公開ライトノベル作品その9

オリジナル・怪奇作品(ORIGINAL mysterious-Fiction )

 地元の公募に応募するため作ったショートストーリー。怪奇もの。

「永遠の彼女」    

量産工房    (2015年制作作品)

 

 まただ。
俺の怒りは頂点に達しようとしていた。
今日は、一学期の期末テストの初日だ。みんな夏休みを気持ちよく迎えたいこともあって、真剣な表情で試験前の貴重な時間を年号の暗記などに集中している。そのため、教室内は普段より言葉数も少なく、とても静かだ。
そんな中始まった最初の歴史のテストだったが、隣の席の千香のところだけテスト用紙が配られないのに、俺は気づいた。
千香は、うつむいて下を向いたまま、特に抗議しようとする様子もない。長い黒髪の間から見える白い横顔がとても寂しそうで、俺はいたたまれなくなる。
「先生、テスト用紙が足りません!」
俺は手を挙げて声をあげる。
「ん? そ、そうか?」
社会の鈴木先生が俺の席の列の先頭にテスト用紙を一枚追加し、後ろを回すよう指示する。俺は回ってきたテスト用紙を隣の千香の机へと回す。
「あ、ありがとう」
千香が少し顔をあげて、とても小さな声で礼を言う。
気にするな。
俺は、そう目で合図して、自分のテスト用紙に向き直る。そんな俺達の様子を鈴木先生が怪訝な表情で見ているが、俺は気にしない。
このクラスの千香に対するイジメは、ひどくなる一方だ。男子のイジメの場合だと暴力が中心になって目立つけど、女子がターゲットとなるとイジメは陰湿で狡猾なものになる。千香が受けているイジメは、完全無視だ。そのため、担任の松平先生でさえ、気づいていない。
仲間千香は、俺の幼馴染だ。同じ小学校からこの千原中学校に進学してきた。
腰まで届く長い黒髪。ウチナーンチュだけども色白の肌と整った顔立ちは、俺が言うのも何だが、かなりの美少女だ。しかもおしとやかで、特に感情的になることもなくて、今風に言えば、クールビューティーといったところか。
それだけに同性の女子生徒からは、受けが悪いのだろう。この中学にあがってイジメの対象になるのに、そう時間はかからなかった。
俺、一条卓哉は、何度我慢できなくなって抗議しただろう。そのたびに二人の関係を冷やかされ、からかわれてきた。
それでも繰り返される俺の抗議に、最近では少し改善してきた様子だったのだが、まだイジメは続いているらしい。
イジメの首謀者が誰なのかわからない。だから、イジメの解決には、まだまだ時間がかかりそうだ。
けれど絶対にやめさせないといけない。
俺は、幼馴染の千香を絶対に守り抜くと、心に固く誓っていた。

