公開ライトノベル作品その10

オリジナル・ライトノベル(ORIGINAL mysterious-Fiction )

 すごく初期の作品。ある意味、ライトノベル作品の第一号かも。こちらも毎週1Pずつ公開していきます。

「不思議のキャロライン」    

渚 美鈴 /作   (2014年制作作品)

 春四月。
 薄曇の中、あふれる日差しが水面にキラキラと反射して、とてもまぶしく感じる。
湖の周囲の公園に植えられた木々は、新緑の若葉であふれている。そんな中を吹き抜ける風が心地良い。
ここ沖縄には、本土のお花見でおなじみのソメイヨシノはない。
桜の木がないわけではなくて、あるのはピンク色の花びらをした寒緋桜だ。この桜は、咲くのも早くて、早いときには一月頃から咲き始める。そして、三月末までにはサクランボになってしまう。しかも、ピンクの花びらはしぶとくて、風で散るようなやわなものでもないので、桜吹雪なんて起きないから、イメージもかなり違ったものになると思う。
卒業式がサクランボで――入学式は……桜の花とは無縁なのが、亜熱帯気候の島・沖縄の春なのだ。
ただ、春の訪れを感じさせる桜はないけれど、この季節に吹く南風には、確実に春の訪れを感じさせてくれる心地良さがある。春の匂いとでもいうのだろうか。うまく言えないけれど、少し暖かくなったと感じさせるだけじゃなくて、新緑の香りというか、新しい生命の息吹みたいなものがあると感じる。
そんな新鮮な心地よい風を肌で感じて、俺はゆっくり起き上がる。公園のべンチに寝そべってしばらく暇をつぶしていたのだが、そろそろ時間だ。公園から出ると、水門のそばを通って、学校へと向かう。めざす高校は、目と鼻の先だ。
長く苦しい受験生活を越えて、やっと迎えた春だから、湖を吹き渡る風にさえ、そんな雰囲気を感じてしまうのかもしれない。新たな出発。旅立ち。そんな言葉が脳裏をよぎる。
 真新しい高校の制服に身を包んで、俺は軽く息を吸って、入学式の看板が立てかけられた高校の門をくぐった。校門の両サイドに植えられた椰子の木が、亜熱帯の島・沖縄らしいが、校舎の造りも鉄筋コンクリート造りのごくありふれたもので、長い伝統とか格式とかいうものとは無縁にしか見えない。この県立緑ヶ岡高等学校は、一応大学進学を念頭においた、まあ、そんなありふれた高校のひとつだ。
 それでも、周囲を通り過ぎる見知らぬ新入生の同級生たちの顔を見ると、どいつもこいつも、皆俺よりも優秀そうに見える。
まあ、それも仕方ない。
自分の実力からすると、少しレベルが高かった高校だ。一生懸命、受験勉強に取り組んで、ようやく、ギリギリセーフで入ることができたんだと思っている。
俺の名前は、島仲 僚、リョウって呼んでくれ。
高校一年生になったばかりの、まだ十五歳だ。
この県立の緑ヶ岡高等学校には、同じ中学校出身者は、ほとんどいない。
同じ中学校の進学組は、ここよりレベルの高い進学校へ、粗野な怠け者グループは確実に入学できる、ここより下のレベルの普通高校や実業高校へ進学している。
この緑ヶ岡高等学校は、俺の出身中学から見ると、進路指導の上からは中途半端な存在で、冒険的なところと捉えられていたこともあって、薦める先生があまりいなかったことも事実だ。けれど、それが俺には魅力的に思えた。
リセット。
今度は、もう少し楽しい学校生活が送れるだろう。
校舎の壁に貼られたクラス分けの名簿を見る。見たところ俺のクラスとなっているB組に、知っている生徒の名前はない。それを確認して、少し安心する。
校舎の配置図を見て、入学式会場となっている体育館の位置を確認していると、スッと後ろから隣に来て、同じように案内図を見つめる女生徒の姿が横目に入った。
その長い髪は、少し灰色がかっていて、今まで見た事のない色だ。
銀髪? ハーフかな?
女生徒が俺の視線に気付いて、こちらに目を向けたので、慌てて視線を逸らす。目の色も少し灰色がかっていて、不思議な雰囲気を漂わせている。しかも、すらりとした背の高い美少女だ。俺は、少し意識して緊張してしまう。
女生徒は、案内図で目的のものを見つけたのだろう。隣に立ったままの俺の方を少しだけ一瞥して、ぼそりと言った。
「……小さいね」
「は?」
どうやら俺の身長のことを言っているらしい。
とたんに、俺の頭に血がのぼる。
「……大きなお世話だ」
「あ……、ソーリー。気にしてるんだ?」
「……」
女生徒が顔の前に片手を立てて、謝る。
「ごめん。悪気はないよ。同級生だよね。今まで、周りはみんな大っきい人ばっかりだったから……。めずらしくて……つい」
「? 君……どこから?」
俺は、女生徒に悪意がないと知って、怒りの矛をおさめる。
しっかりと見れば女生徒は俺よりも背が高く、色白で外人の血が混じっているのは明らかだった。俺の視線が和らいだのを感じたのか、女生徒が握手を求めてくる。
その余りにも自然な動きに、俺も自然と握手を交わしてしまう。
「キャロラインよ。キャロライン・永友よろしく。ゴールドコーストって……知ってる? オーストラリアの……。一緒のクラスになれるといいね」
「あ……ああ。リョウだ。島仲 僚」
「リョウ……か。なんだかいい響きね」
「そうかな?」
「じゃ、リョウ、またね」
キャロラインと名乗った美少女は、にっこり笑うとスタスタと体育館の方へと歩いていってしまった。
海外からも入学して来るのか。
留学生かな?
彼女は、周りを通り過ぎる生徒たちの中でも、とびきり目立つ存在であることは間違いない。俺が少し話をしてただけで、周囲から一緒に注目を浴びていたことからもわかる。
いかん。いかん。
少し話しただけで舞い上がりそうになる自分の気持ちに気付き、俺は自分を戒める。
何を期待してるんだ? うぬぼれたら、またこれまでの二の舞になるだけだ。
美少女なんだろうけど、もう女の子と関わるのは……しばらく、ごめんだね。
脳裏に中学時代の嫌な思い出が蘇って、俺はうんざりする。
女の子と気軽に話せたのは、幼稚園までだ。小学校、中学校とも学年があがるにつれて、異性に対する意識が高まってくると、話をするのも難しくなってくる。そして、周囲の視線、交友関係、そして恋の駆け引きが絡み合ってくると、ますます話す機会も減っていく。そして、一人の女の子を好きになったりすると、それがクラスの中で男女ともライバル心をあおったりして、とたんに関係がギクシャクしてくる。
恥ずかしさとか、素直になれないところもあって、無神経で棘のある言葉や会話が飛び交うようになる。俺の繊細な心は、それに耐えられなかった。ただ、ただ傷だらけになっていくだけだった。
漫画やドラマの中の世界のような友情なんて、本当にあるのかと思ったし、事実、俺の通っていた中学校の生活では、優しさやいたわりというものはなかった。
少なくとも俺の周りには……。
思春期になると、盛りがついた男子の中には、女子の注目を集めようと無理してかっこいいところをアピる奴が出てくる。それがさらに変なライバル心や競争意識を刺激して、嫉妬や陰口、妬みに変わっていく。その程度までなら、まだ無視するだけでも済むが、それが色恋沙汰が絡むトラブルにまでなると手に負えなくなる。
二人で話をしたというだけで大騒ぎする奴が出てきて、ひやかされ、やがてあることないこと誹謗中傷されるようになる。信じていた友だちや女の子から、予想もしない言葉が飛び出してくる。
「リョウって、クラスで一番チビだよね」
「リョウって、暗いよね」
何気ない陰口からはじまった陰湿な行為は、やがて、休み時間ごとに繰り返されるいたずらやいじめへとエスカレートしていった。
受験の季節の訪れとともに、それは無視へと変わり、中学最後の一年間、学校が楽しいと思った日は一日もなかった。
クラスに居ても、居なくても一緒。誰ともほとんど話をしないまま一日が過ぎていく。
体育の授業は最悪で、組体操などでは組む相手がいない。
「誰か、組んでやれ」
無神経な体育教師が、刺激するような言葉を吐く。
大きなお世話だ。
組体操なんかさせるんじゃねえよ!
その頃には、男も女も、クラスメートの誰一人として、本当の友達だと思ったことはなかった。だから、今でも中学時代の同級生には、二度と会いたいとは思わない。
これから始まる高校生活がすべてだ。
 俺は誰にも関わらず、静かな高校生活を送りたい。
希望は、それだけだ!
 俺は、気を取り直すと、他の新入生たちとともに、入学式が行われる体育館へと歩き出した。


 高校生活の滑り出しは、順調だった。
 同じ中学校出身の同級生は、新入生の中にも四~五人いたが、クラスは別々で顔を合わせることはなかった。もっとも、そのうちの四人は、中学校でも同じクラスだったこともない見知らぬ奴らばかりだから、特に気にすることもない。ただ、残り一人が問題だったがー。
 そして、今、新しく現れたやっかいな奴が……。
「は~い。グッモーニン。リョウ」
 そう、キャロライン・永友だ。
オーストラリアからの帰国子女だ。入学式の日に会った美少女で、同じクラスになってしまったのだ。帰国子女ということで、キャロラインには、当然のことながら顔見知りがいない。そんな中で、俺は彼女にとって、入学式で言葉を交わした唯一の知り合いになってしまったようだ。
「おう。はよ……」
 ぼそっと、返事をしたものの、正直、どう対応すればいいのか困ってしまう。あちらが親しみを示してくれるのは嬉しいものの、どう対応していいかわからず、戸惑うばかりだ。
「……いつも、元気だね……」
 俺の口をついて、正直な感想がもれる。
「ん? だって、あこがれの制服だからね」
「はぁ?」
「こーんな。かわいい制服が着れるんだもん。毎日楽しくって」
 キャロラインは、自慢げにその場でくるっと回って見せる。
白いセーラーカラーと紺のプリーツスカートが、ひるがえる。
デザイナーズ・ブランドのジャケットタイプの制服が流行する中で、この緑ヶ岡高校の制服は、男子は詰襟、女子はセーラー服という古風な伝統を維持している。
有名進学校でもないんだから、入学志願者を増やすために制服を刷新してもいいのではないかとも思うのだが、学校側にはそんな気はまったくないらしい。むしろ、他がどんどん変わるなら、こちらは古い伝統を守ることで歴史と風格を作っていこうということらしい。
入ってみて気がついたのだが、そんな古風な伝統を守りながらも、この学校の部活動は幅広く、意外なほど自由な雰囲気にあふれていた。
そんな緑ヶ岡高校に入学してきたキャロラインはというと、オーストラリア人と日本人のハーフで、中学まではゴールドコーストの学校に通っていたらしい。
家の事情や将来日本で就職したいという希望もあって、日本の高校に通うため、親戚の家に居候した上で、この高校に試験を受けて入学してきたらしい。
また、オーストラリアの学校に小さい頃から通っていたとはいえ、クールジャパンの象徴ともいえる学校の制服は、テレビアニメやマンガなどを通して、あこがれのひとつとしてあちらでも認知されていたらしい。
中でもセーラー服は日本の制服文化を代表するものとして、ぜひとも着てみたかったということなのだが……。キャロラインが言うように、確かに似合っているのも事実で、その喜んでいる気持ちもわからないわけではない。
考えてみてくれ。色白で背が高く、手足の長いハーフの女の子が日本のセーラー服を着けているのだ。似合わないはずがない。とても魅力的なのだが、俺はあえてそんな褒め言葉を飲み込んで、適当に相槌をうつ。
「はいはい。幸せだね」
「リョウは……褒めてくれないの?」
「はあ?」
俺の戸惑う声を聞いて、キャロラインは少しため息交じりに手の平を上に向け、俺の返事を聞くこともなくそのままスタスタと自分の席へと戻っていく。
毎朝、この調子で話しかけられては振り回されている。もはや、毎朝定番の儀式に近いものとなっている気がする。

P6は、2022年7/31公開

「リョウ。前から思ってたんだけど……お宅、キャロラインと知り合い?」
右前の席の堀田誠が、少しズリ落ちた丸いメガネを人差し指で直しながら、興味津々という顔で聞いてくる。
堀田は、この高校の近くの鏡山中学校の出身で、ミリタリーオタクということで、意外と気が合う奴だ。入学式の列で前後に座った関係で話す機会があって、それから同じ趣味があるということで意気投合している関係だ。
「んなわけねーだろ。俺に外人の知り合いはいない」
俺は、即答する。
「前にも言ったとおり。入学式の前に、掲示板のところで会っただけだ」
「ん……そうか?」
納得したようなしないような顔で、キャロラインの方を見た堀田は、俺に少し顔を近づけてから小さな声でささやく。
「この高校、うちの中学出身が多いから知ってる奴多いんだけど……。キャロラインって美人じゃん。狙ってる奴多いから、お前、取られないように気をつけた方がいいぞ」
「あ……あのなぁ。そんな仲じゃないって」
つられて俺も少し小さな声で答える。
「お! 余裕ってやつ?」
「だからー。何度も言ってるだろ。入学式前に、校舎前で初めて会って、話しただけなんだって。……信じてねーだろ?」
「ああ……。たぶん、誰も信じないだろ。毎日こうやってキャロラインと話してるの、お前だけだぜ。でも、いいじゃん。フリーなんだし。そのまま付き合っちまえば? 美人なんだぜ。うれしいだろ?」
「……美人なのは、認めよう。でもなあ……あっちが、どう思っているかが問題だろ? たぶん、俺をからかってるだけだって」
俺の頭の中では、再び中学の時の嫌な思い出が蘇る。
とにかく女は、何を考えているかわからない。好意は裏切られ、踏みにじられ、挙句の果ては周囲のさらし者になって、結局、こっちが傷つくだけだ。
ほんのちょっとしたことに舞い上がっていたら、最後にバカを見るのはこっちなんだ。それが、俺が経験から悟った真実だ。
あの子が……そんなことを言うはずがない。
そう信じて、どんなひどい目にあっても、好きなら許してしまう。ひどい言葉や仕打ちについても、心の中で勝手にいい方向へ、いい方向へと解釈し、根拠のない自分勝手な妄想で塗り固められたシミュレーションを頭の中で延々と繰り返してしまう。当然、そんなシミュレーションが実現するはずもなく、いつまでたってもハッピーエンドには、たどり着かないことになり、さらに手酷い仕打ちを受けることになる。当たり前のことなのだが、現実はシビアで厳しいのだ。

