「傭兵夜葬曲」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ」 絹を裂くような女の悲鳴が街の夜を切り裂いた・・・。 エレイン橋という、名前の由来に悲しい物語をもつ橋の上で事件は起こった。 悲鳴をあげた女性は地面から生えるようにして現れた影に脅えていた。最近噂になっている切り裂き魔が、彼女の目の前に現れたからだ。その、狂おしいほどに血を求める眼光と、月の弱い光のなかで鈍く輝く大きな鎌・・・ 彼女は明らかに死というものが近づいてくるのを感じていた。
しかし、この事件は、その要となるリカルド・フォスターが不在の時に起こってしまった。
エレイン橋に新たな人影が現れた。長槍を構えた青年が、女性と殺人者の間に割って入る。橋の両側には数人の自警団員が各々の武器を構えて固めている。長槍を構えた青年の名前はアルベルト・コーレイン。リカルド・フォスターが隊長を勤める第一部隊の隊員で、今は彼が隊長代理を任されている。 「隊長の留守をいい事に好き放題やりやがって! とっ捕まえてやるっ!」 アルベルトはそう叫ぶと、長槍の一閃を繰り出した。 ――ギィィィン! 鈍く光る大鎌が繰り出された長槍を安々といなした。 「くっ!」 アルベルトは体勢を崩す事なく穂先を返して柄尻を繰り出す。 ――キィィィン!! 殺人者の鋭い切っ先が翻って繰り出された長槍の柄を両断する。さらに大鎌が翻ってアルベルトに襲いかかる。 ――ガッ! アルベルトの鎧がたやすく斬り裂かれて右肩に血がしぶく。 「ぐあっ!」 右肩を押えてアルベルトが膝をつく。 殺人者はニヤリと口の端をつりあげて笑った。血の匂いがあたりに漂う。 さらにその大鎌は上段に振りあげられた。 「アルベルト!」 「隊長代理!!」 橋の両側に控えていた他の自警団員たち武器を構えて詰めた。橋の欄干を利用して殺人者の退路を塞いだ。ジリジリと包囲を縮める。 殺人者は左右を見回してニヤリと笑った。 「ひひっひひひひ・・・」 冷たい笑い声をあげた殺人者は大鎌を一振りし、何かをつぶやくとその体が影に沈むように消えた。 「な・・・」 アルベルトと自警団の面々は息を飲んだ。 「き・・・消えた・・・」 一同は呆然とするしかなかった・・・
「は〜い! リサ、日替わり定食3人前、おまちどぉ!」 元気の塊ともいえるこの店の看板娘・パティ・ソールがカウンターに座る黒い革の服の女性の前に料理の盛られた3人分の皿を置いた。 「サンキュー、パティ」 リサと呼ばれた女性が答えると、豪快に食事を始めた。彼女はエンフィールドに流れてきて、このさくら亭に滞在している腕利きの傭兵で、その大食らいぶりはエンフィールドでも有名だ。 ここはさくら亭。エンフィールドの主要道路のひとつ、さくら通りに面した酒場兼宿屋だ。店の前にさくら通りの並木のなかでも一番きれいな花を咲かすさくらの巨木がトレードマークだ。 ランチタイムも終わりに近づき、客も減ってきているものの、ここの看板娘はカウンターと客席の間を駆けずりまわっている。 「リサさん、聞いた? 聞いた?」 黄色いリボンの娘がカウンターで3人分の皿を平らげていたリサに声をかけた。 黄色いリボンの娘はトリーシャ・フォスターという。なんと!あの、リカルド・フォスターの娘だ。この元気印の少女は噂の類が大好きなのだ。そして、彼女の手にかかれば、どんな秘密もあっという間にエンフィールド中に広まるのだ。 「ん? なんだい、トリーシャ?」 黒服の傭兵は骨付き肉にかぶりつきながらトリーシャに耳を傾けた。 「エレイン橋の切り裂き魔の話さ。昨日、アルたちが包囲したんだけど、影に吸い込まれるようにして姿を消したんだって!」 ”ボクは人より情報が早いんだゾ”と言わんばかりの得意満面な顔をして黄色いリボンの少女は言った。しかし・・・ 「ああ、そのことか・・・」 リサの反応はあっけなかった。 「ええ〜っ、知ってたのぉ? ガッカリ・・・」 トリーシャはがっかりした顔で言った。彼女は流行や噂話の情報がいつもイチバンでなくては気がすまないのだ。 「いや、見てたんだ・・・」 リサはあっけなく答えたが・・・相手がトリーシャだという事を思い出してとっさに口元を押えた。しかし、この予想外な反応を見逃す彼女ではなかった。 「ええっ? 見たの??」 がっかりして沈んでいた顔がパァっと明るくなった。好奇心のひときわ強い彼女はわくわくした顔でリサに詰め寄った。 「どんな奴だったの? 紅月みたいな亡霊なの?? どんな顔してたの???」 やつぎばやの質問責めにリサはやや後ずさり気味になった。そして口を開く。 「奴は・・・奴は危険だ。だから、関わらない方がいい・・・」 リサは子供をたしなめる様な口調で言った。 「なんでさ! どんな奴だったかくらい教えてくれてもいいじゃないか!!」 トリーシャは納得いかないと言わんばかりに反論した。 ――バン! 突然の強い音に黄色いリボンの少女は飛びあがる。カウンターの上の空になった食器も跳ねた。奥にいたさくら亭の看板娘も何事かとリサを見たが、何も言わなかった。いや、言えなかった。 リサの顔はいつもの顔ではなかったからだ。それは、いつもより更に引きしまった顔つき。猛禽を思わせるような眼光がトリーシャを突き刺した。 「本当に奴は危険なんだ! 子供の探偵ごっこで解決できるような事件じゃないんだよ!!」 そう言って、一方的に話題を打ちきった彼女は、パティに一言二言告げると、宿屋となっている2階に姿を消した・・・
「なんだよ! リサさんてば!! ボクのこと子供扱いしてさ!!!」 トリーシャは不機嫌だった。リサの言い分はもっともな事なのだから逆恨みなのだが・・・。 何も、あんな言い方をしなくてもいいではないか。特に「子供の探偵ごっこ」と言われたのが気に入らなかった。彼女は純粋に自分の好奇心を満たしたかったのだ。まったくの子供のわがままである。 憤慨した不平の塊は、食べる事に専念していた。ヤケ食いである。 彼女の母親は幼い頃に他界し、父親であるリカルドはローレンシュタインで行われる合同演習に出張中である。 普段は家事を一手に引き受けている彼女であったが、家には誰もいないのでさくら亭で済ませているのだ。 「まぁ、まぁ、トリーシャ落ち着きなさいよ」 カウンターに入ったパティはトリーシャのヤケ食いを見かねてたしなめた。 「だってさ!」 トリーシャは反論しようとしたが、パティの手で遮られた。 「アンタはトラブルが多すぎるの。今回の事件はかなりヤバイみたいだから、リサも強くいったのよ! 彼女のあの顔みたでしょ? いつもあんなに恐い顔しないじゃない」 トリーシャはあの猛禽の様な眼光をしたリサを思い出した。あれが傭兵の”目”なのだ・・・ 「事件以来、自警団と連絡をとりあって毎晩見回りをしてるの知ってる? リサはみんなを危険な目に合わせたくないのよ・・・」 パティはリサがいるはずの2階を見透かすように天井を見上げて言った・・・トリーシャには何も言えなかった・・・。
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