大学院・研究者を目指す人へ

以下の文章は、Hal Whiteheadのゼミで読むべきものとされていたものを日本語訳したものです(訳の間違いは天野に責任があります。見つけられたらご連絡を)。実は、アメリカの生態学系の大学院では広く読むことを奨められている文章のようです。大学院に進んで、研究者を目指すときに重要な点がいくつもストレートに述べられています。観点がやや異なる二つの文章がありますが、結局言っていることにあまり違いはないように思います。日本とアメリカの大学院というシステムの違いもありますし、若干古い文章で現状とは合わなくなっている点もありますが、私の研究室のみならず、どこの大学ででも海棲哺乳類の研究を目指す人にとって重要な指針となるものと思います。大学院進学を決める前に目を通しておいて損はないでしょう。少なくとも私の研究室に大学院生として進学を希望する人は、研究者を目指す心構えで来て欲しいですし、入学すればそのように扱います。海棲哺乳類の研究は長い時間がかかるのが普通ですから、修士で終わることは最初から考えないでください。この他にSociety for the Marine Mammalogyから出ているStrategies for pursuing a career in marine mammal science(三重大吉岡研に翻訳がある)も重要です。


大学院生への「ささやかな」アドバイス

Stephen C. Stearns

Professor of Zoology

Zoologisches Institut der Universtät Basel

Bulletin of the Ecological Society of America 68 (1987)


常に最悪に備えよ

ちょっとだけ賢明に将来を考えることで、大学院における最も大きな悲劇を避けることができるかもしれない。懐疑的になりなさい。あなたがやろうとしている研究がうまくいかなかったり、指導教員がちゃんと指導してくれなかったり、ときには関係が険悪になったりしたときのことを想像しておきなさい。そんなときのために次善の策を考えておきなさい。


誰もあなたのことなんか気にかけない

学生を気にかける教授もいればそうでないのもいる。たぶん大部分の教授は気にかけてくれるだろうが、みな忙しいし、時間がなくて実際は十分指導してもらえないかもしれない。頼れるのは自分だけだという状況に慣れておいた方がいい。このことはとても深い意味がある。重要な点を二つ挙げよう。


1.早い時期に自分の課題に自分で責任をもつ決心をしなさい。学位はあなた自身でつかみ取るものだ。あなたの指導教員は、アドバイスしてくれるし、ある程度は事務的なことや研究経費について面倒をみてくれるかもしれないが、あなたがなにをすべきかということは言ってくれない。それはあなた自身にかかっている。アドバイスが欲しい場合は、そうはっきり言いなさい。アドバイスするのは教員の役目だ。


2.誰かの助力が欲しければ、その人のところに行きなさい。その人からあなたのところに来てくれることは決してない。


あなたは自分の研究がなぜ重要なのか分かっていないといけない

まず最初は、広く、徹底的に読んだり考えたりしなさい。著者が言っていることが重要だと確信できるまでは、読んだことはすべてたいしたことではないと考えなさい。理解できないことがあっても、気にする必要はない。それはあなたの問題ではなく、著者が明快に書いていないことが問題なのだ。


偉いヒトに、あなたはなんの講義も取ってないし、データも取ってないので、何もやってないと言われたら、なんのことだと言ってやりなさい。そいつがそこにこだわったら、自分が何してるか分かってるならとっとと失せろ!と言ってやれ。


ただ読んだり考えたりという段階は、なにも研究をしていないという罪悪感から、やり遂げるのが難しい段階かもしれないが、常に自分で「今何をしているのか」を問いながら、忍耐強く続けなさい。この段階こそ、あなた自身の成長のため、そして科学に新しい考えをもたらし続けるために、非常に重要なのだ。ここであなたは、なにが重要な問題なのか判断しなければならない。あなたが自分自身でこの判断をしなくてはならない二つの理由がある。一つは、誰かにもらった課題をやるのだと、あなたはそれが本当に自分のものであると感じることができない。自分の課題だと感じることで、その研究がしたいと思うし、批判に耐えて戦う力もでき、美しい結果を出すことができるのだ。もう一つは、あなたの博士論文の研究こそ、あなたの将来をつくるものだからである。あなたが生涯にわたって取り組む分野を選ぶということなのだ。科学を推進するためにも、あなたがよく考え抜いたことを始めるということが重要だ。あなたは研究における全く新しい部分を始めることができる。なぜそうするのかを知らずに、本当に理解せずに、データを集め始めたとしてそんなことになんの意味があるだろうか。


