『春に散る』
監督 瀬々敬久

 年金暮らしのこの歳になって観ると、やはり真拳ジム三羽烏が沁みてくる。対決でも組むのでもいいが、老いてなお同じ土俵というかリングを共有して、伽となる相手がいることの幸いというものがしみじみと伝わって来たように思う。

 役所の福祉課職員による生存確認くらいしか便りの無い酒浸りの日々だったものが、広岡仁一(佐藤浩市)の帰国によって生気を取り戻すことのできていたサセケンこと佐瀬健三(片岡鶴太郎)の姿が味わい深かった。サセケンのように素直に広岡を受容できずに屈託を抱えていた、刑務所帰りの藤原次郎(哀川翔)も、三人をよく知る真田ジムの会長令子(山口智子)の声掛けにより、セコンド・トレーナーとして広岡と張り合える場を得て、生気を漲らせていた気がする。

 広岡がコーチする黒木翔吾(横浜流星)と東洋チャンピオンの大塚(坂東龍汰)の遺恨試合を仕立てて盛り上げ、勝者を世界チャンピオンである中西(窪田正孝)とのタイトルマッチとする興行プランを持ち掛けた中西のジムの会長(小澤征悦)が、次の試合は、春だなと言ったときに、それで「春に散る」のタイトルはないだろうといささか興醒めを覚えたのだが、なかなか緊迫感のあるスリリングで力の入った観応えのある試合を観ているうちに、「春に散る」のは黒木ではないなと思ったら、案の定、もう一つの生きるとも言うべき、人の生を問う作品だったような気がする。

 サセケンが居場所を見出した拳闘ジムに掲げてあったチャンプを目指すな!人生を学べというボクシングも勿論ありだし、ボクシング生命を賭してチャンプを目指し、潰えていく人生もまたありだというのは、広岡が亡き真田会長から教えられたという“相手に打たせない「考えるボクシング」”も、彼が令子に伝えていた“打たせてなお立ち向かうボクシング”という、もう一つのボクシングも、共にありだということに他ならないように思う。もっとも、令子が広岡に勇気をもらったわと謝辞を返していたボクシングというのは、考えるボクシングでは果たせないことのように思うし、広岡が中西のようには突き抜けられずに己が限界が見えてホテルマンに転身したのも、それゆえだったような気がした。

 それでも、その経歴というか年季があったからこそ、実子にも勝る濃密な絆を翔吾と結び、健三や姪の佳菜子(橋本環奈)の生活を好転させて、有終の美を飾ることができていたように思う。そして、さまざまな負い目や屈託を抱えていたことの窺える広岡が、最も救われていたように映ってくるカタルシスが心地好かった。

 それにしても、こんな橋本環奈、観たことがなくて驚いた。やはり瀬々敬久は、大したものだと思う。翔吾に土手で慟哭させれば、佐瀬が広岡に俺達でもあそこまでは出来なかったよなと声を掛けた件の“はじまりの場所”であることが明白なのに、それを台詞にしていたのが少々艶消しだったけれども、なかなか好い映画だという気がする。
by ヤマ

'23. 9. 4. TOHOシネマズ2



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