『マーティ』(Marty)['55]
『ドライビング Miss デイジー』(Driving Miss Daisy)['89]
監督 デルバート・マン
監督 ブルース・ベレスフォード

 今回の合評会のカップリングは、アカデミー作品賞受賞の小品二作としてセレクトされたものだ。確かに両作とも100分を切った尺の秀作だった。

 先に観たのは、'50年代アメリカでの女性に縁遠い男の婚活及び結婚事情を描いた『マーティ』。二十四歳のときに既に一児の父親となっていた僕には、三十四歳独身で周囲から未婚を咎められる圧力によって生じる葛藤に対する実感は持てないけれども、さぞかし鬱陶しく惨めな気持ちになるのだろうとの察しはつく。父親の不慮の死によって大学進学を諦め、肉屋の店員となって十五年余りになるマーティ・ピレッティの自負と卑下を、タフガイのイメージの強いアーネスト・ボーグナインが達者に演じて、なかなか味わい深い映画だったように思う。

 これまで散々振られてきて、どうせ自分など、と半ば諦めの境地にあるマーティが出逢いを求めて赴くダンス・パーティなるものは、僕も学生時分に一度だけ行ったことがあるけれども、ダンスの心得もなくマーティのように声を掛ける勇気も湧かず、壁の染みとなって「これがダンパというやつか」との観察だけをして過ごした覚えがある。

 それにしても、アメリカ黄金期の一つとされる'50年代において、日本のいわゆる嫁姑問題を映し出す作品があったとは思い掛けなかった。甥夫婦から泣きつかれ、若い夫婦だけの暮らしをさせてやるべきだと妹キャサリン(オーガスタ・チオッリ)に自分との同居を持ち掛けるテレサ(エスター・ミンチオッティ)が、彼女の念願だったはずの女友達を息子のマーティが自宅に連れてきていることに対して不機嫌のほうが先に立ってしまう姿など、いかにも日本のホームドラマで観慣れたパターン化された光景で、すっかり驚いてしまった。大学出は商売女と紙一重などという暴言を妹からの受け売りで息子の見初めたクララ・スナイダー(ベッツィ・ブレア)に投げつけてしまうテレサの姿にも日本の古い嫁意識に通底するものを感じた。イタリア系なればこそのものだったのかもしれない。マーティが親友と自認する独身仲間のアンジー(ジョー・マンテル)の反応にしても然りで、いささかチープな気がしなくもない運びであったように思うが、不器用で素朴なマーティのキャラクターをよく演じていたアーネスト・ボーグナインの好演が支えていたと感じられる作品だった気がする。

 また、当時のニューヨークでは、午前一時でもバスが走っていたのかと驚いた。するとニューヨークはバスや地下鉄はほぼ終夜営業だったらしいです🤔とのコメントが寄せられた。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と言われた時代でも、その後のバブル期でも、“眠らぬ街”としてタクシーが途切れない時期はあっても、バスや地下鉄が一晩中走っていたことは東京と言えどもなかったように思うが、さすがニューヨークだ。'67年の映画『ある戦慄』もニューヨークの夜間地下鉄が舞台だったとのことだが、バスはともかく、ウィキペディアによれば、地下鉄は今も24時間営業を続けているようで恐れ入った。映画というのは、そのときどきの時代風俗を記録として写し取っている部分があって、実に面白いものだと改めて思った。


 ミス・デイジー(ジェシカ・タンディ)のお出掛けクライスラー事故から始まる『ドライビング Miss デイジー』のほうは、公開時以来となる三十三年ぶりの再見だったが、奈良岡朋子と仲代達矢による舞台劇を十五年前に観ている作品だ。