心を鍛えることが最大の防御

大学院に入ったら早い時期に、どんどん出てくるであろうさまざまなやらないといけないことに打ちのめされないように、精神的な強さを鍛えておかないといけない。注意しないと、カリキュラムや教育におけるプレッシャー、語学力の必要性とか他人と比べられることのプレッシャーによって、あなたはブラウン運動する分子のようにふらふらと自分を無くしてしまうだろう。注意しておかないといけない点には以下のようなものがある。


1.博士の学位には通過儀礼のような性質があり、そしてあなたの人間としての価値も決まってしまうと思わせるほどの力がある。あなたがどれだけ一生懸命やったかにかかわらず、このことから逃れることはできない。他の皆にとっても同じだ。これは博士論文をクリアするのに、決まった基準がないということに基づいている。あなたは「よい」博士論文とはなにかを自分で決めないといけない。論文はいくらでもよくすることができるので、可能な限りの修正をするとすれば、それを永遠にやり続けることになる。


だから、「完璧な」論文などできないのだと悟らなければならない。なんにでもそうであるように、欠陥はかならず見つかる。あなたが得ることのできる限られた時間、お金、エネルギー、励まし、思考の範囲内で、できるかぎり良いものをつくるようにすることだ。


早い時期に、はっきりしているハードルを飛び越えておけば、この問題は軽くなるだろう。授業や試験はできるだけ早い時期に受けて終わらせてしまっておくことだ。こうすることで、後は論文に集中できるということだけでなく、ハードルをうまく越えたということが、自信につながる。


2.自分を卑下することからは何も生まれない。一人の研究者として扱われるように期待し、かつそうされることを求めよう。論文を書くということは、超えねばならない明らかなハードルだが、目に見えないハードルは、研究者としての位置に達することだ。研究者として振る舞え。そうすると研究者と見なされるようになるだろう。


3.大学院は、自分を成長させるためにあなたが持っている道具のひとつに過ぎない。より良い状況があれば、しばらく大学院を離れるということも考えよう。そうする三つの理由がある。


まず、あなたが大学院でできるどんなことよりもずっと実りとやりがいがあり、大学院を中断しないといけないほど時間がかかることへ挑戦するチャンスがめぐってくることがある。たとえば、あなたの博士論文には直接関係ないプロジェクトでアフリカのフィールドワークに参加することや、コンピュータソフトの開発に関わることや、政治の世界で科学政策の立案の仕事をする機会、科学記者として大手の新聞や雑誌でインターンをすることなどが挙げられる。


次に、いつでも中断できると考えることで、大学院生として本当に独立した個人でいられる。大学院だけがすべてだと考えてしまうと、精神的に不安定になったり、やや絶望的になったり、不安になったりして、ベストを尽くせなくなってしまうことが起りうる。


最後に、物事が本当にうまくいかなくなったとき、大学院にとどまっていると、ただ自分を傷つけ他人の能力を否定することになる。人生には科学者になること以外にも面白いことが山のようにあり、その中には就職率もずっとよいものがある。科学者が向いていないと思ったら、他のことを試すべきだろう。しかし、これは難しい決断だし、煮えきらない状態でやめてはいけない。決心する前に、友達の大学院生や、親身になってくれる指導教員に相談しなさい。


講義を受けるのはやめよう。多くは役に立たない

あなたが自分の研究分野で十分な基礎知識を身に付けたなら、取らないといけない授業は最小限にしなさい。このアドバイスは直感に反するかもしれないが、確固たる理由がある。今すぐあなたが学ばないといけないことは、自分で考えるということだ。このことは物事に積極的に関わるということが必要で、受動的に聞いたり、聞いたことを反芻したりすることは必要ない。


考えることを学ぶためには、二つのことが必要である。一つは長い時間であり、もう一つは、自分よりもしっかり考えることのできる人とできるだけ一対一で話し合うことである。


授業カリキュラムは邪魔者でしかない。もしあなたにやる気が十分あるなら、講義を受けるよりも読んだり、議論したりすることの方がずっと効果があり、知識を広げてくれる。少数の同僚研究者と一緒に話したり、興味あるテーマについてセミナーを開いたり、そこに数名の教員に入ってもらったりすることの方が、普通はずっとよい。その方が楽しいだろう。結局、教員は興味を持てば、彼らはあなたがそうしてくれることをありがたがるだろう。なにしろ労せずに大学院教育ができるということなのだから。あなたが失うものはなにもない。


