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双極性障害 (躁うつ病)


1人の人間が

まったく真逆の激しく極端な精神的境遇に 交互に或いは混合しておちいるのが

双極性障害 そうきょくせいしょうがい つまり 躁うつ病 そううつびょう である。



それが重篤になると

当人の心身の多岐にわたる苦痛の重圧はもちろんのこと

周囲の人間を大混乱にまきこみ

結局は本人の人生そのものの航路を大幅に修正しなくてはならない

深刻な事態を招くことになる。


その発症にいたる明確な原因と機序は

2017年4月の現段階においても医学界・生理学界の定説は確立されておらず

ただ 双極性障害と診断されたヒトの

脳内血流、脳内物質、細胞、神経伝達物質、等の異常の特異性に共通した状態を

遺伝子の解析が進行していく過程で次々と発見され

双極性障害の症状と状態が明らかにされつつあるという事に過ぎない。

それらは つまり症状の解明、脳や身体の特異性の発見であって

決して

原因と機序の明確な解明には至っていないのである。


もちろん 仮説は多くある。


なぜ仮説の段階でとどまっているかというと

こうした心因性に根源的な原因・機序が大いにあるとみられる疾患は

そもそも原因と機序の明確な解明が困難な宿命があるため

個々のヒトの個人史にひとつひとつさかのぼっていかなければ

解明されない性格を持っているからということでもある。


こうしたことから

目下の医学界・生理学界が到達している地点は

双極性障害のヒトの

脳内、脳内物質、細胞、神経伝達物質、の異常にどんな共通性があるか?

ということにとどまり こうした傾向は双極性障害にかぎらず

精神疾患のほとんどが このような地平に立っているのが現状なのだ。


このため 西洋医学の双極性障害に対する対処は

投薬を中心としてなされており

これに対して 整体は 独自な方策により

解決策を追及するのである。

もちろん 

これらの西洋医学の研究の成果を十二分に援用しつつ

であることは 言うまでもない。





整体は

この双極性障害 つまり 躁うつ病を

身体の側面から変革をほどこし そこを糸口として 

全容の解決の道を探ろうとするものである。


整体施術による双極性障害の改善手法の骨子を

簡単にまとめると以下のようになる。

まず

躁状態に落ちいっている時 と うつ状態にはまり込んでいる時の

いずれにも共通する身体にあらわれる大きな特徴は

睡眠の異常と 疲労感の異常である。

双極性障害は

制御しがたい睡眠障害と不気味な疲労感が

真逆の振幅の激しい様相としてあらわれ

最終的には 躁状態もうつ状態も

心身ともに ヘトヘトに消耗させ ついには体調の崩壊へと導き その身体の破壊が

治療しようとする意欲をそぎ

さらに袋小路へと追いやっていく。


したがって

睡眠と疲労感の正常化をまずはかることで

体調の復調をはかり その復調の快適が

身体全体の軽快を生み その愉悦が次に脳内の改造と一新に向かう。

こうした道筋が整体の基本的な流れとなる。

これを図解すると 以下のようになる。



最終地点は 脳内再生となるのであるが

では整体は脳内をどう再生するのか?

真髄はここにある。

まず整体の仮説からはじめる、

そもそも

双極性障害 つまり 躁うつ病の発端から発症に至る道筋は

まず多大な心因的及び身体的なストレスが始まりで

そのストレスが最終的に脳内の分泌物、細胞、神経経路に異常をもたらし

その異常が発症をもたらすことになる。

発端はストレスである。

そのストレスが脳内でどのように処理されるのか?

その処理のされ方の解明が複雑であり またもっとも解明を求められるところである。

通常 ストレスは何でもない軽いストレスは忘却するし

大脳皮質が

その対抗策を知的に解決しようと動き出し うまく処理されればそこで解決される。

ところが 大脳皮質では解決されにくいもの

たとえば 情動や感情や愛情といった知性では解決がはかりにくいもの

又は くりかえしくりかえし来襲する性格のもの

または 自分の知能では解決できない手に余る大きな問題

自分の生命の危機や恐怖を引き出すたぐいのもの

等々・・

こうなると 脳の中では違う部署がこのストレスを対抗するために稼働しだす。



それが大脳の中の大脳辺縁系と呼ばれるところで

その中にある扁桃体が情動的ストレス つまり快不快の側面から反応し稼働する。

つまり快不快を感受し 不快ストレスを打ち消そうとシグナルをだす。

そのシグナルとは

ストレスを打ち消すホルモンである コルチゾール、ノルアドレナリンである。

同時に その不快によって 癒し系ホルモンのセロトニンの分泌が抑えられ

情愛にあふれた気分にさせるセロトニンが軽減することにより

殺伐とした心象風景の脳内となる。

さらにストレスが続くと

コルチゾール、ノルアドレナリンも疲弊のため分泌が少なくなり

その分泌を担当する副腎という臓器の疲れを呼ぶ。

ひとつの臓器の疲れは 次々と多臓器に影響を及ぼし

内臓の不調をもたらす。

内臓の不調は 栄養の偏りと失調を呼び 血行不良を引き出し

血行は身体 さらには脳内への血行不良、栄養不良により

脳の一部の変容をきたす。

たとえば 大脳辺縁系にある海馬が委縮して小さくなることが

双極性障害の患者では散見される。



こうして 脳の中も 身体の各機能も 心も 嵐の様に乱れ

それでも 大脳皮質が こうした身体の悲痛な叫びを聞かず

大脳皮質が思考し判断した道を優先して行動をさらにおし進めていくと

ストレスはさらに過大となり ついには異変を呼ぶ事になる。

長くなったが

これが双極性障害の発症にいたる おおよその道筋である。


こうした仮説にそって 整体はその治療を構成する。



整体の治療の基本を今一度述べると

まず

睡眠異常疲労感回復という2つの局面を突破口にして

これにより 全身の体調を回復し 同時に 身体改造をしつつ

脳内の刺激によって 脳内を健全化し再生する。

これである。

この脳の再生の経験により

再び同じようなストレスにさらされても変調しない体勢 たいせい をつくる。

これが整体の治療。


同時に忘れてならないのが

個々の人の発端となるストレスの解明である。

ストレスは個々の人により違う。

それは うまく解明できないかもしれない。

あるいはいとも簡単に解明できてしまうかもしれない。

それはわからない。



それは施術をしながらの同時に進むストレス解明の旅なのである。

いずれにしろ その旅は

患者には整体施術により身体の愉悦にひたりながら

発車する。

こうしてストレスの解明の旅もほぼ終着駅に着くころには

体調も好転し変貌が顕著になってくる事が多い。

次のステップがいよいよ脳内に刺激を与えることになる。

この脳内への刺激こそ

整体の力量をいかんなく発揮し この治療の成否の分かれ目となる勝負の分岐点である。

手順は後述する。

こうして脳内の刺激が終結すると

脳内はリセットされた機能が何事もなかったように静かに動き出し

その後も 同じように襲ってくる あらてのいくたのストレスをも

平然とはねのける強靭な脳が

たくましく脈打つことになる。


では 実際の整体施術の詳細を

睡眠異常疲労感体調脳内 

の4つの局面に集約し 微に入り細に入り記してみよう。


睡眠異常

双極性障害の場合 とりわけ睡眠の異常のあらわれ方に特有なものがあり
この睡眠に関する特異性がこの病の本質を実によく物語っている。

睡眠と覚醒は それが健全な場合、
あるリズムもったサイクルの動きに乗って毎日くりかえされるのであるが
そうしたリズミカルな動きも 実は精妙な脳がうまく全身をコントロールしているかに他ならない。

