『カラーパープル』(The Color Purple)
監督 ブリッツ・バザウレ

 ウーピー・ゴールドバーグの映画デビュー作でもあるストレートプレイ版を観たのは、もう四十年近く前のことになる。場面演出が突出していて全体的な流れを壊している印象があり、『ジョーズ』などのパニック映画ならともかくも、アリス・ウォーカー原作による本作のような“虐待と差別に辛酸を舐めた黒人女性の半世紀にも及ぶ人生”を人間ドラマとして描く作品には、あまり適していない演出だと思った記憶がある。

 それからすれば、1909年のジョージアでの幼年時代から始まるミュージカル劇に仕立てたことによって、場面場面を見せる構成が人間ドラマとしての連続性を損なう弱みを払拭し、むしろ効果的に作用しているようには感じた。性差別には怯まず抗い、勝ち抜いていたソフィア(ダニエル・ブルックス)が人種差別による収監六年で心身がぼろぼろになっていたことが印象深く、そんな彼女に再び活力を与えたのが、自尊心を欠いていると映っていたセリー(ファンテイジア・バリーノ)の立ち上がる姿だったことが感慨深い。

 だが、後妻のセリーへの臨み方からはミソジニストとしか思えないようなアルバート“ミスター”・ジョンソン(コールマン・ドミンゴ)の歌姫シュグ・エイヴリー(タラジ・P・ヘンソン)への接し方には、あまりにも乖離があり過ぎる気がした。また、いくらセリーの呪いの言葉が身に沁みるような不運のつるべ打ちに見舞われたにしても、アルバートが密かにセリーの妹ネティ(シアラ)の帰国を支援するばかりか、1947年にセリーが構えたディナーのサプライズゲストとして二人の三十年ぶりの再会を段取るような男に改心するのは、自尊感情をとことん損なわれていたセリーが気丈なソフィアやシュグとの出逢いによって力を得、実父母の遺産たる生活拠点をも得て、自立し成功を果たす変貌と違って、かなり無理があるような気がしてならなかった。

 三世代の“ミスター”たるジョンソン家の男たちの女性蔑視の度合いの変化なるものをその権化たるアルバートの父(ルイス・ゴセット・ジュニア)、アルバート、妻のソフィアにも愛人のスクイークことメリー・アグネス(H.E.R.)にも去られる息子ハーポ(コーリー・ホーキンズ)によって、世代及び時代の変化として、セリーがネティと離れ離れになった1917年から、牧師の父(デヴィッド・アラン・グリア)に反発して家を出ながら歌手として成功したシュグが故郷に錦を飾った1922年、ハーポがソフィアと結婚した1930年、シュグがセリーとスクイークを連れてジョージアを出てテネシー州メンフィスに向かった1936年、セリーの義父アルフォンソ(デーオン・コール)が没した1945年と下って示していたのかもしれないが、どうも釈然としない人物造形になっているような気がした。
by ヤマ

'24. 2.27. TOHOシネマズ2



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