<<< インデックスへ戻る >>>
『私たちが光と想うすべて』(All We Imagine as Light)['24]
監督・脚本 パヤル・カパーリヤー

 インド版ATG映画のような作品だった。愛と性を軸に人間探求を試みる背景に社会の暗部に向ける視座を備えていたように思う。非常に興味深く観ることができたし、面白くないわけがない。

 まさにATG映画の如く、若き看護師アヌ(ディヴィヤ・プラバ)が着替える場面でバストトップが映し出され、ドイツの工場で働く夫を待ちながら看護師を続けているプラバ(カニ・クスルティ)の尻を捲った野外での排泄場面が意味ありげに現われる。未来はそこにあるのに、準備できていないと呟くアヌの台詞が印象深く、ルームシェアをしている二人が酔って石の礫を投げる看板に大きく板書されていた「階級(カースト?)は特権」との意見広告が目を惹く。

 今なお根深いカースト社会であることを偲ばせていたと思われるインド社会において、おそらく階級以上の隔たりをもたらしているであろう異教のイスラム教徒シアーズ(リドゥ・ハールーン)を恋人にしているアヌが女性上位にもなるセックスシーンまであって、これが本当にインド映画なのだろうかと、観賞後にチラシで確かめてみたら、フランス・インド・オランダ・ルクセンブルク・イタリアの合作映画だったことに納得した。とはいえ、監督・脚本を担ったパヤル・カパーリヤーがインド女性で、ムンバイを舞台に綴られ、撮影された作品なのだから、インド映画でいいのだろう。

 日本の大都会と同様に時間帯によって女性専用車両になる地下鉄の走るムンバイを、二十年を越える居住実績があっても近隣住人の証言では居住実態が認められずに、血の通いのない“書類”がなければ事足りない幻想の都市すなわち地に足の付いていない機械的な空疎な街として捉えていることがまた、'60~70年代のATG映画を偲ばせ、興味深かった。

by ヤマ

'25.10.26. キネマM



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>