睡眠異常とは 
こうした脳と体の器官と機能が一体となって 睡眠モード、覚醒モードに統一的に動くリズムが
破たんしている状態をいう。

整体では、
双極性障害の睡眠障害をの4つの側面から治療する。
  緊張の核心を突く
  光と闇の演出
  一日のリズム、原始への回帰
  瞬時の眠り、刹那のまどろみ
では順次 見て行こう。

緊張の核心を突く

躁・うつ、いずれの場合も体のある部位が異様な硬直を示しており 
その硬直を解くことが まず睡眠異常から決別する第一歩となる。
では その部位とは?
ズバリ、 胸椎の2番から7番のエリアの骨格及びそれにまつわる筋肉群である。
睡眠の障害の一番の身体的障害が このエリアの硬直にあり
双極性障害にかかわらず あらゆる睡眠の障害の解決の糸口がここなのだ。
よって この部位こそ 全身の緊張を解く核心のありかであり、
ここを突くことにより 心身の緊張を一気にほぐし ココがゆるまると
なだれを打って 心身の根深い硬直が波状的に柔軟化してくる。
多大なストレスを満身に浴び、そこから双極性障害の発症に至る過程では
現前の不快な出来事、事象 と 過去に経験した苦く、つらく、悲惨な出来事の記憶が
決してゆるまない強い緊張を心身にもたらす。
そうした緊張が集約的にあらわれるのがこのエリアの硬直である。
この部位は呼吸を制御する神経のバイパスでもあり
また 覚醒をうながし 睡眠にいざなう急所でもあり 
気を失っている場合 いわゆる「活を入れる」 「気を入れる」所作は ここを突き、
子供などを寝かしつける時 背中をさするとまたたくまに入眠するのは こうした理由である。

このエリアを走る筋肉群は
縦横に複雑に交錯しており
浅層、中層、深層 と 
幾重にも重なりながら
胸椎を びっしりと取り囲んでいる。 
後頭部、頸部、肩甲骨、と
連動して動くため
この部位の弛緩は 同時に 
後頭部〜頸部〜肩甲骨 と広域な視点から施術する必要がある。
さらに
前面の胸部から背面への
このエリアへの刺激も必要となり 
全方位からの視野でこの緊張を
解決する姿勢が治療に必要である。


光と闇の演出

比ゆ的に言うと、
現代の特徴のひとつは天然の暗闇が次第に喪失していくということで、
太陽の運行による自然のサイクルで訪れる暗闇が
文字どうり電化によって追い詰められ縮小していく。

 

もちろん そうなると当然
日中に陽光を浴びる時間も短くなっていき
光と闇の自然の運行によるリズムと
個々の人にとっての光と闇のリズムに
食い違いが生じてくる。
睡眠障害の根源のひとつにこの現象もあるのである。

睡眠とは
体内のさまざまな器官と機能が日々 いっせいに、同時に、覚醒と睡眠の状態を繰り返せるように
あるリズムをもったサイクルの動きに乗って精妙に動いてくれているので 
このリズムとサイクルに難なく乗っていれば 問題なく熟睡と快楽の睡眠がとれる。

その体内の器官と機能が睡眠と覚醒をサイクルするリズムは 
自然界と同化し それに組み込まれる形で形成されてきたものでもあり 
自然界でも特に太陽光の運行に大きく影響される。
つまり 暗くなると眠くなり 明るくなると覚醒してくる というシステムに乗っている。
これは 結局は太陽の運行と 日没後の気象状態が 睡眠に大きくかかわっていることで
この自然界の動向に うまく乗っかっていれば 睡眠の異常はさけられやすい。
脳の睡眠中枢のひとつに 間脳の視床下部の奥に存在する 視交叉上核 しこうさじょうかく がある。
この視交叉上核 しこうさじょうかくは 常に周囲の光の強度を監視し 光の強度の度合いに応じて
睡眠をうながし 覚醒を刺激するホルモン分泌の指示を出す。
そのホルモンをメラトニンというが こうしたホルモンの調整により たとえば
血圧を下げて心臓の休息をはかる指示を出す、
体温を下げて 代謝を低レベルにしカロリー消費をおさえ身体を休息に適した状態にする、
つかいすぎて傷ついた筋肉を修復するように働きかける、
腎臓がろ過して尿を作り出すスピードを減速させ夜中に尿意をもよおさないようにする、等々
体内の器官と機能をいっせいに 睡眠と覚醒に向かって稼働させる指揮をとり
24時間のリズムを統率する時計中枢としての役割をになうのである。


双極性障害の場合 この視交叉上核 しこうさじょうかく の機能が錯乱し
睡眠と覚醒のリズムが破綻している。

つまり 脳の視交叉上核 (しこうさじょうかく)は眠るように各器官に睡眠体制に入る指示だすが
実際は 眠らない あるいは眠れない。
同じく視交叉上核 (しこうさじょうかく)が起床するように各器官に覚醒の指示を出すが
実際は 起きない 又は 起きれない。
では なぜ こうした事態になるのか?
つまり 視交叉上核 (しこうさじょうかく)とは違う部位の脳が この指示に従わないシグナルを送り
睡眠と覚醒を強引に展開しようとしているからに他ならない。
では 脳のどこから 視交叉上核 (しこうさじょうかく)と対抗する指示がでているのか?
それは ずばり大脳である。
大脳の中でも 大脳皮質の中の前頭葉にある 前頭連合野からの指示となる。
前頭連合野は 思考・判断・動機の中枢であり ここで行動の決定をするのである。
つまり 睡眠と覚醒のリズムに準じるのではなく 必要とされる行動を採択するのである。
たとえば 眠くても仕事をする、優先する仕事や学習を睡眠を無視して遂行する、
他から強制的に覚醒を強いられる つまり眠らせない状況に陥る、 などなど
ある目的のために 必要と判断して 行動を決定する指示がここから出る。

こうしたことが頻繁に繰り返されると 
脳の中では大脳と間脳の戦い・・
いわゆる思考によるの行動と体内時計の食い違いが常態化することになり
さらに そこにストレスのもとでこの大脳と間脳の戦いが繰り返されると
最終的に睡眠と覚醒のリズミカルな動きが乱調をきたしてくる。

大脳の大脳皮質の前頭葉の前頭連合野と間脳の視交叉上核 しこうさじょうかくの戦い。

したがって この睡眠と覚醒のリズムをもどし 前頭葉と視交叉上核 しこうさじょうかく
の統一性をはかるため ずれた体内時計をリセットし前頭葉の意思思考との
融和をはかることが双極性障害の解決の切り口となるのである。