P7は、2022年8/7公開

(「私には……関係ないから――」)
その言葉、絶望のどん底に叩き込む言葉が、彼女の口から発せられるのを直に聞いた時、俺は、怒りとショックで頭の中が真っ白になった。そして――俺の彼女に対する思いは急速に醒めていった。悲しみを怒りに転換するよりも、潔く恋に背を向ける方を選んだ。
二度と振り向くもんか。絶対に。
それは、俺自身の心が傷つくのを避けるための最善策だったと信じている。
だから――その時から俺の心は、凍ったままなんだ。
「んー。なんかそう言われるとそんな感じも……」
堀田は、俺の心の動きを察することなく、客観的な視点で思った感想を口にする。
「だろ? キャロライン、俺たちよりも背が高いじゃん。きっと、つりあわない相手だって思ってるって」
「なーる。それもそうだな」
堀田も俺も身長はほとんど変わらない。少しチビの部類に入るし、互いに身長が低いことについては、同じようにコンプレックスに近いものを持っている。
「なあ、それより部活どうする?」
堀田がある程度納得したところで、俺は、話題を意図的に切り替える。
これ以上、色恋沙汰の話はしたくなかった。
「部活? 入るのか? あれ? 入らないと思ってたのに」
堀田が驚いて聞き返してくる。
「親がしつこいんだ。高校くらい部活に入って、もまれて来いってうるさいんだ。何事も経験なんだとさ」
「はー。で? じゃあ、どこに入るんだ?」
「サバゲー……」
「はぁ? そんな部活あったか?」
「ないよ。サバイバルゲーム部なんてあったらいいんだけど。だからー作るってのはどうかな? 俺と二人で――」
「無理だよ。ミリタリーなのは好きだけど、俺の守備範囲は戦闘機とかが中心で、銃器類はあまり興味ないんだ。遠慮しとく」
「そうか。そう言うと思ったよ。それでな、……弓道部なんかどうかな? って思ってよ」
「おま、銃の代わりに弓矢ってことかぁ? う~ん。お前、弓道の経験あるのかよ?」
「ない。でもさ。中学に弓道部なんてほとんどないだろ。だからー経験ないということでは、みんな一緒かと思って……」

P8は、2022年8/14公開

「おー。なるほど。意外と考えてるんだ。……いいんじゃね」
「誠も一緒に入らないか?」
俺は、堀田を誘ってみる。一人で入るよりも知ってる奴がいる方が心強いからー。
「はは。ごめん。遠慮しとく。部活に入ると、いろいろと拘束されて、趣味のカメラが活かせなくなるからな。リョウは一人で弓道部、がんばってくれたまえ。それより……知ってるか? 嘉手納基地に米軍の最新鋭機F二十二『ラプター』が追加で飛来するって。だから、今度の休みに一緒に写真撮りに行かないか?」
「おっ。あのステルス戦闘機か」
「ああ、しかも今度の飛来は、初の海外展開に向けたものだって言うからー。これからいつでも見れるようになる」
「そうなったらすげえな。俺も本物を見てみたい」
「夏のカデナカーニバルなんかで展示してくれるとうれしいんだけどな。そうすっと、もっと近くで見れるだろ」
「カデナカーニバル」というのは、在日米軍嘉手納空軍基地を一般公開するイベントだ。正式名称は「アメリカン・フェスト」に変わってきているものの、沖縄が米軍統治下にあった時代からずっと続いている。年一回、アメリカの独立記念日前後に行われるお祭で、しかも一般公開の日は、IDがなくても基地内に入って、様々な出店とかも楽しめる。展示機なんかに興味がなくてもアメリカらしい雰囲気の文化に触れることができる。マニア以外にとっても期待度の高いイベントだ。しかも厳しいゲートの警備も、この日だけは車に乗ったままでスルーできるのだ。
「そうだなーー」
「前に一度ラプターが展示されたことがあるっていうから、今年あたり、期待できるんじゃね? でも今回は、駐機してる写真じゃなくてー。嘉手納基地にアプローチしてくる写真を撮りたいんだ」
「なら、道の駅の展望台がいいかな?」
「そうだな……」
そんなこんなで話している間に予鈴が鳴り、やがてホームルームが始まった。


 緑ヶ岡高校弓道部には、長い歴史がある。
校内に小さな部室と小さな練習場があるが、部活動は主に、隣の奥武山公園内にある県立の弓道場を使って行っている。
「川上君に、山田君、それと島仲君だね。ようこそ弓道部へ。僕は部長の佐久本、三年だ」

 

P9は、2022年8/21公開

放課後、部員募集の張り紙に書かれた場所に行ってみると、そこには先客が二人いて、入部の手続きをしていた。
「すぐに弓を引くことはないけど――。そうだね。弓道は静と動、礼儀作法で示される通り、厳格なマナーが決まっている。それをまず覚えることが必要だ。それと、弓を引くための筋力トレーニングもね。弓も軽いように思ってるかもしれないけど、意外と重いから――」
説明を聞いていると、だんだん不安になってくる。
部長が、古式めいた図が描かれた礼儀作法のプリントを新入生全員に配る。すっぽんぽんの男が弓を射る古い図解だ。これが、弓道の競技のための公式ガイドにあたるものらしいのだが、入部希望者を募るためにも、もっと魅力的なイラストにすべきなんじゃないかと、つい考えてしまう。とにかく、全然今風じゃないのだ。はっきり言ってカッコ良くもない!
「さ、佐久本部長……。部員は、全部で何人いるんですか?」
俺は、少し気になっていたことを確認する。
「ん? 部員か? 今日は休んでいるけど、あと二年生が二人と。それで全員…かな」
「えーっ」
隣にいた川上と山田が、素っ頓狂な声をあげる。
「あれ? 聞いてなかったか? 緑ヶ岡高校弓道部は、長年、女子の方がめっちゃ強くてな。部活も部室も、中心は女子なんだ。そうだな。本当なら三年生も俺以外に五人いたんだけど、受験があるから、つい最近やめちゃってーね。まあ、君らも部員の勧誘に動いてくれれば、もう少し増えるだろ?」
なるほどね。
俺は特に期待していたわけでもないので、冷静に受け止める。ムダに熱くなる部活よりはいいじゃないか。
部活を勧めた母親には悪いが、特に全国大会出場という野望を持っているわけでもないし、個人で趣味程度にできればいいと考えていたこともあって、むしろ好都合だと思ってしまう。
そこに、部室のドアを開けて、白い筒袖の上衣、黒の袴といった弓道着姿の女生徒たちが入ってきた。
「あれ? 新入部員?」
長い黒髪を後ろで束ねた先頭の女子生徒は、長い弓を入れた袋を抱えている。
身長は百七十センチ以上あって、威厳と存在感にあふれている。
「お。如月。いいところにーー。紹介しよう。わが男子部の新入生だ。えーっと、川上君と山田君、それと島仲君だ」
佐久本部長が紹介する。
「いらっしゃ~い。歓迎します。私が女子弓道部の部長、如月友紀。三年よ。これから一緒に大会に出ることもあるから、仲良くしようね」

 

P10は、2022年8/28公開

差し出された手を俺と川上は、遠慮がちに握り返す。
如月部長は腰に手を当て、佐久本部長に話しかける。
「宣伝不足じゃない? もっと呼びかけなきゃ」
「してるって。それより、そっちはどうなんだ?」
「ふふふっ。もう七人も入部希望者が集まってるわ」
如月部長は、胸をはって答える。
「はーっ。今年も女子が優勢か……」
佐久本部長が、ため息まじりにつぶやく。
「いいじゃない。どうせ練習は一緒なんだし……」
如月部長はそう言うと、俺たち男子新入部員を振り返ってウインクして言った。
「それじゃあ、弓道場を見てこようか。私が案内してあげる」


弓道部の練習は、予想外にハードだった。まあ、受験勉強のために運動不足になっていたのかもしれない。しかも弓道場が休みの火曜日以外、土日も休みなしで、夜の八時近くまで連日練習だ。
部活動の経験がまったくない俺にとっては、まったくの未知の世界だったが、同じ一年生の新入部員・川上と山田がいることで、なんとかこなしていけた。
数少ない新入部員ということで、お互いに励ますことができたからかもしれない。
その日、弓道場から帰る途中、学校に忘れ物をしたことに気づいた俺は、弓道場から県道を横断して、近道をして学校に向かった。
近道は、学校のそばにある「ガーナームイ」とかいうこんもりとした小山のそばを通るルートだ。
「ガーナームイ」は、その昔、湖にポツンと浮かぶ小島だったらしい。戦後、学校を建てる敷地を確保するために、その周辺が埋め立てられ、陸地の中の小山となったところだ。ただし、そうは言っても、生えているナハキハギという木の群落の北限ということで、天然記念物として指定され、そのまま保存されているのだ。
文字通り、陸の孤島?となった「ガーナームイ」の周囲は、コンビニ、レストラン、住宅そして駐車場に囲まれていている。唯一そばを通り抜けられるところは、駐車場しかない。そして、ガーナームイには、こんもりと茂った木々がびっしりと生えているため、近寄る人は滅多にいない。
さらに、こんな草木の生い茂った場所には、沖縄特有の毒蛇、ハブがいる可能性が高いので、誰も危険を犯して近寄るはずがないのだ。
そのはずだったのだが……?

P11は、2022年9/4公開予定

その日は、月夜だった。
暗闇に入って、目が慣れて小さな道を見分けられるようになった時のことだ。ふっと目をあげると、草地の中にボウッと白い光が現れた。
「?」
あまりに突然のことに一瞬何が起こったのかわからず、俺は呆然とそこを見つめる。その目の前で、白い光は次第に輝きを失い、その姿が次第にクリアーになっていく。それは、信じられないことに人の姿を形づくっていくように見える。
なんだ? 目がおかしくなったのか?
俺は、目をこすって、その存在が目の錯覚でないことを確かめる。
再び目を開けた時、そこには、一人の少女が立っていた。白いワンピースのようなものを着ているのだけど、その生地はとても薄くて、下着まで透けて見える。俺は一瞬、ドキリとした。下着が見えたからじゃない。白い顔が満月の光を浴びて、よけいに白く見え、一瞬、幽霊かと思ったからだ。
「ガーナームイ」の周囲には建物が密集して建っているとはいえ、こんな暗い夜に、こんなさびしい場所に、用もなく人がいるはずがない。
まさか、本物の幽霊じゃないよな?
俺はゾッとして逃げようとしたが、その時、その白い顔に見覚えがあることに気づいて、思わず声が出てしまった。
いや、正確に言うと、恐くて声をかけずいられなかったというのが真相に近いだろう。
「きゃ……キャロライン?」
俺の声が届いたのだろう。少女がこちらを振り返る。でも、その瞳には力がない。
私服姿なので、よけいにキュートな印象を受けるものの、その顔はまちがいない。キャロラインだ。
「何してる……のかな?」
俺が恐る恐る尋ねると、少女はふっと目を閉じて、その場に倒れ掛かる。
「わぁあ。だ、だいじょうぶか?」
俺は慌てて、キャロラインのそばに駆け寄る。キャロラインの立っているところは、小さな草地で、腰までの高さの草がびっしりと生えている。けれど、そこは半分湿地で、ぬかるんでいる。俺は、ぬかるみに足をとられないよう、できるだけ固い土の部分を選んで飛びながら、しゃがみこんでしまったキャロラインのところへ駆け寄った。
「あ……。リョウ。何してるの? こんなところで?」
「はあ? そっちこそ……。俺は、部活の帰りだよ」
俺はキャロラインの手を取って、助け起こす。白いワンピースの裾の部分と両手に少し泥がついた程度で、他に大きな汚れはついていない。ただ、履いているピンクのスリッパは、だいぶ汚れている。

P12は、2022年9/11公開

「……用事って……何?」
キャロラインが、ぼそっと訊ねる。
「は?」
「だって……呼び出したの。リョウでしょ?」
突然、キャロラインがとんでもないことを言い出す。
「何言ってるの。俺は、今来たばかりだよ。呼び出しって何だよ」
「……あれ。え……。ここどこ?」
キャロラインは、改めて周囲を見回し、驚いたようにつぶやく。
「学校のすぐそば。ガーナームイだよ」
「ガーナ……? 何それ?」
どうやら、キャロラインはここに来た記憶がないらしい。こんな夜に、人気のないところに二人で立っているのも問題だ。どこから誰が見ているかわかったもんじゃない。
「とにかく、ここにいてもしょうがない。家まで送るよ」
「あ、テンキュー」
少し青い顔をしたキャロラインの様子を見て、俺は、このままほっとくわけにはいかないと感じた。
忘れ物を取りにいくのは、取り止めだ。
それに、キャロラインの服装も問題がある。
キャロラインは、気がついていないかもしれないが、キャロラインが身につけているのは、どう見てもネグリジェ? とかいう、寝る時に着るような室内着だ。ブラやショーツが透けて見えることからしても、絶対に外を出歩く時に着るような衣服じゃない。そのまま一人で帰すには、あまりにも危ない格好だ。そして、足には室内用のピンクのスリッパしか履いていない。
いくらなんでも、こんな格好で外に飛び出すなんて普通じゃない。
俺は、キャロラインをエスコートして、自宅まで送り届けることにした。
キャロラインの住むアパートは、意外とすぐ近くだった。なんでも、親戚が経営しているアパートの一室を格安で提供してもらっているらしい。しかも家主の家が下の階なので、いろいろと世話も見てもらっているらしい。
 アパート四階の部屋の前まで来る。
「じゃ。これで」
「え? せっかくだから入らない?」
 どこから出したのか、キャロラインが手にした鍵でドアを開けながら誘う。
 あれ? 鍵なんか持ってたか? 
四階の廊下の外灯の光に照らされて見えるキャロラインのネグリジェ姿は、とても色っぽい。