もちろんこのコメントは、特別な技術、たとえば電子顕微鏡、組織学、スクーバダイビングの技術、を教えてくれる授業には当てはまらない。


研究計画を書いて批判を受けなさい

研究計画はいろいろ役に立つ。


1.その年に考えたことや読んだことをまとめることで、自分がなにかを成し遂げたということを実感できる。


2.自分が時間を有意義に使ったことを具体的に示すことで、自分が自立できていることを示せる。


3.他人に助けてもらえるようになる。あなたの考えていることが、とても複雑であるいはとても微妙だったり、とてもたくさんの要素があったりして、口では説明できいことがある。そのときは、よく整理された、明瞭で、短い文章にまとめて、数名の親切な人に読んでもらう必要がある。計画書があってこそ、建設的な批判がもらえる。


4.研究計画書を書く練習になる。科学者はみな計画書を書いている。


5.研究課題がなになのかはっきりし、それが重要であることを確信したら、仲間の大学院生や指導教員に、あなたはバカではなく、援助すべき人間だということを確信させる必要がある。これを達成するための研究計画を書くには、


a.質問あるいは仮説の形で、研究目的を短く示す。

b.なぜそれがあなたにとってではなく、科学的に重要なのか、そのことはあなたの研究分野の全体的な体系のどの部分に当たるのかを記述する。

c.計画を具体化するような文献のレビュー

d.課題を、あなたが少しずつ取り組んでいく一連の小さな課題として記述する。それぞれのステージで、対立仮説を棄却するための実験、観察、分析を計画する。それを整理して、小さく分解する。大きな課題を、一連の小さな課題にすることで、常に次に何をすべきかが分かり、仕事を始めるときのエネルギーも低くできる。どの部分が時間がかかりどの部分が一番厄介かも特定することができるし、何かがうまくいかなかったときにどうすべきかのリストも手に入れたことになる。


6.全体の計画を台無しにするような起りうる重大な問題をリストアップせよ。そしてそれが実際に起ったとき、次にすべきこともリストアップせよ。


7.二つか三つの計画を立てておいて、同時に始めてみて、どれが最も成功する見込みが高いかを見てみるのは悪いことではない。あなたのアイディアを試すのにうまくいきそうなモデルが二つか三つ考えられるかもしれない、しかし、現実的にいくつかは却下されるだろう。二つか三つの計画を立ててやってみて、最初のが現実的な理由でうまくなかったというより、最初からどれかがうまくいかないことが分かったほうが効率的だ。


8.結果を発表する日を決めて、そこから逆算してスケジュールを立て、どのように時間を使うか決めなさい。このときにはものすごく不安に思うかもしれないが、心配する必要はない。最初はスケジュール通りに進むが、そのうちだんだんそうならなくなってくるはずだ。


9.読むことが終わってから、二三週間計画を立てるのに使いなさい。その後で、それに対しできるだけ多くの批判をもらいなさい。コメントが厳しいのはよいことだ。それにできるかぎり建設的に応えるようにしなさい。


10.そして仕事にとりかかろう。あなたはすでに、学位論文のイントロを書いたも同然だ。そしてまだたったの12から18ヶ月しか経っていないのだ。


指導教員をうまく使え

あなたがなにをしているのか常に指導教員に知らせておくこと。ただし邪魔にはならないように。邪魔者ではなく、興味深いやつだと思われるようにせよ。少なくとも一年に一回は、自ら進んで1−2ページの進展報告(プログレスレポート)を書くこと。指導教官はありがたいと思うだろうし、印象もよくなる。


人間関係の問題を予期して、それを避けるように努力すること。指導教授とうまくいかないときは、早めに指導教員を変えよう。最初に指導教員を選ぶときにくれぐれもよく考えること。最も大事なことは、あなたの興味と指導教員の興味が一致していることである。



学位論文のタイプ

すでに存在するが怪しい理論の先端をこね繰り回すのはやめよう。まっすぐ基礎に向かい、重要な研究分野の、示唆されてはいるがまだ確かめられてはいない考えをテストせよ。もしくは新しい研究を推進する基礎を作れ。もちろん他のタイプの学位論文もある。


