『アラファトの実像』(Unveiling Arafat)['22] 
  前編 片手に持った“オリーブの枝”後編 2国家共存の挫折
 『ネタニヤフとアメリカ大統領 ガザ侵攻への軌跡』 前編後編
  (Netanyahu, America& The Road To War In Gaza)['23]
 『議会乱入を仕組んだ男 トランプ 陰の“盟友”』(A Storm Foretold)['23]
  前編後編
BS世界のドキュメンタリー

 2004年のヨルダン川西岸ラマラから始まった『アラファトの実像』は、一気に1967年に遡り、PLOのアラファト議長の人生を追っていた。'50年代におけるアブ・ジハード【闘争の父】との出会いに先立つ国連パレスチナ委員会による分割決議以前のユダヤ人入植から説き起こし、アラファトの足跡の背景に怠りなく言及している点が行き届いていた。

 スピルバーグが映画にもした1972年ミュンヘンオリンピックでのテロ事件は、同時代を過ごしている僕の記憶にもある世界的な事件だが、アラファトの関与については、今なお定かではないとのことだ。オリーブの枝を捨てさせないようにとのフレーズを三回連呼する演説場面を観ながら、能弁は欠かせぬ資質だと改めて思うとともに、テロに追い込んだヨルダン、国際社会の表舞台に導いたオーストリアの影響の大きさを再認識した。

 中東の混迷する紛争の歴史を眺めながら、武力闘争なる戦争が手段から目的化した側面を持つに至り、和平を目指すイスラエルのラビン首相が自国の反対派から暗殺され、オスロ合意に示された2国家共存がイスラエル・パレスチナ双方の過激派勢力によって潰えていく姿が、残念でならなかった。 “ブルドーザー”シャロンの台頭を許し、ハマスを敢えて温存してアラファト潰しを図った延長線上に、いまのネタニヤフ政権があるのだろう。


 フランス・オーストリア制作による『アラファトの実像』に続いて、アメリカ制作による『ネタニヤフとアメリカ大統領』を観ると、和平を阻む最大の障害は国内の交戦強硬派であることが改めてよく判る。右派リクード党のネタニヤフでさえ一時はオスロ合意を蔑ろにせず、アラファトとの握手さえしていたのに、それによって政権を失い、左派バラクに敗れたことが大きな楔になっているというわけだ。パレスチナ側においてもしかり。強硬派のハマスが勢力を伸長することで今の泥沼がある。

 これは中東問題に限らぬ普遍的なことで、威勢のいい勇ましい言葉で煽り、武力に頼ろうとする勢力に人々が同調することほど、国を危うくし、人々を苦難の道に歩ませるものはないのだと強く思う。あたかも戦闘アニメに洗脳されたかのような人々がナルシスティックに愛国を叫び出すことほど始末の悪いものはないことを現今の中東戦争やウクライナ・ロシア戦争が眼前で示しているように思う。

 歴代最長政権を誇ることを許すような政治状況が現れないようにしないといけないのだが、ロシアのプーチン政権にしても、イスラエルのネタニヤフ政権にしても、日本の安倍政権にしても、本当に呆れるばかりの長期政権の驕りと権力“保守”欲によって、国が損なわれ、国民生活が犠牲になっているという気がする。トランプに至っては、長期に及ばずとも破格の驕りと横暴を露にするのだが、それでも今「もしトラ」などという言葉が流布される状況にあることが、実に情けない。

 勝つか負けるか、損か得か、それしか判断基準を持たない品格のなさが嘆かわしい。美醜も善悪も正邪もお構いなしというのではなく、勝つこと得することのみが美しく、善きことで、正しいと本気で思っているところがまさに品格を欠いていることの証なのだろうと思う。


 そのトランプ元大統領が招いた空前絶後の暴動事件の背景を窺わせていたデンマーク作品『議会乱入を仕組んだ男 トランプ 陰の“盟友”』は、冒頭、七歳の時から州の党大会を仕切り、葉巻を愛用してきたと話すロジャー・ストーンをほんの少し垣間観ただけで、トランプと同じ体質・臭いを感じ、四十年来の盟友というのも然もあらん気がして仕方がなかった。どちらがどちらを感化した割合が高いのか判らないが、殆ど一卵性双生児の趣を感じて恐れ入った。

 ロシア疑惑に係る偽証罪でストーンに有罪判決が下りた際にトランプ大統領が発した恩赦に、我が国で起こった、政権に近い報道記者の準強姦疑惑に係る逮捕状執行の差止指令が直前になって警視庁から発令された事件に相通じるものを感じた。最も驚くのは、その傍若無人さというか無頓着なあからさまぶりだ。

 そして、デンマークのジャーナリストが追うストーンの物言いや煽り方、彼が得ている支持、立ち位置といったものに、十年近く前に大放言』なる著作を読んだことのある、我が国におけるエピゴーネンとしての百田尚樹を思わずにいられなかった。安倍元首相は死んでいるけれども、トランプ大統領はまだ生きている。ストーンは今も「もしトラ」を果たすために、三年前の2021年1月に民衆による議会乱入事件を不正選挙キャンペーンによって引き起こしたように、法外で悪辣な手立てを凝らしているに違いないという気になってくる惨状が捉えられている作品で、「もしトラ」は既に「もし」ではなくなっているのではないかという気にさせられた。

 大統領選敗北の決まる開票前から、騒乱を起こすのに効果的だという観点からのみで根拠もなく不正選挙を想起させる「選挙を盗ませるな運動」を展開する準備をしていたことに心底呆れるとともに、易々と乗せられる人々が情けなかった。必ずしも乗せられているのではなく、自ら求めて乗じているように見受けられるところが、かつて日本が辿った泥沼戦争への道にも通じていて、何とも嘆かわしい限りだ。暴動に参加している女性が現場取材をする記者に対して発していた真実を伝えなかったせいよ、くそメディアめ!といった言葉や、暴動を煽る拡声器が発していたフェイクニュースは立ち去れ、俺たちが真正のメディアだの声に日本の近未来が映し出されているように感じられるところが本当に不気味だ。

 そして、死者も出したこの事態を前にいけしゃあしゃあと我々は何もしていないと言い、ケネディが言っただろ「平和的進展を妨げれば、暴力的な革命が必然となる」と。と言ってのけて、眼前の暴動事態からフロリダに逃げ出す旅行支度を始めていた。数日後と思しき時点で、議会乱入はフェイク事件で、やらせの乱入騒動だと言い放ち、ナチスが国会議事堂放火事件をうまく利用したのと同じだと言っているロジャー・ストーンに全く唖然とした。
by ヤマ

'24. 5.11.~12. NHKBS録画



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