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『家族を想うとき』をめぐって | |||||
TAOさん 「チネチッタ高知」:お茶屋さん 「眺めのいい部屋」:ムーマさん シューテツさん マルさん ヤマ(管理人) | |||||
2020年07月04日(土)~2020年07月07日(火) ケン・ローチの『家族を想うとき』のラストシーンの直後、拙日誌に「セブや妻アビー(デビー・ハニーウッド)の制止を振り切って職場に向かったラストショットのあと、リッキーはどうしたと思うか、観た人それぞれの意見を伺いたい気持ちになった。出掛けに息子のセブに言っていた「今晩話がある」というのは、いったい何を話すつもりだったのだろう。」と記した部分について、どのように受け止めているか、男女それぞれ4人の映友に問い掛けてみた。高知においでて最近観たはずの方が5人だが、都会組は、上映がもう一年くらい前のことになるから、ちょっと難しいかもしれないと思ったら、過半を占める3人の女性と2人の男性が回答を返してくれた。 -------最初の方------- (TAOさん) はい、もちろん見ておりますよ。ただし、見たのが昨年なので、すでに記憶が怪しくなっており、リッキーがセブに「今晩話がある」と言っていたことも忘れています~。 リッキーについては悲観しかありません。本人は最後の義務を果たした後、事務所に行って退職を宣言するつもりだったのかもしれませんが、あの状態では、心筋梗塞か、脳卒中、あるいはハンドルを切り損ねて交通事故死・・・。いずれにしろ自殺行為でしょうね。 息子には、まず鍵を隠した犯人だと決めつけたことへの謝罪がひとつ。それから家族のためにと思って始めた仕事が家族を苦しめたことへの謝罪。それと、自分のような肉体労働者にだけはなるなとか、そういうことも言いたかったかなと思います。 ヤマ(管理人) お~、なるほどなぁ。やっぱり伺ってみるもんだ! 退職宣言は想定の範囲でしたが、交通事故死には意表を突かれた。でも、あの状態では、ヤバいね、確かに。過労による睡魔に見舞われて暴走した場面が伏線というわけですな。 Sorry We Missed Youどころじゃなく、Sorry We Killed You というわけだ。確かに我々は過酷な働き方改革を強いられている人々を見殺しにしていると指摘されても仕方ない状況にいますね。 僕は、シフトに穴をあけるたびに100ポンドの違約金が発生する奴隷契約になっているので、何とかそれを逃れようと職場復帰する哀れな姿を想定していた。その際に退職というか奴隷契約の解除の件を申し出てみると、シフト同様に後釜を構えることなく、事前通告なしの解約をすれば、桁外れの違約金が発生する条項があることを知らされて、タフなリッキーもさすがに絶望感に打ちひしがれる図も浮かんだんだけど、事故死はなかった。でも、悲観では一致してるね。そーか、Sorry We Killed You か。原題が生きてくるなぁ(感心)。 息子に何を話したかったかは、全く同じ。まさに、その三点だと思う。お書きの三点目が肝だよね。誰かが担わないと社会が回らない職務なのに、それに従事している労働者がそのことに誇りを持てないどころか、徹底的に自尊感情を損なわれる構造になっている不条理が端的に表れる言葉になるよね。 ついては、もう一つお訊ねしたい(笑)。 お茶屋さんはメモルンバに「アビーママ(デビー・ハニーウッド)、聖人に思える」と書いておいでたけど、貴女は、どのようにご覧になってる? (TAOさん) ん、交通事故死、思いませんでしたか? 私はてっきり誰もがそう感じたと思っていました! >誰かが担わないと社会が回らない職務なのに、 そもそも命に関わるわけでもない荷物をなぜ翌日もしくは即日配達する必要があるんでしょう。そんな過酷な職務、誰にも担わせるべきじゃないんですよ。なんでもかんでもネットで注文すればすぐ届くのが当たり前と思っているのがおかしいわけで。 その点、介護は、社会にとって必要な職務ですよね。ひとりでトイレにも行けない老女がなんとか一人暮らしできているのは、衰えたとはいえ、さすがゆりかごから墓場までの国だなと感心しました。