3月1日  待乳山聖天のご本尊
 待乳山聖天に行ったとき、歓喜天と毘沙門天が祀ってあったのを見て、
「はて、何故この組み合わせ?」と思ってちょっと調べてみた。
 待乳山聖天のご本尊は大聖歓喜天(聖天さま)。そして歓喜天の守り神である毘沙門天も祀っているそうだ。
なるほどなるほど。

 では大聖歓喜天とはどんな仏様か?
「たしか男女和合の仏様だったよな〜」と思いつつ、よく知らなかったので調べてみた。

「大聖歓喜天は、象頭人身の男女が抱き合った姿で表現される。
二股の大根が交差した図で象徴されることもある。
大阪・生駒山宝山寺、東京・浅草の待乳山(まつちやま)聖天が有名。
 男女和合、小授けの功徳で知られるが、それに限らず大変な御利益があり、
相当無茶な願い事もかなえてくれる。
七代後の子孫の福徳をいっきに集め、大金持ちになることも夢ではない。
 しかしご利益が強力な分、おろそかな祀り方をすると凄まじい祟りがあるという」

 あそこ、有名なお寺さんだったのねえ。
二股の大根が交差した図の石碑は待乳山聖天にもあったらしいけど、
私は見なかったな。ちょっとセクシー(ばちあたり?)。
 御利益はいいけど、『七代後の子孫の福徳をいっきに集め』なんて、
子孫はどーするんだ。かなり迷惑では?
 しかしまあ、そんなに力のある仏様だったとはびっくり。
しまった〜! それなら握手会の参加を祈願してくるんだった!
それと…西川君とお近づきになるとかさ…。きゃ〜。
西川君、ちゃんと世界征服の祈願してきたかしら?

 でもやっぱり都合の良いことばかりじゃないのね。ハイリスクハイリターン。
よくよく気をつけて祈祷しなくちゃいけないのね〜。
 もっとも歓喜天に限らず、天部の神様(吉祥天、毘沙門天、帝釈天など)は本来そういうものだそうで。
もともとインドの神様を仏教に取り入れて仏教の守護神としたものなので、
一般にイメージする「仏様(人々を救うのがおしごと)」とは違う存在なんですな。

 この歓喜天の謂われは幾つもある。その内の一つをご紹介。
『昔インドにマラケラレツという王がいた。王は大根と牛肉を好んで食べた。
王が国中の牛を食べ尽くすと民は人間の死体を捧げた。
死体を食べ尽くした王は生きた人間を食べるようになった。
困った国民が王を暗殺しようとすると、王は象頭人身の魔神ビナヤカに変身し、疫病でひどい祟りをなした。
 人々は十一面観音に助けを求めた。
十一面観音は女神に姿を変え、ビナヤカの前に現れると、魔神は女神に一目惚れ。抱かせて欲しいと頼む。
女神は「祟りを止め、仏法を守護する善神になると誓うのなら、抱いてもよい」と答える。
 ビナヤカはそれを約束し、観音の化身の美女を抱いて大歓喜を得たことから「歓喜天」と呼ばれる善神となった。
 2神が抱き合う像の、相手の足を踏みつけている方が女神。』

 まず驚いたのは、「インドでも大根を食べるんだ」ってことだったけど。
…それでいいのか!?って感じですが…。大歓喜って、オイ。
“悟り”とか“解脱”とかとは対極にあるこんな神さまが、仏教の仲間になっているとは…。
 私は常々、「神仏に対し、煩悩まみれの俗世の利益ばかりをお願いするのもいかがなものか」
と思っていたのだけど(でもそういうお願いを止めるわけではない)、
この神さまに対してならオッケーだろう。お互いさまだ。
 それにしても、こんなカカァ天下の神さまに夫婦和合を祈願したら、
きっと妻が夫を上手にコントロールする夫婦になるだろうなあ。



3月2日  水餃子
 久々に水餃子を作った。
以前は全部手作りでやってたけど、今は小麦粉を練るのだけはパン焼き機でやっちゃう。これ、すっごくラク。
友人達と一緒に、生地をのばして、あんを包んで、巨大な寸胴鍋(直径・深さとも33cm)でかたっぱしからゆでて。
十数人がかりで、一体いくつ作った事やら。でもいくらでも食べられちゃう。
手作りの皮は厚めでムチムチして美味しいのよ〜。

 昔、中国人の知人が作ってくれた本場の水餃子を食べた時は、ほんとにびっくりした。
餃子の皮が美味しいなんて、考えたこと無かったから。
「餃子は皮を食べる料理です」と、誰か忘れたけど、中国人の料理人も言っていた。
以来、皮の薄い餃子ではちょっと物足りなくなってしまった。
もちろん普通の皮でも美味しい餃子はいっぱいある。
でも、時々むしょうにムチムチプリプリの手作り水餃子が食べたくなるのよね〜。

