『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(Civil War)
監督・脚本 アレックス・ガーランド

 いかにもA24製作らしいどぎつさで内戦の惨状が描き出されていて、些か気分が悪くなった。それだけ力があるということでもあろう。南北戦争ならぬ東西戦争が何を巡って勃発したか、互いの主張や経緯など全く言及なしにひたすら戦闘と荒廃を掻い潜って旅するロードムービーだったが、多少迂回したにしてもニューヨークからワシントンDCに向かうのに幾日も掛かるのが少々不思議だった。内戦に見舞われた際の諸相を見せたい苦肉の策だったのかもしれない。

 それはともかく、武装兵士にしても戦場ジャーナリストにしても、内戦勃発などなかったことのようにして暮らす人々にしても、誰もが常軌を逸しているように感じられるのが、戦闘状態に見舞われた人々の有体の姿ということなのだろう。武装化ほど質の悪いものはないことを嫌と言うほど見せられた気がする。誰もが目の前の今携わっていることにかまける思考停止のなかで、先のことへの想像力や目標を失っている姿に人間の実相を観るような気がした。

 従軍してきたジャーナリストから処刑を前に最後の一言をと辞世を求められて私を殺させるなと、何の覚悟もなく私欲しか述べられない人物が最高権力者たる大統領の位置にあり、内戦を引き起こすのが現代の政治状況だということでもあろう。ことはアメリカだけの話ではないように思われるのが、ほとほと嘆かわしい。

 人が武装し、自分が乗じることのできる大義名分なり口実を与えられると、溜まった鬱憤晴らしに必ずこういうことをしでかし始める連中がいるわけだ。アフリカでも中東でも欧州のボスニアやヘルツェゴビナでも、実際に起こっていたことのようだから、アメリカでも仮に内戦が起これば、きっとこうなるという気がした。それが人間というものだから、武装ほどろくでもないものはないということだ。わが国でも自警団なるものが犯したろくでもない愚行を描いた福田村事件を観たのはつい最近だが、「the」の付くシビル・ウォーを描いたコールド・マウンテンを観たのは、ちょうど二十年前のことだ。そこでも最も愚劣な集団として映って来たのは、武装した自警団だったような覚えがある。

 武装の本質がそこにあるという点からは、地域集団であろうが国家であろうが違いはなく、奇しくも二十年前の映画日誌にわざわざイスラエルと名指しして溜まった糞便になぞらえる台詞を構える作り手には、今や稀代の好戦国家として世界に類を見ない国と化したイスラエルに対する皮肉があるのは明らかと記した、当時の次元を遥かに超える愚劣国家に堕しているイスラエルと同国を支持する軍事国家群のことを思わずにいられなかった。
by ヤマ

'24.10. 5. TOHOシネマズ6



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>