「卓哉ぁ。今日のテスト、どうだった?」
「まあまあといったところかな。歴史は、予想通りだったし、数学の連立方程式の問題も予習した練習問題そのものだったし、な」
「おーっ。さすが秀才は、言うことが違うネェ……」
 クラスメートの棚原由紀が、感嘆の声をあげる。
 千香とは帰る方向が同じで、つい最近まで一緒に帰ることが多かったのだが、最近は一人で先に帰る事が多くなっていた。
 今日も千香は先に帰ったようなので、俺も一人で帰るつもりだった。けれど、その様子を見て、由紀が声をかけてくれたようだ。
「一緒に帰ってもいいかな?」
「別にー。俺は構わないけど……」
 クマゼミの鳴き声が響き渡るデイゴ並木の道を、二人並んで歩く。途中ですれ違った小学生が俺達二人を冷やかすが、俺は気にしない。
 そう言えば、千香と一緒に帰る時は、そんな冷やかしは一度も受けたことがない。
と、言うことは、千香よりも今隣にいる由紀の方が、カップルとしてお似合いに見えるということなのか?
 隣を歩いている由紀の横顔を見ると、少しだけ頬が赤くなっているような感じだ。その栗色のミディアムロングの髪、少し日焼けしているけど目鼻立ちの整った顔が、ほんのりとピンク色に染まった頬とマッチして、とてもかわいらしく感じてしまう。
「な、なあ、千香をイジメてる奴って、知ってるか?」
 俺は少しドギマギする気持ちを抑えながら、それを悟られないよう、関係のない話題をふる。
「え? イジメ? うちのクラスで? そんなのあるの?」
 由紀は、俺の言葉に、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をして聞き返してくる。
「あ、いや。知らないならいい……」
ふと気がつくと、道路の拡幅工事で現れたのだろう。道沿いのススキの生い茂る斜面の一部がむき出しになり、そこにポッカリと穴が開いていた。
「あれ? こんなところに壕なんかあったっけ?」
「あ、ホント。きっとこの前の台風で崖が崩れて、埋まってたのが出てきたんだ」
「そうかぁ? ほら、そこにユンボがあるだろ。道路工事してて、重機で掘り起こしたら出てきたって感じだけど……」
「でも、この辺り、台風の大雨で土砂崩れが起きた場所だよ。それに、道路工事の看板もないしー。やっぱり、台風の影響だと思うけどな」
「なるほどぉー」
 俺は、ふと立ち止まって壕の中をのぞいてみる。壕は、入り口は狭いけど、奥行きはかなりありそうだ。しかも中は、大人が立って歩けるだけの十分なスペースが確保されていて真っ暗な奥へとまっすぐ伸びている。
「かなり大きな壕だ」
「卓哉ぁ。あぶないから、入ったりしたらダメだよ。不発弾とか残っているかもしれないし……」
 興味津々で見つめている俺を、由紀が注意する。
「わかってるって。子供じゃあるまいし……そんなこと、するわけない……」
 そこまでつぶやいて、俺は何だか、不思議な感覚に襲われた。こんな会話を以前にもしたことがあるような……そんな感覚だ。
「あれ? 変だな」
「何が?」
「あ、いや。なんでもない……」
 由紀の問いに、適当に答えた時、俺はふと壕の奥、暗がりの中に何か動くものを見た。一瞬だったが、それは白い足だったような気がした。確かめようと、壕の入り口に近づこうとする俺を、由紀が引き止める。
「危ないってばぁ。ハブがいるかもしれないのにぃー」
「あー。でも今、中に人がいたような……」
「えーっ! まっさかぁ。恐いこと言わないでよ」
「そ、そうだよな。こんな中に、人がいるはずねぇよな……」
 中に本当に人がいたのかどうかは、わからない。けれど、沖縄に生息するハブは、猛毒を持っていて噛まれると命に関わるほど危険な存在だ。戦争中につくられた壕の中は、今ではハブたちの格好の住処となっていることが多いから、普通に考えると、明かりも持たずに壕の中に人が入るということは、あまり考えられない。
どっちにしても、気をつけるに越したことはない。
それでも……。
 不思議なデジャビューの感覚は、残っていて、壕の奥に見た人影らしきものも気がかりだった。けれど、それを確かめる術はない。
俺は由紀と一緒にその場を後にして、家路についた。