P13は、2022年9/18公開

完全にシースルーな生地で、ポケットなんかはどこにも見えない。
鍵は最初から手にしてたのかな?
「いや。でも……。親にばれたら……まずいし……」
 キャロラインの両親はオーストラリアだし、親戚は下の階だから部屋には誰もいないはず。キャロラインから聞いた話で、そこまでわかってはいるものの、建前上ここは遠慮するのが筋というものだろう。
「恐いの?」
 キャロラインが、とんでもないことを言う。
「え? 何が?」
「ノープロブレム。大丈夫よ。何かあっても私の方が大きいし、力も強いから……」
 どうやら、俺のタガが外れても大丈夫と言いたいらしい。それが、俺のプライドを刺激した。舐められてたまるか。
「あ……あのなー。なんで、そうなるんだよ」
「ジャパニーズアニメやドラマで勉強した。日本人って、むっつりスケベで……奥手で……、思っていても自分から積極的に動かないって」
「ず、ずいぶんな偏見だね。自信があるんだ」
「オブコース」
 キャロラインの顔に、さっきまでの混乱した様子はまったく見えない。むしろ、意外なほど少し感情むき出しといった雰囲気さえ感じる。
 なんなんだ? この変化は? ひょっとして俺は誰かに嵌められたのか?
 俺は、思わず後ずさってしまう。
 それを察したのか、キャロラインは俺の手をつかむと強引に部屋に押し込む。
「大丈夫。何もしないから……」
「な、何もしないって……。なんだよ」
「もう。レディに恥をかかせる気?」
「はぁあ?」
 とうとう俺は、キャロラインの部屋に押し込まれてしまった。
 灯りがつくとアパートの部屋の様子が目に飛び込んでくる。
 2LDKの単身者用の部屋には、カーペットが敷かれ、その奥に勉強机とドレッサー、小さな本棚が置かれている。入り口のすぐ隣にはキッチンがあり、小さな椅子とテーブル、小さな冷蔵庫が置かれている。テーブルの上はきれいに片付けられていて、あまり使われていないように見えた。
「入って。好きなところに座って」
「あ……。ああ。お邪魔します……」

P14は、2022年9/25公開

俺は言われるまま、靴を脱いで入ると台所の椅子に腰掛ける。キャロラインは、こちらに背を向けたまま、コーヒーメーカーの方に向かっている。
送ってくれたお礼に、コーヒーをご馳走してくれるのか?
キャロラインは、入れたばかりのコーヒーを持って、向かいの椅子に座る。
あれ?
香ばしいコーヒーの香りが、部屋いっぱいに漂う。なんともいい香りだ。
キャロラインは、一人でコーヒーの香りを確かめながら一口飲む。
「さて……。どういうことか……説明してもらおうかな?」
「は?」
「どうやって……私を外に連れ出したのか? そして……私に……何をしようとしたのか?」
「はあああ?」
俺はその時になってようやく、キャロラインの意図を理解した。キャロラインは、俺が何らかの手を使って自分を外に誘い出し、何かしようとしたと疑っているらしい。さっきまでの危ない期待が否定されてホッとする反面、いわれのない追及に軽く怒りが込み上げてくる。
「あのなーっ。俺は、放課後ずっと部活で弓道場にいたの! 君を見つけたのは、部活の帰りに学校に忘れ物を取りに近道した途中で……。それだけなの!」
「うそばっかり! 本当に忘れ物を取りに行くつもりだったら、じゃあ、何でそのまま学校に行かないのよ!」
「君の様子が変だったから、親切で送ってあげただけだろ! こっちは、そのために忘れ物を取りに行くのを諦めたんだ。ほっといて行った方が良かったっていうのかよ」
「偶然私を見つけて、助けたって言うつもり? いくらなんでも、できすぎでしょう?」
「知るかよ? 事実なんだから……」
「もう……好きなんでしょう? ……私のこと?」
「はい?」
「入学式で出会ってから、私のこと意識してるくせに……。知ってるんだから……。ずっと見てること」
「そ……それは……。クラスの他の男子も同じだろ? 俺だけじゃ……ない」
話が、変な方向にずれてきたので、俺はうろたえる。
「ほら見なさい。私のこと好きなんだ。だから、こんな手の込んだ仕掛けをして、私に何かしようとしたんだ?」
キャロラインは思い込みの激しい性分らしく、俺の言い分をまともに受け止めてくれない。
「だからー。キャロラインみたいなハーフで、美人だったら、男なら誰だって見たくなるの。当然だろ?」
「美人だけど……好きじゃないって、言いたいわけ?」


 

P15は、2022年10/2

キャロラインの目が厳しく光る。
「あ……ああ」
 少し気押されするものの、俺は思わず肯定してしまう。
 パアーン!
 一瞬何が起こったか、わからなかった。
キャロラインは椅子から立ち上がって、俺を睨みつけている。俺は、そこで初めて、キャロラインに頬を叩かれたと理解する。
「な……」
「ひどい。正直に話してくれたら、許すつもりだったのに……。そんなこと言うなんて……」
俺は頬の痛みに呆然としながら、キャロラインを見る。その目には、うっすらと涙が光っている。
なんなんだよ。これは……。
女と話していると、いつもこうだ。論理ではなくて、感情で話が進むため、こじれていくという、いつものパターンだ。
だんだん俺は、めんどくさくなってきた。話せばわかるに対して、問答無用で突っ込んでくる女は、とても始末に負えない。
「あ~。わかった。美人の君を見ているんだから……好意を持っている。そう言えば……いいんだろ!」
「そんな取ってつけた言い方……」
「はいはい、わかりました。好きです。……でも、俺は何もしてませんって。それだけは、信じてくれ」
それでも俺は、恥ずかしさでそう言うのが限界だった。
「信じる。私も……初めて会った時から……気になって……た」
キャロラインは、そうつぶやいてから、ハッとしたように口元を手で押さえながら、言い直す。
「そう? そうなの? ありがと……」
そこで、キャロラインはようやく椅子に座る。
二人の間を緊張感が漂い、沈黙の時が静かに流れていく。
たまらんな~と思っている俺に、キャロラインがぼそっと訊ねる。
「コーヒー……飲む?」
「あ……ああ」
女の子を助けて、こんなのってありか~?
俺はキャロラインが淹れてくれた苦いブラックコーヒーを飲みながら、彼女が冷静になるのを待った。

P16は、2022年10/9公開

淹れたてのコーヒーを渡してくれたキャロラインの顔は、少し赤くなっていて、とてもかわいらしく見えてしまう。俺の胸もなぜかドキンと反応する。
怯えた顔から怒った顔、そして泣き顔。そして恥ずかしがる顔と、これほど短時間の間に、多彩な表情を見せてくれた女の子を、俺はこれまで見たことがない。
ここに至る状況については少し問題があるものの、お互いの心の内をさらけ出してしまったことで、二人の間から壁が取っ払われてしまっていた。
少なくともお互い意識していたということか? だったら……。
俺の思考は、彼女の指摘を受けて暴走しかける。
いやいや。こんなめんどくさい相手にドギマギしてどうする? 冷静になれ。
俺は、暴走しかける感情に自制をかけた。


「お、落ち着いたかな? 一体、何があったのさ。さっきも言ったけど、俺、キャロラインを外に連れ出したりしてないから。だいたい、キャロラインの家の場所も知らないし、そんなことできる力もないから……」
「わからないの。今日は少し身体が重かったから、早く寝たつもりだったの。そしたら、夢を見て……気がついたら、あそこにいたの」
「夢? どんな?」
俺は、キャロラインがあそこにいた原因を探ろうと、いろいろ質問する。
「ごめんなさい。はっきり覚えていないの。ただ……」
「ただ?」
「誰かが……『この人だ』って言ってたのだけは、覚えてる」
「この人って……俺?」
「たぶん……。だから、私、リョウが何かしたのかと思って……」
「ひでえな。俺に罪を擦り付けるなんて……とんでもない夢だ」
俺は、軽く怒ってしまう。でも、思い返してみると、あの時のキャロラインの現れ方は、どうも突然だったような気がする。歩いてきたというより、白い光とともに突然そこに現れたという感じだった。
「う~ん。不思議だな。夢といい、キャロラインの現れ方も……さ」
「私、歩いてあんなところに行った記憶ないよ」
「夢遊病だとか?」
「ノー。そんなのないよ」
俺もキャロラインも、とうとう結論を見出せないまま行き詰ってしまう。そうこうしているうちに夜は更けていく。時間もかなり遅くなってきた。

P17は、2022年10/16公開

「……今夜は遅いから、明日……話そうか」
俺は、コーヒーを飲み干すと立ち上がって、入り口のドアに向かう。
キャロラインも立ち上がって、俺を送る。
俺を見つめるキャロラインの瞳は少し潤んでいて、俺はつい冗談で、軽口を吐いてしまった。
「んじゃ。お休みのキスを……」
「ん!」
本当に……。本当に冗談のつもりだった。
たぶんに「ふざけないで!」という感じで怒られて、アパートの外に追い出されるものと思っていた。
俺は、あまりにも想定外の出来事に、夢心地のままアパートの階段を下りていた。
しちゃった……んだよな。
俺は、自分の唇に残る感触を手でなぞりながら、アパートを見上げる。オレンジ色の灯りのついた窓に人影は見えない。
今、あのアパートの部屋に、キスした相手がいるというのが信じられない。
夢じゃないのか?
夢じゃないんだよな……。
ついさっきあった出来事をさらにロマンチックに仕上げるかのように、澄み切った夜空には、満月が煌々と輝いていた。


「キャロラインが、女子弓道部に入ったぞ!」
 弓道部の同級生で隣のクラスの川上が、すごいニュースを持ってきたとばかりに話す。
「ホントか? なんでまた……? 弓道に興味があったのかな?」
 山田が驚く。
「お前、キャロラインと同じクラスだろ? 何か知ってるか?」
 川上が俺に尋ねてくる。
 俺は、すでに知っていた。あの夜の出来事の翌日、少しだけ話す機会を持った。キャロラインは、冷静に事情を理解してくれたものの、夢遊病状態になった前後のことが思い出せないらしい。それで、何を思ったのか。キャロラインは、自分も弓道部に入ると言い出したのだ。
 まさか、こんなに早く実行に移すとは……。
「あ~。きいてる。入るって言ってたから……」
 俺は、素直に肯定する。下手に隠すと、あとで友人関係がこじれるだけだ。
「え? 知ってたのか? なんで?」
「なんでって、言われても……? 本人がそう言ってたし……」

P18は、2022年10/23公開

「何か怪しいな。ひょっとして…リョウ。キャロラインと付き合ってるの?」
 川上は驚いて、追求してくる。
 山田も興味津々という顔で俺を見つめている。
 困ったな。どう説明すりゃあ、いいんだ?
 そもそも俺とキャロラインは、付き合っていることになるんだろうか?
 悩んで首を傾げる俺を見て、山田と川上が顔を見合わせる。
「う~ん? 話す機会があるから……知ってただけ……かな?」
 俺は、当たり障りのない表現でごまかす。
「なんだよ。もったいぶって。本当のこと言えよ」
「そうそう。からかったりしないって」
当然、二人とも俺の説明に納得しない。
「う~ん」
俺は返答に困ってしまう。適当に付き合っていると言って、キャロラインに迷惑をかけてもいけないし、今の本当の状況を話すのもはばかられる。
「まあ。俺は……好きだけど……。あっちがどう思っているか……」
俺はかろうじて自分の一方的な思いということでごまかすことにする。
「なんだ。片想いかよ。そりゃあ。あんな美人だからな。キャロラインって、一年生の中でも一番の美人だぜ。上級生の中にも、隠れファンがいるってくらいだからな」
川上は、一人で納得する。
「そ、そうかな?」
山田の方は疑り深く、なおも食い下がる。
「リョウ。デートもしたことないのか?」
「はははっ。あったら、付き合ってることになるだろ!」
俺は、山田の質問に、まってましたとばかりに力強く否定の答えを返す。
そこに、佐久本部長と如月部長が話しながら部室に入ってきた。
「おっ。島仲。お前、今度女子弓道部に入ったキャロちゃんと付き合ってるって?」
「はあ? キャ……キャロちゃん……って?」
俺が思わず大きな声をあげたのに続いて、川上と山田も驚きの声をあげる。
「はっはっは。隠さなくていいって。キャロラインだよ。キャロライン・永友。お前、同じクラスなんだろ?」
佐久本部長は、ニヤニヤしながら続ける。
「あんな美人と。うらやましい……」
ドスッ!
「てっ!」

P19は、2022年10/23公開

突然、佐久本部長が前のめりになる。どうやら後ろから如月部長が蹴りを入れたようだ。
「あ~ごめん。脚が長いから、ひっかかっちゃったかな~」
如月部長は、倒れかけた佐久本部長のシャツを、ぐいと後ろからつかんで引っ張りながら、俺の方に話しかける。
「キャロちゃん、とても筋がいい。島仲君。紹介してくれて、ありがとう」
「いや、俺は何も……。あっちが勝手に決めたことだし……」
「そんなこと言わないの。あなたを追いかけて入部したって言ってるのよ。少しは、やさしくしてあげなさい」
「あ、いや、その……」
俺は懸命に弁解しようとするが、部長たちは聞いていない。
「あ、先に弓道場に行っててくれる? 私たちは、ちょーっと話があるから。先に練習はじめといて。あとから行くから」
部長は、俺たち一年生を、にこやかな笑顔で部室から追い出しにかかる。
「美人の後輩ばっかり見てないで、部室の戸締りもしっかりしてよ。昨日、学校に泥棒が入ったって話だって聞いてるでしょう?」
「でも。この部室には、金目のものはないし……」
「変態だっているのよ。何を持っていくか、わからないでしょ?」
「はいはい。わかりました……」
部室を追い出されて、俺は途方にくれて川上と山田を見る。二人の俺を見つめる目は、さっきまでとは違う。
「キャロちゃんかあ。ほんとだよ~。う、うらやましい……」
山田がぼそっとつぶやきながら、俺の方をジト目で見つめる。
やめてくれ。そんな目で見ないでくれ。
「なんだ。片想いじゃないじゃないか。知ってたのか?」
川上が少し意地悪く追求してくる。
「いや……。初めて聞いた。なあ……本当かな? 本当に俺のこと、好きなのかな?」
俺の頭の中では、さっき部長が言った言葉が繰り返し駆け巡っている。少し興奮気味の俺の様子を見て、山田があきれた表情で首をふる。
「知らねえよ。本人に直接聞いた方が、いいんじゃね? なんで、こんなのが好きなのかわからないけどな。……くやしいけど、応援してやるよ」
川上がコクコクと首をふって、肯定する。
「そうそう。なんで、リョウが好きなのかな? リョウってキャロちゃんよりも身長低いじゃん。その点から言えば、僕の方が釣り合うと思うし……」
すると山田も負けていない。

