『ペギー・スーの結婚』(Peggy Sue Got Married)['86]
監督 フランシス・フォード・コッポラ

 これがコッポラの『ペギー・スーの結婚』か。僕の歳だと直ちに連想する歌手バディ・ホリーの歌う♪ペギー・スー♪と何らかの関係があるとすれば、出来心でジャネットの元に走ってみたものの後悔して同窓会に現れたと思しき夫のチャーリー(ニコラス・ケイジ)の内なる想いということになるのだろうか。

 十代での同窓生との出来婚から四半世紀を経て、夫の浮気に傷ついた妻心をキャサリン・ターナーが演じて好評を博した作品のようだが、当時三十路の彼女がプロムドレスと思しきいで立ちで二十五年前にタイムスリップする運びであれば、彼女が当時と違って“経験豊かな”十代を演じることの無理はなくなるものの、いかに十代で母親になったとしても、娘を演じたヘレン・ハントの母親というのは、どうにも違和感があったし、ヘレンの華に食われている気がしてならなかった。

 二十代半ばの娘のほうがパパを許したらと四十路の母に諭す場面から始まるのも、今どきからすれば、了解されにくくなっていることだろうし、そうは言われても宥めがたい憤懣の憂さ晴らしを卒倒した間のタイムスリップ妄想によって果たしたことで思い直す運びの安易さには、アメリカ映画的な楽観が窺えはするものの、コメディ的な冴えにも乏しいような気がした。折しも映友との間で話題にしていたアニエス・ヴァルダ監督・脚本の幸福['64]からすれば、随分と見劣りがするように感じた。もっとも、米仏の対照が際立つという意味では、好いタイミングだったかもしれない。

 四半世紀後の記憶を持ったまま十代に帰っても、後に成功するリチャード・ノーヴィック(バリー・ミラー)のほうには向かわず、心残りのあったビートニク野郎のマイケル・フィッツシモンズ(ケヴィン・J・オコナー)に小説ネタを与えていたところは好もしく観たが、そのようなペギー・スーの人物造形がいかにも八十年代作品を感じさせてもいたように思う。

 聞くところによると、どうやらバディ・ホリーの歌自体に♪ペギー・スーの結婚♪という曲があるらしく、本作のなかでも使われていたらしい。もしかすると、本作の主題は、バディ・ホリーのほうにあったのかもしれない。
by ヤマ

'24. 4.30. NHKBSプレミアムシネマ録画



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