『狼の紋章』['73]
監督 松本正志

 僕の書棚に角川文庫で『狼の紋章』『アンドロイドお雪』だけが収まっている平井和正の映画化作品を映友が観たとのことで、ちょっと気になった映画なのだが、観るなら貸すけど、★★(40点)だよと言われ、それなら止めておこうとしたものの、くノ一化粧よりは少し上で、松田優作のデビュー作とも言われて観る気になったのに、くノ一忍法よりは下で、おっぱいの数でも負けてると言われて止めようとしたら、今度は、78分はロマポ並の短さと煽られて、結局は貸してもらって観た作品だ。

 原作小説はほとんど覚えていなかったが、面白く読んだ覚えがあり、ウルフガイ犬神明を演じた志垣太郎も、松田優作【ヤクザの組長の息子 羽黒獰】も好く、青鹿先生と犬神明の母親の二役を演じた安芸晶子も頑張っていたのに、呆れるほどに御粗末な脚本と演出に唖然としてしまった。少年と狼が雪山で戯れ、明が孤児になる序章の描出からしての唐突感と、やたらと虚仮脅しやナルシズムの濃い画面と運びに、もしかすると笑いを取りに来ているのかと思ったりした。

 青鹿先生の勤めている学校が博徳学園となっていて、弟の名前と重なることに驚き、原作でもそうだったのか確かめると、杉並の私立中学、博徳学園P11)だった。中学とは意表を突かれたが、映画化作品では、高校にしてあったような気がする。歌は、杉田二郎が担っていたが、聞き覚えのある声質と少し違うように感じられた。

 貸してくれた友人が「愛してくれる者のためには、死ね!それが狼の道だ! 暗い夜に悲しい鳴き声が聴こえてくれば、黙ってはいられない。人間どもは自ら耳を閉ざして閉まっているが、狼には聞こえる」 これは原作からのセリフだと思われますと記していた、謎めいたルポライター神明(黒沢年男)が犬神明に言った台詞は、原作小説にはなく、裡なる声は執拗に彼を追いつめたP189)と記された犬神明自身の内心での葛藤のなかにもなかった。そして、「おれは、だれとも無関係でいたいんだ! 本当に、ただそれだけなんだ。おれは自分の感情に負けたくない。残忍で凶暴な人間どもと同じ所まで落ちたくない。憎悪のどぶ泥にまみれて、気ちがい犬どもと浅ましく咬みあいたくない! おれは、友情や愛のしがらみから、超然として生きたいんだ!」 それは不公正だ、といっそう鋭さを増して裡なる声は迫った。青鹿は羽黒に凌辱され、殺されるかもしれない。そうなれば、彼女はおまえのために死ぬんだ……おまえを助けようとして死ぬんだ……それなのに、おまえは青鹿のために指いっぽん動かさないというのか? そこで、手遅れになるのを呆然と待っている気か……P189)、本当は、羽黒と闘うことを恐れているんじゃないのか……いま闘えば、羽黒はおまえを殺すことができる……おまえは死ぬのがこわいのだ……タフなウルフ! 不死身の狼男! おまえがイキがっているのは、月がまるいうちだけか……月が欠けるにしたがって、おまえの勇気は空気の抜けた風船みたいにしぼむのか……臆病などぶねずみになりさがるのか……不死身で苦痛を感じないときだけは威勢がいいんだな、狼男。おまえの本性は、意気地なしのねずみ野郎なんだ……みじめったらしいどぶねずみ、それがおまえの正体だ……カッコつけるな、ねずみ野郎! 一匹狼だなんて笑わせるなよ…… 裡なる声は侮蔑をこめて嘲笑した。自尊心をずたずたに引き裂き、彼が耐えることを許さぬ酷薄さであった。彼の卑劣な自己正当化を容赦なく糾弾してやまなかったP190)と綴られていた。しかし、小説のラストシーンで神が青鹿晶子にアメリカ行きを勧める車中での会話には暗い夜に、悲しい泣き声が聞こえれば、黙ってはいられない。それが狼の魂なんです。人間には聞こえない泣き声でも、狼には聞こえるんです。人間だってその気になれば、聞こえるんだが……しかし、人間はみずから耳をとざしてしまっている……P262)という神の台詞が記されていた。

 僕が十代を過ごした'70年代は、いわゆるシラケ世代と呼ばれたのだが、そういう時代背景が底流にあるような作品で、映画化作品は原作小説以上に、学生運動の華やかなりし'60年代を過剰に想起させるような演出が目に付いた。団結や連帯、友情や愛といった言葉が手垢に塗れて自意識の高い者には使えなくなっていた時代だった覚えが僕には残っているが、犬神明が直面していた葛藤には、そのような事情が作用している気がしてならない。原作小説にあるいまこそ、おれは自由だ、と少年は心の中に叫んだ。おれはこれまで、生きるってことがどんなものか、どうしてもわからなかった。だからこそ闘いを避けつづけてきたのだ。いやしく醜い人間と同列になることは我慢ならなかったからだ。だけど、たったいま、おれの生き甲斐は明示された! こいつら邪悪な暴力の怪物、人間どもをたたきつぶすことこそ、おれの使命だ! 馬鹿はこいつらを人でなしと呼び、けだものと呼んだ。が、それはまちがいだ。なぜなら、こいつらはまぎれもなく人間そのものだからだ。人間こそ外道だ! おれはもう闘いを避けない。とことんまでやってやろうじゃないか! いまこそ鎖は咬み切られた! とほうもない歓喜がこみあげた。P222)が、直ちにガンジー的な非暴力不服従を否定するものだとは思わないけれども、映画化作品ではかなり単純化して対照させていたように感じた。

 そういう意味で、映画化作品には、作り手の受け取った原作小説には描かれていない解釈や場面補充が施されているわけで、小説では直接的な描写ではなくそうさ、犬神。おれは先生をやっつけたぜ。たてつづけに五回もな強姦したのよ。先生の腿のところに流れてるものを見てみな。なにしろ、たっぷりぶちこんでやったからな。いい味をしてたぜ。それに処女じゃなかったしな、よく練れてたP206)という羽黒の発言でしかなかったものが、映画では場面として登場していた。
by ヤマ

'25. 4. 3. WOWOWシネマ録画



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