「おい。知ってるか?」
「あー。幽霊の話だろ?」
「そっ。白い幽霊」
 一週間後、クラスでは夜道に現れる幽霊の話題で持ちきりになっていた。
「お前、いつもあの一本道、歩いて帰ってるんだろ? 見たことないのか?」
「はぁ? 全然。見てねぇよ。俺があの道、歩くのは昼間だぜ。昼間っから幽霊なんか現れるわけねーだろ」
 俺がクラスメートの本田君と話しているところに、由紀が割って入ってくる。
「でもさ。帰り道だよ。怖くないの?」
「おっ、脅かすなよ。一体、どんな幽霊なんだよ?」
「あー。俺もよく知らね。女の幽霊らしい。夜、あの一本道に白くボーッって光って立ってて、近づくとパッと消えるとか。だから、白い幽霊だとさ」
「白い幽霊ねぇ……。何かの見間違いなんじゃねぇの?」
「いんや。2組の金城がすれ違って、とてもキレイな子だったから、振り返って確かめようとしたらしい。そしたら、いなくなってた、ってよ」
「きれいって、顔も見たわけ? じゃ、なんで幽霊ってわかったの?」
「そりゃあ……。振り返ったら、いなくなってたから……じゃね? 一本道だろ! 一本道! キビ畑と崖の間の一本道だぜ。隠れるとこなんかないだろ。でも、突然いなくなった。だから、幽霊なんだろ」
「わっからないじゃない! サトウキビの中に隠れたとか。黒い布持ってて、すれ違ってからパッと被って、脅かしたとかさ。そんなのも、あるんじゃない?」
「まてまて。それじゃあ、どう考えてもイタズラするためにわざと準備したことになるだろ。誰が、何のために、そんなことすんだよ!ありえんって!」
 由紀の幽霊に対する決めつけに、俺は疑問を投げかける。誰かの仕組んだ大掛かりなイタズラという結論には、俺としては、その動機からして、とてもありえないこととしか思えない。
「あらぁー。イギリスのミステリーサークルの例だってあるじゃない。イタズラして、世界を騙して喜ぶ人だっているのよ。だからありえないこともないんじゃない?」
 由紀がしつこく反論してくる。
なるほど。
俺は思わず感心してしまう。最近、由紀はなぜか俺に絡んでくることが多いのだが、元々頭がいいだけあって論理的で、俺もつい引き込まれてしまう。
「でもな。それにしては、規模が小さすぎるだろ。せこくないか? 幽霊の目撃談なんか、日本全国、いや世界中にごまんと溢れてるぞ! 売名行為のためだとしても、もっとアイディアがないと、マスコミの目を集められないと思うけど……」
「でもぉー。私達が帰る一本道に本物の幽霊が出るなんて~嫌だし……」
「ははっ。否定しても、出るもんは出るんじゃねぇの?そんなに気になるんなら、2組の金城に聞いてみ? もっと詳しいことがわかると思うぜ」
本田君がニヤニヤしながら、俺と由紀を交互に見ながら提案する。
「そうだな」
 俺は由紀の方を見て、目で合図する。
 由紀は、やれやれと言った顔で、ため息まじりにコックリうなずくのだった。

「まいったな。なんで一条なんかが、来るんだよ」
「何よぉー。私達が帰る一本道に、白い幽霊が出るなんてデマ飛ばしたの、あんたでしょう。説明する責任あるんじゃない? 」
幽霊を目撃したと言う2組の金城聡史のところに出かけた俺と由紀だったが、金城の表情は、ウェルカムではなく、逆にノーサンキューといった雰囲気だった。 
「ちっ! 話さなきゃよかった……」
幽霊の目撃者だという、2組の金城聡史は、俺と目が合うと、少しうつむき加減になりながらボソッと言った。
「でもデマなんかじゃない。幽霊の話は本当だ。ただ……似てたんだ。昔、近くに住んでた子に……。面影だけだけど、よ」
「誰だ? 俺も知ってる子か?」
「ああ。けど、お前は知らない方が……いや、見ない方がいい。絶対にー」
「何で?」
「何となく。ただ何となく、そう思うんだ」
「わからないな」
「わからなくていい。その方がいいって」
「はあぁ?」
 俺の口から思わず不満の声が漏れる。
「ちょっとぉ。そんなの説明になってない!」
 由紀が抗議するが、金城はそれを聞くと、少し怒ったように、由紀をにらみつけた。
「何もわからんくせに……。ナイチャーは、口を出すなっ!」
「ナイチャーって、何よ! 私は確かに東京から転校してきたけど、両親は元々ウチナーンチュよ。変な差別は、止めてよね!」
「ちぇっ。悪ぃ。別に、そんな意味で言ったつもりじゃねーんだけど……。地元に住んでなかったらーその、なんだ。昔のこともわからないのに、口出すなってことだ」
「昔ぃ? 何それ?」
「とにかくー。俺は話さないからな」
 由紀が激怒するが、金城はそれきり、いくら俺と由紀が問い詰めても、白い幽霊のことを口にすることはなかった。

