙害獣ゴーブリ……別名、宇宙ゴキブリが本艦へと衝突。そして侵入に成功した……と言っているのです』
 なるほど……宇宙ゴキブリか……。
「副長」
『はい』
「それを先に言ええええええええええええええええええええっっっ!」
『申し訳ありません。現在、バルサー率いる保安部が対応に当たっています』
 ……くっ
「了解した。イーレ! 俺は保安部の様子を見てくる。ここは頼んだぞ!」
 副長とは後でしっかりと話し合いをする必要がありそうだ。俺はイーレにそう言い放ち、ブリッジを後にした。そうそう「イーレ、もう操艦中に本を読むなよ?」自動扉が閉まる前に、その言葉を言い残すのを忘れない。
 ブリッジへと続く通路を駆け抜ける。ネオ副長もそれに追従する。
 宇宙害獣ゴーブリ、別名・宇宙ゴキブリ。
 銀河連邦によってマークされている第二級優先討伐対象である宇宙害獣。
 銃弾さえ弾き返すほど強固な皮膚を持ち、宇宙空間での生存が可能で、自分の体を重力下/無重力下に合わせてトランスフォームさせることが出来る。他のどの生物をも凌駕する生命力があり、自の生存のためならどんな犠牲をも厭わない偏った知能を持つ。
 この生物のもっとも厄介なところは、その食性にある。ゴーブリは、人間やメメロンなど生きている生命体を捕食することは基本的にないとされている。その代わり、ゴーブリは鉄やチタニウムなどといった鉱物資源から、人間などが口にする多くの食物まで幅広く、何でも食べるいわば超雑食性の生物だった。そんな食性からか、かつて宇宙全てを食べ尽くしてしまうと恐れられた害獣だった。
 この害獣の宇宙侵攻により、かつて三つの惑星が飢餓で崩壊寸前にまで追い詰められてしまった。しかし今から約百年前、銀河世紀一九○年(地球換算)に銀河連邦は総力をあげてゴーブリの母星となる惑星・クイを攻撃。結果、ゴーブリの約八〇パーセントを駆除。さらに残りの二○パーセントを現在では条約で禁止されている同族感染型ナノマシン:シンプル・ダイによって撃滅、絶滅へと追い込んだとされていた。
「で……今回は、それが復活したってわけか?」
『それにはお答えできません。データが不足しているので』
 俺たちは走りながらそんな会話をしていた。
 副長は移動スピードを俺に合わせつつ、先程から頭の輪を光らせて、艦内の情報を収集し続けている。
『……! 艦長、ゴーブリがまた移動しました』
「そうか、どこに向かっている?」
『行動パターンを推測……ここから三つ下のブロックかと』
「了解。アンタの推測、信じてるぜ!」
 俺は副長の指示に従い、貨物運搬用のエレベーターがある場所へと向かった。
『こちらE3区画……宇宙ゴキブリに突破された! 奴はF5方面へと向かっている!』
 俺も宇宙服の通信装置を開いて情報を収集していると、保安部要員らしき人物のそんな声が聞こえてきた。F5は確かに、ここから三ブロック下だった。
 エレベーターホールへと辿り着き、俺はエレベーターへと乗り込み、移動先を三ブロック下のFを指定して、エレベーターを閉めた。
「大分……苦戦しているようだな」
 端末から聞える兵士たちの怒号と吐き捨てるような声から、宇宙害獣の討伐は上手くいっていないような気配が伺えた。
『そのようですね。私はゴーブリに関するデータをあまり所持していないのですが、これほどまでに苦戦することになるとは思いもよりませんでした……』
「それは同感だ」
 俺は護身用のレーザーピストルを宇宙服のホルスターから抜き、手に持ってその状態を確かめる。レーザー用のバッテリーが十分であること、銃の生体認証装置がしっかりと作動していることを確認してから、安全蔵置を解除する。
『艦長……また移動しました、今度はこの一つ上です』
 エレベーターがようやく目的地へ辿りつこうとした時、ネオ副長のそんな声。
「またかよっ」
 俺はエレベーターの緊急停止装置を押して一度エレベーターを止めた後、再起動ボタンを押して一つ上の階へ行先を指示しなおした。再びエレベーターが動き出す。
『艦長、どうやらゴーブリは機関室へと向かっているようです』
「チっ……了解、機関室だな」
 扉が開くと同時に通路を駆け抜け、一気に機関室へと向かった。
 途中、すれ違った保安部員や、手の空いている者へと声をかけて戦力を集めた。
機関室は、中央に円柱を横に倒したような巨大な炉がある。この炉はピークォドの推進用エネルギーを生み出すだけではなく、その他、船全体の電力や生命維持装置の原動力となるエネルギーを生み出す、いわばピークォドの心臓と呼んでも過言ではない代物だった。非常にデリケートな場所である故、ランク2以上の武器は使用不可とされている。
ちなみに俺のレーザーピストルはランク1。ただ、護身用であるため威力にはあまり期待できない。
 機関室の入り口は部屋の天井付近に取り付けられたキャットウォークへと通じており、そこから炉を見下ろすことが出来る。炉を見下ろすと、その上に対峙する二本の影。
「あれが……宇宙害獣……」
 その一人、見慣れない灰色の生物がそこにはいた。ゴキブリらしくずんぐりとした胴体、頭部は胴体に埋まるような形となっており、頭の先からは二本の触覚が生えている。二本の脚で仁王立ちし、イーレとはまた違った形の四本の腕をユラユラと揺らしていた。
 では、もう一人は誰か? 目を向けると、それは黒い外骨格で身を守り、二本の剣を持った騎士……それは、ジェイ曹長ことジェレッヘイムⅣ世だった。
「ジェイ!」
 俺はキャットウォークからジェイへ呼びかける。
 だが、ジェイは呼びかけを無視し、ゴーブリへと斬りかかった。ゴーブリはそれを両腕で防御した。しかし、鉄をも両断することのできるジェイの生体高周波ブレードの一撃を受けてなお、ゴーブリの両腕は未だ健在だった。
「チッ……オレの船を汚ス、虫けら如きガアアアアアアアアアッッッ!」
 ギリギリとつばぜり合いめいた攻防を繰り広げ、ジェイはゴキブリの眼前でそう叫んだ。違うぞ、ジェイ! お前の船じゃない。艦長は俺だ! 俺の船だ!
 するとゴーブリはそんなジェイを嘲笑うかのように、グニャリと口角を広げ、余裕たっぷりと言わんばかりにジェイの剣を押し返した。
「ば……馬鹿ナ⁉」
 あの屈強な戦闘民族の体が吹き飛ばされた。思いもよらないゴーブリのパワーに対し、ジェイの顔に焦りの色が浮かんだ(ように見えた)。
「マズイ……援護をッ!」
 俺はキャットウォークからピストルの照準をゴーブリへと向けた。しかし、ゴーブリだけを正確に狙撃できる自信はなく、炉やジェイに当たってしまう恐れがあった。いや、そもそも命中したとしても、ゴーブリはジェイの剣を防ぐ装甲を持っているのだ。牽制程度にしかならないのは明白だった。
 そこで俺はその場にいたクルーの内数名に、キャットウォークから炉の上に降りろと指示を送った。暴徒鎮圧用の非殺傷火器を持ったクルーが階段から下へ降りていく。このまま銃を使ってゴーブリを追い立て、奴が炉とジェイから離れたところでキャットウォークに残った者たちも攻撃に参加し、十字砲火によりゴーブリを疲弊させていく算段だった。
 しかし……。
「この害虫ガ! 調子に乗るナァァァァッッッ!」
 立ち上がったジェイが、体中から怒りのスパークを閃かせ、再びゴーブリへと向かっていく。しかしゴーブリは臆することなく、その場でジッとジェイのことを待っていた。
「ウラアアアアアアッッッ!」
