『離愁』['73]をめぐるコメント談義編集採録 | |
「映画通信」:ケイケイさん ヤマ(管理人) |
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'23. 8.12.(土)21:41~ 8.15.(火)20:16【フェイスブック談義】
(ケイケイさん) 私もラストはヤマさんに同意、と思ったのですが、ヤマさんには、もう一つの思いが湧いてきたのですね。アンナは当初からレジスタンスだと思いました。 「されば、ここで家には帰れば、却って確実に家族を巻き込むことになるから」 うーん、ここはどうかな? そのまま立ち去っても、家は家宅捜査になるし、妻も尋問攻めになると思います。白を切れば、ずっと張り込まれるでしょうが、元々スパイではないし、気は張るでしょうが、「妻子を守る」という観点からは、傍にいるべきです。いくらジュリアンが個人的な関係と言い張っても、相手はそうは観ないと思いますし、ゲシュタポに夫が捕まれば、妻子は村八分ですよ。幼い子を抱えて、どれほど妻は苦労するか。結局巻き込みますよ。 ヤマ(管理人) そうだと思います。だから「もし…可能性があるとするならば」と書きました。要は、観念したということです。であれば、家宅捜査に来られて捕まることで確実に近所に知られるよりも、この場で捕まり、家族は無関係だと思わせることがもしできたら、という可能性です。 (ケイケイさん) 了解です。 次に「マロワイユほどの男が頬撫でなどするわけがないと観るほうが自然だと思った。」に関しては、列車を運転した以外、「マロワイユほどの男」と、感じた箇所はなかったかなぁ。髭面の失敬な態度からアンナを守ったのも、彼こそ紳士的ではありますが、アンナに気があったからでしょうし。 ヤマ(管理人) たぶん映画的には「列車通行止めの解除」が決定打なわけです。アンナもそれによって「使える男(僕の記述では「マロワイユほどの男」)」と見て篭絡しようとしたのですからね。 (ケイケイさん) これは納得です。でもラストシーンを観ると、情に絆されてしまうんだから、見込み違いよね(笑)。上に書いた件もあって、私が「マロワイユほどの男」とは思わない事に拍車がかかります。 ヤマ(管理人) むしろ、このラストにおける彼の態度(=「上に書いた件」ですよね?)がケイケイさんにとって決定的で、三年前の出来事において特段のものは「列車通行止めの解除以外」何もなかったということですよね。 ラストシーンについては、情に絆されてしまうマロワイユと観るのが一般的だと思いますが、僕は、拙日誌にも記してあるように「もし家族をゲシュタポの手から守れる可能性があるとするならば、家族に対しても秘密裡にアンナと結託していたことを示すほかないと考えて、…個人的な親密関係を露わにする頬撫でをすることにした」と解しているので、決して情に絆されたものとは観てないです。それにより、情が噴出したのはアンナのほうであって、マロワイユは特別列車のときと同様に、物静かに冷静だったと観ています。 (ケイケイさん) 「アンナが込み上げる激情を露にしたのは」 これはそうですね。 合評会での「列車でのアンナとマロワイユの振る舞いに対する異議申し立てが先ずなされる形で口火が切られたことがなかなか愉快で」についての内容をお聞きしたいです😃 「ラストについての見解を尋ねてみると、これまた全否定だったのが面白かった。」というのは、私と同じような感じですか? ヤマ(管理人) そのとおりですよ。ケイケイさんが映画日記にお書きの「平和な日常が遮断され緊迫する中、ジュリアンがアンナと深い仲になったのは、取り敢えず良しとしよう。」すらなく、真っ先にそこから非難の口火が切られたくらい、彼は形無しでした。表現は穏やかでしたが(あは)。 (ケイケイさん) でしょう?会ってお話ししたいわ(笑)。「前段のモノローグが重要で妻との関係が冷えてしまっていることがあっての特別な女性との再会だから」については、だから私には「マロワイユ程の男」には、ならないんです。 ヤマ(管理人) 引用しておいでの「前段のモノローグが重要で妻との関係が冷えてしまっていることがあっての特別な女性との再会だから」というのは、僕の意見ではなく、ほかの参加メンバーの意見で、彼が「マロワイユ程の男」という観方をしていたかどうかは不明です。僕が言った「マロワイユほどの男」に特に異議は唱えず、了解してくれましたが。 (ケイケイさん) ここも了解です。夫婦関係が冷え切っていたからという理由は、理由にもなりません。アンナとマロワイユの件は、徹頭徹尾、妻は被害者ですよ。 ヤマ(管理人) そうですね。それは間違いありません。偽身分証発行の件がなければ、あの時点ではまだ平穏でいられたでしょうから。戦時下ですから、その後どうなるかは保証の限りではないですけどね。 (ケイケイさん) 自分が蒔いた種で夫婦関係が冷え切ったなら、それは自業自得だと思います。 ヤマ(管理人) そうですね。 (ケイケイさん) 私が彼を気に入らない一番の理由は、例え戦火の中という大義名分があっても、妻への罪悪感が、少しも感じられない事です。ヤマさんからは、どう見えましたか? ヤマ(管理人) 戦火の非日常というものに大義はないように思いますが、日誌にも綴ったように「是非もなき必然」だと思っています。アンナ・マロワイユの名を与えたことに憐憫と義憤はあっても、純愛だとは思ってないですね。見棄ててはおけない男伊達みたいなところのほうが強い気がしています。妻からすれば、たまったもんじゃないってとこでしょうが(苦笑)。 (ケイケイさん) 私も同感です。あの時に見捨てるのは、それこそ薄情ですよ。 ヤマ(管理人) ラストの頬撫でにしても、日誌にも綴ってあるように、家族に対しても秘密裡にアンナと結託していたことを示すために、個人的な親密関係を露わにする頬撫でをすることにしたような気がしていますから、純愛とは別物ですね(笑)。でも、三年前と違ってユダヤ人迫害や秘密警察の存在を知るに至っているであろうマロワイユが、身を挺してレジスタンス活動に従事してきたアンナを立派だと感じ、敬意を抱いたとは思っています。 (ケイケイさん) あー、そういう見方はありですね。純愛ではなく、人として見棄てておけなかったというなら、理解は出来ます。でもそれなら、頬は触らなくて良し、ですよ。あれは敬意より情だもの。 ヤマ(管理人) 僕は、あの頬撫でについては、上にも書いたように、家族に対しても秘密裡にアンナと結託していたことを秘密警察に示すためが第一義、自分を巻き込んだことを咎めてはいないとアンナに伝えるのが付加部分だという気がしています。 自分を思いも掛けなかった状況に巻き込んだことに対してマロワイユが咎め立てをしなかったのは、アンナが勇敢にレジスタンス活動に従事してきて捕まっていることに対して払った敬意ゆえだろうと解しています。アンナにそのことが伝わったから、込み上げてくる想いが抑えられなくなったのだろうと観ています。そういう意味でも、決して「純愛」などではなかったと思っていますが、なかなかの作品でした。 (ケイケイさん) ほんと、どの辺が純愛なのか、教えて欲しいですよ。妻子ある男が妻以外の女を愛する、それはあるでしょう。でも、決して「純愛」では、ありません。映画的には肯定的に描かれた場面ですが、そう感じる事が許されないくらい、すっぽり妻子が頭から抜けるのは、許し難いです。 作品としては、とても随所に気配りが利いて、行間の読ませ方、伏線も含めて、反戦映画として完成度の高い作品だったと思います。マロワイユが独身だったなら、私は滂沱の涙で終われていたはずなので、そこが大変残念です。せめて離婚しててくれればなぁ。 ヤマ(管理人) 既婚女性の意見がそうなることにおいて、僕にも違和感はありません。ケイケイさんが映画日記に「主な内容はメロドラマだと思っていました」とお書きの観賞時は、未婚時代ですもんね。 でも、列車での情事が忘れられなくて離婚って、そりゃないんじゃないですかね?(笑) 身勝手が過ぎるんじゃ? (ケイケイさん) いえいえ、妻の女の勘で嗅ぎつけられて、夫が三下り半つきつけられるんです(笑)。 ヤマ(管理人) なるほど(笑)。まぁ、どっちの側からであれ、婚外情事が離婚原因になるくらいの余裕は、戦時下の生活困窮にあっては、とても考えられなかったでしょうね、きっと。 (ケイケイさん) 「これについては、僕はナチスの取調官の指摘どおりだったのではないかと思っている。」 私も同じ感想です。私はシンママの赤ちゃんを抱っこ→シンママ死亡→病院で赤ちゃん誕生の悦び溢れた場所に行き、任務遂行の意思が挫折する、だと思いました。勿論、マロワイユへの想いがあるからですね。 ヤマ(管理人) なるほどね。母なる女性からすれば、そういう観方も御尤もだと思います。 (ケイケイさん) 「彼のレジスタンス活動への関与はなかったと解するのが相当だろうと僕は思っている。」 これは描いている以上の事はないでしょうね。アンナがスパイだとは、呼び出されるまで知らなかったでしょうし。 ヤマ(管理人) 同感です。さればこそ、あのように激情が込み上げて来るのでしょうから。 (ケイケイさん) 同感です。知っていたら、もう少し冷徹だったろうと思います。 ◎問題のラストシーン:https://www.youtube.com/watch?v=SWiOWO_siJo |
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by ヤマ(編集採録) | |
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