公開資料02

資料名/第二次大戦航空機メーカーロゴマーク集  第3.2-2版 アメリカ航空機メーカー解説追加バージョン

The Logo & history of U.S.A military aircraft manufacturers

内容/航空機関連の解説資料作成用に、参考として収集整理した資料です。情報収集を第一に優先しているので、検証と修正を進めながら版を重ねて、完全版をめざすつもりです。

8/1 全掲載。11/3容量オーバーのため、掲載縮小。

 

★8/9 主要メーカー掲載へ変更。他の国のメーカーロゴを紹介する容量確保のためです。ご了承願います。

ロゴ
logo
メーカー名
maker
解説 備考
ノースアメリカン(North American)
(海軍企業略号:J)
・1928年ペーパーカンパニーからスタートした。長い航続力を生かし、大戦末期に太平洋とヨーロッパ戦線で暴れまわった戦闘機P-51ムスタングのメーカー。第二次大戦最強と呼ばれた同機は、戦後も数多くが残存し、エアレースなどで活躍している。戦後の代表作は、自衛隊でも採用されたF-86「セイバー」。XB-70バルキリーは、もはや伝説的存在。  
グラマン(Grumman)
(海軍企業略号:F)
・1929年創立のアメリカ海軍機メーカー。太平洋戦争で、ゼロ戦の宿敵となったF6Fヘルキャットのメーカーとして知られる。そして、その後継F8Fベアキャットは、対ゼロ戦の本命だったが、終戦で実力を発揮できなかった。戦後は、可変翼艦上戦闘機F-14トムキャットで知られる。  
ノースロップ(Northrop)
(海軍企業略号:T)
・1928年創立。アメリカにおける全翼機研究開発のパイオニア。大戦中に作られた中では、全翼爆撃機XB-49の存在感が俊逸。その地道な努力は、戦後、ステルス爆撃機B-2として開花する。現米軍の最強戦闘機F-22のライバルとなったYF-23の開発メーカーでもある。  
ボーイング(Boeing)
(海軍企業略号:B)
・1916年創立。日本人を最も多く殺戮した爆撃機B-29のメーカーである。その他、ヨーロッパ戦線でドイツの都市を焼き尽くしたB-17、ベトナム戦争の北爆の主力、B-52など、基本的に爆撃機のトップメーカ。そして、戦後の大量旅客輸送時代を担う、大型旅客機の世界的製造メーカーでもある。  
ロッキード(Lockheed)
(海軍企業略号:O)
・大戦中は、双胴戦闘機P-38のメーカーとして知られる。戦後の日本では、航空自衛隊のF-104で知られる。社名の方はむしろ、「ロッキード事件」の方で有名かもしれないが、SR-71やU-2、F-117、そしてF-22など、極秘機の開発でも主役を務めた。創立は1916年。  
リパブリック (Republic) ・1939年、「セバスキー」から社名変更した会社。
大戦中は、重戦闘機P-38サンダーボルトのメーカーとして知られる。戦後は、XF-103の計画、そしてベトナム戦争で活躍したF-105「サンダーチーフ」で有名。
1965年にフェアチャイルド社に買収された。
 
ライアン(Ryan)
(海軍企業略号:R)
・1922年創立。リンドバーグの大西洋横断機・ライアンNYPのメーカーとして知られる。ただし、社歴としての継続性はない。大戦中は主に練習機を生産していたが、レシプロジェット混合機FR-1ファイアボールも試作している。
戦後はVTOL機等を試作したが実用に至らず、売却された。
 
ベル (Bell)
(海軍企業略号:L)
・1935年創立。大戦中は、アメリカ陸軍向けにP-39、P-63戦闘機を計4.5万機も大量生産した。
試作機としては、ジェット戦闘機XP-59が知られる。
戦後は軍用ヘリで業績を伸ばした。現状では、ボーイングと一緒に開発したV-22が有名。
 