 一学期が終わり、明日からいよいよ夏休みという、その日。
 俺は日直の仕事のため、いつもより帰りが遅くなっていた。バッグを取りに自分の教室へ続く校舎の階段を駆け上がる。アルミサッシの窓から見える西の空は、夕焼け色に染まっていて、とてもきれいだ。
あれ? 誰かまだいる?
教室の隅に白い人影が見える。ドアをスライドさせて入ると、そこにはめずらしく、千香の姿があった。
「あ、あれ? まだ残ってたんだ」
「うん。明日から夏休みでしょう。だから今日は一条君と一緒に帰りたいなって思ったからー」
「あ、そう。待っててくれたんだ」
 少しはにかんだ千香の笑顔を見ると、俺の胸が少しだけ高鳴る。そのドキドキを出来るだけ隠して、平静を装うのは、かなり難しい。
「サンキュ。じゃ、帰るか?」
 二人並んで、教室を出る。校舎の中の階段をゆっくり降りながら、俺は間を持たすためにいろいろと話しかける。けれど、千香は、その度に「そう?」とか、「ええ」とか適当な相槌を打つだけで、あまり話題に乗ってこない。それで、学校の正門をくぐる時には、適当な話題も尽きて、黙って二人並んで歩く羽目に陥ってしまった。
「あー。そうだ。これ知ってる。白い幽霊のこと」
 俺は沈黙に耐え切れず、数日前、本田君から聞いた一本道に現れる白い幽霊のことを話してみた。
「2組の金城、金城聡史……知ってるだろ。あいつ、この白い幽霊とすれ違ったらしいんだけど、変なこと言うんだ」
「変って、何が?」
「その、なんだ。金城の奴、幽霊のこと、知ってるみたいなんだけど、どうも何か隠してるみたいでさ」
「隠してる?」
「そっ。少なくとも俺はそう思う。金城はたぶん、幽霊のこと何か知ってるんだ」
「それって……金城君が幽霊を殺したとか?」
 千香が真剣な表情で見つめかえす。
「恐いこと言うなよ。それにー幽霊はとっくに死んでるからー。正確に言うとだ。幽霊になった女の子のことを知ってて、言えない秘密を持ってるんじゃないかってことさ」
「それってー殺人事件ってこと?」
「かもな。って、そんなことありえんって。俺達、中学生だぜ。できっこない」
「そうだよね……」
 千香は割りとすんなりと納得してくれたけど、俺の方はむしろ、大きな疑惑に捉われていた。
「気になるの?」
 俺の浮かない顔を見て、千香がたずねる。
「あったり前だろ。ありえないとは思うけど、何か隠してるとしたら、知りたいって思うのは、当たり前じゃないか?」
「ふーん。そんなもん? じゃあさ。二人で金城君呼び出してさ、問い詰めちゃおうか」
「はぁあ? 呼び出しただけで金城が口割るなんて思えないけどな」
「学校だったら、そうかもしれないけどさ。他の生徒もいるしー。他には聞かれたくないって気持ちもあったかもしれないしー」
「なるほどー」
「それにー幽霊のことなんだからー。幽霊の出る、あの一本道のとこなら、意外と簡単に話してくれるかもしれないじゃない」
「それも、そーだな」
 俺は千香の提案に乗ることにした。そして、数日後の夜7時、一本道の入り口に金城を呼び出して三人で会うことにした。