 怒声と共に、ジェイは激しい連撃をゴーブリへと叩き込む。地球人ならば百人は殺せたであろうその連撃を、しかしゴーブリはなんなく防御し、受け止め、弾き返し、そして軽くあしらった。
 いや、違う。ゴーブリはジェイの攻撃をわざと受けているのだ。わざと受けることでジェイの力や攻撃のクセを経験し、戦闘を繰り広げながらその対抗策を練っているのだ。見よ! 最初は力に力で対抗していたが、今は最小限の力だけで軽くあしらうようになってきている……では、その次は……?
「くっ……ジェイ下がれ! 奴はお前の動きを学習している!」
 最悪の事態を想定した俺は、ジェイに向かって叫ぶ。
「アアアアアアッッッ!」
しかし戦いに夢中になっているジェイに、その言葉は届かなかった。ジェイは左右合わせ既に数百以上の剣撃を放っているものの、未だゴーブリの装甲に小さな傷を与える事しか出来なかった。
そしてついにその時が訪れた。ジェイがゴーブリに向けて放った両腕の切払いを、ゴーブリは飛んで避け、ジェイの真後ろに着地した。大技を誘われたジェイは咄嗟の出来事に動けない。ゴーブリはジェイの左腕に生えた剣をその鋭い顎で噛み砕き、咥えた。
思わず距離を取るジェイ、しかしゴーブリはその動きを予測していた。距離を詰め、ジェイに距離を取らせることを封じ、そのままジェイの胸部めがけて体ごと頭を叩きつけた。その顎には、未だ高周波による振動が続くジェイの折られた剣が……。
「ぐワアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」
 自身の高周波ブレードをその身に受け、ジェイの胸部外骨格に大穴が開き、中から真っ黒な体液、いや、血が噴き出した。
「ジェイッッッ」
 騎士の名を叫ぶ。しかし騎士はその動きを止め、ゆっくりと地面に横たわった。
 灰色だったゴーブリの体が、ジェイの返り血を浴びて真っ黒に染まる。
「くっ……あの害虫を逃がすな!」
 俺が攻撃開始を告げようとした時だった。
「ハッ、死んじまったのか? 情けねぇ奴だな」
 嘲笑と共にそう言い放ち、キャットウォークから飛び降りる何者かの影。影は空中で一回転した後、炉の上に音もなく降り立った。
「バルサー!」
 それは紫色の獣人、バルサーだった。その右手には巨大な爪が生えていた。
「バルサー、止めろ! そいつは危険すぎる」
 臨戦態勢のバルサーへそう呼びかける。
「艦長、安心しな。こんな害虫、アタシがやってやらぁ!」
 そう言ってバルサーはゴーブリへと飛びかかった。ええぃ、どいつもこいつも人の話を聞いてくれない……ッッ
 バルサーの爪は威力の面ではジェイの剣より劣る。しかし、バルサーはそれをよく理解しているようで、左右へと素早い動きでゴーブリを翻弄し、その一撃をただ強度の高い椀部に叩きつけるのではなく、比較的装甲が薄い腹部や頭部を狙い、ゴーブリへと着実にダメージを与えていた。
 しかし、それも序盤だけの事。バルサーがゴーブリに攻撃を打ち込めば打ち込むほど、ゴーブリはバルサーの攻撃を学び、次第にバルサーの攻撃が決まらなくなっていった。
「チッ……この野郎!」
 防御行動ばかりを取るゴーブリに嫌気が差したのか、それとも疲労からか、バックステップで一度距離を取ったバルサーが悪態をつく。
「バルサー、もっと下がれ! 狙撃できない!」
 俺はバルサーに向けてそう指示を飛ばした。
「ハッ、お断りだね!」
 バルサーはそう言い放ち、今まで温存していた左腕の爪を解放した。
「さあ! 第二ラウンドといこうか!」
 二双の爪を構え、バルサーが再び飛びかかろうとした時だった。
「……なんだ?」
 不意に、背後から何かよからぬ気配でも感じたのか、バルサーの動きが止まった。
 見ると、倒れたジェイの体に異変が生じていた。ジェイの身体から青白い無数の電流が放たれ、電流はまるで蛇のようにジェイの体に纏わりつき、そしてのたうちまわった。
「……許さン」
 死んだはずのジェイの声が聞こえた気がした。否、それは決してただの幻聴などではなかった。声は確かにジェイの所から響いてきたからだ。
「……許さン」
 ジェイはまるで倒れた時の映像を逆再生するかのように、足からゆっくりと立ち上がった。そしてユラユラと体を揺らしながら、右手で胸部に埋まった剣を抜き、そして投げ捨てた。
「許さン……害虫メ」
 それはまさに地獄から帰ってきた男が発するような声だった。次の瞬間、ジェイの体に纏わりついていた電流がジェイの体を離れ、その周囲に浮かび始めた。そのせいで、ジェイの黒い体が真っ白に光っているようにも見えた。
「こいつデ……潰してやル」
 ジェイは腰の外骨格に収納していた、細長い二本の棒のようなものを取出し、それらを重ね合わせて一本の長い棒にし、そしてそれを右腕のガントレット型外骨格に装着し、槍を待つかのように構えた。
「ヴァル・マグナ……? ジェイ! お前、こんなところでそんなんぶっ放す気か⁉」
 バルサーが焦ったように叫ぶ。
「何……⁉」
 ヴァル・マグナ……その言葉を聞き、俺は驚きを隠せなかった。
 ジェイのような帝星グルヴァイアス出身の民族は、身体の中に大量の電気エネルギーを溜め込んでいる。普段、グルヴァイアス人はその電気を予備の動力源として溜め込むか、意思疎通の際の怒りを表すサインとして用いることがあるとされている。だが、最近になってグルヴァイアス人はその新たな活用方法を見出すことが出来た。それがヴァル・マグナと呼ばれる電力増幅装置を用いた攻撃への変換であり、腕を通して体内の電力を吸収・増幅させ、それを打ち出すというものだった。射出された電流は、雷のように対象を焼くのではなく、スパークギャップ衝撃のような放電切断現象で、その膨大な圧力と衝撃力によって対象を切断することが出来る。その威力は、厚さ一メートルを超える鉄の壁すら撃ち抜ける力があるとのことだった
 しかしヴァル・マグナはまだ試作品であり、射出された電流の制御に難があることから下手をすれば真後ろの仲間まで殺しかねない危険な兵器だった。
 そして、万が一にでもそれが動力炉に命中でもしてみたら……考えたくもない!
「ジェイ! 止めろ!」
 しかし俺の呼びかけにジェイは答えない。
『恐らく、グルヴァイアス人の生存本能が働いているのでしょう』
 いつの間にか俺の隣に来ていた副長が言う。
『ジェレッヘイム曹長のようなグルヴァイアス人は、一部では非道な戦闘民族と呼ばれることもありますが、反面、家族と呼べる存在に対する親愛の情は深く、それゆえ何が何でも家族だけは守ろうとする習性があるとのことです』
 うむ、とても意外だが、中々いい話だ。それで、一体どういうことなんだ……?
『彼らにとっての生存本能、それは家族の安全を守ろうとする強い意思であり、将来、自分の家族を狙うかもしれない目の前の敵を一人でも多く滅ぼすことで、家族の安全をより確実に守る……それが彼らにとっての生存本能なのです』
「は⁉ 無茶苦茶だろッ……ってかそんなもの、生存本能と言っていいのか!」
『ですがこれは事実です。ジェレッヘイム曹長は先程、ゴーブリの反撃を受けて瀕死の重傷を負いました。それが曹長の生存本能のトリガーとなってしまったのでしょう。あの状態の曹長には何を言っても意味がありません』
 つまり、完全に暴走しているという訳か……くっ、ならば仕方ない……。
「バルサー! 少し手荒でも構わん、ジェイの奴をぶん殴ってでも止めてくれ!」
 そんな指示を送った。するとバルサーは目を生き生きとさせ……。
「おう、了解したぜ艦長!」
