『あしたの少女』(Next Sohee)
監督 チョン・ジュリ

 英題の示す「次なるソヒ」が絶えない時代に今あることに、実に暗澹たる気分を催さずにいられない作品だった。市場の原理の名の元に、弱肉強食どころか弱肉弱食の惨状が“組織的”に“効率的”に設えられている非人間的な社会の苦痛というものが、“同時代に生きる気力”を人々から奪っていることを示していて実に遣り切れなかった。

 競いたい者が競争する自由は奪われてはならないと思うが、競いたくない者までも競争させる不自由で不公正な社会にしてはいけないとつくづく思う。大人になる前に「競争」なるものを経験させておくことは、その後の選択肢を体感的に選ぶうえでも各人にとって必要な経験だろうと思うが、単なる競争ではなく、搾取と疎外を生む競争自体を原理とする社会は耐え難い。ましてや我が国では、幼時には欺瞞的な競争排除を行なっておいて“社会人”になるや身も蓋もない競争に晒されるという痛めつけの構図が三十年ほど前から蔓延し始めたように感じているので、尚更のことだ。

 組織のなかでの構造的競争が生み出す精神の荒廃が忌まわしくて、それを回避することに腐心して生きてきた僕など、とりわけその思いが強い。幸いにして上手くやり過ごして現役を退くことができたけれども、もし僕が今の時代に若き日々を迎えていたら、回避できる自信が持てないくらいになっているような気がする。劇中に台詞としても出てきた大事な仕事をしている人ほど敬意を払われずにむしろ見下されているなどという社会状況を改めることが、少子化問題などよりも遥かに重要なことだと僕は思っている。これが決して韓国社会だけの問題ではなく、我が国を含めて世界中を覆っているように感じられるところが深刻だ。

 高額などという次元を遥かに超えた役員報酬在任中に殺害された首相の政権下での行き過ぎた円安誘導やら、エコカー減税・補助金、軽自動車税の引上げなどといった国掛かりの特別優遇策を恣にしてきていると思しきトヨタ自動車の豊田章男会長の2024年3月期の役員報酬が16億2200万円だと折しも報じられたところだ。や、カネがカネを産み出すような不労所得の放置どころか煽り立てがこのような社会構造を産み出し、それを維持するための細やかな仕組みの一つとして、実習生の名のもとに不当労働を強いる体制というのは、我が国における外国人労働者であれ、本作に描かれた高校生雇用であれ、人倫に悖ることは言うまでもない。それを止むを得ないこととして感覚を麻痺させて受容している人々への憤りと苛立ちを露わにしていたユジン刑事(ペ・ドゥナ)の姿が印象深い。

 彼女もまた組織の内部で疎外され、休職を余儀なくされた後に本庁から左遷されてきていたような気がする。“それでも組織の論理などに屈することなく抗う個々の力”というものを広げていくしか対抗手段はないように思う。ユジン刑事が指摘していたように、実習生ソヒ(キム・シウン)の上司だったチーム長(シム・ヒソプ)が管理職ゆえに労災認定も得られそうになかったという自殺を起こした時点で対処していれば、ソヒの件は防げたのかもしれないが、組織内部でそのような“抗う力”を発揮することが尋常ならざる時代になっている気がする。前世紀中頃には“抵抗の時代”と言われた時期もあったのだが、今や見る影もなくなっているように思えて仕方がない。
by ヤマ

'24. 6.21. 高知市文化プラザかるぽーと大ホール



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