P20は、2022年10/30公開

「何言ってんだ。身長なら俺の方がキャロちゃんよりも高いから、よけいOKってことじゃね?」
「それ……初めて会った時に……言われた」
俺は思わず、初めて出会った日のことをしゃべってしまう。
「は?」
川上と山田が、同時に聞き返してくる。
「自分より低いな……って。そんで、今まで自分より背が高い同級生たちに囲まれてきたから……。そんな感じのこと……言われた」
「あちゃ~。負けた。キャロちゃんは、外国育ちで変なコンプレックスを植え付けられたんだな。だからー自分よりも身長が低い奴が好みになっちゃったんだ。そうかー。そうだったのかあ~。ちくしょおおお~っ。残念!」
川上が勝手な解釈を展開し、顔を覆ってしゃがみこむ。山田もそれを聞いて、うなずきながらもガクリと肩を落とす。
え? そうなのか? 
俺は、川上の言葉に驚いてしまう。そういえば、キャロラインは、これまでずっとオーストラリアで生活していたはずだ。だから周囲は欧米系の人が多くて、身長もかなり高い奴が多かったことだろうと察しがつく。それでも、自分より低い身長が好みになるなんてことがあるんだろうか? 女心というのは、本当によくわからない。
「あんたたち。まだ弓道場に行ってないの!」
突然後ろから、如月部長の声が降ってくる。
「い、今、行きますっ!」
俺たちは、慌てて走り出した。
ふりかえって部室の方を見ると、佐久本部長を締め上げている如月部長の姿が、少し開いた部室のドアの間からチラリと見えた。
そういえば、弓道部の佐久本部長と如月部長、この二人の部長の関係もよくわからない。


 弓道着姿のキャロラインは、弓道は初めてと言うものの、その意外とりりしい姿で皆の注目を集めていた。キラキラ輝く銀髪を後ろで束ねたポニーテール姿も似合っているし、弓道着姿も魅力的だ。いや、とにかくカッコいい。
「いきなり弓持たすのは……、どうかと思うよ」
 佐久本部長が、如月部長に疑問を投げかける。
「いいの! 上背もあるし、筋肉もかなり発達しているから、割とすんなり入っていけると思う。一通りの作法とルールだけは、さっき教えといたから……」

P21は、2022年11/13公開

どうやら如月部長が、入部したばかりのキャロラインの力量を試すため、あえて弓を持たせて試射させてみようと考えたらしい。弓道着の方は、如月部長の予備を借りているようだ。
 そして、皆が注目する中で、キャロラインは弓に矢をつがえ、ぐいとひきしぼった。その動作にそれほど力が入っているようには見えない。むしろ余裕という感じだ。意外と安定している。
いける。誰もがそう思ったことだろう。
 狙いを定めるキャロライン。
 皆が固唾を呑んで見守る中、力余って引きすぎた矢が、指先からポロッと下に落ちた。
 失矢(しつや)だ。
「あ……」
「あちゃ~」
 キャロラインは、顔を真っ赤にしながら、落ちた矢を拾い、一旦どうしようかとウロウロしたものの、一礼をしてそのまま引き下がる。
「ち、力がありすぎるのよ。ま、こんなもんでしょ」
 如月部長はそう言うと、佐久本部長を残して、キャロラインの方へ行く。弓道のルールでは、弓につがえた矢を落とした場合、失矢といって、退場することとなっている。その場で矢を拾ってもう一度弓につがえて射ることはできないのだ。
合理的ではないような気がするが、古式の伝統から受け継がれたルールみたいなものらしいので、こればっかりは仕方がない。
シュンとなっているキャロラインのところに他の女子部員たちが集まって、「初めてなんだからー」と慰めている。このあまりにも単純なミスは、かえってキャロラインに対する皆の関心を高めたばかりではない。部に溶け込むのに大きな効果をあげたように見える。
「ま、見ての通りだ。弓道を甘く見ちゃいかんってことが、わかったかな?」
 佐久本部長は、俺たち一年生部員を前に戒めるが、説得力があるとはとーてい思えない。
 山田が小さな声でつぶやく。
「どーせ練習なんだし、こっそり拾って射ってもいいじゃね?」
「いや、公営の弓道場だから管理人も見てるし――。他の学校の生徒の目もある。どーしようもないだろな」
 俺は弓道場の中を見渡して、肩をすくめて答える。
「そうかー」
 山田が残念といった顔で納得したところで、佐久本部長が一年生の練習内容を告げる。
「さて、一年生はこれまで通り、だいたい一ケ月は体力づくりとゴム弓、作法を学ぶことに専念して、弓を持つのはそれからだ」
 そして、それからしばらくの間、俺たちは筋力トレーニングとゴム弓を使った弓を引く姿勢の練習、それに作法やルールを学ぶことに専念することとなった。

P22は、2022年11/20公開 

弓道も含めて武道の流れを汲む競技は、格式とか礼儀作法がたいへん重要な意味を持つものなのだ。これが、日本武道特有の精神修養というものなのだろう。
 こうして俺は、単なる思い付きから入った弓道を通じて、武道の持つ高い精神性に触れていくことになった。ただし、触れているのであって、身につくかどうかは別である。


「ガーナームイ? あれは、昔、湖に浮かぶ島のひとつだったらしい。それは本当だ。戦前の写真も残ってるからまちがいない。ただし、伝説とかの類は、ないと思うぞ。まあ、昔話程度なら知ってるがー。たいした内容じゃない」
 物書きをしている親父は、俺が切り出した「ガーナームイ」について、知っていることを教えてくれた。
 それによると――
「ガーナームイ」は、昔、湖に棲みついた怪物だった。それで夜な夜な湖の中を動きまわって周辺に住む人間たちに悪さをし、迷惑をかけていた。
あんまり悪さばかりするため、見かねた神様が空から石を落として、怪物の尻尾を押さえ、それ以来動けなくなって島になってしまった……。
「ガーナー」という名前の由来は、その島に多くの鳥が棲みついてガーガー騒いだからとか、近くに住んでいたガチョウの名前からきているとかいろいろ言われているが、定説はない……。
 ――というのが、親父が話してくれた昔話の大筋の内容だ。
「え? たったそれだけ?」
俺は思わず聞き返してしまう。
「だから言っただろ。たいした話じゃないって」
「いや、例えば、勇者が現れて、村人のために怪物をやっつけたとか。怪物は何年後に生き返ると言われているとか。怪物が宝物を抱えて埋まっているとかさ。なんか、もっとこう、何かファンタジックな、夢があるようなものは、ないのかよ?」
「…ないな。そんなファンタジーがあったら、今頃観光スポットとか、名所旧跡とかになってるさ。……そうだな。子供の頃、近くで遊んだことがあるが、あの頃は、山のてっぺんに松の木が一本生えてて、クジラの潮吹きみたいに見えたな。それと、中腹あたりに誰かがイタズラで目のような孔を掘ってあった。それが、とても手の届かない高さで、怪物の本当の目の跡じゃないかって、俺は子供の頃、そう思ったこともあったかな」
親父は、首をかしげながら記憶をたどる。
「一体どうしたんだ? そんなこと調べて……どうする?」
 俺は、親父の追及をどうかわそうかと思い、とっさに学園祭のことを思い出した。

P23は、2022年11/27公開

「今度、学園祭があって、その出し物に何かヒントが欲しいなと思って……。あ、ファンタジーとかがあれば、何か出し物にでもしようかなと……」
「めずらしいな。学校の行事にお前がそんなに積極的になるなんて。今の学校は、そんなに合ってるのか?」
「……中学よりはいいよ。全然……いい」
「そっか。なら、いいんだ。部活もがんばってるんだって?」
「ああ。なんとか続けてる」
 親父は、俺が中学時代、いじめを受けていたことを知っている。何も言っていないのだが、親父に言わせると俺は「人一倍優しいだけに、いじめの対象になりやすい」のだと言う。
今の高校を選んだのも、成績とか進学とか、将来の就職という視点ではなく、より良い高校生活を送るためのリセットという親父のアドバイスによるものだ。
同じ中学出身の粗野な連中が行く高校へ行くよりも、がんばって少し上の学校をめざせというアドバイスは、俺のことを理解した上での適確なものだったと思っている。中学の担任は、むしろ余裕で入れる下の高校の方を薦めていたのだ。
その意味では、さすがという他ない。
そんな経緯があるものの、今のところ、キャロラインのことなんかは、まだまだ話す気はないが……。
「日曜日も部活か?」
「あ――。いや、日曜日は、友達と嘉手納基地に、『ラプター』を見にいくんだ」
親父の問いに俺は、さりげなくウソをつく。
明日は、堀田と嘉手納空軍基地にF二十二「ラプター」の写真を撮りに行くことになっている。それは事実だ。ただし、キャロラインも一緒だ。
最初は、堀田と二人だけで行くつもりだったのだが、キャロラインが側で聞いて自分も行くと言い出したため、こうなってしまった。
堀田には悪いと思ったが、キャロラインが俺と二人きりになって暴走するのを押さえてくれるかもしれないとの期待もあって、俺は承知した。
「友達? そうか。同じミリタリーファンの仲間が見つかってよかったな」
親父は、それ以上追及しなかった。
親父に「ガーナームイ」のことを訊ねた理由は、キャロラインと何か関係があるかと思ったからだ。あの日の夜、部活帰りにキャロラインと会った場所が、「ガーナームイ」という特別な場所だったので、何か隠された秘密というか、伝説みたいなものがあるのではないかと期待したのだ。残念ながら特に収穫、あるいはヒントになるような情報を得ることはできなかった。
キャロラインの話しぶりからすると、夢遊病のような感じで夜中にあそこに立っていたのは、どうも「ガーナームイ」が関わっているのかと思ったのだが……。

P24は、2022年12/4公開

まあ、その結果として、俺とキャロラインの間は急速に縮まることになったわけだから、うれしくないわけじゃないのだけど。


 日曜日、俺たちは嘉手納基地を見下ろす「道の駅かでな」の展望台にいた。
「あれが……『ラプター』ね?」
「ちがうから!」
堀田と俺の否定の言葉がハモる。
キャロラインは、滑走路を飛び立つ軍用機ひとつひとつに確認を入れるのだが、その様子はまるで運動場に放された子犬がはしゃぎまくっているような印象だ。
その日のキャロラインは、七分丈のジーンズにブルーのパーカーというラフな服装で、モデルのように目立つ存在となって、周囲にいたミリタリーファンたちの注目を集めていた。
中には、飛行機そっちのけで、カメラでこっそりとキャロラインを撮影している奴もいたように思う。
展望台から見下ろす極東最大のアメリカ空軍基地・嘉手納飛行場は、広大だ。
四千メートル級の滑走路二本を備えていて、広さは東京ドーム四百二十個分もあるという日本最大規模の米軍基地である。
そのそばを通る県道七十四号線沿いに、四階建ての「道の駅かでな」はあって、その屋上展望台からは、嘉手納飛行場のほぼ全体が見渡せるようになっていた。飛行場の県道沿いには、高い防音壁が設置されているため、道路から基地の中はまったく見ることができない。「道の駅かでな」は、嘉手納基地内を観察できる数少ないポイントのひとつなのだ。
こういうところにくるのは、観光客を除けば、俺たちと同類のミリタリーマニアがほとんどだ。観光客の方は、平和学習目的の三階の学習展示室見学どまりで、暑い展望台までのぼってくることは少ない。のぼってきてもすぐに降りてしまう。
だから展望台に居合わせた連中は、皆ほとんどが大きな望遠レンズがついたカメラや双眼鏡などを抱えているマニアとその予備軍だ。堀田もその手のマニアに漏れず、三脚と大型望遠レンズ付きのカメラをセッティングして、撮影の準備をしている。
今回の俺たちの目的は、アメリカ空軍の最新鋭ステルス戦闘機F二十二「ラプター」を撮影することだ。
アメリカ軍の最新鋭機で、しかも世界最強といわれるステルス戦闘機だけあって、アメリカ本国以外の場所で、この機体を撮影できる場所は、この沖縄の嘉手納空軍基地しかない。
以前、期間限定で配備された時には、本土からも大勢の軍用機マニアが、ここを訪れている。それだけ、マニアにとっては、垂涎の場所なのである。
堀田の装備は、そんな大人のマニアたちにもひけをとらない。お小遣いの全てを注いだというだけあって、かなり充実している撮影機材だ。おそらく、真のマニアというのは、堀田のことを言うのだろう。 

P25は、2022年12/11公開

俺は、基地の奥にある格納庫前に駐機している「ラプター」を見つけて、キャロラインに双眼鏡を渡す。
だいぶ遠いが、わかるかな?
「あっち。格納庫があるのわかるかな? あの奥にいる灰色っぽい飛行機が、『ラプター』だよ」
俺から双眼鏡を受け取ったキャロラインが、「ラプター」を探しまわる。
「あ――。上に画鋲を差したようなの、ね?」
「はあ? ちがうって。それ、E767早期警戒管制機だってば。もっと奥だよ」
俺は、キャロラインの双眼鏡の向きを確認するため、頭をくっつけて確認し、向きを調整する。風がふいて、さらりとしたキャロラインの髪の毛が俺の頬をくすぐる。シャンプーの仄かな香りが漂い、俺はハッと気づいてあわてて間をおく。
キャロラインは、そんな俺の様子に気づかないのか、夢中で双眼鏡を覗きこんでいる。
堀田の方は航空無線のバンドを確認しながら、双眼鏡をのぞいている。
「あ! 飛ぶよ! 『ラプター』が……」
「F十五『イーグル』だって」
「じゃ、あれだ」
「う~ん。残念。FA十八『ホーネット』だね」
「あの大きい奴?」
「C百三十。輸送機だ。戦闘機じゃない」
俺が、ちがうちがうと否定ばっかりするので、キャロラインは、とうとうヘソを曲げる。
「壊れてて、出てこないんじゃない? あんなに遠くじゃ、区別つかないよ。おもしろくないっ!」
「壊れてるなんてことはないと思うけど……仕方ないじゃないか? 飛ぶかどうかわからないし。それに今日撮影するのは、飛来する機体なんだから、来るまで待つしかないじゃないか。ベースウォッチングは、そんなもんだって言っただろ!」
キャロラインは拗ねて、俺に双眼鏡を押し付ける。俺の話を聞いていない。
弱ったな。
「ね。アイス食べよ」
「お、ああ」
突然明るくなったキャロラインの提案に、俺はとまどって返事に詰ってしまう。するとキャロラインは、堀田の方にも声をかける。
「堀田君。下でアイス買ってくるけど、どうする?」
堀田も驚いて、顔をあげる。

