映画『からかい上手の高木さん』
監督 今泉力哉

 幼少時から人をからかうことが好きで、しょっちゅうたしなめられていた僕は、「からかい」のなかにある無自覚な自己防衛と幼児性を意識するに至るなかで、自ずと自制するようになる傍らで、やおら湧いてくる衝動を抑えがたい日々をかなりな歳、たぶん子供を持つようになるまで重ねてきたようなところがある。この言葉に対してそのような屈託を抱いているからか、タイトルが気に入らなくて、先行したアニメーション作品も観ることなく、本作も遣り過ごしかけていたが、今泉作品だと知って観ることにした。

 人と人との関係、距離感のデリケートさを描出して流石の作り手だと改めて思った。西片(高橋文哉)の右往左往がもう少しユーモラスに映ってきたら申し分ないのだが、生真面目な人の好さと鈍臭さのほうが勝っていて、微笑ましさにやや欠けた気がする。ある意味、高木さん(永野芽郁)以上に難しい役どころからすれば、髙橋文哉はよく健闘していたようにも思うが、今泉作品でよく見掛けた若葉竜也が巧かったことを改めて思い出した。まだこの年頃を演じられる歳なら、彼が配されたのだろうが、流石に三十代半ばとなれば、中学を卒業して十年というのは苦しい気がする。永野芽郁は、まさに彼女なればこその適役で、口調や声質、ふとした表情が、サッパリしているようで西片と同質の生真面目な人の好さと臆病さを持つ高木さんによく似合っていたような気がする。

 十代や二十代のうちに持っている“人との関係性におけるバタフライエフェクト”のようなものをよく描き出していて、中学時分の高木さんの持つ両面をそれぞれ体現しているかのようにして現れていた大関(白鳥玉季)や町田(齋藤潤)との出会いがなければ、高木さんと西片の関係の進展はなかったことがよく伝えられていたように思う。ぎりぎり二十代までの若き日々にこそ人が味わえるもので、田辺教頭(江口洋介)にはもう叶わない世界だとつくづく思った。先生と生徒という関係でありつつ、イーヴンであり且つ敬意の払われている感じのもたらす爽やかさが空々しく映ってこないところが好い。
by ヤマ

'24. 6.24. TOHOシネマズ2



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