 そんな二つ返事で、バルサーはジェイへと飛びかかった。
「ぐあっ……なんだ?」
 しかし、バルサーの攻撃により吹き飛ばされてしまったのはどういう訳かバルサーの方だった。バルサーの攻撃は見えない壁によって阻まれてしまった。
『あれは電磁シールドです。ヴァル・マグナのチャージには時間がかかり、隙が生まれます。その間、敵から攻撃されることを防ぐため、システム発動時には余剰エネルギーを利用して使用者の周囲に電気の壁を作り出すことが出来るのです』
「そんなことまで出来るのか⁉ くっ……なら、工学兵器で……」
 俺は試しに自分のレーザーピストルでジェイを狙撃してみる。結果は同じく、電気の壁に阻まれ、ビームは霧散してしまった。
 続いて他のクルーたちにも発砲を指示してみたものの、やはりどれも弾かれてしまった。本来ならゴーブリに対して実施する予定だった十字砲火による一斉射撃も通用しなかった。
「おいおい、そりゃねぇよ全く……」
 思わず、頭を押さえて笑う。
『艦長。まもなくチャージが完了します』
「いやいやいや、そんなこと言われても……俺にどうしろって言うんだよ⁉」
 すると、副長は何食わぬ顔でこちらに向き直り……。
『艦長。お覚悟を』
 そう言ってそそくさとその場から姿を消した。
「ネ……ネオ副長おおおおおおおおおおおおおおッッッ⁉」
 まさか、逃げやがっただと⁉ その瞬間、眼下で激しい明滅。見ると、ジェイの周囲に漂っていた電流が収束し、ヴァル・マグナの先端へと吸い込まれる。
「ま……マズいっ! バルサー下がれ! 総員、対ショック……」
 慌てて叫んだ時にはもう遅かった。その瞬間、ヴァル・マグナの先端から切断性を持つ巨大な電流が射出され、機関室が青白い光に包まれた。
「…………?」
 しかし、想定していたほどの衝撃や轟音などはなく、青白い光が消失した後の機関室は奇妙なほどに静かだった。聞こえてくる音といえば、動力炉が動く音だけだった。
 助かったのか……?
 見下ろすと、炉の上に横たわる人影、それはジェイだった。その他、下に降りていたバルサー、その他数名のクルーその全員が呆然とその場に立ちつくし、何が起きたのか分からないというような表情で辺りを見回していた。
 いや、上から全てを見守っていた俺でさえも何が起きたのか分からなかった。
『艦長。ご無事ですか?』
 そんな声に振り返ると、消えたはずのネオ副長がそこにいた。
「副長? 一体何が……?」
『簡単です。ピークォドの防御システムを、私という中継点を通して動力炉とジェイ曹長の周囲に展開、ヴァル・マグナの電流を防御システム内に吸収し、隔離し、単純な光エネルギーへと還元することでその被害を最小限に食い止めました』
 気が動転していたこともあり、淡々とした副長の言葉の意味を、俺はあまり理解することは出来なかったのだが、副長がこの危機を救ってくれたことだけは十分に理解することが出来た。
「……助かった……ありがとう、副長」
『言った筈です。もっと私のことを頼ってもいいと……それで、ゴーブリはどこへ?』
 ……あ? 先程からジェイの事ばかり考えていたので、すっかり本題が頭から抜け落ちてしまっていた。つい先ほどまでゴーブリがいたところに目をやると、既にそこには誰もいなかった。
「副長、奴はどこへ行った?」
『検索中…………ん、ここから二つ上のブロックに反応アリ』
「了解、急行する」
 キャットウォークを走り、機関室の出口を目指す。
「艦長―っ、この馬鹿はどうする?」
 バルサーが気絶したジェイを片手で抱えていた。
「営倉にぶち込んでおけ! 脱走しないように電磁シールドの檻がついた営倉にな」
 去り際にそう告げて、俺は機関室を出た。
 そこからは先程とは逆に、エレベーターで上のブロックを目指し、上のブロックに到達する前にレーザーピストルの状態を確かめ、バッテリーを交換した。
『艦長、敵はあの宇宙ゴキブリです。ならば当然、向かう先は……』
「……ああ。分かっている」
 恐らく、ゴーブリが食料の乏しい下のブロックで、あえてジェイやバルサーと戦闘を繰り広げようとしたのは、ピークォドの主要戦力を下のブロックへ集結させるためだったのだろう。そしてジェイやバルサーなどといったピークォド屈指の精鋭を倒し、後は戦力の少なくなった上のフロアに移動すれば、誰にも邪魔されず、ゆっくりとメシにありつくことが出来る。たった今、俺はその可能性に気づくことが出来た。
 く……っ、俺としたことが、たかがゴキブリと侮っていたようだ。だが、宇宙ゴキブリよ、知らなかったのか? 保安部や戦闘要員などの正規兵だけがピークォドが誇る精鋭ではないのだよ!
 エレベーターから降り、通路を進んでいると、ゴーブリと一戦交えたのか、横たわって苦しそうに呻く数名のクルーがいた。幸いにも全員命に別状はないようで、そいつらから話を聞き、ゴーブリがどこへ向かったのかを確認すると、案の定、ゴーブリは食堂を目指していたことが判明した。
 食堂へと真っ直ぐに進んでいると、突然、通路に何者かの悲鳴が響き渡った。それは食堂からだった。急いで厨房へと向かい、扉を開け厨房を覗き込むと、しかしそこには誰もいなかった。厨房は中央に大きな調理台があり、その周りにはクルーも気軽に利用することのできる冷蔵庫と冷凍庫、そして解凍用のレンジがいくつか配置されていた。
『艦長、あそこです』
 副長に指摘されてようやく気付くことが出来た。調理台の裏に隠れて見えなかったが、一人、倒れている者がいた。体全体が若干赤いところを除けば地球人と見間違えてしまいそうになるほど、地球人によく似た男がそこに倒れていた。近づいて、脈を確かめる。しかし、脈はなかった。
 そして、その男はピークォド唯一のコックだった。古今東西、宇宙のあらゆる料理に精通する超ベテランのコックだった。
「そんな……嘘だろ! おい、起きてくれよ!」
 俺は悲しみのあまり、コックの遺体を抱きかかえ、激しく揺さぶる。
「ナヴォスぅ、何で死んじまったんだよぉ……」
 目に溢れる涙を堪えきれず、俺はその場で嗚咽を漏らした。
「お前がいてくれなきゃ、今晩のカレーは誰が作るっていうんだよぉぉぉッッッ」
『……悲しむところ、そこですか?』
 副長は呆れたように呟いた。いや、飲食を必要としないあんたには分かるまい! カレーはいわば古来より伝わる海軍の伝統料理。手ごろで簡単に、そして大量に作ることが可能で、しかも美味いときた! 地球の船乗りたちは、この味を共有することで一致団結し、降りかかるいくつもの困難を乗り越えてきたのだ! そんなカレーの素晴らしさ、あんたらには分かるまい!
「嫌だ! 味気のないレーションだけの毎日なんて! ナヴォス……あんたが作ってくれるメシだけが俺にとっての唯一の楽しみだったのに……ああ、非常に残念だよ……」
『…………』
 副長が怪訝そうに首を傾げたその時だった。ふと、ナヴォスの腕がピクリと動いた。
「うーん……いてててて……って、あれ? ここは……」
 次の瞬間、死んだはずのコックこと、ナヴォスはまるで何事もなかったかのようにムクリと起き上り、少しだけ痛そうに後頭部をさすった。
「ナヴォス! 良かった! 生きていてくれたのか!」
 俺は最初こそ驚いたものの、湧き上がってきた歓喜に従い、その場で万歳三唱をした。そんな俺を副長は懐疑的な目つきで見つめてきたのだが、これは見なかったことにする。
「ああ、艦長がここに来るなんて珍しいですね、どうかしたんですか?」
