『学校』['93]
監督 山田洋次

 公開時以来の再見だが、改めて田中邦衛の代表作だなと感じた。夜間中学教師のクロちゃんこと黒井先生を演じた西田敏行も、この時分はまだ暑苦しくなくていい。メリヤス工場の配送員を務める競馬マニアのイノさんが、クロちゃんから板書された「みるく」の横に片仮名で書くよう言われて「できねぇ」と俯いたあと、ふと思いついたクロちゃんが普通なら「ミルク」よりも数段難しい「おぐりきゃっぷ」と書いた横に、堂々たる大きな字で「オグリキャップ」と書いて教室の喝采を浴び、得意満面になっている表情に田中邦衛の真骨頂を観るような気がした。竹下景子の演じる田島先生がイノさんの披露した万馬券の配当金の金額をやおら再現したことに「やっぱり先生は、頭がいいや」と感心する場面や、級友のオモニ(新屋英子)のやっている焼き肉屋で田島先生への想いが敗れたことをクロちゃんから通告されて荒れ、オモニに打ち据えられる場面にも、イノさんという五十男の人物像が脈々と息づいていて、感銘を受けた。

 そして、即座に「みるく」から「おぐりきゃっぷ」に振替えて、失意や挫折感を与えることから逆に自信や満悦を獲得させることに変えられるような教員が求められる夜間中学の現場には、指導要領に沿った学習指導では到底適わない特別な技能とハートが必要なことがよく描かれていたように思う。始めのほうで校長(すまけい)から来春の異動を通告されたことに異議を唱えるクロちゃんの姿が描かれていたが、「黒井先生の教育論を伺うために呼んだのではありません」と答えるしかないのが管理職たる彼の立場であることは容易に理解できるけれども、夜間中学で培われたクロちゃんのスキルは、いかにも全日校での煩雑な教務をこなすことに難儀しそうな彼なれば、おそらく十分に生かされることにはならず、下手をすれば、彼に不適応を起こさせることになりかねない気がした。教育の現場における“管理”の問題には、生徒においても教員においても、由々しきものがあって、本来育まれなければならないものを損ねているような気がしてならない。

 また、エンドロールで音楽:冨田勲とクレジットされていた名を懐かしく観るとともに、今や山田組の撮影監督の定位置を占めている高校の同窓生、近森眞史の名がB班撮影としてクレジットされていたことも、ちょっと嬉しい気分で目に留めた。二十七年前の初見時には見落としていたようだ。

 ネットの映友の話では、山田洋次が夜間中学に着目し、企画を出したのは'78年で、廣澤栄によるシナリオも完成していたそうだ。内容はまったく違ったものになっていたそうだから、おそらく'93年版のように中国語やベトナム語が飛び交うなどということはなかったのだろう。「まったく違ったもの」というからには、イノさんがいなかった?と思いつつも、昭和色の濃い彼の不在は流石にないだろうと思ったりした。映友によれば、だいぶ設定は違っていたらしいが、イノさんに近い人物は出てきたらしい。清掃員としてバキュームカーに乗っている人物で、渥美清をキャスティングする予定だったとのこと。

 そう聞いて、寅さんではない渥美清を、山田洋次がその時分にどう演出したか観たかった気がしたが、『息子』['91]よりも前の山田作品は少々苦手にしているところもあったので、'90年代になってからの映画化のほうが僕には好都合だった気もしなくはなかった。

 また、本作の元になった夜間中学を捉えたドキュメンタリー映画『こんばんは』を観たのは、'03年だが、僕たちがオフシアターベストテンの1位に選出した後に、キネ旬の文化映画部門での第1位選出や第1回文化庁映画賞の文化記録映画大賞にも選出されたことで、僕たちの選考した1位作品が朝日新聞高知総局主催の上映会で再映されるイベントが始まる契機になったことを懐かしく思い出した。

 そして、来春、高知県に初めてできることになっている公立夜間中学の「つくる会」の世話人をやっている高校の同窓生が参加していて、久しぶりに会えたことが思い掛けなかった。上映後も残った9人でいろいろ情報交換でき、なかなか良かった。来春の開校を前にしながら、ちっとも浸透していないとのことで、実際の就学対象者にどうやって情報を届けられるのか苦慮している様子だった。
by ヤマ

'20. 9.13. 高知伊勢崎キリスト教会


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