『シュマリ』(上・中・下)を読んで
手塚治虫 著<角川書店単行本>


 初めて読んだが、桁外れに破天荒で豪放な人物造形に吃驚した。主役のシュマリのみならず、登場人物の誰も彼もが所謂“日本人的繊細さ”とは掛け離れたスケール感で、1869年から1895年の明治の前半期の北海道を生き抜いていたように思う。登場人物たちの感情や関係性の余りの線の太さに、よくぞかような物語を造形したものだと恐れ入った。

 人生を渡っていく生の原動力は如何なるものによって形成されるのかとか、家族とは何なのかといったことにおいて、常識的な範疇での愛とか欲では割り切れない、もちろん単純な損得勘定や倫理観など端から埒外の“実感主義”とも言うべきものが行動原理になっていたような気がする。

 最も魅力的な人物は、何と言っても峯だ。シュマリの二番目の妻になった彼女こそ人間的には他の誰よりも、まさにその名に相応しき高みに至っていたように思う。そして、最も象徴性に富み、含蓄のある造形が施されていたのが、乳の代わりに濁り酒で育ったというアイヌの少年ポン・ション(小さなウンコ)=首麻里善太郎だった。この着想は、どこから降りてきたものだったのだろう。異色西部劇ソルジャー・ブルーを想起させるところもあり、なかなかインパクトがあった。

 斯界に造詣の深い学友によれば、手塚治虫のビッグコミック連載が一番脂が乗っていた時期の作品で、ある意味、白土三平の『カムイ伝』を意識したのかと感じさせる大河ドラマだとのことだ。言われてみれば確かに、シュマリは権を偲ばせ、首麻里善太郎は正助を思わせるところがあるように思う。カムイ伝の連載は、'71年までらしいが、『ソルジャー・ブルー』が '70年の映画だし、いずれも手塚の本作に影響を与えているようなところがありそうに感じた。奇しくも同作を、ちょうど半世紀ぶりに再見した後に読んだわけだが、実にナイスタイミングだったように思う。

 本作を僕に託してくれた映友女性は、手塚作品の中で多分一番好きだそうで、先住民族の文化生活に敬意を払うシュマリの姿が『ソルジャーブルー』でキャンディス・バーゲンの演じたクレスタ・リーの姿と重なったようだ。僕もまさしくそこのところに同作を想起したのだった。そして、先住民からの強奪による開拓にまつわる黒歴史を見つめる眼差しに感銘を受け、シュマリの妙への想いであれ、峯のシュマリへの想いであれ、己が手中に収めようとするのではない保有の仕方に心打たれたのだった。


by ヤマ

'22. 1.31. 角川書店単行本



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