整体の技法のひとつが 光と闇の演出である。
光と闇の感覚をよびさますため 闇を強烈に刻印し 光を再認識させる
感動的な演出である。
 


躁状態の場合
光と闇にかかわらず頭はさえわたり 体はたえず戦闘モードである。
これにたいして 整体の光と闇の演出は、
光と闇を強烈に意識することで 忘れてしまった休息の魅惑を思い出させ
休息への強い渇望を生むことで 本来の休息と戦闘の牧歌的リズムをよびさまし
ひいては 一方的な戦闘モードの鮮やかな終息をもたらす。

うつ状態の場合
ふりそそぐ光の歓喜、夜のとばりが降りた漆黒の闇の情感など
自然変化のうつろいの感激もなく
ただ漫然と生息している所から脱出できない。
こうした中で
光と闇の瞬時の入れ替わりが 身体の深いくつろぎをもたらすと
天国に連行されるようなうっとりする睡魔におそわれ
めざめた時は
奈落の奥底から飛び出た様な爆発的な開放感に満たされるのである。

まず
患者の両目をしっかりと開けてもらう。
光の世界をあらためて感知してもらう。
むろん この時 光は太陽光がいいが
太陽光の記憶を想起させる演出があれば
屋内光でもよい。
次に
患者の目を術者の手でおおう。
先に 片方に目をおおう。
片や闇で片や光がある状態にし 
同時に闇と光を感知させ、 もって
闇と光の存在を認識として焼き付ける
次に
両目をとじて 闇の世界をつくる

すでに この時点で
患者は 光の世界からの決別をへて
闇のただなかで 緊張をといて
脱力の途上となる。
今度は
再度 術者が患者の片方の目をおおい、
おおわない方の目を閉じてもらう
約1分ほど このままの状態を続けると 
あっという間に入眠する。

この時 術者は 
自らの手のひらに強く意識を
集中しなければならない。

こうして 入眠後 約1分して
患者を覚醒させる。
この時 ノンレム状態の睡眠なので
骨格筋を刺激するだけで 
まどろみから やにわに さめる。 

これを2回ほど くりかえす。
 
最後に 
患者の両眼をおおう。
ふたたび 
あっとういう間に入眠にいたるので 
今度は2分ほど 睡眠状態にして後 
同様に 覚醒さす。 


一日のリズム、原始への回帰

すでに述べたように
睡眠異常は つまりは
大脳の大脳皮質の前頭葉の前頭連合野と間脳の視交叉上核 しこうさじょうかくの戦い・・・
という状態であり この
睡眠と覚醒のリズムが破綻して狂ってしまった状態を回復する方法として
今ひとつ 古来より採択されてきた最も効果的な手段は
生活全体を 太陽の運行にサイクルを合わせていくことである。
つまり屋外で太陽の運行と共に起床し 行動し 日没とともに就寝をするような
原始的生活をおくることであり とくにテント生活をすれば 
大脳の大脳皮質の前頭葉の前頭連合野と間脳の視交叉上核 しこうさじょうかくの戦い
は終息しやす。
もちろん これをするにはかなり思い切った覚悟が必要であるため
わかっていても採用しきれない悲しさがある。
とくに
すでに双極性障害の渦中で苦しむ人が果然とこの選択をとること自体が至難である。

整体は
これにたいして 原始生活に回帰することなく このリズムを手にする契機を与える。
では どうするのか?
それは 身体にどんな時も自律的に動いているリズムとテンポの動きを 意識的に再認識させ、
さらに随意的に あるいは他動的に動く身体の変化のリズムとテンポを再自覚させ、
もって 身体のかなでるリズムとテンポのこころよさを再発見する経験をへて
一時的に
大脳の大脳皮質の前頭葉の前頭連合野と間脳の視交叉上核 しこうさじょうかくの戦いに
折り合いをつけて その融和をはかり この瞬時の融和を重ねることにより
睡眠と覚醒のリズムとテンポを再構成する手法である。
 
 

ひとつは呼吸、今ひとつは鼓動、
さらに空腹と満腹、痛みと気持ちよさ、のばすとちじめる、まばたき、
圧迫と解放、ひねりとねじり、右回転と左回転、..........
これらの身体への重層的な刺激によって 
それまですっかり忘れていた身体の音楽的ないとなみが圧倒的に顕在化し
意識の底にあった身体機能のリズムとテンポが 躍り出てくるのである。
その経験は感動的で なつかしく かつて確かに幼いころ身体にやどっていた音楽が
よみがえって あらわれた感覚といえる。

 

呼吸と鼓動の復権は 一日のリズムを取り戻すに 最も手近くかつ最も効果の高い
自己運動の代表で これは自律的に動いているものなので
そこに意識の世界をいれて 変革をおこすと 忘れてしまった体内リズムがよみがえるのである。
当然 そこにはテクニックがいるので 呼吸と鼓動の指導は熟練が求められる。
ヨガにおいても 方向性は同一のものをもっているので ヨガも探求すると相乗的効果が期待できる。
   

たとえ 脳の中で
大脳の大脳皮質の前頭葉の前頭連合野と間脳の視交叉上核 しこうさじょうかくの戦いが続いていても
呼吸や鼓動のような身体機能は軽快なリズムとテンポで躍動し続けていることは多く
そうした体内に宿るリズムとテンポを再認識することで 逆に脳の調整をする。

 


また
体のもっている 相反する感覚や意識、を鮮烈に呼びさますことで 
2元的なリズムとテンポを喚起誘導し ついには 睡眠と覚醒のリズムとテンポをとりもどす。
つまりは 体の反応を原始的な状態に回帰することで 
睡眠と覚醒の原始的な状態に回帰させるのである。

瞬時の眠り、刹那のまどろみ

整体では 睡眠障害からの脱却のために
施術中に 患者が瞬時のうたた寝、刹那のまどろみにあえて誘う。
長すぎてはいけない、瞬時、刹那がねらいなのである。
この施術中のごくわずかな時間の睡眠が 破たんしている睡眠を正常に戻す。

   


施術中あまりの気持ちよさに 深い奈落の底にストンと寝入ってしまい
そこから一気に目覚めた時は さながら熟睡の奥底から蘇ったような
たとえようもない爽快があるので 何事が起こったのか幻想の様に思う患者が多い。
だが 実際の睡眠は 数分或いは数秒 眠っただけに過ぎない。
それ以上は 眠らせない。
こうしためざめの瞬間を克明に脳に刻み付けることが
脳への強い刺激となり 脳内の睡眠異常の因子を一掃することになる。

整体には こうした
自在に患者を瞬時のうたた寝、刹那のまどろみに誘う 奥義がある。

通常 こうした睡眠は ノンレムの睡眠と言って
脳を一瞬の絶対休息の状態にし 眼球の運動も無く、夢も見ない。
ただし 筋肉は自立して動いているので 筋肉のみが反応する。

こうした 至極の気持ちよさの中で 瞬時のうたた寝、刹那のまどろみが繰り返されると
脳の視床下部と脳幹の部位に 睡眠と覚醒の健全に制御する力がよみがえり
熟睡と晴れやかな覚醒を自在にコントロールできるようになるのである。