 いや、それはこっちの台詞なのだが……。
「ナヴォス、さっきここに宇宙ゴキブリが来なかったか?」
「宇宙ゴキブリ……? ああ、確かに来ましたねー」
 その言葉に、俺と副長は思わず目を合わせた。
「それで、何があったんだ? まさか宇宙ゴキブリにやられたのか?」
「えーっと……やられたかって言われたら……えーっと、どうなんでしょう? 驚かされたのは確かですが……」
 驚かされた……?
「はい。今日の夕食のために作ったカレーを移動させようとしていたら、急に宇宙ゴキブリが厨房に現れてですね……あまりにも急な出来事に、ワタシとてもびっくりしてしまってですね。思わず口から火を噴いてしまったのです」
 ナヴォスは口から火を噴くようなジェスチャーをしてみせ、その時の事を表現した。
「それで、どうなったんだ?」
「はい。思いっきり火を噴いてしまったので体を支えきれずに倒れてしまい、そのまま頭を打って気絶してしまったんです。ハハハ……お恥ずかし」
 そう言ってナヴォスは苦笑いを浮かべた。
 ナヴォスは地球人とよく似た男だが、その正体は炎の惑星ホッグノーチカの住人であり、口から千五百度の火炎を放つことが出来る。ピークォド内ではその能力を活かし、皆の前で料理の実演などを行っているコックだった。あと、見た目は地球人とよく似ていても臓器の作りは全く違うので、元から脈というものも存在しないんだった。
「でも、ついでにアイツの体に炎を吹きかけてやったので、少しはお役に立てたかと思います!」
 少しはお役に……と謙遜まじりに言ったナヴォスだったが、実を言うとこのナヴォス、昔はホッグノーチカ星の特殊部隊に所属していたという過去があり、今は現役を引退し、船のコックとして静かに暮らしているものの、口から噴き出すその火炎は未だ衰え知らずとのことで、気絶さえしていなければもっといいところまでいけたのではないかと思われた。
「それはありがたい……副長、奴の足取りを追えるか?」
『……いえ、反応がありません。恐らく、十分に食物を摂取し、どこか安全な場所で休眠状態に入ったものかと』
 そう言って、副長は床に転がった空の大鍋を示した。
「ああ……カレーが……せっかく作ったのに……」
 しょんぼりとした様子でナヴォスが呟く。……って、カレーだと? それを聞いて俺は愕然とするものを感じた。そんな馬鹿な! カレーの何たるかも分からん害虫にカレーを台無しにされてしまうだなんてッッッ……。
「……副長、それにナヴォス」
 溜息を吐き、俺は二人へと声をかける。
「俺は……あのゴキブリ野郎を、絶対に許さねぇッ」
 二人の前で、高らかにそう誓う。
『艦長……あなたって人は……』
「ハハ……カレーならまたいくらでも作りますよ」
 それに対し、二人の反応は冷めたものだった。ええぃ、何故カレーの素晴らしさを分かってくれないのだ! 銀河連邦でもかなり人気のある料理だというのに……っ
『ですが艦長、具体的な対抗策がない今の状態では、こちらからいくら攻撃を仕掛けたとしても無意味だと判断致します。先程はまだ良い方だったのかもしれませんが、あのゴーブリの行動を見る限り、他の個体よりも並外れた知能を有していると推測されます。なので最悪、今回の戦闘で敵はどのブロックにどの程度食料が配置されているのかを全て把握したものと思われます。対応が遅くなってしまえば、ピークォドの食料もあっという間に食い尽くされてしまうかと……』
 確かに、副長の言うとおりだった。あのジェイやバルサーですら倒しきれなかった敵だ。入念に練られた作戦でもない限り、俺のような大した能力のない一般兵では、いくら数を揃えても太刀打ちできるとは思えなかった。そう……作戦でもない限り。
「なあ副長、俺は思うんだが……ジェイとバルサー、この二人が力を合わせることが出来れば、あの野郎を倒すことは可能だと思うか?」
 俺の問いに、副長は少しだけ考えるような素振りを見せ……。
『……可能だと思われます。ジェイ曹長の攻撃力、そしてバルサー曹長のスピード……この二つを合わせることができれば、完全に倒すことはできずとも、それなりのダメージは与えられるかと……しかし……』
 しかし、それは困難を極めることだろう。
『問題は、どうやってこの二人に手を組んでもらうかというところです』
「それなんだよな……」
 犬猿の仲であり、ピークォドでも屈指の問題児であるこの二人。いや、どちらか一方が悪いという訳ではなく、ジェイとバルサー、どちらも自分の信じている「正義」に従って行動しているだけに過ぎないのだ。基本的に、ある一定の空間の中で二種類の思想が混雑しあっていた場合、その本質の違いから、二つの思想は対立し、険悪になってしまう場合がある。それと同じ現象がこの二人の中では起きているのだ。
 だが、この二人が犬猿の仲になっているのは、それに加えて日常の中で頻発する、些細な行き違いが原因しているからなのだ。今だけでも、その些細な行き違いを抹消することが出来れば、この二人は宇宙ゴキブリという共通の敵を見出し、共闘することが出来るのではないかと思われたのだが……。
 その方法を考えていた時だった。
「そういえば艦長、さっきの宇宙ゴキブリって……いつごろからこの船に侵入していたんです?」
 大鍋を片付けながら、ナヴォスがそう聞いてきた。
「ああ。さっき大きな衝撃が発生しただろ? あれはゴーブリが船に衝突した時に発生したものでな、侵入したのはその直後だろ」
「ああ、さっきのアレがそうだったんですねぇ……へぇー、そうだったのかぁ……」
 そんなことを呟きながら、ナヴォスは大鍋に水を流し込み始めた。
「何だ……知らなかったのか……?」
 あの衝撃が発生してからすぐ、俺は副長からその原因を聞いたためここまでに至る経緯は全て把握しているのだが、もし……俺やあの場にいたイーレ、そして副長以外の全クルーが、いつ、どのタイミングで宇宙ゴキブリが侵入したのかを分かっていないとしたら……? その時、俺の中で名案が浮かんだ。
「なあ、副長?」
 副長の目を見て、直接そのことについて聞いてみる。
『……はい。それは艦長やイーレ少尉など、一部の者のみしか把握していないかと』
「ということは、これは使えるということか?」
 目を見て、副長に直接自分の考えを伝える。
『使えます。しかし……それだけではまだ二人を繋げるには至らないかと……』
 そこでさらに俺の思考を読んだのか、副長はいつもの様なポーカーフェイスを貫きながらも、僅かにハッとした顔になった。
「どうだ? これならイケるか?」
 俺はニヤリとした笑みを、ネオ副長へと送る。
『まだ……不安要素はありますが……。やってみる価値はあるかと』
 副長のその言葉は、俺にとって強い後押しとなった。
「よし! 男なら度胸だ、やってやる!」
 自分の顔を叩き、活を入れた。そして、鼻歌を歌いながら大鍋を洗っているナヴォスへと近づき、そしてその肩を叩いた。
「? どうかしましたか、艦……長……?」
 明るく返事をしたナヴォスだったが、次の瞬間には、俺のただならぬ気配を感じたのか、疑問符を浮かべ、その場に立ち尽くした。
「ナヴォス……あんたには悪いが、ここで死んでもらう」
 ああ、俺は今どんな顔をしているのだろうか。鏡があったら一度見てみたいものだが恐らくは、とても奇妙な顔をしているに違いない。何せ、目の前のナヴォスは驚きのあまり、目を点にして首を傾げているのだから。
 水道の蛇口から水の流れ出る音が、どこか遠くに聞こえた。