近くの草むらで虫の鳴く声が聞こえる。
夜の7時といっても、沖縄の夏のことだ。陽が落ちたとはいえ、まだまだ周囲はかなり明るく、蒸し暑い。
「まったくー。なんてぇ奴だ。こんなとこに呼び出すなんてよぉ。幽霊が恐くないのかよ! 言っとくけど、ウソじゃないんだぞ。白い幽霊は。本当に出るんだ」
一本道の入り口で出会った金城は、俺の顔を見るとため息混じりにつぶやく。
「意味深なこと、言うからだろ。隠してること言わないと、お前が俺に預けてるエロ本のこととか、親にばらすぞ」
「はあ? 強引な奴だな。それ、お前だって喜んで預かってるんじゃないか? お前だって、お世話になってるとか、さ」
「趣味が違う。俺は硬派なんだ」
「はいはい。わかったよ。じゃ、歩きながら話すとしようぜ。これ以上帰りが遅くなると、やばいからな」
 そう言うと金城は、俺と並んで一本道を自宅へ向かって歩き始めた。
 金城には言ってなかったが、一本道の途中で、千香が隠れて待っている。もし、金城が口を割らない時に備えて、脅かす予定だったのだ。
「お前、忘れてると思うけどよ。あの事故のこと……」
 金城がポツリポツリと話し始める。
「事故? どんな?」
「ああ、不発弾の爆発事故だよ。お前は事故の後遺症で記憶を無くしているから、みんな言わないように、お前の親から頼まれてたし、な。お前にショックを与えないようにって」
「は? 何だよ、それ」
 俺は、金城の言葉に目を白黒させる。
「本当にー憶えていないんだな」
 金城は少し先に歩いて行って立ち止まり、振り返って俺と左側の崖を見つめる。
「なんだ? どうして立ち止まるんだ?」
「ここら辺りのはずだ。その……お前達が事故にあったのは……」
 左側の崖には、この前、由紀と帰った時見つけた壕の入り口がポッカリと口を開けていた。
その時だ。突然突風が吹いて、道の反対側の畑のサトウキビが、ザワザワと騒ぎ始めた。
ただの風のはずなのに、俺の背中を冷たいものが走り抜ける。それは、金城も同じだったらしい。
そして、どこからか足音のようなものが聞こえてきた次の瞬間、金城は俺の手を取って、壕の中に飛び込んだ。
「な、何だよ」
「黙ってろっ。誰か来る!」
 青ざめた金城の顔が壕の暗闇の中、外の明かりを受けて浮かび上がる。その顔は真剣そのものだ。
 歩いてくるのは、たぶん千香だ。別に気にすることはない。
 俺はため息をつきながら、壕の外に合図を送ろうとした。
「馬鹿っ。顔を出すなっ。外を見るんじゃないっ!」
「あ、でもー」
「言うことを聞けっ!」
 腕を引っ張られて、俺は金城とともに壕の入り口付近の盛り土の陰に伏せた。道の方からは、次第に近づいてくる足音が聞こえてくる。
 金城は口元に指を当て、俺の顔を食い入るように見つめる。
 声を立てるな、ということらしい。
 金城の力いっぱい掴む手と必死の形相に、俺はどうすることもできず、ただじっとしているしかなかった。
 その間に、聞こえてきた足音は、一旦、壕の前辺りで止まったものの、すぐにそのまま立ち去ってしまった。
 道沿いに立っている電信柱の電線が、突風を受けて、オオオン、オオオンと不気味な唸り声のような音を辺りに轟かせる。
 しばらくして突風が収まり、辺りが静かになる。そして、静けさが戻って、草むらから虫たちの声が蘇り始めた。
 そこでようやく、金城が俺を掴んで引き止めている手の力を緩めた。そこで俺はようやく上体を起こして、壕の外の様子を確認する。
 薄暗い道には、誰もいなかった。白い道が、薄暗い中で、浮かび上がって見える。
「行ったか?」
「誰もいないぜ。それに隠れる必要なんかー」
「馬鹿っ。もし幽霊だったら、どーすんだよ」
「幽霊なんかじゃないって。第一、もし幽霊だったら足がない。足音なんかするわけないだろ!」
「お前は、幽霊に会ってないから、そう言うんだ。幽霊のこと、何も知らないからー」
「当たり前だろ。金城。お前、幽霊のこと知ってるんだろ。何で俺に話してくれないんだ? ひょっとして、お前、本当に誰か殺したりしたのか?」
そこで俺は、金城を問いただした。
「そんなこと、あるわけないだろう。はあぁぁぁっ。いいか。これはあの時の事故が、関係しているんだ。お前が巻き込まれた5年前の不発弾爆発事故にー」
「5年前? の事故? なんかそんなのがあった気がするけど……別にたいした事故じゃなかったと思うけど……」
「おいおい。たいした事故じゃないって、お前あの時、頭に大怪我して、死にかけたんだぞ。死人も出てるしー」
金城が血相変えて、反論する。そして、次の瞬間、その目がカッと大きく見開かれて、声を飲み込んだ。口をパクパクさせながら、俺を指差す。
「え?」
俺は、金城の指し示す先と視線が、俺の真後ろに向いているのに気づく。
振り返った俺の後ろに、千香が立っていた。
「千香?」
 俺のかけた声に千香がうなづく。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
突然、悲鳴をあげた金城は、壕の入り口付近を四つんばいの格好で必死で駆け上った。
「あ、ま、待てって!」
 俺は慌てて、金城の後を追おうとする。その時、金城の手が土砂の中から、小石のようなものを掻き出し、それが俺の方へと転がり落ちて来た。きな臭い煙が少し立ち昇る。
 な、なんだぁ?
 小石と思ったものは、赤茶けた握り拳大の円筒形をしていて、乾電池を大きくしたような印象だ。煙をあげていることからしても、ただの石ころなんかではない。金属でできた人工のものだ。
「卓哉っ。あぶないっ! 下がってっ!」
 足元のそれから目が離せず、突っ立ったままの俺の身体が、千香の手でグイと大きく後ろへと引き戻される。
少なくとも数メートルは後ろへ引き戻されたと思う。それが千香の力だとしたら到底信じられないものだけど、ひょっとしたら火事場の馬鹿力とかいう奴だったのかもしれない。
 そして、俺の目の前で大きな爆発がして、俺は目を閉じた。
 不発弾だ……。たぶん埋まっていた戦時中の手榴弾が、爆発したんだ。
 俺は薄れ行く意識の中で、状況を悟った。

