『彼女の気持ち』  後編









 「リナの奴……どこ行っちまったんだ……!?」
  リナが飛びだして行ってから、かなり時間が経った頃。
  オレは夜の町を、リナを求めて走り回っていた。
  呪縛の術が解けたのは、部屋に灯った明かりの呪文が、時間と共に効力を失った後のこと。動ける
 ようになったと同時に、オレは部屋を飛び出した。
  リナの気配を探して街中を走ったというのに、リナは一向に見つからなかった。
  ――おかしい。
  上がりきった息を整えるために、オレは一度立ち止まった。冷えた酸素を身体中に取り込みながら、
 考える。
  この町には、リナが行くような場所は少ない。
  いくらヤケになったとしても、リナは装備もなしに遠くにいくような不用心な人間ではない。大体、
 彼女は夜着姿なのだ。この時間帯に開いているのは酒場くらいだが、そんな場所に行ける筈もない。
  なのに、これだけ探してもリナの気配が拾えないっていうのは――
  ふと、空を見上げる。
  天空には、まん丸い月。煌々と青い光を放って、町を照らしていた。
  オレと正反対の月。
  大事な相手を傷つけて、見失って、でもその理由も分からなくて。
  どこかが欠けてしまったオレとは逆に、月は満たされている。
  ――何となく、月を見たくなった。家々の屋根にも、道の木々にも邪魔されずに、あの月だけを。
  リナも同じ気持ちだったんだろうか。自分の気持ちをオレに分かってもらえなくて……。
  ……ああ、そうか。
  突然、リナの居場所が分かったような気がして、オレは再び走り出した。





  町の外れにある、小高い丘。そこからは、オレが望んだ通りの月を見ることができた。
  しかし、オレは月を眺めるより前に、ざくざくと草を踏み分けて進んだ。目指す気配を見つけたか
 らだ。
 「リナ」
  返事はない。代わりに、くしゃん、と小さなくしゃみが聞こえた。
 「ほら見ろ。言っただろう? 風邪引くぞって」
 「……うるさいわね」
  草の中から、むくりと起き上がる小さな影。寒いのだろう、肩にかけたマントをぎゅっと握り締め
 ている。
  オレはリナの元まで行くと、その隣に腰掛けた。何か言われるかと思ったが、彼女からの拒絶はな
 かった。
  それから二人で、月を眺めること暫し。
  沈黙に耐えられなくなったのは、オレの方だった。
 「その……悪かった。ごめん」
 「どうして謝るの?」
 「だってリナ、怒ってるみたいだから」
 「あたしが怒ってると、理由もなく謝るの? あんたは。
  理由も分かってない奴にそんなこと言われたって、不愉快なだけだわ」
  ぴしゃりと叩きつけられるようなリナの言葉は、まるで容赦ない。
  オレは少し考えて、答える。
 「……違う。謝ったのは、リナが怒ってるからじゃなくて。
  リナが怒ってる理由を、オレが分かってやれないからだ。だから、ごめん」
 「…………」
 「教えてくれないか? お前さんが怒ってる理由」
 「…………」
 「お前さんが言うように、オレは考えるのが苦手だから、リナが何を考えてるのか分かってやれない。
  でも、訳の分からないままリナに避けられるのは、嫌だ。だから、教えてくれ」
  さあっと、風が吹いた。月を見上げるリナの髪をなぶって、過ぎていく。
  頭を下げたままのオレに、風に混じってくすりと笑いが降ってきた。
 「馬鹿ね。ストレート過ぎるわよ、あんた」
  顔を上げると、リナが苦笑してオレを振り返っていた。
 「あたし怒ってるのよ? なのに、その原因をあたしに聞くわけ?
  ……ま、あんたらしいと言えば、あんたらしいのかも知れないけど」
  声には、言葉とは裏腹な、柔らかい響き。そっと腕を伸ばして髪に触れると、リナは逃げずにオレ
 にもたれかかってきた。そのまま肩を攫い込む。細いそれは、痛いくらいに冷え切っていた。
 「……あのね?」
  ぽつり、ぽつりと話してくれる。
 「最初に怒ったのは、あんまりいきなり過ぎたからよ」
 「あの、キスが?」
 「そうよ。ワケ分かんない内に、いきなりあんなことされて。
  それも、街道のド真ん中だし。あんたは一人で嬉しそ〜な顔してるし。
  乙女心、無視し過ぎよ」
 「嫌……だった?」
 「違うの。いいとか嫌とか、そういうのが分かる前に終わっちゃったから、怒ったの。
  ……一応、初めてだったわけだし? それなりの雰囲気とか、気分とか……あるでしょ?」
  上目遣いに甘く睨んでくる。
 「で、ムシャクシャしてるところで、あんたは言ったの。『大したことじゃない』って。『腕とか手
 とかが触ったのと同じだ』って。
  あんまりじゃない? あたしは……好きな相手との、特別なことだから、大事にしたかったのに。
  勝手にしておいて、『気にするな』だなんて。
  あたしにとっては一大事でも、あんたにとっては特別でも何でもなかったんだな、って思ったら、
 悔しいの通り越して情けなくなっちゃって――」
 「リナ、オレはそんなつもりじゃ――」
 「うん。分かってる」
  否定しようとしたオレを、リナは静かに制する。
 「分かってる。あたしのこと、安心させようとしてくれてたんでしょ?
  でも、あたしは嫌。
  あんな風に軽く考えるのも、したかしないか分からない内に全部終わっちゃうのも」
 「そういうもんか?」
 「そういうもんよ。特に、女の子はね。
  乙女心はフクザツなのよ? ガサツな男と違ってね。
  ムードにタイミングに気分に手順。そういうのが全部揃ってからじゃなきゃ、その気になんてなれ
 ないんだから」
 「そんなにあるのか? 困ったな」
 「ええそうよ。せいぜい困って、しっかり勉強することね」
  ぴん、とオレの鼻の頭を弾きながら、ウィンク一つ。いつもの強気な彼女を目の当たりにして、オ
 レは苦笑しながら頷いた。
 「なら、ついでに教えてくれよ。どんな時が『してもいい時』なんだ?
  『していいか』って、聞けばいいのか?」
 「馬鹿」
  リナは真っ赤になって、唇を尖らせた。
 「聞かないでよ、そんなこと」
 「でも、聞かなきゃ分からんだろ? また間違わないとも限らないし」
 「馬鹿……察してよ、それくらい。勘がいいのがあんたの取り柄でしょ?」
 「それじゃあ、例えば」
  すい、とリナの顎を掬い上げて。
  間近で、彼女の瞳を覗き込む。
 「こんな、満月の下で。
  広い夜の草原に、二人っきりで。
  今みたいに抱き合って、お互いのことしか見えてない時なら――いいのか?」
  耳元で囁くと、リナは更に真っ赤になったが、オレの胸に顔を埋めて笑った。
 「さあ、どうかしら。
  試してみたら――?」