1.伝統的なタイプの学位論文は、新奇な予測を出して、それを客観的に検証し、その仮説が不利な条件で成り立つか確認するという、演繹的な形のものである。これができるのは稀で、評価は高い。


2.重要な研究の基礎的な部分への批判。これも稀で、うまくできれば価値が高い。


3.純粋に理論的な論文。経験主義者が多くいる研究室では特に勇気がいるが、数学とか論理が得意であればやり遂げられるだろう。


4.だれでもまとめられるようなデータを集めた論文。学位論文としては最も質が低いが、いざとなれば、うまくいくだろう。ある種のヒトは、たとえ仮説が検証されていなくても、大量のデータがあるだけで感心する。少なくとも、結果はあなたが一生懸命がんばったことを示すようにすること。それで審査委員会から学位をゆすりとるのだ。


大学院生の数だけ違った種類の学位論文がある。上に挙げた四つのタイプは、良い論文、悪い論文、ひどい論文の例である。博士の研究は、さまざまな研究のスタイルを試して、どのスタイルが自分に合っているかを知る機会でもある。理論か、フィールドワークか、それとも実験だろうか。理想的には、どれもバランスよくできて、理論をデータ主義者に、実際のデータを理論家に教えてやれるような希有な人材になれればよい。


早めに論文を出版せよ

自分を甘やかすな。あなたは、植物や動物が好きだとか、自然に興味があるとか、真実を知りたいとかそんな理由でこの世界に入ってきたのだろう。しかし、論文を書いて出版しない限り、職はないし、この世界にとどまることもできない。きちんとした論文を、国際的に認められた査読のあるジャーナルに出す必要がある。それなしには、科学の世界では忘れられた存在になる。これは厳しく感じるかもしれないが、そうすべき理由があるし、楽しく挑戦しがいのあるものだ。科学とは知識を皆で共有するということだ。結果はちゃんと伝えられていかなければ、存在しないも同然だ。論文を書くのは仕事の一部だし、それなしに研究が完成したことにはならない。明瞭に、短く、整然とした科学論文を書く技術をマスターせねばならない。論文を書くためのいくつかのコツを挙げよう。


1.経験を積んだ誰かに共著者になってもらえ

興味がある研究をしている教授に近づいて、なにかお手伝いをして、そのかわりに共著者になってもらえ。教授は手伝いをありがたがるだろうし、自分が共著者になるとなれば、多くの良いコメントをくれるだろう。


2.自分の最初の論文に世界的インパクトがあるなどと思うな。どんな高名な人物でも最初はささいな仕事から始めているものだ。平均的な科学論文で報告される情報量は、思っているより小さい。一つか二つ短いが、よい論文をそれほど知られていないジャーナルに出し、それから有名なジャーナルを目指せ。ジャーナルの評判に関係なく、編集者はみな自分のジャーナルの質に誇りを持っており、それを維持しようとしている(もちろんそうすべきなのだが)のにすぐ気づくだろう。


3.研究計画がよければ、研究計画自体を査読のあるジャーナルに投稿せよ。もし出版できるようなら、よい研究分野を選んだということになる。


4.学位論文をモノグラフとして書くな。いくつかのそのまま出版可能な論文原稿の形で書き、できるだけ早く投稿せよ。そうすると学位論文のいくつかの章は出版論文の別刷の形で提出することができる。


5.Strunk and White著Elements of Styleを買って使え。最初の論文を書きだす前に読め。次の3、4年の間少なくとも年に一回は読み直せ。DayのHow to write and publish a scientific paperも優れた本だ。


6.投稿する前に、時間があって論文のアイディアや論理だけでなく、書き方についても批判をしてくれる誰かに読んでもらえ。


修士論文をみくびるな

修士論文を重視しないことに理由があるとすれば、それで何かができるようになったという普通は間違った自負を持ってしまうからということだけである。修士には利点がある。


1.もし、そうしたければ、違う大学院に行くチャンスになる。このチャンスを生かして、基礎知識を広げることもできる。さらに、研究を進めていくこの段階で、何が重要な問題かということについてあなたの考えが急に変わっていくかもしれない。誰がどこでどういう研究をしているのかということがどんどん分かってくる。大学院を変わろうと思ったら、修士の後がベストだ。前の大学の先生はあなたがやったことに満足するし、よい推薦書を書いてくれるだろう。博士論文に必要なものをほとんど持って移ることができる。