土煙がおさまって、俺は吸い込んでしまった土ぼこりをペッペッと吐き出す。それでも口の中は土の味がして、ザラザラな違和感が残っている。
 壕の入り口は爆発で崩落して塞がれ、明かりはまったくない。それなのに、そばにいる千香の姿はちゃんと確認できた。
「壕の中にいたのか?」
「ずっと……ね」
「そうか。まいったな、こんな事故に遭うなんて……」
土ぼこりを払って立ち上がろうとした俺は、全身を走る激痛に思わずへたりこんでしまう。
着ている紺のジャージは上下とも裂けていてボロボロみたいだ。身体にまとわりつく布切れで、それがわかる。埃を払う手にヌルッとしたものがついてくる。
汗? かな。
額から流れ落ちてきた汗? が、アゴを伝ってポタリ、ポタリと垂れていく。気持ち悪くて、つい手でそれをぬぐう。伝い落ちる汗の雫? が、口元にも入ってくる。舐めると少ししょっぱくて、鉄の味がする。
! これって……血?
真っ暗な壕の中で、濡れた手の平を懸命に見つめるのだが、確かめることはできない。
暗さに目が慣れる前に、自分が目を開けているのか閉じているか、だんだんと訳がわからなくなって、意識が飛び飛びになる。
崩落した壕の中に、二人とも閉じ込められたのだ。
何とかしないと……。
そう思うものの、身体の自由がまったくきかない。俺は、絶望感に包まれた。
「もう、ダメかもな」
 俺の口から弱気な言葉が飛び出す。
「心配ない。ただ、壕に閉じ込められただけじゃない。ほんの少しの我慢だからー」
「無理だよ。出られっこないし……」
「大丈夫。きっと助けが来るからー。金城君が、きっと助けを呼んでくれるから」
 千香が元気付けてくれるが、絶望感を払拭することはとてもできそうにない。
「まずったな。まさか、こんなことになるなんて……。千香、巻き込んじゃってごめんよ。俺が、変なこと言わなきゃ、こんなことには、ならなかったのにー」
「そんなこと、ない。これは、きっと必要なことだったんだと思う。卓哉が私のことを受け入れられるようになるために……。うまく説明できないけどー」
「何のことだかー全然わかんね……」
「私ね。私、卓哉が私のこと、こんなに大切に思ってくれてて、本当にうれしかった。だから……ずっと側にいられたんだよ」
「え?」
「本当は……あの日から、私の時間は止まったままなの。あの日からー」
 そう言った千香の額から黒い帯のようなものが、垂れ下がる。それはドス黒い血だ。そして、その首が前のめりに傾いて、ストーンと落ちる。それと同時に手足がバラバラになって、その場にガラクタのように崩れ落ちた。
突然目の前で起こった出来事は、衝撃的だったが、生死の境にいた俺は、もはや感覚が麻痺していたのだろう。
ごく当たり前の出来事として受け入れている自分が、心の中にいた。
これだけの爆発事故だ。おそらく、千香も巻き込まれてしまったのだろう。
 目の前でバラバラになった千香の姿は、しばらくすると急にぼやけ出し、やがて、白く輝く光の集まりとなって、だんだんと周囲に拡散して消えていった。
そしてー俺の意識は、そこで完全に途絶えてしまった。
 