疲労感

躁状態にある場合 異常な元気と陽気で疲れ知らずの高揚感に満ちている、
それは 疲労を感じない異常であり 極度の興奮状態にある一種の麻痺といっていい。
ところが ついにある段階にさしかかると 一気に疲れが押し寄せ
一転して 疲労こんぱいの様相を帯びてくる。
躁状態の場合 その疲労は 突風の様に突然に激しくやってくる
それまでは 疲れ知らずのハイな状態だったのが
今度は 一挙にそれまでの潜在的にたまりにたまった疲労がナマリのカタマリのように襲いかかり
青息吐息の息がたえだえの様相を帯びる。

うつ状態にある場合 たえず疲労感を訴え だるさと重たさで苦しい
疲れで何もしたくなくなり 無気力で力がわいてこない
どうにかしなければと焦るが それがいっそうの疲れを呼ぶ。
うつ状態の場合 疲労は慢性的にどんよりと重く 
はらいがたい全身性の疲労に加え 体の各部位に特有の疲れが出現し
多重疲労症候群といっていい 疲労の乱れ咲く不快な日々をすごす。
整体では、
双極性障害の特有の疲労感を4つのルートから治療する。

  疲労と疲労感
 
疲労はどこにあるのか
 
完全脱力という究極の休息
  手指で全身疲労を取る

疲労と疲労感

疲労と疲労感とはちがう。
疲労とは疲労物質が明確に存在している状態をいい、
疲労感とは 疲労物質の存在にかかわらず 疲労を感じれば疲労感であり
これは逆に 疲労物質が明らかに存在しても 疲労を感じなければ疲労感は無いのである。

うつの場合
名ざしがたい独特の不快な疲労感に常時悩まされ 何をしても払いがたく
いくら休養を取っても疲労感は どんより重苦しく存在する。これは疲労というより疲労感である。
   

躁の場合
疲労、疲労感、いずれも自覚症状が少なく いわゆる疲れ知らずの状態が続く。
もちろん 実際は疲労物質である活性酸素も産出されるのであろうが 疲労感は訴えない。
疲れ知らずとなる要因は 2つ考えられる。
 

ひとつは 
活性酸素が産出され細胞が酸化され これが疲労となるのであるが 躁の場合
こうした状態になると これに素早く反応して 活性酸素によって酸化されダメージを受けた細胞を
自己修復する疲労回復因子といえるある種のたんぱく質が多く産出され 
早々と疲労が消滅していくこと。
いまひとつは 
大脳前頭葉からの興奮物質であるドーパミン、β-エンドルフィンの分泌がふんだんになり
疲労物質があったとしても それを感じなく無くさせるということ。
躁の場合 こうした興奮物質の分泌が盛んで 疲労感は消し飛んでしまう。
こうした時は 疲労感が無いだけで 実際の疲労物質はしっかりと蓄積されているので
躁から うつに転じた時の身体ダメージは 倍増する結果となる。
 

かように 疲労と疲労感はふたつのものであるので それを同一視せず
治療にあたっては 患者の疲労そのものと 疲労感とを峻別して診断することが大切である。
 

とくに うつ状態にある場合は 自身の疲労の説明も正確にできない心理状態の時もあり
それまでの底知れぬ疲労感で 支離滅裂となってしまうこともある。
 

こうして 整体治療では、
躁の場合 
疲労の存在の有無を洞察し さらに大脳前頭葉からの過剰な興奮物質の抑制をはかり
うつの場合 
疲労の具体的なありかとその重症度をあきらかにして 疲労と疲労感の分別作業を行い
さらに大脳前頭葉から分泌される興奮物質が不活発であれば その高揚をねらう。


疲労はどこにあるのか

実際の疲労治療の第一歩は あなたの疲労はどこにあるのか? という難問からスタートである。
疲労の具体的なありかを探す旅は 整体では 施術を進行しながら確認していく。
身体をくまなく触診しつつ 会話と同時に疲労を患者と術者が共同で探求していくイメージ。
疲労の所在を大きく分ければ 
内臓、筋肉、骨格、関節、血行、顔面、頭、脳、心、精神 等に分かれる。
こうして 疲労のありかを特定していくと 自然と疲労の性質も判明してくるので さらに進むと
疲労と疲労感の区別もわかってくる。
疲労と思い込んでいたのが実は疲労感にすぎなかったり、疲労感が実は重大な疾病のきざしであったり。
ということもままある。

 


この様にゆっくりと探求&施術の同時進行こそが整体の独自性を存分に発揮するところであり 
患者は リラックスの至福の気持ちよさの中で 自身の疲労をあせらず披露しつつ 
今まで思いもよらなかったことを気づいたり発見したりする機縁がうまれ 
術者は さりげない会話のやりとりで 患者の疲労の実体をしっかり把握できやすい。
疲労という実態のつかみにくい症状の検証は 他愛のない会話の舞台は有効で
整体の探求&施術の手法が格好の舞台となるのである。
こうして 施術が終了するころには 疲労のありかがつぶさに判明することが多い。
もちろん こうしたことが数回必要な場合もあれば 一回で充分な成果をえられることもある。 


完全脱力という究極の休息

疲労を振り払うのに 脱力という方法がある。
ただし 中途半端な脱力では 双極性障害の尋常でない疲労は取れない。
そのためには それは完全脱力でなければならない。
完全脱力が自在にできれば それが究極の休息となる。

ここで脱力をもう少し説明すると、
うつの場合 始終ヤル気がでずだらだらと時間のみが過ぎていくことがあり
その状態を脱力した状態と表現されることがあるが これは脱力ではなく虚脱である。
脱力は虚しいものでなく 充実している。
どういう充実かというと 脱力によって体を調整しリセットを準備している状態の意味である。
躁の場合 脱力も休息も必要をしない。

ただし もともと脱力はむつかしく さらに完全脱力となると奥義がいる。
脱力をしようしようと 意識すればするほど脱力から遠ざかる。
脱力しようと意識するする時点で そのしようとする意識が
逆に 力がはいってしまう状態を形成し 脱力にならず
脱力は無残にも緊張を生み 結局 半脱力状態のチグハグな結末となる。
では どうすれば脱力が さらには完全脱力ができるのであろうか?
それは
脱力する主体の中心 あるいは その意識の中心を
自分の身体の外に持ってくるのである。
言葉を変えて言えば
脱力しようとする部位 または脱力しようとする主体を 
他にあずける、他にゆだねる のである。

たとえば
肩の力を抜こうとする場合、肩を意識して脱力しようとすると
かえって 肩の力は抜けない。
どうするかというと 肩甲骨の下部に位置する横隔膜を大きく上下させる。
これはつまり 腹式呼吸により 横隔膜を上下させると 肩甲骨から肩の力が抜ける。
この時 肩を意識してはいけない 肩からはずれた横隔膜を意識するのである。
つまり 脱力しようとする肩を横隔膜にあずける訳である。

この方法で 全身の力をぬいて しつこい疲労を払しょくしたいときは
自らの身体の外に 自身のすべてをゆだねる意識を持つわけである。

整体では 
施術の中で この完全脱力を実現し 一瞬の究極の休息をつくる技法がある。
当然 こうした究極の休息の時間そのものは短いが 一瞬であろうとも
その体験は 劇的に体と脳と心を変える。それを くりかえし経験することで しだいに
自分自身で完全脱力という究極の休息を 思いどうりに手にできるようになる。
それが くりかえすたびに 双極性障害から決別する日が近くなる予感がするものである。

