『あなた買います』['56]
『他人の顔』['66]
監督 小林正樹
監督 勅使河原宏

 今回の課題作は、表に現れない人の“本心”を描いた映画のカップリングだったように思う。

 先に観た『あなた買います』は、動き出した汽車に駆け込み乗車する客を駅員が制止するどころか見送るような時代の作品だ。そう言えば、スカウト合戦という言葉があったなと思いながら観た。僕が生まれる二年前の映画に出てくる日高村消防団の看板も後免駅の姿も、僕の記憶にはないけれども、栗田五郎(大木実)の実家の母親の土佐弁には何とも懐かしさがあった。今や見ることもなくなった闘犬も出てきた。

 また、その意味するところは異なりながらも、プロ野球にまつわる作品のなかで、この時代から既にしてゴジラが出てくるとはと意表を突かれ、妙に可笑しかった。カネが人を変えてしまうことの有体を描き出していたが、プロ野球入団契約ならずとも公共用地買収補償金などでは、一家一族の範囲に留まらない、地域社会を巻き込んだ大変容が人々のなかに起きたりするものだ。本作を観ていると、人々の感覚や認識を誤らせ狂わせるのがカネそのもの以上に、湯水のようにカネを使って繰り広げられる饗応や接待、付届けのほうにあることがよく分かるような気がした。

 いきなり大金がドンと差し出されれば、警戒したり怖気づくのが普通の人の感覚なので、歓心を買おうとする側は、そういう感覚や常識を揺るがせるのが目的だから、いかにして抵抗感のハードルを押し下げるかに腐心するわけだろうし、ある意味、プロたちが競ってハードルを押し下げる物品や利便供与という手法に馴れてしまうと、今度は見境なくたかり漁り始めるのが人間であることを、性格も生業も異にする栗田五人兄弟を通じて描いていたように思う。

 四百万円あたりから始まった、契約金とは言わない“支度金”が最終的には一千万円を超えていたようだが、最も狡猾かつ周到にスカウト合戦を利用していたのが五郎だったという結末は、彼が如何に“素直に”球気一平(伊藤雄之助)の薫陶を受けていたかの証のようだった。出藍の誉れとはよく言ったもので、クールにスカウト合戦を利用するつもりが攻勢に晒されるなかで次第に浅ましさを露呈させていった師の見失った怜悧さというものを、まさに師を盾にして保ち続けた五郎がほくそ笑む結末が鮮やかだったように思う。だが、それだけに些か気分の悪い映画であることも否めないような気がする。

 五郎の人物をどう観るのか、各人の意見を合評会で訊いてみたくなった。そして、調略相手の懐に入る技に長けていた岸本スカウト(佐田啓二)を辣腕と観るか甘いと観るのか、また、大金を得ることが約されている五郎から離れ、岸本に寄って行った笛子(岸恵子)の心眼をどう評するか聞いてみたいと思った。スカウト合戦の渦中において、純真だった五郎がすっかり変わってしまったことを嘆いていた笛子だったが、それで五郎から離れるのはまだしも、なにゆえ岸本に心寄せることになるのかと引っ掛かったからだ。

 作り手が掛けてきたと思われるそのフックから気づいたのは、激しいスカウト合戦の抜け駆けを画策しながらも、東洋フラワーズの岸本にしても、阪電リリーズの島(多々良純)、大阪ソックスの古川(山茶花究)にしても、カネに糸目をつけない節操のない獲得交渉や饗応接待、付届けには勤しんでも、嘘や誤魔化しといった欺きは弄せず、ある意味、真っ直ぐに向かっていたことだ。他方、利得を得るための嘘や騙しを伴った駆け引きは専ら栗田家兄弟のほうで繰り広げられる。カネでより汚れているのは、どちらのほうなのかと観たときに、スカウトたちの嘘のない人買いよりも、嘘と思い上がりによって強欲に塗れている側のほうだと笛子は感じたということなのだろう。

 本作は、前年に起こった穴吹選手の南海ホークス入団時の騒動を題材とした原作の映画化作品らしい。原作の焦点が球団側と選手側のどちらに重きを置いて当てられているかは未読で知らないけれども、おそらく世相的には球団側のカネに飽かせた人買い合戦が非難されたであろうことは想像に難くない。さればこそ、カネに毒されることにおいては、庶民のほうがより激烈であることを描き出している本作に感心するわけで、さすが小林正樹監督作品だと思った。


 ちょうど十年後の作品となる『他人の顔』も興味深い作品だった。顔の映らないレントゲン写真の態で顎の骨が動いている画像とともに、奥山常務(仲代達矢)のモノローグで始まったが、たぶん彼は顔に火傷を負う前から、かなり鬱陶しい男だったのだろう。自分の顔を失くしたことで更に拍車が掛かり、妻(京マチ子)や秘書(村松英子)に当たっている無様さが、いささか哀れの度を越していたように思う。“他人の顔”を被ることで得る自由だか孤独だか知らないが、とても精神科医とは思えぬお手付き医者(平幹二朗)の垂れていた能書きとは掛け離れ、愛人看護婦(岸田今日子)の予想したとおり、アンカーを下ろす方向に行くのが、いかにも奥山的みみっちさで、情けなくも可笑しかった。しがらみに縛りつけるアンカーを引き上げる方向に匿名性が働くとは限らないのが人間というものだ。