 遠くから消防車や救急車のサイレンの音が聞こえてくる。目覚める前のおぼろげな記憶は、そこから始まっていた。
 ドッと大勢の声が周囲に溢れて、俺の周囲は一瞬にして喧騒に包まれた。
「よかった。少年は無事だ」
 野太い声とともに、俺の身体にたくさんの手が絡み付いてくる。目に入ってくるライトの鋭い光がまぶしくて、俺は顔をしかめる。
数時間後、俺はレスキューによって崩落した壕の中から無事救出された。
レスキュー隊員たちによって、俺は担架に載せられ救急車へ放り込まれる。
「あ、まって。千香は? 千香が、まだ壕の中に……」
「え? まだ人がいるのか?」
「クラスメートの女の子が……」
「なにぃ? 事故の連絡では君一人のはずだぞ! 斉藤っ。飯田っ。大至急、壕の中を確認しろっ」
 俺の言葉に、現場は再び騒然となった。
けれども、結局、救助にあたった消防隊員達は、行方不明の千香を見つけることはなかった。


「お。生きてたか。もう大丈夫なのか?」
「ああ。あれくらいで、死なねぇよ」
クラスメートの本田君が、声をかけてくれる。みんな俺が夏休みの上旬、生き埋め事故に遭ったことを知っている。
救出された後、俺は収容された病院で一週間ほど意識を失い、生死の境を彷徨っていたらしい。意識が回復した後も、身体に食い込んだ不発弾の破片が見つかり、摘出手術を受ける等したため、長い夏休みは、まるまる病院で過ごすことになってしまったわけだ。
そして、久しぶりに登校したわけだが、俺は、なぜか肝心なことを忘れていた。
自分の席につこうとした俺は、教室の様子が少し変わっているのに気がつく。
「机の配置が……変わってる」
「ああ、昨日ね。席替えしたんだ。配置も少し変わってる。けど、お前の席は……一緒だ。変わらねぇよ。お前、身長があるし、目もいいからな。この列の一番後ろの席だよ。うらやましいよ」
「止せよ。俺のせいじゃないだろ」
 俺は本田君が教えてくれた席につく。
「おはよう」
「あ、おはよう」
隣の席に座っていた女の子が、声をかけてくれる。
確か、名前は石川千夏さんだったかな?
生徒たちがどんどん登校してきて、教室内が次第ににぎやかになってくる。
「あ、千夏……さん? 千香はどこの席になったのかな? いないみたいだけど……」
「え? ちか……って、私、千の夏って書くけど『ちなつ』って読むんだよ。千香って、そんな人、いた? 誰だっけ?」
「おいおい。いい加減、シカトは止めようよ。ほら、前、そこの席に座っていた千香だよ。仲間千香だよ」
「なかま……ちか? ご、ごめん、そんな子知らない。この席だって、私が座る前まで空席だったし……」
「はぁ?」
 俺はその言葉を聞いた時、軽い頭痛に襲われた。何か、大事なことを忘れてる。そんな思いが頭の隅をよぎる。
 千香……。千香って、幼馴染の……。
「一条君、大丈夫?」
 頭を押えている俺を見て、千夏が心配そうな顔をして、俺の顔を覗き込む。
「あ、な、何でもない……」
「そう?」
 不安そうな千夏の顔が見える。そして、霞む視界の中で、俺は、千夏の後ろに微笑んで立っている千香の姿を見つけた。
 視線が合うと、千香はいたずらっ子のようにクスリと笑った。
 ああ、やっぱり無事だったんだ。
 俺は、なぜか安堵して、そのまま意識を失った。 


