静かな場所



エスカレーターですれちがった
あの人だ
あわてて後を追おうとして足を踏み出すと
前にも後ろにも人がいて身動きがとれない
やっとフロアについてからも売り場をひとまわりしないと
逆方向のエスカレーターに乗れない
それで急いであの人の背中をさがすと
もうどこにもあの人はいない

エスカレーターの右側からあの人はあらわれた
わたしはほっとしてこんにちはというと
あの人もにっこりと笑った
何年ぶりだろうあの人のこんな笑い顔を見るのは

何階へ行くんですか
三階の紳士服売り場だよ

さっき一階だったから今は二階にいてもうすぐ三階に着いてしまう
このままずっとエスカレーターが長くのびていけばいいのに

三階に着くと
そこはしいんとしていて
すごく静かで
オレンジ色の光で満たされていた
ところどころに店員がいて
ゆっくりとネクタイを結んだりシャツをたたんだりしている
男の人ってこんな静かなところで洋服を買うのですか
振り返るとあの人は消えていた
せっかくつかまえたのに
一階からやりなおしだ
明るくてはなやかで髪の長い若い女たちがいっぱいいて
化粧品やハンカチやハンドバッグや傘や靴が
きちんと行儀よく並んでいて
ここならあの人がかくれていてもすぐに見つけだせるのに
なのにここにはいるはずがない
そんな気がした
あの人がいるとしたらやっぱりあのしんと静かな三階のどこか

今度はエレべーターであえるかもしれない
いつだって思いがけない場所から
あの人はふいにあらわれて
わたしをびっくりさせるのだから
あの人にあえたらまたにっこり笑ってこんにちはといおう

白い手袋がひるがえり
ドアが閉まる時はっとした
商品券売り場のむこうから
あの人の出ていくところが見えたのだ
ああああああの人が消えていく

またあしたも
そうしてあさっても
ここであの人を待っていよう
いつか火事になるかもしれない
火事場での再会も劇的ですてきだと思う
百貨店の発火点
非常口なら知りつくしている



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