だけど、手間がかかるから、1人の時はとてもやる気にならない。働き手が大勢いるときに限る。
かくして人の集まる週末に、突然餃子パーティになったりするのだった。
でもみんな急に働かされても、餃子と聞くとすごく嬉しそうにやってくれる。
みんな餃子が好きだなあ。

 いいかげん水餃子を食べつくしたら、目先を変えて市販の皮であんを包んで焼き餃子。
鉄鍋を使って、小麦粉をといた水をかけて焼くと、パリッパリの羽つき餃子ができる。
テフロン加工のフライパンでもいいんだけど、なぜか羽がすぐにしんなりしちゃうのよね。
鉄鍋ってエライなあ。

 次の機会にはいろいろな具のバリエーションを試してみようかな。
料理雑誌に羊肉とトマトの餃子なんて載ってたけど…。ちょっと冒険ね〜。



3月9日  PATIPATI/新曲?/特典確認
 おお〜、セピア色のグラビアだ。
ノースリーブの、少し寂しげな少年のようだ。ああ、抱きしめてあげたい。
でも、ちょぉっと目の周りが少年と言うには疲れた感じが出ちゃってるけど。
 “見たことあるポーズだな”と思って、撮影が誰か見たら渡部幸和氏。
ああそーだ、私の大好きなアノ写真だ。2002年のオフィシャルカレンダーのチラシにもなった写真。
PATIPATIの2001年の10月号のグラビア。あはは、同じ写真家さんで同じポーズだ。
西川君、この人が見せてくれるこういう自分がお気に入り?

 記事については、まあ、当たり障りの無い感じというか、
色々語ってくれてるんだけど、イマイチわかんないというか。
“まあ、まだ様子を見ないとわかんないな”って感じ。
藤井徹貫さんのインタビューって、あまり面白くないなあ…。
 でも、この記事のおかげで何故THUNDER BIRDが今度のアルバムに入っているのかわかった。
ガンダムの監督さんが好きな曲だからなのね。ふ〜ん。
監督さん、嬉しさひとしおだろうなあ。

   ☆

 turbo-webを見ると、「ロケに行った」とか、POP JAMの出演だとかの話が出ている。
思うに、これはニューシングル用の活動ではなかろうか。
と言うか、Meteorが4月からガンダムの挿入歌として使用されるなら、
それをシングルとして売り出さないってことはないだろう。
メーカーにとっては「ガンダム関連曲」を売り出せるオイシイ機会になるわけで、
それを逃しはしないんじゃないか?って思うんだけど。
 4月から放送されて、4月末までにリリースって、ありそうな気がする。
THUDER BIRD以来、久々のバラードシングルになるかな。
どっちも福田監督つながりになるのね(笑)。

   ☆

 アルバムを予約したCD店で、握手会参加用のスクラッチカードがちゃんとつくかどうか、確認してきた。
お店の人に聞いたら
「ああ、初回につくのですね。それがあるって聞いたから初回の数を増やしたので、大丈夫だと思いますが…
(確認中)はい、つきます。」
これで一安心。
この特典、お店の仕入れ増にも貢献しているようで。
いいぞいいぞ。もっともっと沢山のお店に西川君のCDを置いて欲しいぞ。



3月10日  ARENA37℃
 斉藤ユカさんって、ほんっとに率直に切り込んだインタビューしてくれてて、気持ちいい。
この人も、私と同じで「新しいことやるはずじゃなかったの!?」って思った人で、
それを隠さずつっこんでくれて、結構私が言いたかった事を伝えてくれてる。ありがたい。

 やっとTMRと自分の距離感をちょうど良く保てるようになったって、どの雑誌でも言ってるね。
そりゃ良いことだけど、今までにも何度「TMRと自分との関係はこうだ、と解った」
みたいな事を聞いたやら。これで本当に決着がついたのかねえ。
今まで西川君ってば、何度も繰り返してるよね。悩んだ末に答えを見いだし、サッパリとした顔つきで現れ、
「これからデビューの気持ちで」って。
こんなに毎年の様にデビュー感覚で新鮮に仕切直しする人も珍しいだろうな。
 まあ晴れ晴れとした気持ちで再スタートするのはいいことだよ。
ただ、このスタンスはどれくらい続くのかなあ、とつい思ってしまうけど。
これが最終決着で、もう悩まずにすめばいいね。