2.博士の研究よりも、冒険できるので、研究や論文を書くことへの得難い経験ができる。徐々に慣れていける。研究では、解決可能な課題はどのくらいはどのくらいかということが分かってくる。修士の研究をやりとげていたら、博士ではずっと気楽だろう。


3.論文を書くことができる。


4.急ぐ必要がある?早く就職しようとすると、十分準備ができていないということになる。少しゆっくりやって、ちゃんとした基礎知識を付け、より多くの広い経験を持つ人間として、自分を売り込んだほうが良い。


定期的に論文を出せ。しかしやり過ぎるな

論文を出さないといけないというプレッシャーは、ジャーナルの質も知的な生活の質もダメにしてしまいつつある。すぐ忘れ去られるような小さな論文を次々と出すよりは、質が高く広く読まれる論文をいくつか出すというのがずっとよいのだ。現実的にならなければいけない。ポスドクの地位を得るために、そしてさらに大学に職を得て、さらにテニュア(終身在職権)を得るためには、論文を出してないといけないだろう。しかし、本当に質のあるまとまりとして研究を組み立ていければ、それは自分にとっても研究分野にとっても良いことをしているのだ。


ほとんどの人は、本当に重要な論文をほんの数本しか書いていない。多くの論文はほとんど引用されないか全く引用されない。10%ほどの論文が引用の90%を占めるのだ。引用されない論文は時間と労力の無駄だ。量ではなく質を高めよ。これには勇気と粘り強さが必要だが、決して後悔はしない。年に一本か二本、考え抜かれた、重要な論文を査読のあるよい雑誌に出すならば、それで十分きちんと仕事をこなしていることになる。


謝辞(省略)


有用な文献




大学院生への「ポジティブな」アドバイス


Raymond B. Huey

Department of Zoology Box 351800

University of Washington

Seattle, WA 98195 – 1800

Bulletin of the Ecological Society of America 68 (1987)



最初に

Sternsの論文に対し最初に思ったのは、それがSternsの基準なのだとしても、ネガティブすぎるだろう。とくに大学院教育をそれほどネガティブに捉える必要があるのだろうか。ということだ。


Sternsと私が漫画のような議論をしてから10年が経っている。われわれの古い考えを文章にするに当たって、Sternsと私は、その時の議論をそのまま残すように考え、それぞれの見方を提示し、当時の雰囲気を伝えるようにした。それは、我々の古い見方が正しいと確信しているからではなくて(私はSternsが少なくとも部分的には見方を変えてくれたのをうれしく思っているが)、大学院生であるということにはさまざまな見方があるということを強調したかったのだ。


私の主な論点は、大学院生に与えられた道筋は一つではないということだ。我々は個人として、個人の欲求と、目標と、能力と経験がある。ある学生に有益なアドバイスが、別の大学院生には最悪のものであることだってある。いろいろな見方で考え、疑問なくある考え方を受けれるのはやめよう。


前提

大学院は、あなたを読む人から、書く人に変える機会を提供する。これは実に大きな変化だ。もちろん、それは機会であるばかりではなく、挑戦でもある。



常に最良のことを考えよ

最悪のことを考えると、そうなりがちだ。前向きな態度になり、自分のやりたいことを決めて(TAになることとか、研究費をとるとか)、それを獲得しよう。必要なアドバイスや研究費が大学の外にあれば、そこへ出かけていこう。ただ指導教授にたよるばかりにならないように。つまり、受動的にならず、自主的に独立して行動するようにしなさい。



誰かはあなたのことを気にかけてくれる

あなたが専門家のように振る舞い、自分に自信があれば、人はあなたのことを気にかけるようになるものだ。人の役に立つ技術(多変量解析でも、電気泳動でも)を身に付けよう。しかし人に使われないようにしよう。


仲間の大学院生、とくに面白い研究を楽しんでやっている学生と共同してやることを探そう。仲間の大学院生とは共有することも多く、一緒にいる時間も長いので、指導教員よりも彼らから学ぶことの方が普通は多いものだ。つまり、他の大学院生とのやりとりを、違う見方や技術を得て、自分の仕事にわくわくする機会と捉えよう。


退職したあるいは退職が近いがまだ元気な教授を探そう。彼らは多くの知識と経験を持っており、暇があって、知識を分けてくれるだろう。さらに、あなたの研究分野のこれまでのことについて、彼自身の評価を教えてくれるだろう。科学というのは歴史的な活動でもあり、その進歩は過去の理解によって進むことも多い。