   



手指で全身疲労を取る

手指は脳の手先機関といわれる様に 脳と極めて密接な関係を持っている。
手指がもつ繊細で微妙な触覚能力は 事物の物理的な判別・認識・把握の最前線となるばかりでなく
情動と感情に密接に連動しており 手指の感触は即刻 脳が事物の解析すると同時に
脳内で情動と感情を生み 瞬時にさまざまな信号と指示が脳内を駆け巡り 体に反応があらわれる。
すると今度は その体の反応が脳にフィードバックされ 一連の事象を記憶の刻印となる。
それが好感、嫌悪 いずれもそれなりに大脳辺縁系あたりで記憶としてとどめられる。
この脳の手先機関である手指というルートをたぐって 手指から脳に刺激を与え
脳で双極性障害特有の全身性の疲労を とろうとするのが整体のやり方である。
整体では 手指で全身疲労を取る際、オイルをまんべんなく使う。
オイルによって
繊細な手指の皮膚・骨格・筋肉群・血管・リンパなどに柔軟で流れるようにやさしく刺激を与え 
手指の刺激のみで 身の全体に波及させ
心身の全体の随所にわだかまる疲れを消滅させる。
また、
手への優しい刺激は きわめて気持ちがいいので その満ち足りた幸福感は脳内を駆けめぐる。
手指へのオイル整体臥始まると とたんに、
間脳にある下垂体からはオキシドシンという 幸福感を湧き出させるホルモンが分泌される
すると 大脳辺縁系にある扁桃体が警戒心を緩和して情動が強く動き出し
同じく大脳辺縁系にある側坐核では こころよい感覚と情緒的安心感が生まれる。
こうした いわゆるハッピー・ホルモン分泌が 積年の全身性の疲労感を消してゆく。
さて 実際の施術は 手首から指先までまんべんなくおこなうが 各エリアの特徴や留意点を追ってみよう。


まづ手首から始める。 

手首全体をやさしく包むように握る
手首は意外にもろいので 強く握らず 手首全体を温めるように包む。
オイルがじっとり暖かくなるまで 術者は微妙に5本の指を動かすとよい。 
手首とは神経・筋肉・血管・リンパの集積する通り道なので 
こうした流れを開放し 手指の自在な活躍を可能にする前奏の意味をもつ。
 
   

手のヒラと甲側は、その外観も 組織も 機能も
相違ははなはだしく 文字どうり表裏相反する。
ただし 施術は表裏ともに同程度の重要度である。
いずれも オイルをたっぷりつけて 
全体をよくなじませ すみからすみまでまんべんなおこなう。
手のヒラ(手掌)は、
弾力に富んだ 分厚い脂肪でおおわれ 
全面に脳内、全身、心理的情動、情感、
へ直撃する鋭敏なポイントが点在する。
甲側 (手背)は、
骨が直下にあたるが その皮膚下には静脈とリンパが
豊富に走行しており 甲側 (手背)への刺激は
疲労物質の排出の多大な促進となる。
 

 

手のヒラ(手掌)を その大きな動態から分別すると
右のカラーのように5つのエリアからなる。
1.手のヒラはグリーンの3つのエリアに分かれ
 消化器系と   泌尿器系の内臓の反応点が集積する。 
  その中心はブルーのスターマークで 
  谷底の深みの様になっていいて ヘソである。

2.親指の根元は精力とエネルッギィの象徴ポイントである。
3.4指の根元は脳を中心とした頭部と躯体とを分ける結節点   である。
  

手は 手そのもの機能と動きが 
身体全体の動きを大いに関連し連携し連動していることは
運動やスポーツを極めていくと 
ある時 その機微と底知れぬ重要性にハッときずいて
大きな転機を向かえることがある。
末端の微妙な動きが 全身に及び、
全身性の動きが 手の先に大きく波及する原理である。
また 脳の動きが 手先に反映し
手指の動きが 脳に多大な波及をもたらす事もある。
手指のオイル整体が 脳を含めた全身性への
圧倒されるパワーを展開するゆえんがここにある。
右図のように 
手のひらと甲側 いずれにも
体の器官や臓器の反応点が集積している。
この中でも 双極性障害の治療の場合
最も注目すべきエリアは 中指である。
中指は 手のひらも手の甲も
脳〜頭部〜頸椎〜肺〜心臓 までの反応点であり
身体の中心となっており 
またそのまま手首の方まで のびれば
内臓全体を縦貫して尿道まで達して 
身体の中心をなすラインとなる。 
中指は 単に5本の指の中心の意味のみならず 
身体全体の中心となっているのが分かる。
たとえば 5本の指の中で 一番力が出るのは 
親指ではなく 実は中指であることは 
指を使う仕事のプロや運動選手はよく理解している。
武道、球技、板前、整体、ピアニスト、・・・・
いずれももっともパワーが出る指は中指であることを
熟知している。日常動作においても たとえば
ぞうきんを絞る時、重いものをもつとき、包丁を使う時 
鍋をもつとき 子供をしつけのため頭を打つとき 
パソコンのキイをたたくとき
中指が一番に力がはいることは気が付く。

これはなぜかというと 体の造りからして
中指が腕の中心とつながり 
腕の中心が体幹の中心につながっているからで
力の源泉のラインとなっているからだ。
事実 武道とか合気道で 中指を取られると 体が制せられ
身動きができなくなってしまう。又 精神を集中したり
瞑想にはいったりした時 中指に意識を集中すると 全身に気がみなぎるのが体感できる

 

指はすべての指をおこなう。
その時 指のひとつひとつの
感触や大きさや硬さ柔らかさ 
節くれだち 爪の状態 などなど 
観察しながら行う。
 

指での施術の方向は
先端に向かう、先端から帰る いずれもおこなう。 
このとき術者は速度に緩急をもたせ 
変幻自在にこれをおこなう。
一本の指を 最も緩慢で10秒、最速で2秒、
その速度の緩急の変化が 脳への刺激を倍増させる。  

指の先端である爪の周囲は 特に念入りに行う。
ここが事実上の外界世界を触覚で把握する
身体の最前線であり 触覚という動物的感覚を刺激し 
さらに鋭敏にするために
このエリアを脳と直結させるイメージで施術をおこなう。
螺旋的に円を描くように先端へ流すやり方は有効である。
 

指を一本一本 からめとり 
これにロックをかけるようにして 
がんじがらめにする技法をフィンガーロックという。 

術者は患者の手首を固定し 
一本の指で患者の一本の指をロックする。
これは 
オイルをたっぷりと取ってから行うとハードなイメージがなくなるので理想的。

なお これは長時間行わない
おりにふれて 瞬間的に行う方が効果的。
 

術者と患者のたがいを
甲で背中合わせで指を組む。
このとき 力を入れすぎると 
患者は痛みを感じやすいので 力は余り入れないこと。
このねらいは 手首である。
この状態で手首の伸展・屈曲・回転をはかり 
手首を充分柔軟にする。
 
  