カーチス(Curtiss)
(海軍企業略号:C)
・1909年創立の名門。1929年にはライバルのライト社と合併、カーチス・ライト社となった。代表作は、シャークマウスがよく似合うP-40。
戦後は失敗作ばかり続いて、会社も消滅した。
 
マーチン(Martin)
(海軍企業略号:M)
・1912年創立。1916年にライト社と合併したが、創業者は翌年別に会社を設立して合併を解消させた。日本ではPBMマリナー飛行艇でおなじみ。戦後はB-57キャンベラを生産するなどしたが、1995年にはロッキード社と合併した。
※「グレンマーチン」№105参照
 
コンベア(Convair) ・「コンソリデーテッド・バルティー」が社名を変更したもの(1943年)。
戦後、巨人ジェット爆撃機B-36「ピースメーカー」、ジェット水上戦闘機XF2Y「シーダート」を製造したメーカーとして知られる。
 
コンソリデーテッド(Consolidated)
(海軍企業略号:Y)
・1918年創立。重爆撃機B-24のメーカーとして有名。
太平洋戦争では、海軍向けの飛行艇P2Y-1/-3「カタリナ」のメーカーとして存在感を現した。
 大戦中の1943年にパルティー社と合併し、「コンソリデーテッド・バルティー」となる。
 
シコルスキー (Sikorsky)
(海軍企業略号:S)
・1923年設立。ロシア人でヘリコプターの父・シコルスキーが亡命して創立した会社。大戦前は、飛行艇メーカーとして知られていた。ヘリの開発に傾倒したのは、ヴォート社と合併した1939年以降で、S-51の成功で1943年ヴォート社と再び分離、ヘリ開発に集中して以後、各種ヘリを開発している。  
コンソリデーテッド・バルティー(Consolidated・Vultee) ・名前のとおりの2社が1943年に合併した当時のもの。
この後、戦後の需要減により、さらに社名を「コンベア」に改めることになる。
 
ダグラス(Douglas)
(海軍企業略号:D)
・1920年設立。戦前、民間用旅客機DC-3の成功で急速に発展した企業。大戦中に海軍向けに製造したSBD「ドーントレス」急降下爆撃機は、ミッドウェー海戦で日本空母群を壊滅させたことで有名。戦後も輸送機や海軍機を開発するなどしていたが、1967年にはマクドネル社と合併、マクドネル・ダグラス社となった。  
セバスキー(Seversky) ・1922設立。軍用機の製造と試作に取り組み、会社規模の拡大とともに1939年、社名を「リパブリック」に変更した。P-35の製造よりも、設立者が元ロシア軍パイロットであることの方が、興味を引く。  
フェアチャイルド(Fairchild)
(海軍企業略号:K)
・1924年、観測・写真撮影に適した機体開発で生まれた企業。大戦中は輸送機、練習機等を製造した。
戦後の成功作は、A-10「サンダーボルトⅡ」対戦車地上攻撃機。なお、1990年に破産して消滅した。
 
プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) ・1925年創立。大戦時、アメリカを代表する二大航空機用エンジンメーカーのひとつ。大戦中は、エンジン開発と生産に集中していたとされるが、B-29の性能向上型XB-44を試作開発した。
なお、完成した機体は、戦後B-50となった。
 
ヴァルティー(Vultee)
(海軍企業略号:V)
・1932年創立。1万機をこえる複座練習機「ヴァリアント」の量産で成功した会社。
1940年にスチンソン社を吸収、1943年にはコンソリーデーテッド社と合併した。
 
マクダネル(McDonnell)
(海軍企業略号:D)
・1939年創立。胴主翼一体型の戦闘機XP-67の試作で知られる。戦後の成功作は、F4ファントム。1967年にはダグラス社と合併した。  
ヴォ―ト(Vought)
(海軍企業略号:U)
・1917年創立。F4Uコルセア戦闘機を製造した。なお、「チャンス・ヴォート」は、戦前と戦後、一時的に使用された社名。  
スチンソン(Stinson)
(海軍企業略号:Q)
・1926年創立。L-5「センチネル」観測機を量産したメーカーである。1948年にパイパー社に売却され、消滅していった。