介護福祉士は、過酷な仕事ではありますが、少なくともトイレに行く時間はあるし、なにより利用者から感謝され、頼られているという点で、自尊感情は保てますよね。リッキーに比べたら、アビーはかなり恵まれてるんじゃないかな。優しく責任感もありケアの仕事に向いた人だと思いましたが、とくに聖人とは思いませんでした。 ヤマ(管理人) >私はてっきり誰もがそう感じたと思っていました! そういうもんです(笑)。もっとも、だからこそ、いろいろな方々の受け止めを訊いてみたくなるのよ。 僕は、そもそもネット通販自体を拒んでるからね(笑)。いや、無駄な抵抗ではあるんだけど(たは)。だから、貴女の本がまだ流通しているらしいと判った時も、僕にいろいろディスクを回してきて観ろという先輩映友に頼んで、手配してもらったし(笑)。キミがそこまで執心する本ならと、彼も買ったようよ。 アビーは、よくできた人だけど、聖人とまでは僕も思ってない(笑)。ま、お茶屋さんにしたって、修辞として使ってるんだろうけどね。 彼女が、リッキーと違って苦境にあっても必要な余裕を失っていないのは、自尊感情を維持できているから、というのは、僕も同感。加えて、リッキーが誇りをズタズタにされていることを誰よりもよく知っているから、だろうね。セブに手を出したときは猛然と怒ったけど、それ以外は、職場でいい加減、誇りをズタズタにされている夫を家でも傷めつけては絶対にいけないと意識的に自制していたように思うから、やっぱ、よくできた奥さんだよね。さすがベテラン介護福祉士だ! だからなぁ、シングル・マザーにしちゃわないでよ(笑)。 (TAOさん) もし機会があったら、ロマン・デュリス主演の『パパは奮闘中』をご覧くださいな。アマゾンとおぼしき通販会社の倉庫で働く非正規労働者の仕事が具体的に描かれてます。仕分け作業も配達に負けず、自尊感情をズタズタにされる職務ですよ~。あれを見たら、アマゾン不買運動も広がると思うので、ヒットしてほしかったのですが、全然話題にもならず。 そういえば、最近、NHKのドキュメンタリー番組で知ったのですが、ピラミッドを作った作業員は、高賃金かつ広い住宅とたっぷりの食事も支給され、なかなかの高待遇だったようです。鞭打たれながら働く奴隷ではなかったんですねー。ハリウッド映画のイメージとはちがって。 おっと脱線。 アビーといえば、移動が大変になることをわかっていながら最終的に車を売ることに同意したのも、夫の自尊心を傷つけまいとしての配慮ですよね。私なら固辞して、夫に別の仕事を探してと頼むかも。そこで譲ったとしても、あとで絶対文句を言うだろうな!(笑) -------二人目、三人目------- (お茶屋さん) ヤマちゃん、お久しぶりです。 間借り人の日誌を拝読しました。いや~、むかむか具合が、よっく伝わってきましたよ~(竹中平蔵が9月入学推進派と知ったあるネット民が、それだけの理由で9月入学は慎重にした方がいいと言っていたのが面白かったですよ(^Q^)。)。WEBサイトを始めたときから思っていましたが、感想を書くって壮大なる自己紹介ですわ。自己紹介し続けているって、すごいですねー(笑)。 それでラストシーンのその後ですが、リッキーは働きに行くのだと思いました。もうこれ以上、借金はできないもんね。セブに話があると言っていたのは、ヤマちゃんに言われるまで忘れていました。それで今、考えたのですが、リッキーは蟻地獄に落ちたことを説明して、マイホームは諦めること、それでもセブには学校を出て労働条件のよいところに就職して欲しいこと、そのためには転職せず蟻地獄で頑張るつもりであることを話して、それでも学校に戻る気がないなら、それもよかろう、お前の人生だ、好きなことをして生きよ(絵描きになるか)、何がしたいんじゃとセブの気持ちを聴いてみる。 セブは悲しくも学校に戻り、学業に励む傍ら描いた絵が売れて、貯まったお金でtotoを買ったら大当たり。一家は借金返済、イギリスよりましに見えるニュージーランドへ移住することになりました。ケン・ローチ作品としてはありえない結末です(笑)。 (ムーマさん) もしかして、私も書いたほうがいいのかな…?って思って考えてたんですが、お茶屋さんのシナリオの後半が、あんまり面白かったので、自分のはもうどーでもよくなりました(拍手~~(^^)) 「セブは悲しくも学校に戻り…」からニュージーランドまで監督さんも気に入ると思うなあ(ケン・ローチ的ユーモアに通じると思うもん)。 