術者と患者のたがいを
手のひら側で合わせで指を組む

これは 最後のフィニッシュの仕上げに向く
このときのポイントは
互いの手のひらをよく密接させておこなうことで
 
これによって全身性の深い疲労を
ここで徹底解消するイメージをもっておこなう。
手のひらは 
かつて治療の王道であったが 整体では今でも王道である。
  
体調

躁状態にある場合 体調はすこぶるいいと感じ 爽快感にあふれる
が 行動するがむやみやたらと無駄に動き回るだけで
体を酷使するが その実感がなくむやみと動き回る為
ある時期がくると それまでの好調感が 一気に最悪の不調に転じる。
躁状態の場合 体調はすこぶる良いという自覚が多く 不調を訴えることは少ない。
しかし 脳内が身体の声を認識していないだけであり 
活動し過ぎた身体には ある時期がくると 
それまでの酷使にたえかねた身体に爆発的にひずみが生まれる。

うつ状態にある場合 体調は最悪であり 様々な不快な症状がともなう。
なだれを打ったように 不快と不満の連鎖にみまわれる
頭痛 腰痛 日がわりの種々の痛み しびれ けん怠 めまい 
はきけ かゆみ 腹痛 便秘 下痢 食欲不振 性欲減退 ・・・
うつ状態の場合 不調の様相は深刻である。
全身のだるさ、頭痛、内臓の不調、便秘、下痢、筋肉痛、しびれ、悪寒、吐き気、・・・
やる気が出ない、活力がわかない、イライラ、呼吸が苦しい、ムカムカ・・・
  過剰と欠乏
  多重不快症候群と万能感

過剰と欠乏

ヒトのからだの調整は 
多く2元的な要素でシーソーの様に片方ずつ交互に増えたり減ったり 高くなったり低くなったり
してバランスを取り合いながら平衡を保ち 調子を整えている。
たとえば
呼吸、血圧、自律神経、ホルモン分泌、動脈と静脈、発汗と蒸発、体温、等々
体調不良とは 
こうしたバランスがくずれ 過剰と欠乏のいずれかにかたよってしまうことにある。
では こうした過剰と欠乏に 一方に片寄ってしまったいる状態をどう回復するのか。
基本的に ヒトのからだというものは、
過剰になりその行き着く頂点になると 
今度は次第に其れをもどそうとする反動する自己回復の是正運動がはじまる 
また欠乏の行き着く最終地点に至ると 
今度は豊満になっていく反動する自己回復の是正運動がはじまるのである。
たとえば 
呼吸は 吸う力が弱ければ 吐くことをできるだけ長時間保ち また 力強く吐くことを心がける。
すると 自然に吸う力が強くなるのである。
整体治療は こうしたヒトの体が本来持っている2元的な要素の振幅の復元習性を利用する。
つまり 
過剰なものはより過剰にし 欠乏しているものはより欠乏させ 正常化をはかる。

多重不快症候群と万能感

うつ状態は 
ほとんどが多重不快症候群という 数えたらきりがないほどの不快を訴えるのが通常で
その一つ一つを整体は解決していくことになる。
ここで大切なのは 
ひとつひとつの不調の様相を細かに聞き取って 不調の重篤度に番号をつけていくことにある。
次に そのうち最も悩んでいることは何なのか?
また列挙する不調不快の相関関係。 
また最も早く回復できそうな不調不快を探り出す。
こうして問診しながら 実際の施術の段取りと手順を決定するが 
施術しながらも 新たに訴える不快と不調が次々と湧き出ることも多い。
こうしたその中の一つでも 解決する あるいは 解決の糸口の光明が見える ようになれば
それが突破口になり 希望のともしびが点火され 積年のつらさが解消される兆しを感じる。
ずいぶんと患者が平穏になり 快適になるのである。
いわゆる ドミノのように ひとつ解消すると多重不快は次々と解消されていく・・・
こともある。
当然 双極性障害というものは それほど簡単ではなく
多重不快のドミノは 止まったり 停滞したりしながら それでも連鎖的に 倒れていく。
なぜなら 自身の潜在的な治癒の力で多重不快を克服しようとするのが整体で
ヒトのこうした機能や器官の修復速度は それぞれ治癒の時間がちがい
その時間の流れに あせらず したがわなければならなく これに身をまかせなければならない。

 


躁状態は
ある種の万能感に満たされており その渦中にある場合は幸福なのかもしれない。
当然 そこから うつ転する時の落差が問題であり そこに至るまでに
根拠のない万能感の発露によって 周囲との人間関係がこじれてしまっていることが多く
その修復に さらにストレスがつのる ということになる。
その意味で この万能感は時限の無い爆弾のような恐ろしさをもっている。
ただし 本人は 体調はすこぶるよく 訴えるものはないので 自分では整体に来ない。
周囲の人が同行することになる。
このとき 整体は 不調を訴えない人にどのように整体をおこなうのか?
それは 好調と思い込んでいる人を さらに好調感をおしすすめ
それを極限にいたらしめ 異常な興奮状態にある脳内をおだやかにすることなのである。
つまり ある極端に極限までたどりつくと 脳内は振り子のように元に戻る性向があり
これによって 平穏な体調にもどす。
では どのようにするのか?
それは 古来より整体の奥義があり 脊柱を刺激することにより 脳内興奮状態を更に高め
それがある分岐点までくると 脳内が平穏状態に向かって動き出す やりかたである。

脳内

双極性障害の発症のそもそもの端緒が寄せてくるストレスの集積にある・・
という説から 全てをスタートすれば 最終的な目標は
こうしたストレスを消失させるか、
こうしたストレスにびくともしなく動じない脳をつくるか
いずれかになる。もちろん、
ストレスの来襲を防ぐことは むつかしい。
なぜなら
人は 生き抜かなくてはならないのであり 生きる以上ストレスは大なり小なりさけられない宿命。
すると 答えはひとつしかない。 つまり
ストレスにびくともしなく動じない脳をつくる ことである。
そのためには 脳の大まかな理解とヒトの脳の進化してきた歴史は欠かせない。
簡単に述べてみよう。

脳幹 生命を維持する

脳のなかで最も古い部分は脊髄の上端をとり巻く形をした脳幹で、
動物にはほとんど備わっている 生命維持の基本にかかわる機能を調整する脳である。
呼吸や循環や代謝などの中枢であり 
またあらかじめ決まっている反応や動作を神経によってコントロールしている。
いわゆるもっとも原始的で動物的な脳といえ 考えたり学習したりする機能をもたない。
生命を維持し命を守るのに必要な生物的機能を
あらかじめ決められたプログラムに従って調節するのが、脳幹の役割といえる。
中脳、橋、延髄で構成される。
双極性障害の場合 この部位の活動力が極めて低下している。