※ロゴは、よりらしいものに変更
 
ビーチクラフト(Beechcraft) ・1932年創立の軽飛行機会社。1937年に開発したモデル18は、軍用機として多数使用され、大戦中はその量産におわれた。戦後も多くの軽飛行機を生産していて、広く知られているが、1980年にレイセオン社の子会社となっている。  
ワコー(Waco)
(海軍企業略号:W)
・1910年創立。大戦中は、グライダーの製造を行ったが、軍隊輸送用グライダー・CG4Aが、デモ飛行で墜落。セントルイス市長などが死亡したため、100機が解体処分されるなどしたため、その後の業績は不調となり、1947年清算されて消滅した。ウェイコともいう。  
ヒューズ(Hughes) ・1936年、アメリカの大富豪ハワード・ヒューズが創設した。高速・長距離写真偵察機XF-11や当時世界最大となったH-4 ハーキュリーズ飛行艇で知られる。
いずれも試作だけだったが、戦後はヘリコプターの成功で発展した。1984年にマクダネル・ダグラスの子会社となって消えていった。
 
カイザーフリートウィングス(Kaiser Fleetwing)
(海軍企業略号:K)
・1929年創立。アメリカ海軍向けの爆撃・雷撃兼用艦載攻撃機XBTKを試作開発した新興メーカー。性能はほぼ合格点だったが、兵装搭載量が小さかったため、結局、採用されることなく終わった。メーカーも消滅したらしい。  
エアロンカ(Aeronca)
(海軍企業略号:R)
・1928年創立。地上偵察・観測機として、L-3「グラスホッパー」等を製造した。秘密の滑空爆弾GBシリーズのメーカーでもある。  
テイラークラフト(Taylorcraft)
(海軍企業略号:T)
・1936年創立。地上観測機「グラスホッパー」等の用途としてモデルD(L-2)を米陸軍へ提供した。
2000機以上販売して業績は良かったものの、大戦後は受注がなく、1947年に倒産した。
 
ブリュースター(Brewstar)
(海軍企業略号:A)
・大戦初期の太平洋戦線で、日本機に多数が撃破されたF2Aバッファロー戦闘機のメーカー。1810年創立の自動車メーカーが起源。F2Aは、フィンランドでソ連軍相手に活躍し、優秀機と評価されたが、同社は1944年に廃業した。  
セスナ(Cessna)
(海軍企業略号:C)
・軽飛行機の代名詞として使われるほど有名な企業。1927年創立。
大戦中は、双発軽輸送機T-50などを多数量産した。
戦後も軽飛行機メーカーとして、多くの傑作機を世に送り出しているのはご存知の通り。
 
ティム(Timm)
(海軍企業略号:T)
・1926年創業だが、1930年一旦廃業し、1935年に再建。大戦中は海軍の練習機を量産したものの、その後機体の製造はなく、再び廃業した。  
ヒラ―(Hiller) ・1942年創立の小型ヘリ企業。
同社は戦後、多数のへりを製造して、ヘリメーカーとしての地位を築いた。
最も知られる機体は、VTOL試作機X-18だが、その後1964年、フェアチャイルド社に吸収されて消えていった。
 
エド(Edo)
(海軍企業略号:E)
・1925年創立。世界一のフロートメーカー。翼をもった魚のロゴに表れているように、アメリカ海軍向けに水上機等を主に製造した。
代表作は、戦後1946年のXOSE-1単座水上戦闘機の試作だが、採用されることはなかった。
 
キナー(KINNER)
Kinner Airplane & Motor Corporation
・1920年代創立の飛行機とエンジンのメーカー。
赤道上世界一周飛行に挑戦し、太平洋で行方不明となった女性飛行士アメリア・イアハートが最初に買った飛行機「キナー・エアスター」のメーカーである。
ロゴは意外と有名。
 