 一時間後……。
「迫りくる宇宙害獣に対し、自らの命を捨ててまでクルー全員の大切な食料を守ろうとした英雄に――――哀悼の意を捧げる」
 ブリッジにて……そんな前置きを述べた後、俺は右手に握られたリモコンのスイッチを押した。
 ボン――――という破裂音が響き渡り、ピークォドの副砲から勢いよく射出されたナヴォスの棺が、大宇宙という名の空の海、その最果てへの航海を始める。
「総員――――敬礼」
 そう告げ、俺は皆に先んじて、ナヴォスの棺へと地球流の敬礼を送る。
 それに続いて、ブリッジに集まっていたその他のメンバーも敬礼を送る。敬礼の仕方は相変わらずバラバラだが、敬意を表していることには変わりないため特に指摘はしない。
 俺たちは、先の戦いで名誉の戦死を遂げたナヴォスの葬儀を行っていた。そして今、ナヴォスの棺を見送り、その全てが終了した。
「ちっ……ふざけてやがる」
 敬礼を終え、吐き捨てるように呟いたのはバルサーだった。
「おい、テメェのせいだぞ羽虫!」
 振り返りざま、バルサーはその後方に立って黙祷をしていたジェイに向かって吠え始める。それに対しジェイは両腕を電磁ワイヤーで縛られ、体の自由を奪われていた。
「何ダ……? コックの死ハ、全てオレの責任だとでも言いたいのカ……?」
 バルサーの威嚇に全く臆することなく、ジェイは答える。
「ああそうだよ! テメェが余計なことをしなけりゃ、こんなことにはならなかったはずだ!」
「……何を言うカ? オレは貴様らが苦戦していると聞いたかラ、手を貸してやろうとしただけダ。いヤ、寧ろ感謝して欲しいくらいだナ! このオレがいなければ、貴様はろくに追いつくことも出来なかっただろうニ!」
「なんだとッ、この野郎ッ!」
 ジェイに挑発され、バルサーは拳を振り上げ、ツカツカとジェイの元へ……。爪を解放してはいないものの、バルサーの瞳には殺気が感じられた。
「落ち着けバルサー」
 その途中、イーレがバルサーの肩を掴んで制止を試みる。
「うるせぇ!」
 しかしバルサーはイーレの手を強引に振り払った。イーレはバランスを崩し、床に尻餅をついた。
「あらやだ、狂暴なオンナはモテないわよぉ?」
 やれやれと、ゼリー状の体を震わせてメメロンが呟く。
「ッ……艦長!」
 イーレは焦った様子で「止めてください」と訴えるような視線を送ってきた。その視線を一瞥し、俺は艦長の椅子に座る。
「艦長……ッ⁉」
 驚愕が含まれたイーレの声。焦るな……まだだ、まだ早い……。
「ああっ⁉」
 すさまじい剣幕で、バルサーはジェイに詰め寄り、ブリッジの壁を殴った。轟音と共に、壁に大きな穴が開き、小さなスパークが発生する。
「お前みたいな奴がいるからッッッ」
 バルサーは右手の爪を解放し、その切っ先をジェイの首筋へと近づける。
「何ダ? それでオレを殺すつもりカ?」
「……どうして欲しい?」
 逆に問われ、ジェイは無言で肩を竦めてみせた。
「キッ……よく聞け、お前は単純な戦闘力ではおそらく、この中では誰よりも強い。これは認めよう……だがな、アタシはお前を認めない。お前のふざけたような態度も、そのクソみたいな正義感も……」
「貴様! 今オレの正義感を愚弄したナ!」
 その瞬間、先程から落ち着いた様子を見せていたジェイが突如として豹変した。その態度を大きく変え、体中から電流を噴出させ、怒りを露わにし始めた。
「オレの正義感を愚弄することハ、すなわち我が故郷、帝政グルヴァイアスを愚弄すると同等ゾ! 万死に値すル!」
「ハッ、ほざいてろ! 羽虫が!」
 至近距離でのにらみ合いが続く。
『…………艦長』
 オレの隣で浮遊している副長が、チラリと二人の様子を見て呟く。
「いや、副長……もう少し待て」
 俺もまた、呟くように答える。
「……チッ、ならば貴様はどうなのダ? 犬メ!」
「ああ?」
 ジェイはバルサーを見下ろすように続ける。
「貴様は確カ、規律の星出身だったナ?」
「……それがどうした?」
「ハッ……笑えるナ、貴様のような奴があの星の住人だとはナ! 貴様のようなマヌケデ、見栄っ張りデ、そして規律とは何たるかを理解していない愚か者を見るのハ、これが初めてダ!」
「キッ……てめぇ、ぶっ殺すぞ!」
「殺したくば殺せばいイ……貴様にその度胸があるならナ!」
 ギリギリと、バルサーはジェイの首に爪を突き立てる。
「……ああ、殺してやるよ。お前の存在はこの船に相応しくない、全てはお前の責任だからな……責任を取って、ここでシネ」
 バルサーがジェイの首に加える力を強めていく。
 ――――
「違う! 誰の責任でもない!」
――――
俺は全力でその言葉を言い放った。
「……艦長?」
 その場にいる全員が、俺に注目する。
 俺は椅子から立ち上がり、二人の元へ歩み寄る。
「何だ? 艦長は、アタシじゃなくてジェイの味方をする気か?」
 バルサーは強烈な殺気を俺に向けてきた。
「……いや、違う」
 二人のすぐ手前で立ち止まり、続ける。
「俺は……誰の味方もしない」
 一呼吸開けて、続ける。
「バルサー、問おう。今、お前が爪を突き立てているのは誰だ?」
「……ジェイだ」少し間を開けてバルサーは答えた。
「では、そいつは敵か?」
「それは……」バルサーは言葉に詰まる。
「簡単だろ? 答えろ」
「敵ではないが、危険な存在……」そう答えた。
「バルサー! 俺はジェイが敵か味方か、そのどちらなのかと聞いている!」
「それは……」再び言葉に詰まる。
「難しいか? なら、この艦に勝手に上がり込んできた害獣、あれは何だ?」
「敵だ、言うまでもなく……」今度は素早く答えた。
「そうだな。あれは紛れもない敵だ……では、その害獣に対し、瀕死の重傷を負いながらも戦う姿勢をみせたジェイは……敵か?」
「違う……味方だ!」今度はハッキリと答えた。
「そうだ! 皆の命を危険に晒したという点は見逃せないが、それでも、彼は強大な敵に立ち向かおうとしていた! そんなジェイ……いや、ジェレッヘイム曹長を、一人の人間として俺は尊敬したい。バルサー、君はどう思う?」