 「TMRをやっていくんであれば、大ちゃんとやりたいって改めて思ったし。」
…そーですか…。ちょっとクラッときた。
ということは、色んな人とのコラボとか、楽曲提供してもらうとかは、TMRではやらないのかな。
そういうことは、西川貴教個人の音楽活動の始動を待たなければいけないわけ? はうー…。
 しかし“大ちゃん”とは久々に聞く呼び方だね〜。
また同じチームの仲間に戻ったって気持ちだろうか。雨降って地固まったみたいね。

 「聞いてくれてるみんなも、色んなものをひきずったままになってるかもしれないから、ここでちゃんと、今の在りようを見せたいなと思って」
そうだね。今の在りよう、見せてもらいましょう。

 「非常にTMRらしいアルバム」とか「TMRならここでこう言います」とかの言葉を聞くと、なんだか居心地が悪い。
以前は、「TMRはこうあるべきだ、とか自分で枠を作ってしまっていた」とか言って、
それをはずそうとしていたよね。今はそれと逆行して、改めて定義づけをしている感じがする。
TMRならではの様式美を見つけたという事だろうか。
TMRというものの魅力がどこにあるか、西川君自身がやっと掴んだって事なのかな。
そんな確信が得られたなら、強気にもなるよな。
ただ、彼の思うことが何となく私の気持ちとはずれている様な気がして…。

 「見た目では周囲の人達に西川だってバレないんだけど、
エレベーターに乗って『何階ですか?』って言った途端に気づかれちゃう」
うふふ、ちゃんとエレベーターで他人の為に動いてあげられるって、ステキ。スターなのにね。

 斉藤さんは、インタビューの終わりに「読み終わって今、わりとスッキリしてませんか?新作を素直な喜びとして受け入れることができそうな、そんな気がしませんか?」と私達に語りかけてくれているけど、残念ながら私はスッキリできなかった。
 もちろん、私も今まで色々悩んだ末、今は彼の音楽を素直な気持ちで受け取ろうと思ってる。
彼がTMRとしてやりたいことを見せてもらえるのを、本気で楽しみにしてる。
自分の音楽は待って欲しいと言われたから、素直に待ってる。
でもかつてのTMRとは違うものになって欲しいと思う気持ちは消えないわけで、
なのに「いかにもTMRらしいアルバム」と言われると、ちょーっと気持ちが萎えちゃうところがあり…。
多分、実際に聞いてみれば、「最高!」って思うはずだけど、
TMRと西川君の関係性とか、TMRはこうあるべきだとか、理屈をこねられると
何か違和感を感じてしまう。何故かはよくわからないけど。
 でも、斉藤さんが「新鮮な感覚でこの作品を聞いてもらえるはずだと確信している」
と言ってくれているので、多分大丈夫だって心強く思った。
おや、私ってば随分斉藤さんを信頼しているみたいね。

 夜、BESTビデオを見直した。
ライブでは、何のノイズもなく気持ちが一つになるのに。
あそこには、「本当」しか無かった。
 アルバム、本当に楽しみにしてる。
でも、言葉を尽くすほど、何か違う感じがしていくのは何故だろう。



3月11日  挿入歌としてのMeteor
 Meteorがシングルとしてリリースされることは、私の中では既定事項になっちゃってたりする。
が、これがガンダムSEEDの挿入歌になったことは本当に良かったと思ってるけど、
シングルとして世に出るとなると、諸手を上げて喜べない気分もあったりした。

 初聞き後しばらく、まだ挿入歌と知らない時、
「この曲、シングルにしたって良いくらいの力というか、格があるよなあ。
すごいなあ、こんなのばっかり詰まったアルバムなの?」
と感嘆していた。でも、西川君の歌声の力の素晴らしさはともかくとして、
この歌詞の歌をTMRの名刺として世に出しても、
「TMRの歌って、何かよくわかんない歌だな」と切り捨ててしまう人が多いのではと危ぶまれる。

 西川君の歌声に気持ちを向ければ、思いははっきり伝わってくる。
でも歌詞に気を取られると、相も変わらず具体的状況が全くわからない、抽象的イメージばかりを重ねられて、煙に巻かれるというか、何が言いたいのかわからなくなる。
西川君の“本当”に届く前に立ち往生してしまう感じがする。
 確かにとても美しい響きの歌詞だとは思う。
それに、聞き手が曲を理解する努力を放棄するべきではないのかもしれない。
でも、もーちょっと、まっすぐ心に響く言葉をくれてもいいと思うのよ!
声の伝える力を歌詞が阻害している気すらする。
だから、広く世に問う曲としてはどうか、という気持ちは強くある。
曲が人々の心を動かせれば、SMAPの歌唱力でさえ名曲と言われるのに…。