パイパー(Piper)
(海軍企業略号:E又はP)
・1936年創立。
大戦中は、軽飛行機J3「カブ」を2万機製造した。
戦後も、単発、双発の軽飛行機を多数製作して、順調に発展したものの、1970年の創業者の死去とともに停滞、破産寸前までいった。※古いロゴはなかなか。
 
バッド(Budd)
(海軍企業略号:B)
・鉄道用貨車等の金属加工で有名な企業。創業は1912年。
1943年、得意のステンレススチール加工技術を使って、RB-1貨物機を開発したほか、海軍向けの機体の生産に若干関わったのみである。
 
ステアマン(Stearman)
(海軍企業略号:H又はS)
・1926年創立。大戦中はボーイングの傘下で基本練習機PT-13等の生産を続けた。  
インターステート(Interstate)
(海軍企業略号:R)
・1937年創立。大戦中は、観測機L-6を生産した。なお、ソロモンで日本軍艦船攻撃に使用された無人襲撃機TDR-1も同社が製作した。  
ラスカム(Luscombe) ・1933年創立。大戦中は、偵察・哨戒用軽飛行機として「モデル8」を生産。戦後は、発展型を農業機等として生産した。  
パイアセッキ(Piasecki) ・1941年創立のヘリメーカー。現バートル社の前身。(注/パイアセッキ・エアクラフトとは別の会社)大戦中はPV-2試作ヘリを完成させ、NACAからヘリ研究の契約を受けて開発に取り組んだ。成果は戦後のへりで結実した。
※ロゴは1946年のもの。№18●参照
 
カルヴァ―(Culver)
(海軍企業略号:C)
・標的機メーカー。PQ-8、-14等をなんと一千機以上生産している。1933年創立。  
べランカ(Bellanca)
(海軍企業略号:E)
・1927年創立。アメリカ陸軍向けにC-27エアバス輸送機を生産したが、1955年には生産能力を失い、売却された。1970年に新生ベランカが誕生するが、1980年には再度活動停止、1982年に売却されて消えた。  
コックス・クレミン(Cox-Klemin) ・1922年創業、海軍向けに潜水艦搭載用索敵機XS-1を試作したが、それ以降の航空機開発はなかった。
1925年倒産。掲載ロゴは後継エンジンメーカー?
 
スパルタン(Spartan)
(海軍企業略号:P)
・1928年オクラホマ州ツルサ市で創立。練習機や輸送機を製造。一部は民間から購入されて、陸海軍で使用された実績がある。
ただし、同社の航空機製造は、大戦中に終了した。
 
エルコ(Engineering & Research Corporation)(ERCO) ・風洞試験の様子をロゴにしたと思われる。
陸軍向けに、YO-55偵察機を試作したが、機体が小さすぎて不採用となった。1930年の創立。1945年には、ACFに吸収された。注)Ercoupeは、同社製軽飛行機の名称。
 
AGAエビエーション(AGA Aviation)
(海軍企業略号:G)
・1940年、オートジャイロメーカーのピッケーン・ラーセン社を吸収して創立された。
1942年に陸軍より観測用オートジャイロの開発を受注するも、試作機XO-61は性能不足でキャンセルされた。
※ロゴは確証なし
 
ケレット(Kellett) ・「ケレット・オートジャイロ」という前身の名前が示すように、その道の専門メーカー。観測用オートジャイロYO-60を完成させたものの、ヘリの開発が進展したため、開発打ち切りとなった。1929年創立。  
ハワード(Howard)
(海軍企業略号:H)
・1937年創立。大戦中は、海軍のGH軽輸送機、航法練習機、救難機NH-1「ナイチンゲール」を開発生産した。
陸軍も1942年にDGA-8~15の機体を輸送機UC-70として徴用した。
 
アクロン・ファンク(Akron-Fank) ・1939年にアクロン航空機会社として設立。1941年にファンク航空機会社に改名した。B-75-L小型機が陸軍に徴発された程度。  
アライド(Allied)
(海軍企業略号:A)
・1941年設立のグライダーメーカー。大戦中、海軍からの依頼で水陸両用輸送グライダーLRA-1を開発したが、対日戦への活用が疑問視され数機の生産で終わった。
大戦後は、ヨット製造に方向転換した。
 