「ア……アタシは……」躊躇うようにバルサーは顔を伏せる。
「いや、わざわざ答える必要はない。そして礼を言わせてくれ、バルサー……。あの時、ジェイが害獣によって戦闘不能に陥ってしまった時、真っ先に駆けつけたのが君だった。君がいなければ、ジェイはあそこで殺されていたかもしれない……」
「いや……それは……」バルサーがこちらに顔を向ける。
「ジェイたちを率いる一人の指揮官として礼を言わせてくれ……ありがとう、バルサー」
「そ、そんな……アタシはただ……」バルサーは驚いたように目を見開いた。
「そして二つだけ言わせてくれ……バルサー、それにジェイ! 君たちは戦士だ! 戦士であるのなら、味方であり、共に戦わんとする戦士の義を理解しろ」
「義? それは一体どういう意味カ?」声を発したのはジェイだった。
「義とは、人間としての正しい道……つまり、正義の心を指す。しかし、義という一つの言葉にしてみても、それは自分たちが育った星や地域に根付く文化の数だけ多種多様に存在するものだ。故に、俺が持つ正義も、バルサーが持つ正義も、ジェイが持つ正義も、皆それぞれ違った形をしている。だが、それでいい。義という言葉には絶対的な正解などそんざいしないのだから、つまり皆が持っている義その一つ一つが正しいと言える。今この場で争いを止めろとは言わない、ただ……それでも、相手にも義というものはあり、その心を理解することを……どうか忘れないでもらいたい」
「…………」バルサーもジェイも沈黙していた。
「そして二つ目……先程も話したように、ジェイはバルサーの仲間であり、バルサーもまたジェイの仲間だ。仲間同士で争いは不毛! そして、それこそ敵の思うつぼだ……俺が言いたいのは、敵を見誤るなということだ。仲間同士で口論に陥るのは大いに結構なことだ。しかし、決して争ってはならない。何故なら、真に争うべき敵は他にいるのだから」
「…………」バルサーは無言でジェイの首から爪を引いた。
「……感謝する」ジェイがそう呟いた。
『艦長……一点よろしいでしょうか?』
 頃合いを見計らって、副長が俺の背後に移動する。俺は発言を許可した。
『はい。解析した結果、あの害獣はどうやらかなり前からピークォドに潜伏していたようで、ナヴォスが残した報告書によると、少し前から食料の備蓄が度々なくなるという現象が報告されており、その現象が発生した日付を逆算すると……丁度、あの害獣が潜伏を始めたと思われる期間と日数が一致しました』
「何? そんな昔から奴はこの船に乗っていたというのか……?」
 そう言いつつ、俺は二人をチラリと見た。
「つまリ……オレのプリンヲ、食べたのハ……」
「あの害獣……ということだったのか?」
 二人は、そろって目を見合わせ、同じ結論に達していた。
「これで分かっただろう? あの害獣こそ、俺たちの真の敵だということが」
 俺は二人へと語りかけた。
「あの害獣を撃退するには……バルサー、ジェイ、君たちが協力しあう必要があるんだ。だから頼む……今だけでいい、今だけ、俺に従ってくれないか」
 二人に向けてそう告げる。
「…………」
「…………」
 しかし、二人は黙ったまま何も答えようとはしなかった。ただ、お互いを見つめ合い、相手がどのように動こうとするのかを見定めている様子だった。流石にこれだけではまだ足りないか……。私は、最後のカードを切ることにした。
「どうか! 頼む!」
 俺は素早くそう告げ、そして深々と頭を下げた。
「……艦長⁉ 何を!」
 頭を下げたことにより二人の顔は見えなくなってしまったが、その声色から少しだけ驚愕しているように聞こえた。
「艦長……それは何の真似ダ? その体勢にハ、いったいどういう意味が含まれているんダ?」
 しかし、異星人である二人には私の意図が通じていないようだった。これでは意味がない――――いや、俺が最後のカードを切ったその瞬間、時を同じくして別の場所でも最後のカードは切られていた。
『これは地球の……いえ、地球の中に存在する日本という国独特の礼という作法です』
 二人の疑問に答えるように、ネオ副長は続ける。
『礼というのは、他者や社会に対する優しさや誠意を動作として表したものです。特に、このようにして深々と頭を下げる行為は、目上の者に対する深い誠意を表しているとされています』
「目上の者に対すル、誠意だト……?」
「艦長であるアンタが……なぜ、部下であるアタシらにそんなことを……?」
 いかにも「理解できない」といった風に、二人は疑問を口にした。
『…………』
 しかし、副長はその疑問に答えることはなかった。
「……覚悟……ということカ」
 ジェイがポツリと呟いた。
「なるほど、そういうことか……ハッ、これは俺たちも覚悟を決める必要がありそうだなぁ、アンタもそう思うだろ? ジェイ」
 小さく溜息を吐き、バルサーはジェイに共感を求めた。
「フッ、そうだナ……艦長、作戦はもう立ててあるんだろウ?」
「ああ。既に作成済みだ」 
 ここでようやく俺も頭を上げる、少しだけ久しぶりに見る二人の顔立ちには、もう何の曇りもなかった。
「それでこそアタシらの艦長だな! ジェイ、手を出しな!」
 バルサーはその鋭い爪を用いて、今の今までジェイを拘束していた電磁ワイヤーをいとも容易く切断した。
『艦長。早速ですが、宇宙害獣に動きがありました』
 頭に白い光の輪を浮かべ、副長が報告する。
「よし! 総員、配置に着け! 第一戦闘配備! 作戦の内容は既に各自の端末に送信済みだ。さぁ、行け!」
 この船の指揮官であり、そして艦長らしく、俺は部下全員に指示を出す。
――――了解!
 頼もしい返事と共に、その場にいた全員が自分の持ち場に付くべく、動き始める。
 フッ……とんだ茶番だったな。しかしまあ、これじゃあ俺は道化だ……。
 小さく息を吐いて、俺は艦長の席へと舞い戻る。
『艦長、お見事でした』
 副長が俺の隣に出現する。
「いや、その言葉はこの作戦が終わってから聞くことにしよう」
 椅子に深々と腰かけ、俺は前を見据えた。
 なにせ本当の戦いはこれからなのだから……。