P26は、2022年12/18公開

「……悪い。今、手が離せないから。二人で食べといて」
「OK~」
キャロラインはそう言うと、俺の方を振り返る。
「じゃ、買ってくるけど……割り勘だからね」
「ああ」
キャロラインは念押しすると、俺の返事を待たずにさっさとエレベーターで、売店のある下の階へと降りていった。
見送る俺のそばに、航空無線受信機を片手に堀田が近寄ってくる。
「いい子だな。俺にも気を使ってくれて……」
「同感……」
「なんで、お前なのかね?」
「やっぱり……人柄とか、誠実さとか、あふれる人徳とか……かな?」
「じょーだん。それは……納得できない。お……来るぞ!」
遠くから爆音が聞こえてきて、はるか海のかなたにゴマ粒のような機影が見えてくる。やってきたのは、二機の編隊だ。
堀田がセッティングしたカメラの方に駆け戻る。
やがて、爆音とともに俺たちの頭上を灰色がかった地味な色のF二十二「ラプター」の編隊が通り過ぎる。
着陸態勢に入るためだろう。編隊が散開していく。独特の機体形状は、フライパスする様子を下から見上げるとよくわかる。フライパスする機体は、昨日飛来した第一陣に続く第二陣で、合計十二機が一時的に嘉手納基地へ配備されることになっている。
上空を通過していく「ラプター」の様子を見上げている俺のそばに、キャロラインが戻ってきた。手には、白と黒のアイスを持っている。
「バニラとチョコ、どっちにする?」
「どっちでも、いいよ。キャロラインが好きな方、選んでよ」
「じゃあ、私、チョコ。リョウはバニラね」
俺は手渡されたバニラアイスを持ちながら、フライパスする「ラプター」を指差す。
「あれだ。あれが『ラプター』だよ」
「へー。あまり、目立たない色だね」
「今は、ステルスとかで、空の色に溶け込むような塗装をするのが主流なんだ。ほら、曇り空とか、雲が多いと目立ちにくい灰色だろ。敵に見つかりにくくして、空中戦を戦う時に有利にしようという考えなんだ」
「んー。見えない戦闘機って言うから、ニンジャみたいに、パッと消えるとかじゃないんだね。」
「そんなことできるわけないだろ。見えないって言うのは、レーダーに見つかりにくいって意味なんだ。レーダーで見つからなかったら、レーダー誘導ミサイルの攻撃も受けないし、空中戦を戦う時、圧倒的に有利に立てる。接近戦になっても、あの色だから目視でも発見されにくくして、勝つっていう寸法さ」

P27は、2022年12/18公開

「でも、青空だったら目立つから、カメレオンみたいに色を変えるとかしないといけないんじゃないの?」
「おもしろいけど、今はまだ、そこまではできないね。技術が進歩したら、そんなのも実現できるかもしれないけど」
「ふーん」
キャロラインは、わかったような、わからないような生返事をする。
まあ、仕方がないだろう。
女の子に、まったく興味のない軍用機のあれこれを理解しろというのが、無理な注文だ。
その間に、フライパスした中から着陸態勢に入る機体が出てきて、展望台の人々の視線が滑走路に集まる。堀田も滑走路に向けていたカメラのフレームを確認しながら撮影に夢中になる。飛行機の撮影は、スピードが速いため一瞬も気が抜けない。
「ね。私もバニラ食べたいな」
キャロラインが、急におねだりしてくる。
「あっ、ああ。いいよ」
俺が半分食べかけのバニラを渡すと、キャロラインが自分のチョコを代わりに渡す。
何気ない交換だが、なぜかドキドキが止まらなくなる。
キャロラインは、無邪気に喜んでいる。
俺の食べかけのバニラアイスを食べている。
ああ、俺が口をつけたところを……。
俺と目が合って、キャロラインがにっこりする。おいしいと言いたいらしい。
俺は一人だけ意識している自分がバカらしくなってきた。
一体、何を意識してるんだ? 落ち着け! 試されているわけでもないのに……。
俺はパクリと一気に、キャロラインが三分の一食べかけて渡したチョコアイスを食べる。バニラに代わってチョコの味が口いっぱいに広がって、俺はなぜだか無性にうれしくなる。
そうだよ。何も意識するこたあない。仲のいい友達同士でもよくやることさ。
こうやってると、二人はすごく普通の関係って感じで、ラプターの轟音さえも心地よいBGMにさえ思えてくる。
俺は、アイスを食べながら、小さな満足感に浸っていた。


少しして、アイスを食べ終わる頃、周囲が少しざわつきはじめた。俺も現実に引き戻される。

P28は、2022年12/25公開

滑走路の上には着陸したばかりのラプターが、二機見えるが、一機だけ格納庫の方に向かわず、基地の端、フェンスの方へと移動してくる。なぜかわからない。
堀田が、駆け寄ってきた。
「何か、トラブルがあったみたいだ。すごいぞ。ラプターがこんな近くまで……。フェンスぎりぎりのところに寄って来るなんて……めったにない!」
堀田が興奮して、カメラや機材をバッグに納めはじめる。
「どうすんだ?」
「向こうに、防音壁が切れた部分がある。金網ごしに撮影できる穴場ポイントがあるんだ。そこに行こう!」
マニアは、こういう時の撮影ポイントにも詳しい。
「遠いの?」
キャロラインが訊ねる。
「少しね。それよりも、『ラプター』がすぐ行ってしまわないか、心配だけど……。行くだけの価値はあると思う!」
俺は、堀田の重たいバッグを抱えあげる。それを見て、キャロラインが畳んだカメラの三脚を持つ。
「え?」
堀田が一瞬驚いた顔をする。
「持ってやるよ。なあ」
俺は、キャロラインに目配せしながら答える。
「ええ」
キャロラインは、俺の意図を察していて、スムーズに答える。
「あ、ありがとう。じゃ、行こうぜ!」
俺たちはカメラを手に猛然とダッシュする堀田を追いかけて、階段を駆け下りる。ラプターの姿は、すでに防音壁の高い壁に完全に隠れてしまい、どこにいるのか、もはやわからない。
それでも、先頭を走る堀田のマニアとしての土地勘を頼りに、俺たちは走った。キャロラインも三脚を持って一緒に走る。俺と目が合うと、キャロラインの目がキラキラと瞳が輝いて見えるから不思議だ。
何かしら一体感というのが感じられて、うれしくなる。
道路を渡って、堀田は一旦向かいの小高い畑の上に登った。しかし、そこからフェンス際にまでやってきたラプターの姿は確認できなかったようだ。すぐに駆け下りて来る。
「いこう。やっぱり、ここからは見えない」
「間に合うかな?」
「わからない。けど、行ってみたい」
 

P29は、2023年1/1公開

「よし」
俺たちは、再びそこから道路に沿って数百メートルを走りだした。キャロラインも後に続いて走る。俺は、堀田を先行させて、キャロラインの走る速度に合わせる。
やがて、道路沿いに続いていた、高さ七メートルほどのコンクリートの防音壁が途切れる。そこから先には、防音壁の内側に設置された金網のフェンス部分が続いている。ギンネムの低木が金網に沿って生えているため、まるでジャングルのような茂みの中に金網のフェンスは続いているが、防音壁が途切れたところから、十メートル程度の幅だけは、邪魔になるような大きな木々は生えていない。
堀田が言ったとおり、撮影には絶好のポイントだ。しかも、そこには俺たち以外、誰も来ていない。
「おーっ!」
堀田が歓声をあげて、金網に取り付くと手に持ったカメラで撮影をはじめた。
金網の向こうでは、タキシングウェイを自走してきたラプターの機体がゆっくりと方向転換を始めているところだった。半回転して、もうすぐこちらに排気口を向けるところだ。
機首が滑走路を向いて、停止する。
再び離陸するのだろうか?
ラプターの動きは、どう解釈すればいいのかわからない。
「す、すごいな」
息を整えながら、俺は、目の前で展開されている光景に思わず感嘆してしまう。
目の前にアメリカ空軍の軍事機密の塊ともいえる最新鋭ステルス戦闘機がいるのだ。しかも本当に目と鼻の先。十メートルあるかないかのところにだ。
「何が?」
キャロラインが息をきらしながら質問してくる。
「あ、『ラプター』は、軍事機密の塊で……ね。特に排気口の部分は秘密扱いで、マスコミへの公開でもカバーが掛けられて隠されてるんだ。それが、今、こっちに丸見えだろう。こんなシャッターチャンスはめったにない。本当にすごいよ」
「そ、そうなの?」
ラプターはこちらに排気口を向けて停止する。推力偏向ノズルの部分が上下にパクンと開き、双眼鏡で覗くとエンジンの内部まで見えるほどだ。
遠くから赤い大型の消防車が駆けつけてくる。基地の消防車だろう。
機体の方をよく見ると、機体の下部から、オイルだろうか、何か液体のようなものが漏れているのがわかる。駆けつけた消防車からは、銀色の防火服を着けた消防士らしき人影が降りてきて、何かあればすぐに放水できる体勢をとり始める。
だいじょうぶかな?

P30は、2023年1/8公開

「ねえ。ここにいたら、やばくない?」
キャロラインの言葉に俺たちは頷き、撤収をはじめる。
事故現場にいたことが親にばれたら、後々ろくなことにならない。二度と危険な場所に近づくなと言われかねないし、あんな趣味の友達とは付き合うなとか、親から余計な干渉を招く恐れがある。
俺の場合は、キャロラインと一緒のことがばれると、周囲にさらに余計な勘繰りを起こさせて、どんなことが起こるかわからないという不安がある。
俺たちは大急ぎで撤収した。道の駅近くまで走って戻り、道路を渡って、タイミングよくやってきた帰りの路線バスに飛び乗った。
バスが発車するのと入れ違いに、サイレンを鳴らしながら猛スピードで現場に向かう消防車やパトカーとすれちがう。
俺は、となりに座っているキャロラインに話しかける。
「いい勘してる。グッジョブだ」
「ん」
キャロラインがニコッと笑う。そんな俺たち二人を、シート越しに堀田が写真に収める。
「本当だよ。こんなエキサイティングな経験、初めてだよ。でも、ホント、ありがとな」
堀田が少し紅潮した顔で、笑みを浮かべる。
「私も…こんな経験初めて。二人ともいつも、こんなこと、やってるの?」
キャロラインが、感心したように言う。
「んなわけ、ないだろ!」
俺と堀田の声がハモる。
「そうそう。こんなのがいつもだったら、命がいくつあっても足らんわ」
「同感だね」
俺たちは、そう言って誰からともなく、大笑いしてしまう。
帰りのバスの中、俺たちは、それぞれが逃げる間の表情や仕草を思い出しては、爆笑を繰り返した。まったく知らない他人から見れば、くだらない話かもしれない。けれど、俺にとって、ひさしぶりに感じた楽しい一時だった。
そう、俺にとって友だちと過ごすのがこんなに楽しいと感じたのは、はるか昔、小学校低学年以来のことだった。


堀田と別れて先にバスを降りた俺は、キャロラインをアパートまで送っていった。
「今日は、楽しかったね」
「ノゥ。あぶなかったね」

P32は、2023年1/15公開予定

キャロラインは、俺の頭をなでながら微笑む。
「なんだよ。一緒に行ったんだから、そんな言い方ないだろ!」
「……リョウは、優しいから……。危ない運も逃げていくの。でも、その分、誰かがサポートしてあげないと傷つく……」
「? よくわからないけど…褒め言葉として受け取っておくよ。あの……訊いてもいいかな?」
俺は、この前から心にたまっていた疑問を今こそ確認する時だと思った。
「なに?」
「俺たち……付き合ってるの……かな? その……俺……キャロラインのこと好きになっても……いいのかな?」
キャロラインにじっと見つめられ、俺はだんだん自信がなくなってくる。
「なんて……言うんだろう。俺……そんなにすごいところがあるわけじゃないし、正直、君がどうして俺に構ってくれるのか、わからないんだ。身長だって低いし、君とは釣りあわないのも知ってる。……だから、好意ならうれしいけど。ただ、からかっているだけなら、やめて欲しい。俺、このままだとどんどん君のこと……!」
キャロラインの顔が近づいてきて、俺は思わず語尾を飲み込んでしまう。
灰色の瞳は、俺の視線を吸い込んでいくようで、俺の頭の中は……真っ白になる。
鼻と鼻が交差して、訪れる濡れた唇の感触。
「……」
「もっと自信を持って……。リョウは、優しすぎるの。自分の気持ちを、もっと出していいんだよ……」
その言葉に、俺は高まる感情を抑え切れなくなる。
「じゃ……。言うよ。好きだ。キャロライン。好きだ!」
「私……」
と、その時、アパートの二階から咳払いが降ってくる。
「おほん。キャロライン! ちょっと!」
見上げると、いかつい顔のおっさんがベランダから覗いていた。
どうやらキャロラインの身元引受人で、このアパートのオーナーのおじさんらしい。
「ソーリー。また、明日ね」
キャロラインは、慌てて二階へ上がっていった。そのまま、二階の家に入っていく。
その後姿を見送る俺に、二階から見下ろしていたおっさんが「さっさと行け」と無言で指図する。
やばいな。ばれちゃったか。
でも、こうなったら仕方がない。俺は覚悟を決めて、家路についた。

P33は、2023年1/22公開

翌日、キャロラインは、遅れて登校してきた。少し、目が赤い。
お昼休み、俺は心配になって、キャロラインに話しかけた。
「……だいじょうぶだった? 昨日は、ごめん……」
キャロラインの手が俺の口に伸びる。
「あやまったら、ダメ。なんでもないから」
「でも……」
「今日は、部活休むって、如月部長に伝えてくれる?」
「わかった」
そう言うと、キャロラインは他の女生徒と一緒に席を立って食堂へと向かう。
見送る俺に、堀田が話しかけてくる。
「何か……あったのか?」
「ああ」
「……そうだ。昨日の写真やるよ」
堀田は、鞄の中から茶封筒を取り出して、俺に渡す。
「人を写すの得意じゃないんだけど、これはなかなか良く撮れたと思ってる」
茶封筒から出てきた写真には、俺とキャロラインが笑顔で並んで座っている様子が写っている。
帰りのバスの中で撮ったらしい写真の中のキャロラインは、本当に心の底から楽しんでいるようにしか見えない。絶対に作り笑いなんかじゃない。
「なあ……」
「ん?」
「俺とキャロライン……。付き合ってるんだよな?」
俺は、教室内にほとんど生徒がいないことを確認して、小さな声でささやく。堀田は、あきれたような顔で俺を見る。
「そうだと思うけど……。本人がちがうって言うなら……ちがうかもな」
「おいおい」
「飯食おうぜ。ホント信じられないよ。お前が、リア充なんてよ」
堀田が机から弁当を取り出したので、俺も弁当を広げる。俺と堀田は弁当持参組だ。
「俺だって……今でも信じられないよ。夢じゃないかって思う」
コン!
堀田が、俺の頭を軽くお箸入れで叩く。
「てっ?」
「目がさめたか?」