「深く」考えることについて

ある程度の科学的な知識としっかりした動機がないと、「広く深く」考えることは精神的に消耗することになりかねない。最初の年は、学科の勉強の不足をなんとかすることに当てられる(しかしできるだけとっとと終わらせること!)。さらに、学生によっては、自分で考えられるようになるまでに時間が必要ということもあるだろう。この自立に向けてのプロセスは、時には、指導教員が「渡してくれた」研究課題を始めることで、進むこともある。


しかし、最終的には、あなたは自分で考え、自分で研究を進めなければならないし、なぜその研究をしているのかを分からないといけない。


精神的な問題

精神的な問題は起きる。誰でも最初の一二年は、学問的な不安やストレスを感じる期間がある。ちょっとしたコツでそれは軽減できることが多い。


1.できるだけ早くやらなければならないことは済ましてしまおう。語学力をつけ、試験を終わらせてしまえば、大学院や研究に対する気持ちがずっと強くなるだろう。大学の教員は、学問的なハードルに怖じ気づくことなく、早く突破するような学生のことを必ず気に留めるものだ。


2.学問的に成熟するのに時間がかかる学生もいる。4年で博士課程を終わらないといけないという、要求やプレッシャーと戦わなくてはいけない。もっと時間がかかることもあるし、場合によっては休学が必要になるかもしれない。まず修士を終わらせることができれば、大学を代わったり、指導教員を変えると良いこともある。


プロになれ

自分のことを、残りの一生を生物学者として生きるプロフェッショナルなのだと思え。本や論文を集め、コンピュータにそのリストを作り、学会に参加し、講演にやって来る研究者に会い、同じような研究をしている研究者に連絡をとり、論文を出版したら別刷を送ろう。


単なる論文のレビューを含めすべてやったことは出版できるものとして扱え

あなたがしている以上に大学の教員はあなたをプロの研究者として扱うようになる。この意味で教員はいろいろなアドバイスをしてくれる存在だ。論文をどうやったら効率良く整理できるか、彼らの考え方や研究において影響を与えた重要な論文はどれか(彼ら自身が書いたものあるいはその他で)を尋ねなさい。その論文を読みなさい。そして推薦してくれた教授ととその論文について議論しなさい。(多くの大学院生は、指導教員や学部で同じような研究をしている教員の論文を読んでいない)。


あなた(そして指導教員)が努力しても、あなたは研究の同僚ではなく学生だと見なされてしまうこともある。だから、大学や学部の外にも、つきあう研究者をつくりなさい。そうすることで、自分の仕事や生物学についての新しい見方を得ることができる。他の大学に行って、同じような仕事をしている指導教員や大学院生に会い、(よければ)自分の研究について正規でないセミナーで発表させてもらいなさい。可能なら、ある学期をそちらの大学や実験施設に滞在して、そこの講義を受けなさい。とくに、その講義が特別だったり、あなたが一つの大学でずっと過ごしてきたときはそうするのがいい。外に接触することは、見聞を広げるだけでなく、共同研究やポスドクのポジション、時には職を得るチャンスを増やすことにつながる。


適当な学会に入り、大会に参加し、発表し、将来の研究仲間と知り合いになれ。学会は刺激的だし、なにが新しいのかを知る機会になる。さらに、「見知らぬ(あなたに共感をもってない)人々」の前で話す練習にもなる。


授業

あなたの研究分野とは違っていても、有名な教授の授業をさぼってはいけない。知識を得るような授業ではなく、考えさせるような授業をとりなさい。座学の授業も、自己鍛練ができていれば、その分野の全体を知る効率的な方法になる。


時間を節約する技術を教えてくれるような、短期の授業をとりなさい。多くの図書館は、文献検索のための設備を備えているし、ほとんどの大学では、コンピュータや統計ソフトなどの手ほどきが受けられる。このようなきわめて重要な技術をまだ身に付けていないのなら、すぐにタイピングとワープロの使い方を覚えなさい。



研究費の申請

研究費の申請書を書くことは、基本的な技術だ。教授から、うまくいった(時には失敗したのも)申請書類のコピーをもらいなさい。つまり、申請書を書く前に、良い申請書とはどういうものかを知っておくことで、時間の節約につながる。