『敵はA3ブロックを移動中……』ネオ副長によるナビゲーション
「行かせるな! A4へ通じる通路に隔壁を下ろせ! 第二隊、側面から攻撃せよ」

『すまない艦長……逃げられちまった』第二隊からの戦果報告
「いや、想定内だ。気にしなくていい」

『敵はダクトを通り、再び機関室へ向かっている模様』ネオ副長によるナビゲーション
「了解。メメロン! D5のダクトに向かえ! お前のその体なら奴も嫌がるはずだ」

『艦長! あたしやったわぁ! ほら、ゴブちゃんが慌てて逃げていくのが見えるでしょう?』メメロンによる戦況報告
「その呼び方やめろ! でもよくやった!」
『うふふ、それじゃあ今度はじっくりと消化させてねぇ~』同
「そ……それは断る!」

「今から約二十秒後に、敵はそのフロアに現れる、迎撃を!」
『了解! 腕が四本ありゃ、銃の威力も四倍ってもんだぜ!』第四隊・イーレより

『艦長、上手くいきましたぜ』第四隊・イーレからの戦果報告
「よくやった! よし、戻ってくれ」

『艦長。敵がまたダクトに……』ネオ副長によるナビゲーション
「……メメロンを呼べ」

『ふーっ、これだけ頑張ったんだから、ご褒美は期待してるわよぉ? 艦長~?』メメロンによる戦果報告
「…………考えておく」

「第一隊、追撃せよ! 第二隊は第一隊をカバー、第三隊と第四隊はその場で待機、不測の事態に備えよ!」
『了解』第一隊より
『了解』第二隊より
『了解』第三隊より
『了解でさぁ』第四隊・イーレより

「メメロン。そこはもういい、ブリッジに上がってくれ」
『うふっ、了解よー』メメロンより

『こちら第一隊、ワレ誘導に成功セリ』第一隊からの戦果報告
「よし! 特務隊、準備はいいな?」
『無論ダ』特務隊・ジェイより
『オーケーだ! やってやるぜ!』特務隊・バルサーより

『ハハッ! 遅い遅い!』バルサーより
『お前みたいな虫けらガ! オレたちに敵うワケないんだヨッッッ!』ジェイより
 ――――ザシュ
『ぴしゃああああああああああああああああああ』偶然記録できた害獣の悲鳴

『艦長、今です!』ネオ副長によるナビゲーション
「ああ! C1ブロックを解放! 敵を船から落としてやれ!」

「メメロン、放出された敵を船の主砲で焼き払え!」
「うふっ、りょーかーい……主砲照準!」
「荷電粒子砲、てぇ―――――」
「発射ぁ――――☆」
 カチっ――――

 ――――――――

『目標の焼失を確認……ミッションコンプリート』ネオ副長によるナビゲーション
『――――――――‼』その瞬間、至る所から割れんばかりの歓声。
「ああ、皆……よくやった」

 一般的に、進化というものは勘違いされがちだが、動物が環境に合わせて形を変えるという都合のいい話ではない。正確に言えば、環境の変化に合わせて、その環境で生き残ることに適した個体だけが生き残り、環境適応できなかったその他の個体が死滅することで、生き残ることに適した個体の数が相対的に増えていく……これが本当の進化であり、オタマジャクシがカエルになるといったような変態とは話が違うのだ。
今思えば、あのゴーブリもそういった進化により誕生した個体だったのだろう。
今回の一件を経て、俺はゴーブリの進化について少なからず興味を持ったのだが、それは艦長である俺の仕事ではないし、そのような暇もない。全ては終わったことだ、今回のデータは全て銀河連邦本部へと送った。あとはあちらで勝手に調べてくれることだろう。
 