P34は、2023年1/29公開

「あ? ああ……」
「おめでとう。幸せな夢じゃなかったな」
「そうだね。ありがとさん」
堀田と俺は、向かい合って弁当を食べはじめる。
「そういえば……新聞見たか?」
堀田が、話題を変える。
「ん? ごめん。うち新聞とってないんだ」
「そっか。じゃ、昨日の事故だけどよ。新聞に全然載ってないんだ。おかしいよな。あんなとんでもない事故が起こったっていうのに……」
「大した事故じゃなかったってことじゃないの?」
「んなわけないだろ。空対空ミサイルの暴発だぜ! 新聞があんな大事故とりあげないで、何載せるんだよ!」
「じゃあ、これから記事になるとか……? でも、本当に暴発したかどうか見てないし……。証拠がなくっちゃ記事にできなかったんじゃないの?」
「かもな。あの場に居合わせたのは、俺たちだけだったし、位置関係からしても、道の駅の展望台からも死角に入っていたから、誰も知らなかったのかもしれない。ミサイルが発射された様子だって、あんなに突然だったら、カメラも間に合わなかったと思うしーー。たぶん、目撃者は居ても、写真なんかは撮られていないんだろうな」
俺は、堀田が言いたいことを理解した。
「それじゃあ、大スクープなんじゃないか? 写真とか新聞社に提供すれば、一躍有名人になってたりして……。誠が撮った写真も、ひょっとして高く売れるかもーー」
「それはない。ミサイルが発射された時の写真は、防音壁に隠れたから撮ってない。撮ったのは、トラブルを起こした機体が、フェンス近くに駐機した写真だけだ」
「それでも、ミサイルが暴発する前の写真だろ。貴重な写真なんじゃないか?」
「そうかもな。でも、それよりも……大事なことがあるんだ」
堀田は、箸を止めて、真剣な目で俺を見つめる。
「俺、今思うと、リョウとキャロラインが一緒に居てくれて……本当に助かったと思ってるんだ」
「?」
堀田は、少し口ごもりながら自分の考えを話し始める。
「怒らないで聞いてくれよ。最初、リョウがキャロラインと一緒に行くって言った時、仲のいいところ見せ付ける気かって、すごくおもしろくなかったんだ。本当に無神経な奴だって、そう思っちまった。断って一人で行こうかと思ってた。でも、一緒に行って本当に楽しかったし、良かったと思ってる。そして……昨日のことを思い返して見ると、俺一人だったら、一人で写真を撮りまくって、知らないまま、ミサイルのバックブラストを受けて……死んでたかもしれないって、そう思うんだ」

P35は、2023年2/5公開

「そっか……」
 堀田の箸を持つ手が震えている。
「帰ってから、よくよく考えるとー。あの時の状況を考えれば考えるほど、冷や汗が止まらなくなるよ。リョウ、お前とキャロラインは、俺の命の恩人だよ。ありがとう」
 俺は、堀田の本当の気持ちを知って少しショックを受けたが、それも当然だと思う。あの時、キャロラインにばかり気を使って、少し、堀田に対する気配りが足らなかった気もする。堀田の気持ちに対する配慮が欠けていたかもしれない。
「いや、俺もそうだって」
俺は、堀田の肩をポンと叩く。
「なら、俺と誠が二人で行ったとしても、俺もお前と同じように巻き込まれていたかもしれない。ミサイルに気がついたのは、キャロラインの方だし……。彼女が居たから、俺たちは助かったんじゃないかな?」
「んー。なるほど。そうかな」
俺は堀田の罪悪感をフォローするため、思いつくままに喋ってみる。すると、それが本当のことのような気がしてきた。
そうだ。二人だけで行ってたとしたら、堀田の言うような事故に巻き込まれていた可能性がはるかに高い。
「……」
俺と堀田は箸を手に、しばらく黙って弁当を片付ける。
「じゃ、俺もお前もキャロラインに助けられたのかな?」
堀田がため息まじりにつぶやく。
「ああ。そうだと思う。俺さ。キャロラインに、いっつも振り回されるけど、不思議と嫌じゃないんだ。なぜか、キャロラインと会うと、不思議と自然体で話してたりしてるんだ。俺、女の子と話す経験あんまりなかったんで、自信がなかったんだけど――」
これは、俺がキャロラインとの出会いから感じている素直な感想だ。相性がいいというだけでは済ませられないのではないかとも思っている。
「キャロラインだからだろ?」
「それは言えてる」
「じゃ、好きだからだろ? 恋してるからじゃないのか?」
「うーん。そうかもしれないけどよ。それより、人の心引き出すのがうまいというか……そんな感じだと思う」
「ははっ。超能力で操られているとか? まさかぁ」

P36は、2023年2/12公開

「超能力とは思わないけど……なんて言うか、本当に……。不思議の……キャロちゃん。そんなとこかな」
「それいいね。おもしろいよ」
「でも、『キャロちゃん』って、カワイイというより美人だぞ! そんな呼び方されると怒らないかな?」
俺は自分から言い出したものの、キャロラインがどう思うか不安になってくる。
「何言ってるの? 愛情表現だろ。心配ないって」
堀田が俺の心配を笑いとばして、励ましてくれる。
俺は、あの嘉手納基地での事件を通じて初めて、堀田と本当の意味で友達になれたんだと実感した。今の俺が親友は誰かとたずねられたら、俺は誠の名前を最初にあげるだろう。
それは、俺にとってかけがえのない宝物のひとつのように思えた。


六月が終わり、期末テストも終って、もうすぐ夏休みを迎える七月。
俺は、予想以上のテスト結果に満足していた。
受験勉強で、実力以上の学校をめざしてがんばった成果が、予想以上に俺の成績を底上げしていたのだと思う。事実、期末後半の授業はなかなか厳しく、またしっかりと勉強しないと追いつけないなと感じていた。
そして、キャロラインと一緒に勉強できたことも、成績アップにプラスに働いたと思う。
キャロラインの方は、さすがに英語はパーフェクトだったが、日本の地理や歴史の分野はかなり苦労していたようで、そこだけは俺が先生役をこなせた。
二人の関係に大きな進展はなかったが、特に大きな障害が出てくることもなく、俺は高校生活に大きな希望を抱き始めていた。


そんな中、弓道部の部室周辺では、不穏な空気が漂っていた。
縦長で奥行きがある弓道部の部室は、奥が女子部のスペース、手前が男子部のスペースとしてロッカーやキャビネットなどで仕切られているだけだった。もちろん、そこで弓道着に着替えることは、めったにない。普通は県立の弓道場で着替えるのがほとんどだ。
個々のロッカーに鍵はあるものの、部室の鍵はなく、部活時間中は自由に出入りができるようになっている。
貴重品は、弓道場に持っていけないので、部室の個人用ロッカーに置いて行くのが基本なのだが、ここ最近、盗難事件が頻発していた。
「絶対、男子部員が怪しい!」

P37は、2023年2/19公開 

一年の女子弓道部員の前泊瑞希が、主張する。
「じょーだん。証拠があるのかよ!」
川上が怒って反論する。
「盗まれたのがお金じゃなくて、下着だってのが、犯人が男だって証拠よ!」
「無茶なこと言うな! なんで女の下着が盗まれたら、男が犯人だってことになるんだよ!  女子部員の誰かが、パンツ忘れてこっそり借りたって可能性の方が高いだろ!」
「それは……ないわよね」
如月部長が、女子部員全員を振り返りながら確認し、女子全員が頷く。
「他の人の下着なんて…着けないよ」
川上は、それに一瞬グッと詰まるが、負けていない。
「だったら、よけい男が着けるわけないだろ? 女の下着なんかで、他に何すんだよ?」
女子部員全員が「ちがうちがう」と首をふって、川上を一斉に見つめる。
「は? ま、まさか俺たちを変態扱いしてるのか?」
「どっちも一緒よ。まあ、着けるにしても他の用途に使うにしても、変態ってことでは変わらないわね」
如月部長がバッサリと切り捨てる。
「い、異議あり。そんな決め付け……」
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
佐久本部長が、反論しようとする川上の言葉を遮って、対立をおさめようと間に割って入ってくる。
「一年生も若い男だ。女の子のパンツの一枚や二枚、欲しくなることもあるだろう。ここは、部長の俺に免じて、出来心ということで許してやってはくれないか?」
川上、山田と俺は、慌てて異議を申し立てる。
冗談じゃない。変態扱いされてたまるか。これは、そのままにしてしまえば、これからの高校生活に大きな影響を与えることになる。第一、変態の噂が広まれば、デートどころか、女の子が寄ってこなくなる。これは重大問題だ。
「ぶ、部長っ! なんてことを……。部長と一緒にしないでください」
「俺たちは、やってません!」
「証拠もないのに、そんなのってあるかよ!」
すると、まってましたとばかりに如月部長が提案する。
「では、これから、皆さんの潔白を証明するため、男子部員のロッカー検査を実施します。いいですね? もちろん、私は男子部員がそんなことをするわけがないと信じています。やましいことがなければ、構わないはずよね」
「はぁ? そ、そんなーっ!」

P38は、2023年2/26公開

男子部員全員がブーイングする中で、俺の頭の中はロッカー内の私物のチェックにフル回転する。
よし。変なのは入っていない。だいじょうぶだ。
そばにいる川上と山田の方を見ると、二人とも気まずい顔をしている。
おいおい。だいじょうぶか?
「あれぇ? 俺もかぁ? 勘弁してくれよ……」
佐久本部長が、真っ先に素っ頓狂な声をあげる。
女子部員全員が見守る中で、まず佐久本部長のロッカーが開けられた。
まず皆の目に飛び込んで来たのは、おびただしい量の汚れ物の山だ。
少なくとも一週間分のパンツやシャツ、靴下がロッカー下に置かれた籠の中に突っ込まれて、異臭を放っている。
思わず顔をしかめる如月部長は、ハンカチで鼻と口を覆いながら、金属製のハンガーで中を確かめる。ぶら下げられた汚れたスポーツウェアの間から、奥に大量のマンガ本が積まれているのが垣間見える。
「あ…やめて。見ないで……」
慌てて隠そうとする佐久本部長を女子部の副部長・金城と牛島がガッシと取り押さえる。
ロッカーの奥から出てきた大量のエロマンガ……? を見て、全員の顔がひきつる。
「?????」
俺も一瞬エロマンガかと思ったのだが、どうも装丁がちがう。表紙の絵柄があまりにもキラキラしすぎているのだ。表紙で目立つのは美形男子で、女の子と見間違うキャラは、ペッタンコの胸をしていて……?
そこで俺も理解した。
佐久本部長が隠していたエロ本は、BL本。禁断のボーイズ・ラブ本だったのだ。
如月部長の肩が震える。
危険を感じて、佐久本部長を押さえつけていた金城と牛島が手を離す。
「い、いやだな~。ほんの少し興味があって、読んでみたら意外とおもしろくって……。問題ないだろう? 別に女の裸が出てくるわけじゃないし…。ただ、家には持って帰れないから、つい、ここに……」
佐久本部長の弁解は、最後まで続かなかった。
如月部長は振り向きざま、佐久本部長のみぞおちに一撃を食らわして、その場で気絶させてしまった。
俺たち一年生は、その様子を見て思わずゾッとする。
「こんなのは気にしないで、次、いこっか?」
吹っ切れたような表情で、如月部長が微笑む。こうなったら、何が出てきても驚かないだろう。

P39は、2023年3/5公開

次に開けられた川上のロッカーから出てきたのは、サバイバルグッズと備蓄食料だ。米軍のMREとか、自衛隊の戦闘糧食Ⅰ型とか、めずらしい代物がゴロゴロでてくる。なんとカセットコンロまで入っている。
「な、なんだよ。災害があっても大丈夫なように、備えているんだよ。悪いか?」
ある意味、几帳面な川上らしいと言えばその通りだ。部長と同じく、女の下着の類は入っていない。
しかし、如月部長の目は鋭く、ピンクの小さな紙袋を見つけて、中身を確認する。そこから出てきたのは、コンちゃんの箱だ。
「あ、やだな~。米軍では、コンドームを非常時に水を運ぶのに使うって言うから……」
川上が必死に弁解するが、如月部長は首を振る。
「あ……。まって、それ確かに聞いたことある…よ」
俺は、慌てて助け舟を出す。
如月部長の目が光って、俺を見る。
恐い。なんて恐いんだ。
「…サバイバル本にも書かれていたし…」
如月部長は、腰に手を当ててため息をつく。
「もういいわ。次いこ」
山田のロッカーから出てきたのは、教科書やプリント、テスト用紙の山、そしてアイドルグッズとブロマイド写真が数点だけで、こちらは特に問題となるようなものは発見できなかった。
そして、俺のロッカーに行く前に、半ば幽霊部員となっている二年生二人のロッカーが開けられた。そこから、ついに、女子部員の下着が発見されるに及び、部室内は騒然となった。
「落ち着いて。このロッカーは鍵がかかっていないから、誰でも入れられるはずよ。幽霊部員の内間と又吉には、あとで私が確認するから――」
如月部長はそう言うと、俺のロッカーの鍵を回して、中を覗く。
何もあるはずがない。当然だ。
俺は、部室のロッカーに私物を溜め込んでおく習慣などない。部活なんて初めての経験だし、そこに私物を入れておこうなど、考えたこともない。あるとすれば、忘れ物だけだろう。しかし、それさえも思い当たるものはないから、中はすっからかんのはずだ。
しかし、そこから如月部長が取り出したのは、女子のショーツとブラだ。ピンクと白のチェック柄がカワイイが、今はそんなことを考えているところではない。
「え? ええええーっ!」
俺は、一瞬、目の前が真っ暗になった。
そんなはずはない。絶対に!

