『官僚の責任』を読んで
古賀茂明 著<PHP新書>


 あまり好印象を持っていなかった人物の4年前の著作を読んでみる気になったのは、民主党政権下でも、変質自民党政権下でも、官房長官から恫喝されたとの(元)官僚がいかなる形で官僚批判をしているのか、ちょっと興味が湧いたからだった。

 全5章からなる本書の中央に位置する第3章の「官僚はなぜ堕落するのか」や政治主導というものの真意を理解していなかった民主党についての指摘や分析(第2章)において述べていることは、概ね妥当だし、納得感があった。

 だが、どうにも共感が湧いて来ないのは何故だろうと思い返してみると、森永卓郎が年収300万円時代を生き抜く経済学に書いていた“シャーデンフロイデ”のことを思い出した。

 良くも悪くも、古賀氏は正直なのだと思う。利権特権に胡坐をかいている権力者層を批判しながらも、やれ実力主義の採用(P151)だの信賞必罰(P153)だの、力の論理と勝ち負けに囚われた競争主義という、ある種、同じ価値観のなかでの批判であることを露呈させているから、どうも負け犬のルサンチマンのように響いてくる。

 「人の役に立ちたい」との気持ちを抱いて官僚になる人間よりも「人の上に立ちたい」という出世欲や権力欲を満足させるために官僚になった割合のほうが、明らかに多い(P127)や、つまり「国のためにがんばる」とか「国民のために何かを成したい」といったモチベーションではなく、「そこがてっぺんだからめざす」のである。もっといえば、「おれはすごいんだ」と自己満足を得たいがため、そして周囲から「エリートなんですね」と称賛されたいがためなのだ。(P124)と官僚を批判していることと本質的に同じものが古賀氏を駆り立てていることを露にしているように感じた。

 自身の経験から言うこととしての官僚という仕事の醍醐味(P158)という部分に、国民の「こ」の字も、他者の喜びも出て来ずに、早くからさまざまな規制緩和や改革に携わったことで「この仕事はおもしろい」と心底、感じたものなのだから。 そこまでの境地にいたるには、いろいろな障害やしがらみと闘わなければならないし、リスクもある。けれども、それらを突破して実現できたときの喜びと達成感は何物にも換えがたいものがあった。…自分の働き一つで世の中の仕組みを変えられる官僚の仕事は、民間ではなかなか体験できるものではない。とてつもない高揚感を得ることができると思う。(P157~P158)というのは、紛れもない本音なのだろう。

 そして、彼にとってのその“てっぺん”の難題が「公務員制度改革」問題であったにすぎないような気がした。

by ヤマ

'15. 5.20. PHP新書



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