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有名人と運動家の
からだ特集








報道された
新聞や書籍からの
情報をもとに
分析したものです
   大谷翔平ひじ



大谷翔平の肘
ひじほど
日本の大リーグファンをハラハラさせる
ケガはないかもしれない。
なにしろ
大谷の肘はこれまでにいくども
試練をへている。

大谷の右肘は
大きな損傷を2度こうむり
いずれもアメリカで手術を行う。
今回はその手術を
見てみよう。


大谷の
右肘の内側側副靭帯
ないそくそくふくじんたい
その損傷部位となる





内側側副靭帯ないそくそくふくじんたいとは
強固な靭帯で
3つの靭帯が結集している。


前斜走靭帯ぜんしゃそうじんたい
後斜走靭帯こうしゃそうじんたい
横走靭帯おうそうじんたい


大谷の
大リーグ・デビューは

2018年である。

2017年12月 ロサンジェルスエンジェルスと契約
 2018年3月  大リーグ開幕戦デビュー

じつは
デビューしたその年の6月には
すでに
右肘の内側側副靭帯の損傷をして
PRP法という治療をしている。


2018年6月  右肘・内側側副靭帯の損傷
2018年6月   右肘・PRP治療

PRP治療とは、
本人の血液を採取し、
遠心分離によって
血液から赤血球や白血球を取り除いて
血小板を多く含む血漿を濃縮し
それを患部に注射する。
血小板から放出される因子が
血管の新生を促進して
損傷した組織の修復をはかる。
つまり
患者自身の血液により治癒する。

大谷はPRP治療を行うが
結局 完治はせず
4カ月後の同年10月に
トミージョン法の手術を行うことになる。


2018年10月  右肘・トミージョン法の手術

この時の大谷は
内側側副靭帯の上腕側が
損傷部位であり
長掌筋腱から移植した腱組織を
下部の部位の移植した。


トミージョン法とは、
自分の別の部位から腱をとり
それを患部に移植するやり方。





そもそもトミージョン法とは
損傷部位の靭帯部に
患者本人の別の健全な部位の腱を
移植する方法で
1974年にトミージョン選手に
施したのが最初である。
これが手術名称の由来となる。


移植する腱は
患者本人の手首から摘出することが多い。
拳をグッと握ると手首の真ん中に
多くの人は2本のスジが浮き出るが、
そのうち小指側にある長掌筋腱を利用する。
この腱は日常生活に支障はない。

なぜなら
類人猿では非常に発達しているが
樹の枝にぶら下がる動きが
なくなったヒトでは
退化し摘出しても問題ない。


その他、
ヒトには移植腱として
利用可能な腱があり、
ハムストリングや足首などに
ある腱である。

また、手首にある長掌筋腱とは
別の橈側手根屈筋腱は
投球動作に必要なものですが、
これを半裁(縦に半分に割く)して
これを移植することもある。
なお、腱とは違って靭帯は切除し
移植することはできない。

つまり
腱を使って靭帯を
形成するという事になる。


2019年9月   左膝の膝蓋骨の手術(二分膝蓋骨)

これ以降しばらくは
大谷も体の不調を訴えることなく
順調にプレーするが
2023年8月
右肘の内側側副靭帯の損傷がおこり
そのまま回復せず
ついに
同年2023年9月19日
ニール・エルアトラッシュ医師による
手術がおこなわれた。
今回2023年の手術の損傷部位は
内側側副靭帯の前腕側であり
前回2018年の手術は
内側側副靭帯の上腕側が
損傷部位であったのと
違う部位となる。

その具体的な手術法は不明だが
生体組織によって靭帯を補強した、
との発表があった。


 2023年9月   右肘・内側側副靭帯手術

こうして
2度の右肘の手術を受けた大谷は
2024年の新天地ドジャースでの
選手として登場する事になった。



2024年3月
大谷はドジャースの打者として
韓国にて開幕戦がはじまる。
2024年6月の時点で
今のところ
打者だけに専念しており
右肘に異常は訴えてはいない。



  秀吉最後
 



豊臣秀吉は
1591年8月18日 京都伏見城で
辞世の句
『なにわのことも夢のまた夢』を残し
62歳の生涯を閉じるが
その時、
ほぼすべての歯失われていたのではないか
と推測される・・・

以下は 医学博士の堀準一氏の
話からの構成である。

京都の豊国神社にある
宝物館に秀吉の本物の歯が
一本、展示されている。
その歯を堀準一氏は鑑定する。

その歯には
以下のような証文がついており

 覚書

歯 壱本
其方へ預り
置候也

慶長元年 極月

   
秀吉
加藤左馬助
とのへ

秀吉が慶長元年に
自分自身の抜けた歯を
部下の加藤左馬助
(加藤喜明のこと)
預けたとある。


この証文が本物であるという前提で
堀準一氏はその歯を鑑定する。

以下がその鑑定内容である。

 

形態、大きさ、歯根の状態からして
この歯は上顎の左側第二大臼歯であり
歯の表面は
全体に歯垢の付着物でおおわれれ
その汚れ方から見て
この歯が抜け落ちる時の状態は
その歯の手前にも奥にも
歯が存在しなかった
と、断定できる。
したがって この歯は
秀吉の最後の一本の歯といえる。
また
その歯根は色調のちがった部分で
はっきりと2つにわかれている。
変色した先端の部分が
ほんのわずかに抜け落ちる直前まで
アゴの中に埋まっていたとわかる。
このことから
秀吉はひどい歯槽膿漏と断定できる。
歯の噛む面の損傷も甚だしく
血管や神経の通っている歯髄腔が
いちじるしく狭く
これから歯の本人の年齢が
高齢であることが推測できる。
 


これが秀吉の
最後の一本の歯の鑑定書である。

歯は、すごいですね!
400年たっても。



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