P40は、2023年3/12公開

これはワナだ。誰かが俺を陥れようとしているんだ。
如月部長が、冷たい視線を俺に向ける。
背筋を悪寒が走る。
俺はただ、呆然として首をふる。
「あ……」
「それ、違います。それ、私が……あげたものです」
突然驚きの発言が、女子部員の中からあがる。
俺は、驚いて声のした方を見る。解っていた。
その声は、キャロラインだ。
「キャロちゃん……。彼をかばいたい気持ちはわかるけど、事実ははっきりさせないといけないよ」
如月部長が、困ったような表情でキャロラインを見つめる。
「そうよ。この前、キャロラインが言ってたじゃない。着替えの下着がなくなったって」
女子部員の前泊が、キャロラインの主張を撤回させようと迫る。
「ソーリー。ごめんなさい。なくなったと思ったのは、私の勘違いだったみたい。リョウに面白半分でプレゼントしたの、忘れてただけ」
「本当なの?」
如月部長が、俺に確認する。
俺は、もはや何がなんだかわからなくて、返答できない。ただ、黙っているだけだ。
「無理。リョウは、めったにロッカーに私物を入れないから、私がこっそり入れていたのにまだ、気づいていなかったはず。その証拠に、リョウは今、本当に驚いている」
俺に代わって、キャロラインがにこやかに、しかし冷静に説明を付け加える。
確かに、筋は通っている。でも……本当にそうなのか?
キャロラインが、本当にそんなイタズラをするだろうか?
「変よ。鍵がかかっていたはずなのに。キャロラインがこっそり入れること、できるはずがないじゃない。それになくなったと言ったのは、先週よ。その間ず~っと忘れていたなんて、おかしいわ!」
前泊が、執拗に食い下がる。こちらは、俺を下着泥棒の犯人に仕立て上げたいようで、そんな悪意がビンビン伝わってくる。たまったもんじゃない。
「リョウは、真面目だから……ロッカーに私物を置かない。いつも全部持って帰るの。だから、ロッカーの鍵も時々刺しっぱなし。無用心だけど、盗まれるものがないからできるの」
「だから、そんなの変だって……」
「落ち着いて」
執拗に食い下がる前泊を如月部長が制し、ため息をつきながら、キャロラインに再度確認する。

P41は、2023年3/19公開

 「キャロちゃん。あんまり変なイタズラしないの。じゃ、これリョウにあげちゃうよ。本当にいいのね?」
「はい。ノープロブレム。ちゃんと洗濯済みですから……」
「……」
キャロラインの底抜けに明るい返事に、部室内に沈黙が流れる。前泊は、納得いかないという顔をして見ている。
如月部長は、やれやれと頭を抱えながら、俺の手にキャロラインのショーツとブラを渡しながら、小さな声でささやく。
「本人がああ言っているから、あげるけど……変なことに使わないように……」
俺も真っ赤になりながら、しかたなく受け取る。
その様子を川上と山田が、うらやましげに見つめていた。


 部活が終わってからの帰り、俺はキャロラインのアパートへ先回りして、四階の部屋の前で待っていた。バッグを抱えて、着替えることなくトレーナー姿のまま直行したのだ。
 しばらくすると、キャロラインがあがってくる。
「入って! 話したいことがあるの」
「俺もだ」
 最近良く出入りするようになってきたこともあって、キャロラインの部屋の様子もだいぶ見慣れてきた。キャロラインが壁際のスイッチを押すと照明がつき、エアコンが動きはじめる。
 部屋の奥の勉強机の上には、堀田が撮った俺とキャロラインのツーショット写真が飾られていて、なんとなくそこには行きづらい。その部屋の向かい側、視界の陰になった部分には、ベッドがあるはずだ。
「何か、飲む?」
 キャロラインがお湯を沸かしながら訊ねる。俺はバッグから缶入りココアを取り出す。
「これどうかな? ミルクと一緒につくるとおいしいぞ」
「こんなにいっぱい……どうするの?」
「置いておけば、今度来た時にも飲めるだろ?」
 そう言ってから、少しずうずうしいかと思う。
俺って、本当に何様のつもりだ?
 でも、好きなものは好きなんだから、仕方がない。それを二人で飲めたらと思って、わざわざスーパーで買って持ってきたんだ。キャロラインは嫌な顔もせず、黙って受け取ると、マグカップで二人分のココアをつくる。

P42は、2023年3/26公開

二人で試験勉強する時のように、居間のテーブルに向かい合って座る。
「これ……返すよ」
 俺はバッグの中から、封筒に入れたキャロラインの下着を差し出す。
「いいの?」
 キャロラインが封筒の中身を確認して、念押しする。
 そう言われると、俺の中の欲望が少し頭をもたげてしまう。しかし、ここは誤解を解くためにも、そうしなければならないと良心が訴える。
「勘弁してくれ。キャロライン。俺にそんな趣味はないってば」
「本当に?」
「……まさか、俺が本当に盗んだと思ってるのか?」
 キャロラインは、顎の下で手を組んで、俺を見つめながら首を横にふる。
 無言だけど、そこには不信とか偽りが入る余地などありそうもない。
「でも、それじゃあ、君がイタズラでやったのか?」
「……」
 キャロラインは、黙って俺を見つめ返すだけだ。
「…ちがうよな。キャロラインは俺を助けるために、あんなウソをついたんだよな」
 そこでキャロラインが微笑む。
「すご~い。リョウと以心伝心した~」
 キャロラインは、この事件を楽しんでいるようにさえ見える。
「冗談はよしてくれ。今日の件で、みんなに君との仲をずいぶん誤解されたと思うぞ。平気なのかよ?」
「リョウは、嫌なの? 私たち二人の関係が、一歩前進したと思えばいいじゃない。それとも不満?」
「不満とかじゃなくて……。迷惑かけたくないんだよ。キャロラインには、誤解されたくないし……そんなことで嫌われたくないんだ」
「嫌いになんてならないよ」
「……あの前泊って子、同じ中学の出身なんだ……」
俺は、少し気になっていたことを口にする。
「そうなの? 前から知ってる子……なんだ。付き合ってたのかな? ひょっとして前のガールフレンドとか?」
「いーや。小学校の時から知ってて、よく話したことはあったけど……付き合ったことは一度もないよ。……そうだな。中学一年の時、暗いとか、根暗とか言われて――。それから一度も話したことはない……。この弓道部だって、もし一緒になるんだと知ってたら、俺は入らなかったと思うよ」

P43は、2023年4/2公開

それは、不思議な感覚だった。
誰にも話したくない過去、思い出したくもなかった古い心の傷が、キャロラインとの話をきっかけに次々と蘇って口を突いて出てくるのだ。
たわいもない話で意気投合していた二人の関係が、友人のからかいや些細な一言で簡単に崩れ去る。好意を寄せてくれていると思ったのは、自分の思いあがりだということを嫌というほど思い知らされた過去の出来事の数々。
長いこと立ち直れないで、悶々としていた俺に突きつけられた決定的なトドメの評価が、友人同士の会話で語られた「暗い」だの「根暗」だという言葉だった。
前泊瑞希は、俺のいた中学では頭が良くて美人だということもあって、男子の間では人気があった。彼女の俺に対する評価は、周囲で瑞希の注意を引こうとしていた男子たちに火をつけ、それがやがて陰湿ないじめへと繋がっていった。
前泊自身が、そう仕向けたわけではないだろう。
けれど、いじめを受けているのを他の女生徒たちと一緒になって笑われると、がまんも限界だった。
俺は二度と現実の女なんかに関わりたくないと思ったし、それ以来、女子の誰とも口をきくことはなかった。
中学三年生になった時、前泊とは別々のクラスになって、いじめも少し治まったのはありがたかった。そして、前泊と顔を合わすことがなくなった分、心の平静さも保てたのだと思う。
だから、中学の卒業の時の寄せ書きにもサインもしていないし、メッセージを求められたこともない。存在自体が空気のようなものだったと思っている。
「結局、誰も……リョウのいい所を理解できなかったんだ……ね」
「え? いい所って……?」
「いじめられても、相手のことを悪く言わないし……。今でもかばっているようにさえ、きこえる。リョウは、優しすぎるよ」
「キャロラインだけだ。そんなことを言ってくれるのは……。でも、優しいからじゃないよ。ただ、めんどくさかったというのかな。イジメって、こっちが反応するだけエスカレートしていくだろ。だからーー無視しただけさ」
俺にとってイジメの話は過ぎたことだ。そんなのは、今はどうでもいい。
「それより、教えてくれ。俺、今でも、まだ信じられないんだ。キャロラインが、俺のこと好きだって言ってくれたこと……。瑞希とのことだって……聞いて、嫌いになったんじゃないかって不安でしょうがないんだ? ひょっとして、瑞希からいろいろと俺の悪口、言われたんじゃないかって思うし……」
「……いろいろね。あったけど……。私が取り合わなかったからーー。それにーー、彼女とのことは過去のことでしょう。私には関係ない」

P44は、2023年4/9公開

「そう言ってくれると……」
キャロラインが立ち上がって顔を寄せてくる。俺の唇にキャロラインの唇が触れると、俺の頭の中は、真っ白になる。
「私は、リョウの何?」
「俺の……彼女……? 恋人かな?」
少しテレながら、素直な表現が飛び出す。キャロラインといると、時々自分が信じられないほど自然にふるまってしまうから不思議だ。
「……」
再び唇が重なる。
「夢じゃないかと……時々思うよ」
「じゃ、起こしてあげる」
そう言うと、キャロラインが俺の頬を思いっきりつねる。
「い、痛い。痛い。いたた……わかった。わかりました」
赤くなった頬をキャロラインが手でなでて、ニッコリ微笑む。
本当に、キャロラインの行動は予測がつかない。
「目が醒めた?」
「ああ……。でも、俺の目の前にいる君は、本当に実在しているのかな? 俺は、君のこと、ほとんど知らない……」
キャロラインがテーブルを回って、俺のそばに来る。すべらかで少し冷たい感触の手が、俺の手をとる。
「触ってみて? そしたら、ちゃんといるのがわかるよ」
手の平がキャロラインの胸に触れる。
手が硬直する。指を動かすとどうにかなってしまいそうだ。
「な……なんで、オッパイなんだよ」
俺は、あわてて手を引っ込める。
「やん。恥ずかしいのガマンして、せっかく触らせてあげたのに……」
「ま……まだ。そう……まだ、早いよ」
「じゃ、いつになったら触ってくれるの?」
「恐いこと言うなよ。俺は男で、君は……キャロラインは女なんだぞ」
「知ってるけど……?」
「今、こんな二人だけの部屋にいるだけでも、危ないのに」
俺は、自分でも何を言っているのか、わからなくなる。それでも話すのを止められない。
「襲っちゃう?」
「だから、やめろって。本当に襲っちゃうよ」

P45は、2023年4/16公開

「大丈夫。その時は、ちゃーんと叩きのめしてあげる。私、リョウよりも大きいし、護身術も習ってるから、強いんだよ。二メートル近いオーストラリア人も、一撃で倒したことがあるから……」
そう言うと、キャロラインは俺の首に両手を回し、膝の上にちょこんと腰掛ける。
「そんな風には見えないけど……な」
「そう?」
女の子の匂いが、俺の鼻を刺激する。
目の前にあるキャロラインのピンクの唇がとても魅力的で、俺は思わずキスしてしまう。何も考えていなかった。つい衝動的に動いてしまったのだ。
「……初めて、リョウからキスしてくれたね。うれしいな」
「……」
俺は何と言っていいかわからず、その後どう行動したらいいのか、ますます迷ってしまう。
その時、スマホの着信音が鳴った。
キャロラインがポケットからスマホを取り出す。
「はい。キャロです」
女の声が少し聞こえる。
「あ、ミズキさんね? どうしたの?」
キャロラインが俺の方を見る。どうやら、電話の相手は、前泊のようだ。
「ええ。いいわ。通り沿いにあるバーガーショップね」
そう言うとスマホを切る。
「なんだい?」
ついさっきまでのドキドキの危ない興奮が冷め、俺はキャロラインに電話の用件を尋ねる。
「大事な話があるんだって。それで、二人だけで話したいみたいだから……今から会って来るね」
俺はそれを聞いて、少し不安になる。
「だいじょうぶかな? 俺も行こうか?」
「心配してくれるの? 私、強いのに――」
「どー考えても、電話の用件は、俺のことだとしか思えないし……。もし、キャロラインに何かあったら、俺のせいだから……」
「あら。私、まだ、リョウのものになったわけじゃないのにーー」
キャロラインは俺が行くのに反対したけど、俺は心配でこっそり彼女の後をつけていった。


少し遅い夜のバーガーショップの片隅で、キャロラインは前泊と他校の男子生徒二人の計四人で話をしていた。
 

P46は、2023年4/23公開

他校の男子生徒二人は、俺の知っている奴だ。
中学の時の同級生で、イジメの中心になっていた奴らだ。
前泊がさかんに喋りまくり、キャロラインがシェイクを飲みながら平然と聞き流す。そんな感じで、前泊がだんだんイライラしていく様子が手に取るように見える。二人の男子生徒は、キャロラインをチラチラと見ながら、ハンバーガーやポテトを食べている。
もちろん、前泊の話す内容は、ガラス越しということでまったく聞こえないが、たぶん俺の悪口としか思えない。
なんで、こんなに憎まれるのか、わからない。
小学校低学年の時はとてもやさしい女の子という感じだったのに、どこで変わってしまったんだろう。
不意にキャロラインが何かを言い、前泊が口をつぐむ。二人の男子生徒が不思議そうに前泊の方を見る。
とたんに、前泊が怒って立ちあがった。ドアに向かってズンズンと歩き出す。その後を二人の男子生徒が慌てて追いかけてくる。
こちらにやってくる。やばい。
俺はとっさに、入り口そばの階段の裏側に隠れる。
「もう! 何なのよー。あの女っ! リョウと一緒にいるとろくな事ないって教えてあげてるのに……。全然言うこと聞かないんだから」
前泊がイライラを隠さないで不満をぶちまける。
「しっかし、驚いたな~。リョウの奴、あんな美人と付き合ってるって本当かぁ? 信じられないねぇ。あの子ハーフだろ」
「ホント。あの根暗少年が、どうやってハーフの女と知り合いになったんだ?」
「知らないわよ! 外人の血が混じってるからーー見方や好みも変な方向にゆがんでんじゃないの?」
「これはこれは、いつになく厳しいお言葉で」
「ひょっとして――。あの娘が言ったように、瑞希ちゃんもリョウのこと、気に入っちゃってて、焼きもち焼いてたりして~」
男子生徒がからかい、前泊が激怒する。
「冗談。リョウは、私のオモチャみたいなもんなの。あんな楽しいオモチャ、他にないから。ねえ。あの女、帰り道で待ち伏せして、少し脅かしてみない?」
俺は、耳をすます。
「……そしたら、リョウと一緒にいると悪いことが起きるって気がつくでしょう? そうしたら、きっと自分から離れていくはずよ」
 

P47は、2023年4/30公開

「そうだな。泣いて、悲鳴をあげさせるのもおもしろそうだ」
「でしょうーー? あの、お高くとまった顔が変わるとこ、泣いた顔とか、見てみたいって思わない?」
「ははっ。おもしれーっ。やってみっかな」
どうする?
聞いてしまったからには、そのままにはしておけない。
意気投合して移動しようとする三人の前に、俺は思わず飛び出していた。
「……!」
俺は、驚いて声も出ない三人の前に立ち塞がる。
「やめろよ。そんなこと……」
「いやだ……聞いてたの?」
前泊の顔が引きつる。
「ああ……。全部……。高校生にもなって、やっていいことと悪いことの区別もつかない歳じゃないだろ? 下手すると警察に捕まる」
「な、何の話かなぁ? 俺たち、警察の世話になるようなこと、何も話していないけどぉ?」
男子生徒の一人が、少しとまどいながらも意地悪く尋ねてくる。
「さっき、キャロラインを襲う話をしていただろ! ここで聞いてたんだ!」
「あれ? そんなこと、ひとっことも言ってないよなぁ? 根暗少年は、相変わらず考えることが暗いから、危ない妄想に囚われてんじゃないのぉ? 誤解だよなぁ?」
「はっきり言って、むかつくんだよな! 俺たちを危ない奴って、決め付けるその態度……。何か証拠でもあるのかよ?」
俺は返答に詰まる。
ガマンできずに飛び出してしまったが、失敗だったかという思いが頭をよぎる。けれど、キャロラインが襲われてからじゃ話にならない。
「……」
「おい! 何とか言えよ。俺たちを悪人扱いして、ただじゃ済まさんからな」
「悪いことしようとしてたのは、俺の耳で聞いた。証拠なんか関係ない!」
「なんだと!」
たしか、本庄とか言う名前だったかな? 中学二年の時、前泊の取り巻きの一人だった奴だ。そいつがいきなり、俺の胸倉をつかんでくる。
「俺は、やっていいことと悪い事の区別もつかないのかと言ったんだ。それを犯罪行為に結びつけて解釈したのは、お前たちだ。勝手な言いがかりをつけるのはやめろ!」
以前の俺だったら、こいつらの言い分に負かされて黙ってしまっただろう。けど、ことは俺だけの問題じゃない。キャロラインの安全がかかっているんだ。
 