大脳辺縁系 情動の中枢
 
情動の脳の原点は 匂いを認識する嗅葉と呼ぶ部分。
この嗅葉から情動を支配する脳の最初の部分が発生し、
やがて脳幹の上端をとり巻くほどの大きさになっていく。
初めのころ、嗅葉はニューロンが二、三層重なった程度の簡単な構造であったが、
一段目のニューロンでにおいを感じ取り
(食べられるか否か、性行動の対象か、敵か獲物か)、
二段目のニューロンが神経系を通じて全身にメッセージを伝え、
反射行動(食べる、近づく、逃げる等)を命じている。
原始哺乳類の登場とともに、情動を支配する脳に大きな変化が起こる。
新しい脳は脳幹をとり巻くドーナッツのように発達し、下のほうに脳幹の先端がはいりこんだ格好になった。
脳幹の周囲を縁どる形状から、この脳を「大脳辺縁系」と呼称される。
大脳辺縁系により脳は独自な感情機能を持つにいたる。
強い願望や怒りで頭がいっぱいのとき、恋に目がくらんでいるとき、
恐れおののいて後ずさりするとき、行動を支配しているのはすべて大脳辺縁系である。 
大脳辺縁系は、進化するにつれて学習と記憶の能力を向上させる。
この二つの能力が革命的に発達したおかげで、哺乳類は生死を分ける場面で適切な選択ができ、
周囲の変化に対していつも決まった反応ではなく、
少しずつ対応を工夫して適応できるようになった。

大脳新皮質 思考の脳

ほぼ一億年前に 哺乳類の脳は飛躍的に成長する。
計画し、知覚したことを理解し、
身体の運動を調節する動きを担っていた二層の薄っぺらい皮質の上に、
新たに何層もの脳細胞がつけ加わって、大脳新皮質ができたのである。 
進化という観点から見れば、
大脳新皮質を得ることによって生体は逆境を生きのびるための微調整が格段にうまくなると同時に、
そうした有利な神経回路を子々孫々に伝達できる可能性が大きくなった。
人間のサバイバル能力が向上したのは、
作戦を練ったり長期的な計画を立てたりできる大脳新皮質を得たからである。
さらに 
大脳新皮質と大脳辺縁系の交流が発達するにつれ
思考と情動との結びついたより複雑な高次元の局面が発展してくる。

 


非常・緊急時は情動が優先する それが脳

脳の最も原始的な部分である脳幹の上にやがて情動を支配する部分が発生し、
さらに何百万年という時間を経て、その上に思考する脳すなわち大脳新皮質が発達した。
思考する脳が情動の脳の上に塗り重ねられたという事実を見るだけで、思考と情動の力関係がわかる。
思考する脳が生まれるずっと前から、情動の脳は存在していたわけだ。
 
けれども、大脳新皮質はすべての情動を支配しているわけではない。
情動にかかわる非常に重要な問題が起こったとき、
特に緊急事態が発生した時には即刻大脳辺縁系が 大脳新皮質を強引に押さえ込み
制御の中心となるのである。
大脳新皮質の多くの部分は、辺縁系から派生したり拡大したりする形で発生して来た歴史があり
つまり、神経回路の構造から見ると、情動を支配する大脳辺縁系が決定的な部分を握っている。
系統発生的に根っこに近い分だけ、
情動を支配する脳は大脳新皮質のあちこちにつながる無数の回路を持っている。
そのため、
情動は思考をつかさどる新皮質を含む脳全体の働きにとてつもなく強い影響力をおよぼしている。 
 

双極性障害の脳の問題

あらためて、現在のヒトの脳の構造を見ると
もともと形成されてきた順序からして基底部である脳幹や大脳辺縁系の体積にくらべて
圧倒的に大脳新皮質の体積がずば抜けて大きい。
これは もちろんヒトの特性である 思考を最重要として フル稼働してきた
ゆえんであろうが それによって 本来 「生命維持」「運動機能」「情動」の
部分がちいさくなってしまい 当然その機能も総体的に 思考機能より
優位でなくなってしまったのである。つまり動物的能力が相対的に脳の中で
低下したことを意味する。
もちろん
これによって、人類は逆境を生き延びることができたわけだが、
急速な進化を遂げた大脳新皮質が 非常・緊急時意外は主導権をもつにいたったのである。  
これが何を意味するかというと 
双極性障害のように 脳の中で 大脳新皮質と間脳が戦いが起こり 
たえず大脳新皮質が優勢である場合 
「生命維持」「運動機能」「情動」の支配をする側の乱調と混乱により 身体に破綻がくるということである。
もちろん 双極性障害が非常・緊急時とするならば
大脳辺縁系の強権発動により 大脳新皮質を押さえ込み 身体の回復に
集中できるのであるが 
そこまでの逆転を維持できるパワーをすっかり失ってしまった大脳辺縁系は 
ただひ弱な抵抗しかできないのである。これが
双極性障害を難治性の高いものにしている要因である。 

こうした 脳の状況に
整体の脳内に分け入るやり方を 4つのルートでまとめた。

  脳を空にする
  外から深奥へ
  目から脳内へ
  音で脳内を浄化する

脳を空にする
脳を空にするとは 正確には 
大脳皮質の前頭連合野を空にする意味であり、
大脳皮質の前頭連合野の活動を一時的に完全休養の状態にすることである。
それにより それまでの 積もりに積もったストレスのカタマリと残滓を一掃し ストレス根源をゼロ状態にする。
いわば 脳の断食といえるかもしれない。
本当の断食では 食をすべて断ち 水のみを口にし ただひたすら呼吸をくりかえす
もって
新たな栄養を取ることなく 身体を浄化し 積年の宿便を排出して 頑固な病巣を断ち
軽快のきわみに達することをめざすが 
これは
動物の身体機能である 何も新たな栄養が注入されないと身体の危機状況を感知して
今まで潜在的に稼働しなかった器官や内臓の機能が
飛躍的な高まりをみせその能力の限界点に達しようとする 
つまり
身体は一気に生き残る為の能力が飛躍的に高まるのだ。
こうして動物は自分のもっていた潜在的な力で生まれ変わる。

脳も同様である。
脳を空にすることで 脳を浄化し 混乱してきた脳内の戦いを一時休戦し 完全休息させる。
双極性障害とは 
つまりストレスが引き起こした脳内の激しい戦闘であり 
それによって結局は細胞のレベルまで損傷するにいたる いたましい戦争なのである。
じっさい 
まったく激烈に躁・うつの相反する状態におちいる 双極性障害に苦悩する状態は 
脳の戦争と呼んでいい。 
悲しいことにそれが同一の脳の中で起こるのだ。
うつが重篤にいたると自傷に行きついてしまうことがあるのも この激しい脳内戦闘のゆえんである。

いっこくもはやく 脳を空にして 脳内戦闘を一時的にしろ終息する。・・
それは 母親の胎内にいるときの状態をある種の理想といえて
整体のベッドに横たわる時 患者は ひととき忘我の境地となり
かつて いたことのある母親の胎内で浮遊する過去に回帰している。
これほど 大脳が休息できるいっときは なかなか見つからない。

 

では 整体はどうやって この状態をつくるのか?