 イチバンの頓馬というか頓珍漢は、“他人の顔”なるものについて、したり顔で語っていた医者にほかならず、最終的に然るべき目に合って仕舞がついていたように思う。そもそも顔一つで簡単に素性が隠せると思っているあたりが如何にも頓馬なわけで、一時的にならともかく継続的には困難だとしたものだ。奥山夫人がいつ気付いたのかが興味深いところなのだが、海岸の岩場で戯れていた辺りではまだ確信まではなく、喫茶の丸テーブルの下で組んでいた奥山夫人の脚に男が脚を寄せて来て組足を解かせた後に、男の右足を女の両足の間に割って差し入れてきたときではなかったのかという気が僕はしている。なぜ判ったんだそんなことまで言わせるの!との遣り取りに、気づきが最初からではなかったことが偲ばれた。奥山夫人は、かつて夫からそうされて戯れたことがあったのではなかろうか。ふと、僕がネットを始めた頃に地元プロバイダーの開設した掲示板にてハンドルネームで映画談義をしていた時分のことを思い出した。

 後に拙サイトのWebデザインをしてくれたparomaruさんから、やおら「もしかして高知映画鑑賞会のヤマさんではありませんか」と問われて、吃驚したことがある。地元紙に連載稿を掲載したり、ラジオで“ヤマちゃんの映画でナイト”という番組をやったりしたことがあったせいか、当時、本名で映画談義をするのが少々窮屈になっていたこともあって、ネットでは素知らぬふりをしていたのだが、しばらくすると簡単に見透かされてしまったのだった。顔というのは、ちょっとやそっとでは隠し遂せないから、奥山夫人が言っていたように女であること以上に見せびらかすだけの素顔を持っている者はいないゆえに、化粧を施して隠そうと懸命になるわけだ。

 他人の顔を被って借りたアパートに妻を連れ込み、情交を果たした後でいくら何でも簡単すぎるじゃないかと憤激した夫に対して放った私が気づいてなかったとでも思っているのとの一発が強烈で、その後の奥山夫人の台詞が辛辣かつ意味深長だった。とどめを刺したのは私、あなたを買い被っていたのね、恥じ入りながら感謝したりして。仮面をあなたの繊細な心遣いだと思ったりしてだったように思う。本作におけるハイライト場面だった。さればこそ、BS松竹東急よる8銀座シネマの無粋な胸暈しはいただけない。そのようにして放映するのは、京マチ子に失礼というものだと思った。

 ところで、原作者の安部公房が脚本を担った本作では、顔を失った勘違い男の話と、顔を一部損なった女(入江美樹)の話が並行して描かれていたが、両者の対照が僕には今一つピンと来なかった。映画の構成からすると、顔を失った奥山常務と違って顔には傷のない夫人における心の傷を顔の右側三分の一にケロイドのある女性に託して、夫人の心象を映し出しているとでも解するほかないように思ったが、人物像が余りに違い過ぎて釈然としない。おまけに兄妹相姦の末の妹一人での入水となっていて、それも腑に落ちて来ない。妹の入水を二階の窓から見送った兄が突如、業火に焼かれた肉塊に転じるショットに、夫人からの痛撃を喰らった奥山常務の姿を想起したが、それで得心できるものではなかった。


 合評会では、『あなた買います』の笛子の心変わりについて訊ねても余り芳しい反応がなく、「岸本のほうがハンサムだったから?」と振ってみると「そうかも」との賛意を得て苦笑した。だが、実際にはそんなはずがないと思われる“スカウトたちの側の嘘の無さ”を敢えて演出するばかりか、ライバル球団のスカウト同士におけるある種の連帯感情の描出が施されている点を指摘すると賛同を得ることができた。『他人の顔』については、主宰者映友から「全裸であそこまで写ってるのかと驚いたが、時代的にそれはないのではないか。」とのボディダブル説が示されていたのだが、ずばり京マチ子の顔が映っての全身像だったから、ボディダブルではなかったのではないかと僕は思っている。全裸の京マチ子の顔も“他人の顔”だったのだろうか。確かに化粧で似せやすい顔ではあるが、いわゆるボディダブル的編集ではなかった。で見せていた肌の美しさまでは真似できないので、そこを考慮してのモノクロ撮影などとは思わないけれども、深まる謎だった。

 今回もまた、なかなか観応えのあるカップリングだったように思う。主宰者映友から示された共通テーマは、「その顔の向こう側」。成程。なかなかいいじゃないかと感心した。



『あなた買います』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/5583797738386430/




【追記】『他人の顔』'23. 7.19.
 胸に暈しのない動画を視聴してみて、改めてBS松竹東急よる8銀座シネマでの放映に憤慨した。暈されていた下に大きく揺れる動きが画面に付与されている。あそこは、奥山の動揺と併せて「揺れ」の動きを見せる必要のある場面で、京マチ子が身体を張って担っているのに、なんと失礼なことかと思った。
by ヤマ

'23. 4.23. DVD観賞
'23. 4.25. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



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