 皆の心が一つにまとまったその日―――――
 食堂にて繰り広げられる、作戦の成功を祝したどんちゃん騒ぎから抜け出した俺は、一人、特にやることもなく通路の壁にもたれかかり、物思いにふけっていた。
 そんな時、こちらへ近づいてくる何者かの気配――――。
 副長……? 振り向くと、そこにいたのは副長ではなく、ナヴォスだった。
「艦長、こんばんはです」
 そう言ってナヴォスは敬礼をした、地球流の見事な敬礼だった……もっとも、ナヴォスは軍属ではないため、敬礼をする必要はないのだが、特殊部隊としてのクセが残っていたのだろうか?
 俺は軽く手を振って示した。
「艦長、そろそろ私、皆の前に出て行ってもいいですかね?」
「……そうだな、タイミングはあんたに任せるよ」
 そう告げて通路の壁を離れる。俺も、そろそろ部屋に戻るとしよう。
「悪かったな。あんたのこと、死んだ者扱いして……」
「いえいえー。大したことはないですよー、ハハハ……冥土の土産話が一つ増えたと考えればそれもまた一興。それに、今ちょっとワクワクしているんですよね」
 ……と言うと?
「死んだはずの男がいきなり目の前に現れたら、皆どんな反応するかなー……と」
 そう言ってナヴォスは小さく笑った。
 その様子に、俺はニヤリと肩を竦めてみせる。もっとも、皆に嘘を吐いたことは事実なので、後で皆から追及を受けることは免れないだろうが……まあそれは後日、自分からしっかりと謝罪することにして、今はゆっくりと体を休めることにしよう。
「それでは艦長。ごきげんよう」
「ああ、またな」
 そう告げて、俺はナヴォスを見送った。さて、帰るか……。その場を離れ、自分の部屋へ向かう。すると背後……食堂方面から絶叫と困惑に満ちた声が響き渡ったのだが、結局、俺は自分の部屋に辿り着くまで一度も後ろを振り返ることはなかった。
 部屋に入る前に、一度だけ背後を振り返った。何故だか知らないが、そこに副長がいるような気がしたからだった。しかし、そこには誰もいなかった。副長の仕事はなんだかんだいって膨大だ。きっと俺なんかに構っていられるほど暇ではないのだろう。そう思いながら部屋の中へ……。
 風呂に入り、歯を磨き、身支度を済ませ、ベッドへ向かう。ベッドに入り目を閉じると、何か物足りないような気がした。何というか……このまますぐ眠ってしまうのは勿体ない、というような、そんな気持ちが俺の中で湧き上がる。なにせ俺たちは今日、困難と言える状況を乗り越えることができたのだ。それをもう少しだけあいつと分かち合いたいと言う気分に駆られていた。少しだけ……本当に、少しだけ……。
「……ネオ…………」
 思わず……今日一日中、ずっと付き添ってくれたその人の名前を呟く。
『……はい』
 それは幻聴などではなかった。
「うわああああああああああああああああああああああッッッ⁉」
 眠気など、一瞬で吹き飛んでしまった。慌てて飛び起きる。
「ふ……副長、どうしてここに⁉」
 見ると、ベッドの枕元、そのすぐ隣に腰掛けるように副長は浮かんでいた。
『いえ、お伝えしたいことがございまして』
 伝えたいこと……? 驚きで高ぶる心臓を言い聞かせながら、副長の言葉に集中する。
『今日はお疲れ様でした。艦長として、とても見事な采配をしていたと思われます』
 そう言って副長はサッと頭を下げた。
「そ……それだけか?」
『はい。他になにかございましたでしょうか?』
「い……いや、そんなことはない……あ、折角だから一つ聞いていいか?」
『はい、何でしょう?』
 副長の目を見ないようにして、俺は尋ねる。
「副長は……どうしてそんな、地球人の格好をしているんだ? ポートレーテ人は固有の外見を持たない生命体なんだろ?」
『そんなことですか……はい、それは艦長のためです』
 ……俺のため?
『はい。艦長を補佐するものとして、同じ地球人に擬態していれば、少しは艦長が落ち着いて業務をこなすことができると判断したからです。この船に地球人は艦長しかいませんので、これなら艦長の精神的負担も抑えられるかと判断致しまして』
 そうか、俺のことを配慮してのことだったとは……。
副長のその気づかいは素直に嬉しかった。しかし……
「……俺のことを考えてのことだったということは分かった。だが、地球人を再現するんだったらちゃんと再現してくれ……それと、あんまり驚かさないでほしいのだが……」
 俺は副長の生えていない両足を見つめた。
『……なるほど、どうやら配慮が足りていなかったようですね。承知しました』
 すると、みるみるうちに副長の膝から下に足が生え始めた。やがて、周囲に白いオーラが漂っていなければ本物の人間と見間違えそうになるほど、一般的な地球人がそこに出現した。しかも絶世の美女ときた。
「ああ……こっちの方がいいな……最高だ」
 それを見て満足した俺は、再びベッドに寝転がる。一度吹き飛んでしまった眠気だったが、いつの間にかすぐそばまで最接近してきており、もう片目も開けられないほどだった。欠伸を一つ、それだけでもう、意識が急速に遠退いて行くのを感じた。
『艦長……』
「……ん?」
『私が見込んだ通り、あなたは、やはりこの船の艦長に相応しい御方です』
(……そりゃあどうも?)
『私は、艦長があなたで……本当によかったと思っています』
(……)
『それでは艦長、おやすみなさい。よい夢を……』
(ああ、おやすみ……副長)
 副長のそんな言葉を聞きながら、俺の意識はゆっくりと、しかし着実にまどろみの奥底へと向かっていた。しかし――――それにしても、最後になってようやく思い出した。
結局のところ、ジェイのプリンを食べたのはいったい誰だったのだろうか? そのことについて少し思考を巡らせようとするも、しかし睡魔は、俺にそのことについて考える暇を与えてはくれなかった。そしていつしか「まあいいか、そんな些細なことを今頃になって掘り返したところで、あまり意味はあるまい」……俺はそう思ってしまった。
 それよりも、副長に褒められたことの方が重要だった。艦長としてこの先やって行けるのか、それが大きな気がかりになっていた俺にとって、この言葉は救いだった。俺は少しだけ自信を取り戻しながら、深い眠りについた。
 そんな俺を乗せ、ピークォドは航海を続ける。
この混沌とした、暗く広い大海原を……どこまでも、どこまでも……。
END  


――――ピークォド、隔離ブロック
 そこは何人たりとも近づくことの出来ない聖域だった。部屋には窓や扉といったような類のものは一切見当たらず、換気や排気のためのダクトすら存在しない、完全に隔離された部屋だった。室内の気温は常に氷点下以下に設定され、壁や天井は氷で覆われ、まさしく絶対零度の世界と呼ぶにふさわしい場所だった。
 部屋の中央にはピークォドのジェネレーター。そんな絶対零度の世界に一つだけポツンと取り残されたようなそれはかすかに熱を放ち、氷に支配されぬよう、その周囲の僅かな空間を暖め続けていた。
「…………」
 ジェネレーターに腰掛ける者がいた。青い髪の美しい少女だった。少女は何食わぬ顔でジェネレーターの上に座り、無言で何かを口にしていた。少女の左手には小さなカップ、右手にはスプーン。スプーンでカップの中身を掬い、次々と口に運んでいる。
「ふふ……美味しいです」
 少女は顔に落ち着いた笑みを浮かべ、そう呟いた。
「こんな美味しいものを作った地球人とは素晴らしいものですね。このプリンという食べ物は、とうの昔に全ての感覚を捨て去った私たちに、何とも刺激的な体験をもたらす……そんな至福の時間を提供してくれる地球の方々には、感謝してもしきれないぐらいですね……はい」
 そう言って少女は最後のひとかけらを掬い、口に運んだ。
「もむもむ……ですが、現段階では真に感謝すべきは艦長かもしれませんね。これが、あの二人の騒動の原因になったと知った時にはヒヤリとさせられましたが、艦長が全ての元凶をあの宇宙害獣のせいに仕立て上げてくれたことで、私への責任追及は一切なし……これも、感謝してもしきれないくらいです。……いえ、そもそもちゃんと自分のものに名前を書かなかったジェイ曹長も悪いんですよ……この宇宙は弱肉強食なのですから」
 楽しそうにそう呟き、少女は残ったカップとスプーンを構成している元素を分解し、光へと還元させる。一瞬の内にこの二つは跡形もなく消え失せ、これにて少女の証拠隠滅は完了した。
「さて、仕事に戻るとしますか……」
 少女の身体が光へと還元され、次の瞬間には誰もいなくなった。
ポートレーテ人、十五億年という果てしない年月を生きた末、身体という器を捨て、魂だけの存在となった高度な知的生命。彼らは実体を持たない――――しかし、実体を作ることはできないとは……言っていなかった。

 

スカイ・オーシャン――END――