「まだ、残っていたんですねぇ」
「まさか、そんなものが卓哉の頭の中に……」
 医者の説明に、一条卓哉の母はショックを隠し切れないでいた。
 医者が示すパソコンのディスプレイには、卓哉の頭部のレントゲン写真が展開されている。そこには、白いくっりとした影が映っている。医者が、今度はCTスキャンの映像を展開する。
「この三角形の白い物体。わかりますか?」
「は、はい」
「これが、今から5年前の事故で卓哉君の頭の中に飛び込んだ不発弾の破片です。脳の奥深く、視覚情報を処理する部分に食い込んでいます。視神経に特に影響が出ていないようなので、危険を冒してまで摘出手術する必要はないとは思いますけど」
「あの、卓哉の頭痛の原因ということは、ありませんか?」
「可能性はありますが、深刻でなければ無理に手術することは勧めませんね」
 医者の説明に少しだけホッとした母親が、そばにいる卓哉を振り返る。
 卓哉は黙ったまま、自分の頭のCTスキャン画像が映し出されているディスプレイ画面をただ見つめていた。
 久しぶりに登校した学校で、頭痛を訴えて意識を失った卓哉は、母親に連れられて総合病院で精密検査を受けたのだ。
 そして、そこで5年前に事故に遭った時、見逃されていた異物が脳内に残っていることが確認されたのである。

「大丈夫。俺は、大丈夫だよ」
 しばらくして、卓哉が応える。
「ん?」「え?」
 医者と母親が怪訝そうな顔で、二人同時に卓哉の方を見る。
「そのままで、いい。その方が千香も一緒にいられてうれしいはずだから……」
「卓哉っ。あんた、まだあの事故のこと気にしてるの? あれは、卓哉のせいじゃない。不幸な事故だったのよ。千香ちゃんも、きっと許してくれてるはずよ」
 母親が血相変えて、卓哉に訴える。
「わかってる。わかってるよ。だから俺は、このままでいたいんだ。ほら、千香もそうして欲しいって言ってるし……」
「卓哉っ!」
 母親のひどく驚いた声が診察室内に響く。
 自分の左隣を振り返る卓哉の視線は、ひどく優しい。けれど、その微笑みを向けた場所には、何もない。ただ、病院の白い壁があるだけだった。 

 俺が小学生の時、近所の山の中には、戦時中の壕がたくさん口を開けていた。そこは、子供達の絶好の隠れ家で、遊び場でー、俺も千香と一緒に秘密基地を作って、いろんなものを持ち込んで遊んでいた。
 壕の奥にはいろんなものが残されていて、ある日、俺は千香が止めるのも聞かず、懐中電灯を持って探検に入った。
 そしてそこで小さな不発弾を見つけて持ち出し、それは俺がほんの少し目を離した時に千香の前で爆発して、そして……。

そう。彼女は俺が小学生の頃、不発弾の爆発事故で亡くなっていたんだ。
でも、今、俺の目の前には彼女が……千香がいる。
俺だけにしか見えない、俺だけの永遠の千香の姿が……。
(完)



(完)