過去の研究を勉強せよ。それを知って理解しているということを示せば、印象は良くなるし、研究分野でキーとなる問題を理解することにもつながる。


実際の申請書を書く基礎として、Sternsが言っているような下書きを作りなさい。多くの学会、政府機関、その他の組織は大学院生への研究助成を行っている。指導教員や他の大学院生に聞くと良い。学部や指導教員にそのような研究助成の一覧を設置するように要求しよう。


指導教員との関係

学位論文はあなたの研究生活の最終地点ではなく、始まりである。学部生の時には、自分の創造性を試されることなどなかったであろう。その機会が大学院にはある。自分を鼓舞すること。心配しすぎて、リスクのない計画をすることにならないように、自信を持ち自分に敬意を払おう。


あなたの将来の研究方向は、学位論文のテーマに縛られないということを覚えておこう。実際に、学位を取るという経験で、自分の興味や能力が他にあると気づくこともある。そうすることが適当なら、修士から博士への進学で方向を変える事ができる。


論文の出版

一般にはそう思われていないが、論文を書いて出版することは楽しいことである。もっと重要なことには、書くことは、積極的に勉強するということにつながる。論文や研究費申請書を書いたりするとで、自分自身の研究への理解が必ず良すすむ。


もちろん論文を書くことは常に楽しいことではないが、注意深くなり、書きだす前に考えをまとめ、自信を持って慎重に文を作り、投稿前に誰かにレビューしてもらうことで、論文を書くときの問題は軽減できる。レビューしてもらうには手順がある。まずは、セミナーで話し、次に原稿を仲間の大学院生と指導教員に読んでコメントをもらい、次ぎに(必ずしも必要ではないが、奨める)その分野のエキスパートに送り、最後に投稿する。


(いくつかの雑誌や本の編集者の経験から、少し付け加えておこう。雑誌の投稿規定に則っていることを確認しよう。合っていないと編集者は、(1)この論文は以前どこかの雑誌にリジェクトされたか、(2)あなた研究態度がいい加減で、必ずしも信頼できないかもしれないと思う。また、引用文献リストと文中の引用を慎重にチェックせよ。本文、表、図が正しくきちんとしているかチェックせよ(きれいによくデザインされてた原稿は読みやすいものだ)。本のある章を書くことを求められたら、締切を守ろう。編集者は締切や規定を守る著者を好むものだ。)


論文を出すことは重要な仕事だ。それによってあなたの考えを他人と共有することができる。必須のことでもある。たいした論文を出していなくても、時には良い仕事や研究費にありつく人もいるが、そんなことが起る可能性はものすごく低い。


書きすぎるのは問題だが、一本か数本、二流の論文をだすことを恥ずかしがっていてはいけない。多くの実例がある。さらに、我々は何が本当に重要かについてよく間違った判断を下す(Bartholoew 1982を見よ)。(経験がつけば、「論文リスト」を「19xx年以降の主要論文リスト」と変えてしまうことで、あまり知られなくなったつまらない論文を隠してしまうこともできるだろう。)


その他

チャンスを見極めつかむこと。誰かが特別な野外調査を準備しているとしたら、一緒に行って手伝わせてもらえないか聞こう。自分の大学で求人があれば、その応募書類を見て、まずよい履歴書とはどんなものか、研究や教育への抱負の良い書き方などを学ぼう(大学によっては、大学院生が応募書類を見ることができないところもある)。候補者のセミナーに対する、あなたの指導教員の意見を聞こう。そうすることで、今度自分が公募に応募するときに、どんなものがうまくいき、どんなものがだめか、少しは何か分っているだろう。


結論

一見、大学院生は抑圧されているように見えるかもしれないが、実際はそんなことはない。あなたは、これまでにない自由をもっているのだ(ポスドクとか貴重なサバティカル休暇を除けば)。懐疑的にならず、ポジティブになろう。


最後に

大事なことをもう一度言う。まず、重要な研究を行い、自分の研究にわくわくしている学生や教授たちと過ごすようにせよ。つまり、良い人に囲まれるようにしなさい。熱情は伝染するのだ。次に頭を整理する方法を学び、大事にしなさい。そうすることで、効率的になり時間を無駄にすることがなくなる。こうすれば、明らかに生産性が上がり、自分の研究活動への熱情も増すだろう。


謝辞(省略)


引用文献

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