でもまあ、せっかくだから自分の思ってた方も書くと、前半はお茶屋さんとほとんど同じ(蟻地獄って言葉、私も浮かんだ)。ただ… 私は、リッキーは早晩事故ると思いました。 (だから、後半がお茶屋さんと全く違う(^^;) 蟻地獄ってのは、落ちたものは最後は(食いつくされて)死ぬわけで、その方向性は、あの映画のラストの後、物語がどう続こうと変わらないだろう…って、思い込んでたので。 ま、監督の術中にハマったわけです(真面目に?考えさせられた一人というか)。でも、ラストでリッキーが涙こぼしながら運転してるの見たとき「あ、ここで切れる(映画が終わる)」ってはっきり判って「そうかあ… 私、今までフィクション観てたんだ」って夢から覚めた?気がしたくらいだったのに、お茶屋さんほど明るい「その後」が浮かばなかったのは「アタマ硬いなあ→自分」(^^; もしかしたら、世の中があんまり酷いことになっちゃってるから、ケン・ローチも『エリックを探して』『天使のわけまえ』みたいなわけには行かなくなったのかなあ… そんなことを考えながら、うちに帰ったの覚えてます。 (ヤマさんのお尋ねの答えにはなってないかも~(^^;) ヤマ(管理人) お茶屋さん、ムーマさん、どうもありがとう。 ある意味、対照的なお二人の「その後」を伺うことができて、ほくそ笑んでます。だからこそ、拙日誌にも「観た人それぞれの意見を伺いたい気持ちになった」と書いたのでした。 お茶屋さんの言う「ケン・ローチ作品としてはありえない結末」は、もちろん僕には埒外で、大いに意表を突かれましたが、同時に“壮大なる自己紹介”なればこそ、お茶屋さんがそう書きたくなることへの納得感は、凄くあります。僕は、ムーマさんのほうに近い悲観を抱いていましたが、「事故死」までは考えていませんでした。 でも、TAOさんによれば、てっきり誰もがそう感じたと思っていました!とのことです(笑)。もっとも、だからこそ、いろいろな方々の受け止めを訊いてみたくなるんですけどね~。 息子にしたかった話というのは、お茶屋さんが書いてることとそう違いませんが、セブに手を出してしまってアビーの猛烈な怒りを買った件と苦境に陥ってセブから「すっかり変わってしまった」と指摘された件について、謝りたかったのだと思います。そのうえで、自分のような働き方をする羽目にだけは陥らないよう諭したかったのだろうと思っています。ただ、お茶屋さんのように、「何がしたいんじゃとセブの気持ちを聴いてみる」との発想はありませんでした。 お伺いしてよかったです。また、ムーマさんに書き込みいただくまで辛抱して、なお良かったです(笑)。お二人とも、どうもありがとうございました。 (お茶屋さん) ムーマさん、ヤマちゃん 一応、私も“事故る”とは思いましたよ~。死ぬとまでは考えていませんでしたが、蟻地獄なんでよい方には向かわないと思っていました。でも、それはいやなので、無い知恵を絞りました(笑)。 >セブに手を出してしまってアビーの猛烈な怒りを買った件と苦境に陥ってセブから「すっかり変わってしまった」と指摘された件について、謝りたかったのだと思います。 あ、ラストシーンの後を考えるときは、アビーの怒りを忘れてたので「謝る」という発想がありませんでした(^_^;。セブの訴えは覚えてたのですが、謝るというよりは、リッキーには、その負い目があったので、セブの気持ちを聴く気になったと思ったのでした。 ムーマさん、 >もしかしたら、世の中があんまり酷いことになっちゃってるから、ケン・ローチも『エリックを探して』『天使のわけまえ』みたいなわけには行かなくなったのかなあ… そう、それ! チラッと私も思いました。 ヤマ(管理人) お茶屋さん、 貴女も“事故る”とは思いましたか、それはそれは。僕は、契約解除の意思を強く受け止めたせいか、どうせ考え抜かれた奴隷契約書のことだろうから、それはおいそれと叶えられるはずないよな、という思いに囚われてしまったようね。 >それはいやなので、無い知恵を絞りました はい。長年のお付き合いでございます、百も承知(笑)。「“壮大なる自己紹介”なればこそ、お茶屋さんがそう書きたくなることへの納得感は、凄くあります」と記したとおりにね。 (お茶屋さん) ヤマちゃん 契約解除の意志は私も受けとめましたよ。違約金とか、これ以上借金できないから転職はできないだろうって。それでも日本で働く一部の技能実習生よりマシとも思いました。 -------四人目------- (シューテツさん) ヤマさんどうも、勿論観ていますよ『家族を想うとき』。 しかしなぁ~、こういう質問されるとちゃんと答えたいのでもう一度観たいですねぇ。観たのは去年で半年以上経ち流石に記憶が薄れていますからね…。「リッキーはどうしたと思うか?」は、ある程度憶えていますが、「いったい何を話すつもりだったのだろう」については殆ど憶えていませんから(苦笑)。 私ももう一度観たいし、もしレンタルしていたら観直してから答えたいので、もう少し時間を頂けますか。 ヤマ(管理人) ありがとうございます! 勿論けっこうです。楽しみにしてます。やっぱ、まじめだなぁ、シューテツさん、さすが(笑)。 (シューテツさん) ヤマさん、お待たせしました。 再見しましたが、まずは「職場に向かったラストショットのあと、リッキーはどうしたと思うか」なのですが、最初に観た印象と殆ど変わりませんでした。私は素直に職場に向かったと思いましたし、他に何かをしたという疑念は一切思い浮かびませんでした。 今回、質問をされて初めてあの後他にどうする可能性があるのか?という事を考えてみましたが、他に考えられることと言えば「行方をくらます」か「自殺」位しか浮かびませんし、リッキーの性格を考えるとそれはあり得ないという結論になりました。 あまりこの作品の他の人のレビューを読んでいませんが、他に何か考えられる様なラストとは思えませんでしたね。 もう一つのご質問の「出掛けに息子のセブに言っていた「今晩話がある」というのは、いったい何を話すつもりだったのだろう。」というのも、今回再見してもその台詞を聞き逃したので、巻き戻して観ましたが、あれは完全にその時の状況での咄嗟の言葉で、その後すぐに「会社に壊れたスキャナーの賠償をしなければならない」などの台詞があり、どうしても仕事をしなければならない事への言い訳をしていましたので「今晩の話」は家族皆が反対しても仕事をしなければならない理由を指しているのだと思い、他に別の捉え方が出来るようにも思えませんでした。 以上がご質問への私の回答です。 ヤマ(管理人) ありがとうございます! 思いのほか早くて驚きました。 >私は素直に職場に向かったと思いました 僕も同じです。シフトに穴をあけるたびに100ポンドの違約金が発生する奴隷契約になっているので、何とかそれを逃れようと職場復帰する哀れな姿を想定していました。その際に退職というか奴隷契約の解除の件を申し出てみると、シフト同様に後釜を構えることなく、事前通告なしの解約をすれば、桁外れの違約金が発生する条項があることを知らされて、タフなリッキーもさすがに絶望感に打ちひしがれる図も浮かんだりしました。 TAOさんやムーマさんは、事故死を想定していたそうです。とりわけ、TAOさんによれば、てっきり誰もがそう感じたと思っていました!とのことです(笑)。もっとも、だからこそ、いろいろな方々の受け止めを訊いてみたくなるんですけどね~。 でも、そうなると、お茶屋さんが「アビーママ(デビー・ハニーウッド)、聖人に思える。」とまで書いているアビーは、シングルマザーになり、おまけにリッキーの残した借金は抱え、車に譲渡価値はなくなり、とんでもないことになってしまいます。残酷ですね~、女性たち(笑)。 お茶屋さんも「一応、私も“事故る”とは思いましたよ~。死ぬとまでは考えていませんでしたが」とのことです。ますます嵩に懸かってくる生き地獄! 僕も悲観的ではありましたが、皆さん、上回っていました。 >他に考えられることと言えば「行方をくらます」か「自殺」位しか浮かびませんし、リッキーの性格を考えるとそれはあり得ないという結論 とても心強い結論です。負けるな、リッキー!との思いが伝わってきますよ。TAOさん同様に「他に何か考えられる様なラストとは思えません」に痺れました(拍手)。 「今晩の話」は、あれは完全にその時の状況での咄嗟の言葉と受け止められましたか。