 そのときのライブ備忘録に映画の『ドライビング Miss デイジー』を観たとき、僕は、三十二歳だった。当時、絶賛と言ってもいいような賞賛の声ばかりが聞こえてくるなかで、妙に違和感を覚えた記憶がある。今回の舞台でもそうだったが、齢百歳近くになってなお、息子ブーリーから親密感と共に「煮ても焼いても食えない人」と称されるデイジー奥様(奈良岡朋子)の“素直さの欠けたひねくれ気味で高慢な性格”が、人物像として気に触ってならなかったからだ。息子からも、黒人運転手ホーク(仲代達矢)からも、こよなく大らかに受容され丁重に保護される元教師のユダヤ人女性に、何か釈然としない割り切れなさを感じたものだった。…三十二歳のときに感じた居心地の悪さは、僕が歳を重ねて五十歳になっていてもなお変ることのないものだった。よくよく僕は、敬老の精神や騎士道精神を欠いているようだ(苦笑)。と記した部分に対しては、かなり鷹揚になってきて、デイジーとホークの遣り取りを楽しめるようになっているのが我ながら興味深かった。それだけ彼らの歳に僕が近づいているのかもしれないが、息子のブーリー(ダン・エイクロイド)が間違い電話だ!ママが人を褒めたとあしらっていたデイジーをじゃじゃ馬として乗りこなすことを楽しんでいる風情がホーク(モーガン・フリーマン)にあることに親近感を覚えるようなところがあった。

 前日に観たカップリング作の『マーティ』から三十年余り後の映画だけれども、1888年に十二歳だったというデイジーが自分で運転できなくなってからの運転手を、まだ髪が黒々していたブーリーに雇われてホークが務めるようになって、ブーリーの髪が白髪交じりになっていたアトランタ市商工会議所名誉賞の受賞が1966年度だったから、黒人がトイレを使えない時代としてホークが運転手をしていたのは、主に『マーティ』と同じ'50年代だったように思われる。

 老婦人四人による健康マージャンの卓を囲んでいる場面が二度も出てきて、「自摸!」の代わりに「マージャン!」と言っているのを観て、そう言えば、と、かつて僕が麻雀に耽っていた学生時代に、アメリカでも麻雀は人気があって、役満には「南北戦争」というのがあるとか、「緑一色」はアメリカ発の役満だとかいう話を仕入れた際に、和了時に「マージャン!」と声を発すると聞いたことを思い出した。


 合評会では、どちらの作品をより支持するかで『マーティ』二人、『ドライビング Miss デイジー』三人と分かれた。『ドライビング Miss デイジー』には、デイジーがホークの運転する車に乗ろうとしてなかった時分に、調理場のアデラ(エスター・ローレ)の傍で新聞を拡げている場面で流れるラジオ放送のなかに「1948年」という音声があったが、字幕で訳されておらず放送内容までは聴き取れなかったので、それが時点を指しているかどうかは定かではないものの、いわゆる“映画のルール”として、あれがデイジーとホークの関係の始まりの年を示しているのではないかという気がするところからすれば、デイジー七十二歳から百歳近くの四半世紀にわたる交流の物語になるわけだ。その時間の経過が判りにくいとの意見も出たが、人物造形の妙や画面の端正さなどから、ほぼ完璧な作品だとの声もあり、押しなべて秀作であることに異論はなかった。僕自身は、映画としての出来映え自体では『ドライビング Miss デイジー』のほうが上回っている気がしつつも、好みという点では、アーネスト・ボーグナインの思わぬ好演ぶりが目を惹いた『マーティ』のほうに手を挙げた。

 その『マーティ』については、マーティの姿が見当たらないからといってあちこち探し回るばかりか女連れだったことに対して不躾に振舞うアンジーにしても、念願だったはずの息子の女友達が現われるや文句を言い始める母親や、周囲の目を気にしてクララにちっとも電話をしないマーティなど、いい歳をした登場人物たちの些か幼稚な振る舞いが目について、釈然としなかったという意見が出たのが面白かった。いずれも各自の負い目引け目に障る部分を刺激された動揺が冷静さを欠いた行動というか、反応を引き起こしたように僕は感じていたから、腑に落ちないことはなかったけれども、確かに大人げないと言えば、大人げない。だが、それよりも僕は、夜中にチキンを食べないかとのもてなしをしたりする、午前零時を昼の十二時かと錯覚させるような時間感覚のほうが不思議だったと述べると、それについては皆、同じように思っていたようで揃って賛同を得た。また、イタリア的家族主義についての話題も盛り上がって興味深かった。
by ヤマ

'23.12.13,14. DVD観賞



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>