  二度目に触れた、リナの唇は。
  少し冷たかったけれど、控えめに押しつけられる柔らかさが、一度目の時よりもずっと心地よくて。
  リナがこのキスを受け入れてくれているのだと、確かに感じさせてくれた。重なった唇から、互い
 の心までも重ね合うような、そんな感覚に陥る。
  ふわふわとしたそれに意識を委ねながら、オレは初めて理解した。
  多分、リナが望んでいたのは、こういうことなのだろう。
  一方的にされるだけじゃなくて、温もりを与え合い、気持ちを伝え合うような。
  そんな、簡単なこと。


  伝わってくるリナの気持ちに、オレも夢中で応える。細い腰を引き寄せ、更に深く唇を合わせなが
 ら。
  もっと、もっと。
  もっとリナに、オレの気持ちを伝えてやりたい。
  リナを想う、この気持ちを。
 


 「……って、ちょっと。何なの、この手は」
 「へ?」
  不意に制されて、我に返る。見ると、リナが片方の眉を跳ね上げながら、オレの手を睨んでいた―
 ―リナの服の下に潜り込もうとしていた、オレの手を。
  ……えっと。何かいけなかったのか?
  激烈に嫌な予感がして、オレはしどろもどろに言い訳を始める。
 「いやだから……今は『していい時』みたいだったし、リナも『いい』って言ってくれたし、その…
 …いいのかなあ、と」
 「……あんたって男は〜〜〜〜っっっ」

  どごーん!

 「ちっっっとも分かってないんじゃないの!
  馬鹿! クラゲ! デリカシー無し!
  あんたなんかやっぱり、当分保護者のまんまでいいっ!」

  ――またしても吹き飛ばされながら、オレは昼間と同じ科白を聞くことになった。







  ――それから。
  リナの言う、『していい時』を推し量ることが出来るようになるまでの、数週間の間。
  オレは、何度となくリナに吹き飛ばされることになる。


  女の子ってのは、やっぱりよく分からない。










感謝の言葉
んふふふふふふふふ
いただいちゃいました、かの有名な翠さんですっっ!!
お近づきのしるし(笑)に、未森のヘボ作品を贈りましたところ、お礼にといただいちゃいました。
しかもリクエストさせていただいたんですよっっ!!
すばらしいです…嗚呼感動
ありがとうございます、翠さんっ!
このご恩は決して忘れませんですっ
ちなみにリクエストは『生殺し』でした。うふふふふふ
(笑)