僕は、セブに手を出してしまってアビーの猛烈な怒りを買った件と苦境に陥ってセブから「すっかり変わってしまった」と指摘された件について、謝りたかったのだと思います。そのうえで、自分のような働き方をする羽目にだけは陥らないよう諭したかったのだろうと思っています。「家族皆が反対しても仕事をしなければならない理由」を伝えたかったという受け止めは、想定外でしたが、家族にだけは真意を理解しておいてもらいたいとの想いは、家族を想うとき、最も切実な我が事かもしれませんね。どうもありがとうございました。 (シューテツさん) へぇ~、事故死ですか。私は全く思い浮かびませんでしたが、言われてみればなるほどと思ってしまいますね。あの激務だと可能性も低くはないかも知れません。 但し、ケン・ローチって人は観客がその後の物語を膨らませる事まで考えない様な気はします。全ては映画の中で言い切っているという姿勢の強い人の様に思っていますので、物語的にそこまで想像を膨らませる必要もない様に感じました。 >セブから「すっかり変わってしまった」と指摘された件について、謝りたかったのだと思います。 これは、その後にセブから理解を示す接触があったので、それで解決していたようにも思えましたので、そのような思いには至りませんでした。 ヤマ(管理人) 事故死の件は、僕も、言われてみれば成程という感じでした。 拙日誌に「映画を観ている間中、腹立たしく遣り切れない想いと、どこまで傷めつけられていくのだろうとの不安で、何とも落ち着かない心持ちだった」と記した僕は、事故死とか、死なないまでも虎の子の車の損壊といった、誇りに加えた実損を彼が被ることを無意識に避けていたのかもしれません(たは)。 作り手は、別にその後の物語を膨らませてくれとも要求をしていない気は確かにしますが、僕が勝手に触発されただけですね。それにお付き合いいただき、どうもありがとうございました。 でも、おかげでさまざまなご意見が伺えて、とても面白かったです。 (シューテツさん) ヤマさんが書いている「映画を観ている間中、腹立たしく遣り切れない想いと、どこまで傷めつけられていくのだろうとの不安で、何とも落ち着かない心持ちだった」こそが、ケン・ローチが観客に訴えたい映画作りの根源だと思っています。 例えば今の宅配業、介護職など徹底的にリサーチし、物語や台本などは、ほぼその資料だけで自然に出来上がってしまうのでしょうね。恐らくその仕事に携わっている人達が観ればエピソードの全てがアルアルであり、色付けしているのは家族のキャラ設定だけの様に感じます。 ケン・ローチはいつも観客に「皆さん、これを観てどう思いますか?、これが正しい社会だと思いますか?」「現実はこれ以上に酷いのですよ」と訴えているだけなんですよね。 ただ、作っているのが家族のキャラと関係性であり、それが唯一の残された希望として観客に救いを残しているのだと思います。 -------五人目------- (マルさん) プログラムを引っ張り出して再読したり、自分の感想を読み返してみたりしていろいろ考えてみましたが、どうもネガティヴな想像しかできなくて、気持ちが沈んでしまいますね。 リッキーはあの後自殺を図るのではないか、「今夜話がある」と言ったのはそれを悟らせないための方便ではないか、とか、自殺はないにしても、あの状態でムリに運転したために事故を起こしてしまうのではないか、など、やはり暗い想像しかできません。 さもなければ、あのまま集配所へ行ってドライバーの仕事を辞め、昔の仕事に戻るか。私のようなものに考えられるのは、この程度です。 ヤマ(管理人) ありがとうございます! 僕の受け止めは、上にも記してあるとおりですが、やはり、どうもネガティヴな想像しか湧いてきません。今回、幾人かに問い合わせたら、「ケン・ローチ作品としてはありえない結末です(笑)。」と返してくださった方がおいでました。もちろん僕には埒外で、大いに意表を突かれましたが、彼女がそう書きたくなることへの納得感は、凄くありました(笑)。お返事くださり、感謝です(礼)。 | |||||
by ヤマ 2020年07月04日(土)~2020年07月07日(火) | |||||
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