 でも、ふと気づいた。これって、ガンダムSEEDのイメージソングなのよね。
「ガンダムの曲」として聞けば、独立した曲として捉えていた時の収まりの悪い感じがスッキリ消えて、まさにピッタリの、そうあるべき曲に思えた。
何と言ってもイメージソングなのだから、イメージばかりの歌詞でもおっけー。
というか、わけわかんなさ加減がかえって“らしい”。
ガンダム(というかファーストガンダムを初めとする富野監督作品)って
“小難しい観念的なことをこねくり回しがち”
“人の業のぶつかりあい、人の哀しさ”
を特徴としていると思う。だったらホントこの曲、ぴったりだよ。
けなしてるんじゃないのよ、念のため。

 やっとこの曲の在りようが受け入れられた。
世間的に受け入れられるかはわからないけど、意識を一般大衆ではなく、ガンダムに向けて作った曲なら、仕方ないかもね。



3月15日  違和感の理由
 音楽雑誌を読んでいて、ハタと気が付いた。西川君の言うことに違和感を感じてしまう理由。
 私は、何よりもまず“西川貴教の声”を活かす事を優先し、その為にはTMRの枠組みを外してもいいと思っていた。でも、西川君が目指すのは、“TMRを面白くすること”なんだ。まずTMRありき。私が捨てて欲しいと思っていた枠の存在が大前提。
 違和感は当たり前だったな。そっか…。



3月25日  アルバムゲット!
 アルバムを買いに家を出る前、待乳山聖天の本尊である大聖歓喜天の真言を唱え、ひたすら祈った。
「オンキリクギャクウンソワカ、オンキリクギャクウンソワカ。
男女和合を妨げるものを軍茶利明王の種子で除き給う大聖歓喜天よ、我が望み聞き届け給え!」
歓喜天には大根をお供えするらしい。ところが家には長さ5センチくらいの大根のしっぽ部分しかない。
それでも気は心と思ってチビた大根に向かって祈った。
…かえって不敬だと祟られたりして…。
しかしまあ、端から見ればイワシの頭に礼拝するのと同じくらい謎な光景だわね。

 CDショップに向かう途中でも真言をブツブツ唱えていたんだけど、
車を降りた瞬間、つい十字をきってしまい、焦る。
「あっ、二神に祈ったらいけなかったかも! 怒らせちゃったらどうしよう!」

 ショップでは友人の分と合わせてアルバム2枚買ったんだけど、
お店の人がババ抜きのように(笑)3枚カードを持って、「どれにします?」と選ばせてくれて。店員いわく、
「アタリとはずれと混ぜちゃったんですけど、どれを引いても1枚は当たると思いますよ」
との事! へえっ、お店でアタリとハズレを混ぜるのかな?
いやそれより、という事は2枚がアタリで1枚がハズレ。よし、やった! 行ける!
で、どれを引くか。なじみの店だし、アタリを引かせてあげようという気はあると思うので、
まず真ん中はアタリだろう。後は右か左か…。店員さんの思惑を読み取ろうとしてみたりして。
えいっと真ん中と左を引いて、レジ前で即確認。2枚ともアタリ! よし!
思わず店員さんの前で「アタリ!」と喜びの声をあげてしまったわ。ま、いいや。今さらだわ。

 いや〜、よかったよかった。歓喜天様、ありがとうございました。
ちゃんと大きな大根を買ってきてお供えしなきゃ。でも、どこに捧げればいいんでしょうね。
家で大根に向かってお祈りすればいいかなあ。

 しかしステッカーくじ、シール部分をめくれば台紙に印刷してあるのかと思ってたら、
なんとはがした方にアタリとついてた。これを当日持って行けと?
こ、こんなちびっこい紙、無くしそうでコワイ〜! はがさずに持って行かなきゃ。

 3枚中2枚がアタリという確率からすると、初回10万で当たりが半数以上とか、アリそうな気がする。
「5万人と握手!」って、もしかして本気なのかも〜? 大丈夫か西川君?

 アルバム1曲目、第一声から
“「まるっきり 変わってない」云われちゃうとなんか ムカつくのは…”。
おう、先制パンチがきたぞ。ニヤリ。

 歌声を聞いていたら、胸がジンとして涙が出そうになった。
また新しい西川君の歌声に出会えて。
思いっきりデジタル音楽だけど、不思議なほどイヤじゃなかった。
いつの間にかINVOKEがものすごく好きになっていたので、こういうのもありと思えるようになっていたのかも。

 ありがとう、西川君。声を届けてくれて。

 他の感想はまたいずれ。



3月30日  大握手会
 握手会レポ。
毎度の事ながら、長くなってしまいました。