P48は、2023年5/7公開

そう思うと、自然と冷静に反論できるから不思議だ。
「こいつ!」
突然、本庄のパンチが飛んできて、俺の左の頬に当たった。
「こいつ、前よりもずいぶん生意気になってんじゃねぇか?」
もう一人の男子生徒、たぶん當間という名前だったか? が、イラついたように話す。
「……そう言うお前たちの悪役度も、上がったって思うよ」
俺が返すと、二人は信じられないという顔をする。しかし、それも一瞬だ、すぐに、當間が俺の足を蹴り、本庄が再びパンチを俺の腹に打ち込む。
痛い。
けれど、たいした痛みじゃない。むしろ、俺の体の中から何かがムクムクと膨れ上がってくるのが感じられる。
俺の頭の中で何かが切れかかる。カーッと熱くなる頭の中で思考が停止しかかる。
「やめなさい」
突然響く声に、その場にいた全員が一瞬動きをとめる。声のした方を振り返る俺たちの目に、バーカーショップから出て、こちらに歩いてくるキャロラインの姿が入ってきた。


 キャロラインは、俺の胸倉をつかんでいる本庄の手をつかみ、軽くひねって簡単にはずしてしまう。
「……?」
「一対二は、卑怯者のすること。私がリョウに加勢します」
 本庄と當間は、思わず顔を見合す。前泊は、あわてて二人の後ろに隠れる。
「じょーだん。女相手に喧嘩なんて、そんな乱暴なことできるかよ」
「そうそう、俺たちは、女にはとても優しいんだぜぇ」
 二人は、からかい半分であしらおうとする。
「オー。さっき私を帰り道で待ち伏せして、脅かす相談してたでしょう? それ、聞いてたから」
 キャロラインが意外なことを言う。
「はぁ?」
「ははっ。すげえ……。地獄耳だね。店の中で、俺たちの話が聞こえたって言うのかよ? こいつもリョウと同じ。妄想癖でもあるんじゃねぇかぁ?」
ハハハハッ!
「頭少しおかしいんじゃね」
 當間の言葉に俺が怒って前に飛び出そうとするのを、キャロラインが止める。そして、俺のトレーナーのポケットに手を入れる。

P49は、2023年5/14公開

「これが、あったからね」
 キャロラインが手にしているのは、携帯電話だ。しかも通話状態にしているようだ。ディスプレイから光が漏れている。
「こっちで、聞いてたの。ついでに録音もされてるから」
 そう言って今度は肩から下げた小さなバッグから、スマホを取り出す。
 本庄と當間、そして前泊の顔が青ざめる。
「へ……。誤解でしょう? ただイタズラでビックリさせようとしただけでぇ。なんで、そうむきになるのか、わからないんだけどぉ」
 當間が動揺を隠すようにへらへらと笑いながら、前に出てくる。
 その瞬間、キャロラインの右手が上がり、ひらめくようにシュッと伸びる。
 にぶい音がして、當間が後ろにひっくりかえる。
 何が起こったのがよくわからずに隣を見ると、キャロラインが右手をひらひらさせている。
「痛あ~い。急に飛び出してくるから、手がぶつかっちゃったあ」
 ひっくり返った當間が上体を起こす。するとその鼻から血がポタポタと流れ落ちる。
「てめえ。何しやがる!」
「オーノー。手がぶつかっただけでしょう。あなたが急に、飛び出してくるから……。気をつけてよね」
「な、なにい?」
 本庄がキャロラインに殴りかかったので、俺はとっさに飛び掛る。
「リョウ! てめえ……放しやがれ!」
 本庄は、膝で俺の腹を蹴り上げ、背中を思いっきり拳で殴りつける。それでも俺は本庄を放さず、建物の壁へと押していく。
 壁に背中を叩きつけられ、本庄はますます怒り狂う。俺の後頭部を殴りつける。
目から火花が飛び、俺はたまらず頭を覆ってしまう。間が開いたことで、今度は本庄の蹴りが俺の腰や足に叩き込まれる。
 勢いづいて俺に殴りかかろうとする本庄の後ろに、キャロラインがスッと近づく。
 それに気づいて振り返ろうとした本庄の首の辺りに手刀が打ち込まれる。途端に本庄の動きが止まり、前のめりに倒れる。俺は、とっさにそれを前から抱きかかえる形になる。
「……気絶してる!」
 俺が驚いていると、キャロラインが背中にさらに突きを軽く入れる。
「何をしたんだ?」 
「ちょっとツボを……ね。これで一週間は、痛くて立てなくなるはず」
 そう言うと、キャロラインはニコッと笑う。

P50は、2023年5/21公開

「ちくしょう。バカにしやがって……。もう許さねェからな」
ハンカチで鼻血を押さえていた當間が、ポケットから何かを取り出す。
俺は、當間が手にしたものを見てゾッとする。
當間の手に握られていたのは、大型のサバイバルナイフだったからだ。
いけない。
これ以上暴走すると大変なことになる。俺は、気絶している本庄を建物の壁にもたれさせると、キャロラインと當間の間に割って入る。
「當間っ! やめろっ。お前たちがかなう相手じゃないっ」
俺は、冷静に、そして客観的な事実を伝えることで、當間が思い止まることを期待した。
だが、當間には逆効果となった。そう、當間は、俺の言葉を挑発と受け取ったようだ。
「なんだとぉお。俺が女相手にかなわないと言うのかぁ!」
當間が、ナイフを手に突っ込んでくる。俺の後ろにはキャロラインがいる。もう、逃げるわけにはいかない。
俺は、とっさにナイフを突き出してきた當間の腕をつかむと、その伸びきった体の下に潜りこみ思いっきり身体をひねった。
「い、痛てーっ!」
柔道でいうところの「一本背負い」がきれいに決まって、路面に尻から落ちた當間は、痛みで手からナイフを落とす。
すかさず、キャロラインがそのナイフを取り上げる。當間はお尻を押さえて動けなくなっていた。たぶん、しばらくは痛くて立てないはずだ。
「い、行こう!」
俺は、キャロラインの手を引っ張って逃げ出す。
「だって、まだ……」
「ダメだよ。これ以上したら……あいつらも面子が立たなくなる」
俺は、そばで成り行きを見守っている前泊を一瞥して、夢中で駆け出した。
俺たちが逃げたことで、あいつらも痛い目にあったとはいえ、体面は保てるだろう。勝って怨みを買っても、後でろくなことはない。


 ハッハッハッ。
 住宅街の中の夜道を俺はキャロラインの手を引いて駆けていく。逃げ出した方向がわかると追いかけてくる恐れがあったので、一旦幹線道路沿いに逃げてから、住宅街に入る小道に入り、大回りをして反対方向へ逃げたつもりだった。学校近くの公園まで来たところで、俺は追手がいないか確認してキャロラインとベンチに腰掛ける。

P51は、2023年5/28公開

二人で顔を見合わせると、なぜか可笑しくなって、笑いがもれる。
 こんなに痛快な出来事は久しぶりだった。二人で並んで走ったのは、この前、嘉手納で走った時以来だけど、今回は二人手をつないでの逃避行だ。
「カッコ良かったよ」
 キャロラインが息を整えながら話す。
「それ……キャロラインの方だろ」
「そう? 引いちゃう? 男の子って自分より強い女の子って、あまり好きじゃないんでしょう?」
 キャロラインは上気した顔で、額の汗をハンカチで拭いている。その姿を、俺はとても魅力的に感じてしまう。なんだかとても色っぽい。
「……!」
 俺はいつの間にか、キャロラインの頬にキスをしていた。俺の唇に、キャロラインの汗がついて、少ししょっぱく感じる。
「そんなこと、ない。俺は……そうは思わないよ」
「え……」
 俺は驚くキャロラインの唇にも、そっと自分の唇を重ねる。
 キャロラインの灰色の瞳が揺れ動き、白い頬がポッと赤く染まる。
「あ……。リョウも意外と……やるじゃない? 最後は、柔道の投げ技を決めちゃったし……。一本背負いとか……かな?」
 キャロラインが、俺の胸を押し返しながら、うろたえたように喋り出す。
「夢中だったから……。身体が勝手に動いたんだ。俺……キャロラインのこと、本当に好きになっちゃったみたいだ」
 俺は再び、キャロラインの唇にキスをする。
「あ……あん。ま、まえ……前泊さん、さっきひどいこと言ってたけど……。勘弁してあげてね。きっと、本当はリョウのこと、気にしてるんだと思う」
「なんで今、そんなこと言うんだよ。前泊は関係ないだろ。あいつは、俺のこと嫌っているんだから……」
「ちがうと……思う。彼女は、あなたのことが好きなのよ……」
 キャロラインは、キスの合間に喋るが、今度は無理に押し返すようなことはしない。
「そんなことない……」
 俺は、キャロラインの手を握りながら、キスの感触に酔いしれる。
「あん。まって……話を聞いて。彼女は、愛情表現が下手なの……。素直になれなくて……だんだん歪んでしまったんだと……思う」
「いやだよ。前泊なんか、顔も見たくない!」

P52は、2023年6/4公開

「そんなこと、言わないの」
「キャ、キャロラインは、俺に彼女と付き合えって言うのか?」
「それは……いや!」
「なら……」
「でも、私は、リョウの優しいところが好きだから……。だから、リョウには、優しい心をなくさないで欲しいの……。自分でも、おかしいと思う。もし、リョウが他の女の子と話したりしてたら、私、きっと焼きもちを焼いちゃうかもしれない。それでもリョウが優しさを忘れなければ、私の嫌なところを見てもきっと愛し続けてくれると思うから……」
「だいじょうぶだよ。キャロラインを……嫌いになんか、ならない。絶対に嫌いになんか、ならない!」
 俺は、とうとうがまんできなくなって、キャロラインを抱きしめていた。
「あ。ダメ。こんなところで……、誰が見てるか、わからないのに……」
 その時、公園のそばの道をパトカーが静かに通り過ぎた。
 俺たちは、一瞬息を詰めてしまう。
 パトカーはそのまま通り過ぎた。けれど、道路の先の交差点でUターンしてもどってくる気配だ。方向指示器が点滅しはじめる。
沖縄は戦後長いこと米軍の施政権下にあった歴史がある。亜熱帯気候という気候風土と、長いアメリカナイズされた文化の影響で、本土の大都市以上に夜型社会となっている。夜の九時、十時に那覇の街中を歩いている高校生の姿は、決してめずらしくない。
それでも、あまり人気のない夜の公園に、高校生らしき人影が見えたということで、パトカーとしては補導もしくは注意指導すべきと考えたようだ。こうなると、やっかいなことになる。へたをすると親にも連絡が行くことになるだろう。
それだけはごめんだ。
「……行こ!」
 キャロラインが立ち上がり、俺もしぶしぶ立ち上がって公園の反対側の出口から逃げ出して帰路につく。
 二人で手をつないで並んで歩く夜道は、俺にとって至福の時間だった。時間が止まってしまえばいいと、どれほど願ったことだろう。帰り道がずっと遠くて永遠に続いてもいいと、本当に心の底から感じていた。
 世界に、俺とキャロラインしかいなくなってもいいとも思った。けれど、時間はあっという間に過ぎて、キャロラインの住むアパートに着いて別れの時が来てしまう。
 俺の失望は大きかった。
「そんな顔、しないの。また、明日会えるから……」
 軽く手を振って階段を上がっていくキャロラインを見送って、俺は家路についた。
 

P53は、2023年6/11公開

その時、もし、俺が泊まるなんて言い出していたら……キャロラインは、何と言っただろうか? 俺は、キャロラインのことを、他の誰よりも知っているつもりだった。それは事実だろう。けれど、本当のことは、まだまったく知らなかったということを後で思い知らされることになる。
キャロラインは、不思議だ。先生や生徒の多くは、彼女がハーフで長い銀髪をした美少女だということに注目しがちだが、彼女の不思議なところを知っているのは、俺だけだったのかもしれない。
 翌日から、キャロラインは学校を休んだ。それは突然のことだった。
偶然記録に残っていた彼女のスマホにかけても通じないので、俺は不安になった。先生からクラス全員への説明があったのは、翌日朝のホームルームでのことで、安心はしたものの、あまりにも急な出来事のために、俺の方が受け止めきれなかった。
キャロラインと会えないという悶々とした気持ちを抱えたまま、一学期は終った。そして、緑ヶ岡高校は、長い夏休みに入った。
高校生活最初の夏休み。
何もすることがなくなった俺は、弓道部の部活に集中することになった。


「元気出せよ。キャロちゃん、少し長く休んでいるだけだろ」
 堀田が俺を励ましてくれる。
「ああ」
 俺は、上の空で返事をする。
 もうすぐ夏休みも終わるが、キャロラインの姿はどこにもない。
「なあ。キャロラインって……いたんだよな?」
 俺は、これまでのことを思い返しながら、疑問を口にする。
「何をバカなことをーー。だいじょうぶか? 先生の話だと、お家の事情でオーストラリアに帰っているだけだって言ってただろ。必ず帰ってくるって。失恋したわけじゃないんだろ?」
 堀田が心配して励ましてくれるが、俺はそれでも復活できないでいた。
わずか一ヶ月程度会えなくなっただけで、この体たらくだ。
自分でも信じられないが、本当に何もやる気が起きないのだ。まるで、五月病にでも罹った感じだ。
「元気出せって。二学期が始まったら、きっと帰ってくるって」
「そうだよな。早く夏休み終わらないかな」
「やめてくれ。それ、他の奴の前で言ったら、総スカン食らうぞ。俺だって、もっと夏休みが続いてくれることを祈りたい心境なのに――」

P54は、2023年6/18公開予定