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『大忍術映画 ワタリ』['66] | |||||
監督 船床定男
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高校時分の映画部長からサスケの話が出た際に、「僕は、斧遣いのワタリ派やったなぁ」と返して、同じ話を何年か前に先輩映友にしたとき託されたことを思い出し、五十四年ぶりに再見した。 実に懐かしかった。ワタリを演じた金子吉延と四貫目の牧冬吉のコンビは、その後、TVシリーズとなった『仮面の忍者赤影』でも馴染みだったから言うまでもなく、加えて内田朝雄の百地三太夫の登場に「おぉ~」となり、音羽の城戸(大友柳太朗)に思わず膝を打ち、楯岡の道順を演じた天津敏の声に、そうだった、そうだったと快哉を挙げた。 忍者小頭カズラの姉ツユキ(本間千代子)の初登場場面が山間の川での水浴場面だったことがまるで記憶になかったのは、小学低学年時の僕の本作における関心事が忍者キャラと特撮、アクションにあったからに外ならず、伊賀崎六人衆のシジマ(堀田真三)の間抜けぶりと成れの果てが妙に可笑しかった。ところが、三歳年上の映友からは、本間千代子が川に浸っている場面しか覚えていないとの愉快なコメントがあり、当時既に十代に入っていた映友と一桁だった僕との違いに、あの時分の三歳差というのは、彼の年齢で生きてきた時間の三割弱、僕の年齢だと四割近い時間に相当するのだから、大きく違っていて当然だと改めて思った。 今なお記憶に鮮やかな「光あるところに影がある…」とのナレーションで始まるサスケも大好きだったが、今にして思えば、分断統治の卑劣を描いて成敗する社会性に富んだ筋立てをそれなりにきちんと構えていることに映画を再見して改めて感心した。音羽の城戸との最後の対決シーンを意識して制作されたものだったと思しきプラモデルを買ってもらって作った覚えがある。大木の枝に装着する構造になっていて、外すとバネ仕掛けで糸で繋いだ斧を飛ばして遊べる人形になっていたような気がする。音羽の城戸の足に巻き付け木の枝から逆さ吊りにして仕留めた決闘の図は、伸びた草のたなびく草原という対決場面の行き違い構図のカットともども、なかなか鮮やかだったように思う。 現在の技術からすればローテクの極みのような特撮にも郷愁をそそられ、当時人気絶頂だった「いや~ん、いや~ん」のルーキー新一の頻出は少々鬱陶しかったけれども、実に愉しい再見となった。ただ牧冬吉は白影だといいのだけれども、四貫目だと原作漫画の重厚さに比して些か貫禄不足が否めず、少々影が薄かったように思う。 | |||||
by ヤマ '20. 6.11. DVD観賞 | |||||
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