レンフィルム祭・リポート
ぱん・ふぉーかす No. 84('93. 5.14.)掲載
[発行:高知映画鑑賞会]


 この一年余りの間、映画ファンの熱い関心の下、全国を旅して来たレンフィルム祭の最後の公式スケジュールが四国で最終日程を迎えた。自主上映に関与する者としてこれに参加しない手はないわけで、僕も高知から自家用車専用道を飛ばして会場の高松市美術館1階講堂へと駆け付けた。3月19日から三日間の会期の中日の土曜日のことだ。この日は、今回のレンフィルム作品群の中でもとりわけ評価の高い『動くな、死ね、甦れ!』(ヴィターリー・カネフスキー監督)が上映される。勇んで訪れた美術館は、中心街のど真ん中に大きな公営地下駐車場を持つ立派な建物で、定員180名という会場に期待が高まった。

 ところが、スクリーンは壁面に貼り付けたいささかたるみのある一枚の白布、客席はパイプ椅子を並べて臨時に構えたものといった案配で、ちょっと拍子抜け。聞くところによると、高松市美術館には35ミリの映写設備がなかったので無理をしたということだ。

 しかしそれは、多少無理をしてでもレンフィルム祭を高松でやりたいという熱意の現れとも言えるわけで、感じの悪いものではない。そんなことよりも、高松の小さな会場で、僕と同じ高知の顔見知りや旧知の明石の映画ファンと出会ったりできる時めきが、何より嬉しくまた楽しい。


 この日の初回は、午後1時から『私はスターリンのボディガードだった』(セミョーン・アラノヴィッチ)である。いきなりドキュメンタリーフィルムで、図らずも山形の国際ドキュメンタリー映画祭に参加したときのことを思い出した。スケールも手厚さも、この日の映画祭と比べるべくもないのだけれども、県外にまでわざわざ足を延ばして映画を観に来るときの気分の昂揚には、どこか共通する一種独特のものがあるという気がする。映画としては、映像の貴重さという点以上の作品的魅力を余り感じなかった。似たようなドキュメンタリーとして、スターリンではなく金日成を扱っていた『パレード』というポーランドの映画が、僕には圧倒的な印象を残していたからかもしれない。

 3時からの『動くな、死ね、甦れ!』には、阿南からムービークラッシュの藤田氏も駆け付けてきた。来られそうにはないと言っていたのに、やはり来ないではいられなかったのだろう。しかし、充分それに値する作品だった。オープニングの映像からして素晴らしいが、単に緊密な映像によって綴られることの魅力ではなく、語られる物語そのものが異彩を放っている。似たような設定のドラマや筋書きには覚えがあるのに、嘗て観たどのような作品にもここに描出されたような少年像や少女との関係、展開の仕方は、なかったように思う。少し長いかなという気がしないでもないが、新しくてなおかつ深い第一級の作品だと感じた。

 僕たちがここ数年、毎年高知で開催しているアジア映画祭の作品でもそうだけれど、とても良い作品なのに他の要素に比べて何か不釣り合いな感じで目立って気に掛かるのが編集の部分だという作品が、ソヴィエトやアジア映画には案外多いという気がする。このあと観た『きつつきの頭は痛まない』(ディナーラ・アサーノワ)という作品もその部分がかなり気になる作品だった。

 ソクーロフ監督の『マリア』は、いろいろな意味でドキュメンタリーフィルムについて考えさせてくれる刺激に富んだ作品。例えば、日常(風景でも人物でも)がフィルムに切り取られるだけで日常性を失ってしまうことについて、改めて考えさせてくれたような気がする。

 まだ書き足りないけれど、紙面がなくなったので最後に一言。入替制でゆったり観ることができ、美術館内の喫茶のコーヒーが美味しかったために映画をよく味わうことができたので、自主上映フェスティバルでも見習って実現したいと思ったこと、会場で蓮實重彦氏に紹介して貰い、高知の自主上映の資料を手渡しできたことをリポートのまとめとしておく。
by ヤマ

'93. 5.14. ぱん・ふぉーかす No. 84
 レンフィルム祭・リポート



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