ミラー(Miller Aviation Corporation) ・戦前にはかなり知られていた「ミリタリー」の商標で戦闘機HM-1を試作したらしい。ただし、戦後は同社の存在も製作された機体についても、日本ではほとんど知られることなく消えていった。1920年頃創立。
※ロゴは、検証要
 
タッカー(Tucker) ・1940年代後半、夢の自動車づくりを目指した新興自動車メーカー・タッカーも、軍用機開発に取り組んだことがある。陸軍に提案したXP-57がそれ。
残念なことに同社の財政困難により、1941年、開発契約は解除された。もはや3面図さえ残っていないとされる。
なお、同社を取り上げたハリウッド映画もある。
 
ベガ・エアクラフト(Vega aircraft)
(海軍企業略号:V)
・1937年創立のロッキードの子会社。
大戦中に製作され、実戦投入された編隊援護機YB-40のメーカーとして知られる。
 
NAF(アメリカ海軍航空工廠:Naval Aircraft Factory)
(海軍企業略号:N)
・1917年、海軍が自身の使用する航空機を設計、製造するために創立。飛行艇、水上機、初歩練習機を開発した。大戦中、アメリカを代表するSF作家アシモフ、ハインライン、キャンプが勤務していた。別名、フィラデルフィア海軍工廠。フィラデルフィア実験で有名なところ。  
フィッシャー(Fisher) ・GMの傘下にあった航空機部門。
陸軍が求めた長距離侵攻戦闘機に既存機の部品を組み合わせたXP-75「イーグル」を開発提示した。即席としては意外な出来栄えだったが、P-51が十分な能力を発揮したため、5機生産でキャンセルされた。
※元は、1908年創立の自動車メーカー(Fisher Body)
 
フレッチャー(Fletcher)Fletcher Aviation ・1941年創立のグライダーメーカー。陸軍の輸送用グライダーCG-4を生産した。この他、爆装グライダーXBG-1、XBG-2の開発に取り組んだ。爆装グライダーは、ドローンの元祖ともいえる機体であり、意外と知られていない存在でもある。1960年に買収されて社名は消滅した。  
コーネリウス(Cornelius) Cornelius Aircraft Co. ・1930年創立。爆撃機に曳航される燃料補給用前進翼機XFG-1グライダーを試作した、知られざる先進的企業。この他、爆装グライダーXBG-3の発注も受けたが製作されずに終わった。
コルネリウスとも言う。
 
イースタン・エアクラフト(Eastern・Aircraft) ・GMの子会社で、米海軍のF8Fベアキャットの委託生産を受注したものの、終戦でキャンセルされた。
その他、グラマン社のワイルドキャットFM-1とFM-2も生産していたらしい。
1942年~1945年までの短期間存在したメーカー。
 
キーストン(KEYSTONE)
(海軍企業略号:K)
・1920年創立。戦前は日本でも知られた航空機メーカーだったらしいが、大戦突入前の1932年頃には廃業したらしい。陸軍最後の双発複葉爆撃機B-4の開発企業。  
グレンマーチン(Glenn L. Martin)
(海軍企業略号:M)
・飛行艇の開発を得意とした企業。1912年創立。
1916年に合併して一旦、マーチン・ライト社となったものの1917年には合併を解消。大戦中は、マーチンの呼称で軍用機を開発生産した。
正式にマーチン社となったのは、1960年のことである。
※「マーチン」№10参照
 
ピトケアン(Pitcairn Aviation)
(海軍企業略号:P)
・1943年、推進式のオートジャイロPA-44を製作したことで知られる。ただし、軍への採用はなかったらしい。似たようなタイプに、Buhl A-1オートジャイロがある。戦前は「ピトカーン」という名称で日本でも知られた航空機メーカーだったらしい。1926年の創立。O-64 Locustに注目。