ひとことでいえば これは大脳をいじるのではなく 
大脳が稼働しないほど圧倒的に突風のように 身体をおそう快適を与えることなのである。
大脳を沈黙させるほどの 想像もしないほどの身体の開放を感じさせることなのである。
それほど手のこんだことではないが これは整体の真髄といえて 
整体という 古めかしい技法が まったく色あせず現代で勝負できる由縁も ここにある。

われわれの日常においても 時にこうしたことは経験するであろう。
思いがけなく落涙したり 感動的な行動に魂をゆすられたり
信じられないようなおいしい料理を口にした時や ひとめ見て惚れてしまい恋におちいる一瞬、
こうした時 大脳新皮質はさしおかれ 分析の出来ない情動や感情が押し寄せる
こうした経験で ヒトは人生の航路が大きく変わることもままある。
整体は
これらに類似したことを身体におよぼすもので とぎすまされた短時間の施術で
身体の深奥をゆりうごかし 脳に鮮烈なメッセージを送る。
他愛のないといえば それまでのことだが この勝負は整体に軍配が上がることが多い。


外から深奥へ

脳は 
堅固な頭蓋骨で保護され外部からの圧力や振動や波動の影響を受けにくくされている。
このため 
外部からどのように脳内に刺激を与え 脳内の活動に侵入・変容できるかは難度が高い。
頭蓋骨を最も外側で保護するのは頭皮である。
ず頭皮から頭蓋骨、次に大脳、間脳、脳幹へと 最奥に進んでゆく。
脳の中でも狙うのは 
生物として生き抜くための役割をになう 間脳の 視床 視床下部 視床上部 下垂体 。 
脳幹の中脳  中脳 橋 延髄。 小脳。 
又 ヒトあらしめる本能と情動の中心である大脳の大脳辺縁系が射程に入る。
これを大まかな区分でいうと、
理性・知性・意識の中枢である大脳皮質を除いた部位といえる。
これはどういうことかというと
双極性障害とは 
ストレスの多大な来襲により それと対抗するために 理性・知性・意識 が過剰に稼働してしまい 
それにより生物的な調整に破綻がうまれてきた という
図式が成り立つからで これの回復のためには 
一時的に大脳の大脳皮質がになう 理性・知性・意識の稼働に深い休息を与え 
生物的な身体調整の部位の活動を正常化させる狙いなのである。


頭皮
脳の最外部にある頭皮は
5つの層からなり
頭蓋骨に接する。 
それぞれの英文の頭文字をとって SCALP と称す。
S 皮膚
C 緻密結合組織
A 腱膜層
L 疎性結合組織
P 頭蓋骨膜

緻密結合組織には
動脈と静脈と神経が分布し、
腱膜層には 筋肉が存在する。
5つの層の頭皮は
頭蓋骨をへて
脳から遠いものの
脳内の状況をよく反映しており
又 脳内への伝播力もしごく高く
この頭皮への精巧な施術が
外から深奥の脳にたどりつく
序幕の関門となる。

まず
頭皮の触覚による直接触診で
頭皮の血行状態を診る。
頭皮は動脈と静脈が一致して伴奏走行しており
血行の良不良は素早く判断できる。
頭皮を触ってブョッとしている部分は血行が悪く、
逆にパーンと充実した張りを
見せている部位は血行が良い。

それで 触ってブョッとしている部分を特定し 
そのポイントからまっすぐ
脳の脳幹の中脳を結ぶラインを想定し 
中脳に向かって圧をゆっくり加える。
右図では赤星印が中脳。

頭皮の血行不良ポイントから中脳を結ぶ
ライン上にある脳を同時に刺激することになる。
中脳は動物としての生命活動の中枢である
脳幹の上部にあり呼吸、循環、代謝の役割をもつ。

中脳を標的物にするのは
呼吸、循環、代謝など動物としての
原始的生命力を回復し 
身体能力の野性味を向上させるねらいもあるが
 
加えて
中脳が脳全体と身体全体の結節点だからである。

頭皮の、
赤色が動脈、青色が静脈。
これらが 頭皮の
C層である 緻密結合組織の中で走行。
頭皮は豊富な血液供給を受け
頭皮全体を走行するので
血行の不良個所は見つけやすい。 
身体では 皮膚の状態が 大腸の状態を映し出すように 頭部と脳は 頭皮の血行状態が 脳内の血行状態を映し出すことが多い。
 したがって頭皮の SCALPの5層の状態は重要な指標となる。
術者は 自殻の10本の指と手を使い

頭皮全体の広域にわたり
マッサージを行い しかる後に さらに血行不良個所を施術する。
 

大脳前頭葉へは
過剰になった活動をいったん休止させ 
完全脱力させる。 
狙う場所は 以下の様に ひたいである。
ここが 生命体の健全な維持よりも
思考と社会生活での価値観を優先させる指令がでる
中枢であり 時に身体状態を超越して走る為 
ひずみを生む源泉となる。
 

大脳前頭葉と脳内で戦いをするのが
大脳辺縁系である。 
ストレスを打ち負かす指令をだし
危機を脱するために稼働するが
そうした身体サインを無視し
さらに大脳前頭葉の指令を優位に立たせた場合 
生命維持のリズムとテンポは狂ってしまい
双極性障害が発症しやすい。
   
 

目から脳内へ
実をいえば 理性・知性・意識の活発な活動は視覚の働きと密接な関係を持っている。
視覚をフルに働かせている時は 大脳皮質の理性・知性・意識もフル稼働している。
又 大脳皮質の理性・知性・意識が活発に働いている時は 眼球運動も活発である。
そのため 目の酷使は大脳皮質の酷使を生み 大脳皮質の過剰な活動は目の疲労を呼ぶ事になる。
こうした機能を利用して 目の深い休息が 脳の休息をもたらす 手の込まない手法の一つになる。
目という外部にさらされている部位から いとも容易に脳内に深い影響を付与できる この方法は
途方もなく容易に効果がみられるので 思わず笑いを誘ってしまうほどである。
   

音で脳内を浄化する
音楽が感情と情動に深く、しかも瞬時に影響をもたらすことは自明であるが
音楽が脳内の療法にいかに効果があるかの見識はそれほど多くなく 
実際の音楽療法がどのレベルのことができるのか 未知の領域がいまだ多いのが実情である。
ただし
すでに見てきたように 
身体の仕組みが音楽的なリズムとテンポでかなでられていることからして
音楽療法がいかに潜在的な力をもっているのかは はかりしれない。
ただし 整体が行う 音で脳内を浄化する方法は いわゆる従来の音楽療法とは 
まったく おもむきを異にする物である。
正確に言うと 
それは いわゆる音楽ではなく 音そのもので脳内をクリーニングする施術という事になる。

音が脳に伝わるルートを簡単に説明すると
まず内耳から音が振動として伝わり 
それが神経興奮という電気エネルギィに変換され脳幹に入る 
脳幹では音の周波数解析が行われ そこから 主に2つのルートで脳の中を駆け巡る。

一つは 脳幹から大脳皮質に行き ここで理知的に音を判断するルート。

二つは 脳幹から大脳辺縁系の扁桃体にはいり ここで音の生命体への影響の判断をするルート。
      個々の判断は 音そのものの情動に対する快不快を判断もするところである。

三つは 脳幹から視床下部に入り自律神経や内臓の調整をするルート。

つまり 音はかように脳の中で 3つの方向で処理されるのである。
整体治療では このうち二つ目と三つ目のルートに乗って脳内を浄化しようとする。

以上

睡眠異常疲労感体調脳内 4つの局面から

双極性障害の整体施術を記したが

こうした心因性の高い症状は 対応のいっそうの柔軟性が求められ

難易度の高いものであり 底知れぬ個々の人生の深淵が横たわっている。


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