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『みかんの丘』(Mandarinebi)['13] 『とうもろこしの島』(Simindis Kundzuli)['14] | |||||
監督 ザザ・ウルシャゼ 監督 ギオルギ・オヴァシュヴィリ | |||||
ジョージア(グルジア)のアブハジア紛争(戦争)に材を得た映画の二本立て上映会だった。世界経済に与える影響が大きいか否かだけであって、ウクライナ戦争だけが戦争ではないのは、戦争の世紀とも言われた二十世紀から、一時は第三次世界大戦まで懸念された今に至る周知の事実だが、人類の愚かさの象徴として、地球温暖化と並び立つ二大課題であることが、十年前に撮られたジョージア映画に描かれた1990年代のアブハジア戦争を描いた二作品から、ひしひしと伝わってきた。とりわけ『みかんの丘』が素晴らしかった。 先に観たのは『とうもろこしの島』。満足に農地を得られなくて、毎年、雪解けの春の後にできる大河の中州に作付けをして、収穫後は、再び翌年の中州ができるのを待つという継続性保証ゼロがいかにも象徴的なコーン・アイランドを舞台に、厳しい自然と貧困を尻目に、何も生産せずに破壊と殺し合いだけの戦争なんぞに現を抜かしている兵士の姿が対比的に描き出されている映画であった。 季節外れの豪雨と思しき災害によって収穫期に流された中洲の残骸に最後に現れた男は、兵士ではなかったが、トウモロコシを植えていた老人よりも少し若く見えて、やはり老人は孫娘を残して亡くなったのかと思ったら、孫娘が大事にしていた人形を掘り出したりしていたから、どういう関係の人物だったのだろうと気になった。 それにしても、島から一歩も出ないカメラと殆ど台詞を発しない画面のストイックさによる濃縮感に恐れ入った。豪雨で中洲が流される場面の撮影がセット撮影ではないとは、少々危険すぎて考えにくいが、孫娘ともども寝泊まりしていた掘立て小屋が倒壊し、老人が下敷きになるなか辛くも孫娘が、小舟に積み込んだとうもろこしと共に逃れようと漕ぎ出す場面は、圧巻だった。 続けて観た『みかんの丘』も、『とうもろこしの島』同様に、非常にシンボリックな設えにインパクトのある作品だったが、『とうもろこしの島』の帯びていた観念性とは真逆の人間性に拠って立っていて、非常に観応えのある映画だったので、吃驚した。 アブハジアに何ゆえエストニアからの入植者集落があるのか、戦争前は劇団員だったというジョージア人兵士ニカ(ミハイル・メスヒ)がアブハジア軍の傭兵であるチェチェン人アハメド(ギオルギ・ナカシゼ)を小馬鹿にして言う「歴史も知らないくせに」そのものの僕には判らないが、ともあれ、老いたエストニア人木工職人のイヴォ(レンビット・ウルフサク)が、敵対し憎み合っている双方の兵士を瀕死の負傷から救出し、自宅で介抱して同居しながら、交流を図ったことで生まれてくるものを描いて実に感慨深かった。イヴォの計らいによって、宗教【イスラム教とキリスト教】や民族【チェチェン人とジョージア人】の違いを越えて相通じる人間性に目を向けるという、ある意味、生命以上に掛け替えのない魂の救済を得て、イヴォへの心からの感謝と親愛を胸に最後に去って行くアハメドの姿に沁み入るものがあった。 イヴォを演じたレンビット・ウルフサクの醸し出していた威厳とユーモアがなかなか味わい深く、生活苦から家族のためにと傭兵稼業に転じて従事した戦闘暮らしのなかで本来備えていたと思しき“素朴で無骨な篤実”を失い、心身の荒んでいたアハメドを演じて、その心模様の徐な変化が味わい深かったギオルギ・ナカシゼが印象深い。 家族のエストニア脱出のなかイヴォが独り残った理由は直接的には明かされなかったが、息子の死にあると思った。時流に乗せられ、意気込んで志願兵に応じる息子を止められずに戦死させてしまったことへの悔恨が、アハマドとニカへの臨み方に現れていたということなのだろう。息子の傍に埋葬したのは、そういうことのような気がした。アハマドから自分のほうが死んでいても同じように埋葬してくれたか問われて「そうだ」と応え、「もう少し離してな」と添えてアハマドの頬を緩めさせる場面が心に残る。 ところで、みかん農家マルゴス(エルモ・ヌガネン)との約束を破った少佐の部下と思しきアブハジア兵士の一群が襲ってきたときに、イヴォがニカに銃の在りかを問われて「ベッドの下にある。だが、触れるなよ。」と言って場所を教えたことの意図はどこにあったのだろう。物語の展開上、戦闘場面を要するのは間違いないのだが、しばらく反芻してみても、イヴォの意図についての気づきは残念ながら得られなかった。ニカの発砲は、ジョージア兵士を匿っていることを隠すために表に出て行ったアハマドがジョージア兵と疑われて諍いを起こし殺されそうになったことからだったが、已む無きものだったかどうかは見解の分かれるところながら是非もないような気はする。いずれにしても、軍事行動の不毛を端的に示す重要な戦闘場面だったように思う。 折しもNHK BS1録画で、BS1スペシャルの『良心を束ねて河となす ~医師・中村哲 73年の軌跡~』を観たばかりだったので、殊更に響いてきたという面もあったかもしれない。中村医師が殺害されて一年後に放送された、今から三年前の番組だ。僕が生まれた時点で、疾うに両方の祖父が他界していた僕には、自分が成人するまで存命だった母方の祖母以外に、祖父母と交わした言葉の記憶がないけれども、侮れない影響を孫に与えるものなのだと思い、些か恐れ入った。 中村医師がキリスト者なのは知っていたが、火野葦平の縁者であることは知らなかった。十代の時分は文筆家を志望していたらしい。それもあってか、果たした業績の偉大さもさることながら、彼が残している言葉にも心打たれた。軍事活動についての「瀕死の小国に世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか、素朴な疑問である」との言葉が重い。軍事利権と政治的面子に係る保身であろうことが明白だ。それだけに、小泉政権下での自衛隊派遣に関しての国会での参考人意見としての発言は非常に直截で力があったが、結果的には蟷螂之斧でしかなかった。だが、こうして記録に残されていて、何十年経っても観ることが、聴くことができる。 それにしても、水枯れで干上がった広大な土地と彼が引いた用水路によって青々とした農地が広がる光景のビフォアアフターの映像は、これまでに幾度か観ているが、何度観ても感動的だ。 「作業地の上空を盛んに米軍のヘリコプターが過ぎてゆく。彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る。彼らはいかめしい重装備、我々は埃だらけのシャツ一枚だ。彼らに分からぬ幸せと喜びが、地上にはある。乾いた大地で水を得て、狂喜する者の気持ちを我々は知っている。水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に、はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の特権だ。そして、これらが平和の基礎である。」文筆家としても、実に見事な文章をお書きだと改めて思った。 軍事によって平和が守れるなどという、戦闘アニメもどきの根拠なき幼稚な妄信がいつまで経っても途絶えないことが、実に腹立たしく、悲しい。 | |||||
by ヤマ '23. 8.16. 美術館ホール | |||||
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