『沈丁花』['66]
監督 千葉泰樹

 高校時分の映画部長から託された宿題映画の最後の作品を越年してようやく観た。上野家の大黒柱である歯科医の長女菊子(京マチ子)が三十二歳で結婚し、夫の大学教授金平(仲代達矢)と当時、夢の超特急と呼ばれていた新幹線に乗って、新婚旅行に出るラストシーンを観ながら、華ある美人姉妹の結婚騒動を描きつつも、作品タイトルが、華よりの香りの沈丁花になっていることに相応しい作品だと思った。「もはや戦後ではない」から十年、戦後復興もなって尚且つ、まだ高度成長期下の公害問題が本格化する前の、東京オリンピックを成功させて程ない、今はなき“長閑で平和な戦後日本の昭和の香り”を余すことなく漂わせていた気がする。

 三女の桜(団玲子)のみが結婚を済ませ、長女菊子のみならず次女梅子(司葉子)が二十七歳で既に婚期を逸していると母娘ともに見做していた時代の物語だ。三十路に入った長女に対しては、娘に憤慨されながらも、失敗してもいいから結婚を経験させてやりたいと母(杉村春子)が願い、雑誌に「当方三十二、資産少々あり。四十以下、再婚可。」との花婿募集広告まで出したり、女性の頬を平手打ちする行為が真摯なる想いとして双方に通じたりと、今ではとうていあり得ないような風俗が綴られていく。そのような時代錯誤に覆われながらも、本作に美しく良き香りがしていたのは、いたって通俗的な結婚騒動を下品に堕しないユーモラスな笑いと共に、随所に一般人が普通に備えているものとしての教養を覗かせて描いていたからだろう。

 ここぞという場面で、本作のタイトルに通じる高浜虚子の句「娘の部屋を仮の書斎や沈丁花」が映し出されたりする。また、昭和四十年代にして既に震度と共にマグニチュードという言葉が使われていたり、軽口の交換ネタが歌舞伎の熊谷や曽我物だったりしていた。そして、工藤(宝田明)とのデートに誘われたと思っていたら弟の五郎(佐藤允)に引き合わされた梅子が酒の肴に挙げたエンガワを五郎が注文した時に「ハリ・アップ!」と告げていた口調が、二年余り前に逝去された恩師の口調そっくりで驚いた。

 僕が生徒だった'70年代当時は、先生が英語教師だからそう言っているのだろうと思っていたが、どうやら'60年代中頃の流行語だったようだ。次女梅子と結婚した歯科医の大岡(小林桂樹)の趣味が8mm撮影で、いつも持ち歩いていたり、四女あやめ(星由里子)と野村(夏木陽介)の結婚式が仏式で、次女梅子の結婚式が教会だったりと、当時の作品は映っているものを観るだけで愉しいことに加えて、華ある女優のいい場面を設えてくれているから、観ていて頬が緩みっぱなしだった。

 星由里子では、新婚旅行から帰ってきて土産を持参した着物姿での若妻ぶりの愛らしさ、司葉子では、大岡から率直なプロポーズを受ける場面での有頂天、京マチ子では、連日の見合い報告にも反応しない金平の鈍感をなじる涙目の場面がとりわけ魅力的だったように思う。そういう意味では、一足先に結婚していた桜を演じた団玲子は、少々割を喰っていたような気がする。思いのほか面白かった。しかし、若い時分に観たら、到底このようには楽しめずに、毒にも薬にもならない風俗映画のように感じたような気がする。

 それからすると、菊子が金平教授のことをキンピラ先生と呼んだとき、だから、母が長女の晩酌を用意していた場面で残り物だけどと、つまみに出してきていたのがキンピラだったのかと膝を打つようになっていることが嬉しい。画面も実に綺麗だったし、昔の映画を観ることが実に愉しい年齢になって来たようだ。
by ヤマ

'20. 1.11. DVD観賞


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